其ノ27 陰陽師の奇襲
ピリピリとした緊張感が部屋中を覆う中、俺はその声の主の姿を確かに捉えている。背格好と声の質から察するに女の子の可能性が高い。
「……お前、何者だ」
俺は内心でマグマのごとく吹き出す感情を必死に押し殺して、深く、低い声で目の前にいる少女であろう人物に問う。
相手は向けられた懐中電灯の光を手で遮り、俺の問いかけに少し眼を細め低く身構える。そしてサッと反対の腕を振り上げたかと思うと、次の瞬間には手元を明るく照らしていた光は失われ、一瞬にして常闇の空間に早変わりしてしまっていた。
「――ッ!?」
パリン、と音が聞こえたのはすぐ後のことで、音の出所を確かめようと手に持っている物を持ち上げると、懐中電灯の先に細い待ち針のような物が数本突き刺さっていて、うちの一本がLED電球を貫通していて光源の根元を絶っていた。
次の瞬間には風を切るような軽い音が頬をかすめ、俺は考える間もなく反射的に懐中電灯を捨てて身を伏せ、横の机の陰に隠す。トトトッ、と何かが突き刺さるような音が対面の壁からしてきて、その場所は的確に俺の身体があった場所を捉えているようだった。
「なんっ、だよっ!」
自分でもこんなに疲弊している割には、よく咄嗟に身体が動いたと思った。ここに机が無かったら、間違いなく串刺しになってやられていただろう。俺と琳の身に起きた事態をじっくりと考えている暇はなく、でも俺は今殺されそうになっていることだけはっきりと理解できた。
攻撃の波が一旦収まりを見せたので、俺は周囲に気を配りながら恐る恐る机から顔を出す。辺りはさっきまでのような静寂が包んでおり、光源が無いので暗くよく見えないため耳を研ぎ澄まして、周囲の物音一つ一つに神経を注ぐ。しかし、さっきまでいた少女の気配はいつの間にか消えていて物音ひとつしない。
「……いなくなった、のか?」
「ここよ。怨霊サン」
トーンの高い声が聞こえたのは頭上、いや、正確には俺が盾に使った机の上からだった。声のした方向に顔を向き上げると同時に、俺の右肩に冷たく固い感触が生じた。