其ノ28 セカンド・コンタクト
そこの子、と出雲が視線を向けた先にいる琳のことを口に出した時、急に我に返って琳のことを思い出し、なけなしの力を振り絞って体を引きずりながら駆け寄っていく。膝を折って倒れている琳の上体を左腕で抱き上げてみるが、依然として目が覚める気配がない。息はかろうじてしているようだが、表情はとても苦しそうである。
「琳……」
気が付かなかったとはいえ自分のそばで琳がこんな目にあってしまい、何もできなかった無力な自分が嫌になる。「守ってやる」と、そう琳と約束したのは俺の方なのに。
「先ずはキミからだ」
そう言って俺のすぐそばまで近づいてきた出雲は、右肩にちょこんと乗ると目を閉じて何やら力を集め始めその小さな足元に青白い光が灯りだす。
「あぅっ」
ジクジクと痛みが続いていた右肩に生暖く優しい光が触れられて、不思議と痛みが和らいでいく。
「……こんなところかな」
足元に灯っていた青白い光が収まると出雲は俺の右肩から離れた。恐る恐る確認してみると、さっきまであった痛みは大分薄れ、出血も無くなっている。ほんの一瞬のことだったのにここまでできるとは、現代の医学では到底解明できないであろう。その不思議な力によって元の形に修復された肩の感触を確かめるように、拳をゆっくり開いたり閉じたりしながらつぶやく。
「式神ってスゲーな」
「まあね~。さて、次はこの子だけど……」
俺の治療が終わった後に、今度は腕の中の琳の帯の上に乗っかって再び力を集め始める。
「……キミ、この子のどこかに刺さっている針を抜いてくれない?」
「えっ? 針?」
出雲は目を閉じたまま俺に要求する。
「その針には術式が編んであってね、人間にはただの針だけど幽体にとっては麻痺効果があるんだ。だからそれを抜いてくれないと、治療ができないのさ」
「な、なるほど。で、どこに刺さってんだ?」
「知らないよ。キミが探して抜くんだ」
出雲はそうぶっきらぼうに言い切ると、再び口を閉じて意識を集中させていく。
「針、か……」
俺は出雲に言われた通りに、琳の身体のあちこちを撫でながら異物がないか探し始める。表面にはそのようなものは見当たらなかったので恐らく反対側、背面のどこかにあるのだろう。
「こ、ここからは……」
「なにしてるのさ? 早く」
「わ、わかってるって! でも……」
そう、いくら治療のためとはいえ女の子の身体をまさぐった挙句、あんなところやこんなところを触らなければいけないなんて、やはり純情な俺には無理な――、
「はーやーくー」
「ハ、ハイっ!」
出雲に急かされて俺は息を飲み、意を決して琳のおしりの辺りに手を送る。決してやましい意味じゃなくて、これはあくまで治療の一環で仕方なくしてしまう医療行為で……、
「……あ」
左の方を探っていると俺の左手に何やら固く長いものが触れる。それはさっき自分の肩から引き抜いたものと同じ細長く冷たい感触で、恐らくこれが琳を苦しめている犯人だろう。
「フンッ」
手の中にしっかりと握り込み、勢いを付けて一息で引き抜いた。刺さっていたというより取れたというような軽い感覚だったので、抜くのに思ったほど力はいらなかった。
「ひゃうっ」
引き抜くと同時に、琳の口からかわいい声が漏れた。俺はそれを聞いて一瞬ドキッとしたがすぐさま忘れて琳の顔色をうかがう。さっきまでの辛そうな表情は出雲の治療もあって、いくらか緩和されているようだった。
「……これでよし。もう大丈夫さ」
出雲は治療を終えて琳の帯の上から飛び立つ。俺の顔の高さまで浮き上がってくると治療の成功を教えてくれ、それから自身は陰陽師の少女の元へ飛んで行ってしまった。
「そうか、わかった」
俺は出雲にお礼を言ってから再び琳に視線を落とす。さっきまでのとは打って変わり、安らかな表情で寝息を立てていた。
「……んぅ……」
「あ、おい、琳! 聞こえるか?」
「……あ……殿……」
少し時間が経ってから琳が目を覚ます。まだ完全に回復しきってはいないものの、意識は割とはっきりしているようである。
「大丈夫か?」
「……私は……」
琳は虚ろな瞳をゆらゆらとさまよわせながら辺りの状況を確認し始める。
「お前、なんかよくわからないけど陰陽師に怨霊に間違われて退治されそうになってたんだよ」
「退、治……? あっ、その肩の傷はっ!?」
琳は俺の服の右肩部分にぽっかりと口を開けている穴と、その周りにこびりついている赤黒いシミを見つけて目を見張る。
「肩? あぁ、色々あってな。その陰陽師の式神に治してもらったんだよ。もちろんお前もな」
陰陽師と式神、という言葉を耳にした琳は急に顔色を曇らせて険しい表情をし、無理をして上体を起こそうと腕と足に力を入れていく。
「あ、おい! まだ安静に――」
「そこの方々。少し話をさせてください」
いつになく真剣なトーンの琳は、部屋の奥で話しながら待機していた二人に向かってはっきりとした声で話しかける。
「ん?」
「なにかな?」
二人は何かを話し合っていたようで、琳の問いかけに気づいてこちらを向く。
琳は俺の制止を弱弱しく振りほどき、ゆらゆらと立ち上がっておぼつかない足取りで前に歩み出る。
「お二人に、特に式神さんに尋ねたいことがあります」
「ほほう、オイラにかい?」
出雲は興味深そうに琳を見つめる。琳はその視線に少し萎縮してしまうも、負けじと強気の眼差しを出雲に差し返す。
「……貴方は大昔に、怨霊『三ツ姫』を封印した式神ですか?」
琳は静かに問う。自分の犯した過去の過ちを、唯一知っている当事者なのかどうかということを。
「怨霊『三ツ姫』? アタシは聞いたことないわよ」
「…………ふむ。『三ツ姫』ね。懐かしい名前さ」
少女は初聞きの様子で全く見に覚えがないといった顔をしているが、出雲の方は何やら含みを持った笑みをして答えた。
「……ッ! じゃ、じゃあ……」
「そうさ。オイラは出雲。かの陰陽師『日戸午全』が使役した式神さ」
出雲は自信たっぷりに、堂々と胸を張って答える。
「やはり……」
琳の方も、確信を持てたように納得の表情をしている。
「それを問うということは、キミがその怨霊『三ツ姫』なのかな?」
今度は出雲の方から質問が帰ってくる。
「……その名は捨てました。私は幽霊の"琳"です。今はこの殿のお傍に置かせていただいています」
「なるほど。道理で二人とも見たことがある顔だと思った」
出雲は、急に俺の方を見てニヤっと笑みを浮かべた。
「ねーねー、さっきから三ツ姫だの日戸午全だのよくわからないんですけどー」
あまりにも蚊帳の外になっていた少女が、しびれを切らしむくれた表情で出雲に近寄る。
「あぁ、ごめんね。つい昔の知り合いに会えたからさ」
真剣な表情の琳とは逆に、出雲は久しぶりに古馴染みに会えた高揚感を隠し切れず、トーンの上がった楽しそうな声色で少女に答える。
「アタシ知らないんですけどー」
「そりゃ話してないからさ」
「なんでよ!」
「話す必要がないからさ」
「キーッ!」
少女は出雲に不平不満をあれこれぶつけているが、当の本人は涼しい顔でどこ吹く風。
「さて、感動の再開も済んだことだしオイラ達はもう行くよ。余り長居するわけにもいかないし、仕事もあるからさ」
出雲は少女の文句を無視して俺たちの方に向き直り、別れの挨拶を切り出した。
「あ、あのっ!」
「まだ何かあるの?」
琳は、去ろうとしている出雲を引き留めるように言葉を投げる。
「私を、封印しなくてもいいのですか?」
「なんで?」
出雲は、おかしなことを聞かれているかのように首を傾げた。
「だって、私は生前にあんなことを……」
琳は、少しうつむき加減で消え入りそうな声で問う。
「キミは誰?」
ふいに問われた内容に、琳は一瞬言葉を詰まらせる。
「キミの名前は?」
「えっ? ……私は……琳、です」
「ならオイラの知っている怨霊じゃないね。キミが何か悪さをしているのなら話は別だけど、特にそういった妖気も見えないし、何よりいい保護者がついている。そんな子をオイラが封印する理由がないさ」
「……ッ!」
そう言いながら、出雲は連れの少女を部屋の中心に置いていって執務室の扉に向かって行く。
「せめてこれ以上怨霊にならないように、ね」
最後に誰にも聞こえないような小さな声で言い残してから、ドアの前で振り返り少女を呼ぶ。
「カナミ、いくよ~」
「あ、待ちなさいよっ! ったく、いつも自由なんだから……」
「おい待て」
今度は俺が二人を引き留める。琳とのやり取りの間に身体の自由をいくらか取り戻せており、その場に立ち上がるのにもさほど苦労はしなかった。
机の陰からのそっと立ち上がり、全面までゆっくりと歩を進めていき二人と向かい合う距離まで近づく。
「今度は何だい? オイラ達は忙しいんだけど」
「なによ」
ドアの前で向き直る二人の方をじっと見つめて大きく息を吐く。そして右腕を上げて真っすぐに少女の方に人差し指を突き立てて、
「そこの少女。お前からはまだ何にも謝罪を受けてないのだが、それはどうしてくれるんだ?」
「うっ……」
特に問題にも上げずさりげなくこの場を去ろうとしていたのは、その顔を見れば一発で丸わかりである。
「こちとらお前のせいでケガなり疲労なり大変なんだ。オマケにまだ本命の幽霊すら見つけてもいない。どう落とし前つけてくれるのかね?」
「くっ……」
俺は今まで受けに受けた分のお返しと思って、盛大に嫌味ったらしく少女に問い詰めた。少女の眉間にシワが寄り、いつ爆発してもおかしくないほど表情を険しくしているが、フッとその込められていた力が抜けていき目を床のカーペットに伏せながら口を尖らせる。
「……わ、悪かったわよ……」
「それでいいんだ。本来なら傷害事件として通報して慰謝料の請求だってしてもいいんだが、そこの式神に助けてもらったからそこまではしないでやる。感謝しな」
勝った、と心の中でそうつぶやいた。琳とするときもそうだが、口論で勝つのはとてもすがすがしいことである。
「なっ、なによ偉そうに……」
「ああそうだ」
陰陽師の少女が未だ自分の非を認めようとしない中、俺はもう一つだけと付け加える。
「さっきも言ったけど俺は町会長から直々に依頼されている、万事屋『猫の手』の家城雅稀だ。同じ幽霊を追う者同士、敵でも自己紹介くらいはしろよな?」
俺はすました顔で、少女に自己紹介をしてそれを促す。
「な、何よ勝手な――」
「それでチャラにしてやるって言ってんだ。お前にとっても商売敵を知る機会だし、悪いことじゃねぇだろ?」
少女は俺の意見に少し考えるそぶりをしてから、何かを納得したように俯いてから俺を真っすぐに見上げる。
「……日戸、叶実。陰陽師の末裔よ」
「日戸叶実ねぇ、覚えとくわ」
「べ、別に覚えてもらいたいんじゃないからねっ! あくまで情報交換の一環なんだからねっ!」
顔を赤くして解りやす過ぎるツンデレを惜しげもなく披露されても、好意のない俺としてはグッとくるものがなかった。
「はいはいわかったわかった」
「ったく……行くわよ出雲。もうここに用はないわ」
俺の雑な返しに呆れたようにため息をついてから、横に浮かんでいる出雲に退出の意向を伝える。高校の制服のようなワインレッド色をしたミニスカートが宙を舞い、その華奢な身体を後ろに長く伸びる栗色のポニーテールと共に出口に向かってひるがえす。
「そうだね。マサキ、リン、バイバ~イ」
出雲は俺たちに前足を振りながら、叶実の後について執務室を出て行ってしまった。
扉の重苦しいうなりが途絶えた後の執務室には、元の静寂が戻り辺りはシンと静まり返っている。
「行った、な」
「そうですね……」
取り残された俺たちは、一人と一匹が去った後のドアを眺めながらつぶやく。暫く沈黙が流れていたが先に我に返ったのは俺の方で、
「お前、身体大丈夫か? その、色々な部分で……」
「えっ? あ、はい。私はもう平気です。それより……」
琳は心配そうな表情で俺に向くと、目線を穴の開いた右肩の服に合わせる。
「殿の方が……」
「俺のは気にするな。もうピンピンだ」
そう言いつつ、右腕を空高く上げて正常なことをアピールする。でも実際にはまだ力の入れ具合がよくなくて、平常時の半分力が入らない状態であった。
「そんなことより、お前は良かったのか? さっきの陰陽師たちのことだけどさ」
「私は……」
琳は目を伏せて少し言葉を濁したがすぐにまた俺の目を見て、
「私を封印する気は無いと言っていましたし、殿も無事ならそれ以上は望みません」
迷うことのない真っすぐな眼差しで、自分の意思を伝える。
「そうか、ならいいか。俺もお前も治療してもらったことだし、名前も聞いたしな」
俺はおしりに着いたホコリを手ではたいてから机の傍の壁まで寄っていき、叶実がブッ刺してくれた俺の黒い手帳を壁から引く抜く。余程強く突き刺さっていたのか、力のうまく入らない右腕だけでは抜くことができなかった。
「んっしょっと」
ズボっという音を立てて壁から引き抜かれた手帳には、真っすぐ綺麗に貫通した銀色に鈍く光る針が堂々と突き刺さっている。俺はバーベキューの串のように、丸く楕円のふくらみがある持ち手をもって垂直に立ててみる。
「バーベキュー用にしては物騒だよなぁ」
これは、マジで洒落にならないほど鋭利な凶器である。生身の人間にブン投げていい代物じゃない。
(これを平然と投げてくる陰陽師は持ち検されたら大変だろうなぁ)
「それに……」
後ろで琳が言葉を続ける。気が付いて後ろを振り向くと、なにやら急に顔を赤らめてその場でもじもじと身体をゆすり始めていた。
「殿が……私を抱いてくれたので……」
琳はさっき目が覚めた時に、自分が俺の腕に抱かれていたことを掘り起こして顔を赤らめていたのだ。この数分の中にいろんなことがあって、琳自身も考えを整理する暇が欲しいところだろうに、よりによってそれを思い出すか。
もっと他に話すべきことがお互いあるはずなのに、俺は呆れた顔すらできず無表情になると手に持っている手帳から引き抜いた針を琳に向かってブン投げた。針は多少下手に投げても先が水平になって飛ぶように作られているようで、俺の雑な投げ方でも真っすぐ琳の額に向かって飛んで行った。
「エ、エヘヘ~……あうっ!!」
ニヤケながら目をつぶり、変な妄想をしている琳の額に勢いよく刺さる。琳に俺以外の物理的な危害が効くのはこれが初めてだったので、何か新鮮な気持ちになった。
「な、なにするのですか~!?」
「うるさい。忘れろ」
本当は色々言いたかったこともいつの間にか心の奥底に沈んでいってしまっていたため、半分照れ隠しのようにぶっきらぼうに言葉を投げる。
針がぶっ刺さった相手は普通の生身の身体なら血飛沫を噴き出して卒倒するはずなのだが、琳は幽体なのでそんなことはない。代わりにさっきほどの効力は無くて、ただの投擲武器としてしか使えないようだった。
「なんだ。使い捨てか」
「酷いですぅ~っ!!」
琳は額に刺さった針を真剣白羽取りのように両手で押さえてビービー泣きながら引き抜こうと力を入れている。
「それで、俺たちはこれからどうする。ライトも壊され俺達は満身創痍。ロクに探し回る気力もないんだが」
うーうーとうなりながらやっとこさ引き抜けた琳は俺の沿いかけに、「あっ」と思い出したように声を上げてからまた考え込み始める。
「まだ幽霊の気は感じるか?」
「……はい。まだここにいるのは確かなのですが――」
琳が言いかけた刹那、急に部屋の空気が凍り付くような寒さを感じる。それまでかすかに聞こえていた外の音も遮断され、辺りは無音の空間が埋め尽くす。
「――ッ!?」
「これ、はッ……!?」
琳もそれに気が付いたようで、一瞬で顔をこわばらせ辺りを警戒する。月明かりのおかげで部屋の明かりは最低限あり、それでも今は見渡すには十分な照明代わりになる。
突然、俺の頬を撫ぜるように生暖かく薄気味の悪い風が通った。驚いて即座に身構えるが、周囲には何もいなくて右前に琳が浮いているだけである。琳にこんな芸当が出来るとも考えにくいし、吹いてきた方角がそもそも違う。
風が来たのは、俺の左側からだったのだ。恐る恐る左の方に目をやると――――、
壁に掛けられた、俺の等身大より長い鏡の中に"ソレ"は映っていた。
雅稀メモ:幽霊にも投擲武器が刺さる
琳メモ:殿が介抱してくれた(ポッ
「日戸叶実よ。ここでは初めましてになるわね」
「出雲だよ~。こんにちは」
「作者がね、最近コメントや感想が少なくて嘆いてるから、もし読んでみて良かったら感想なんかをもらえると、その、嬉しいなって。べ、別に私が喜ぶんじゃないからねっ? 作者が喜ぶんだからねっ? 勘違いしないでよねっ!」
「ああは言ってるけど、実際感想もらえたら嬉しくて裏で飛び跳ねてると思うからもし時間があれば書き残してもらえると、オイラ達も出番が増えるかもしれないからさ。だからヨロシクねっ!」




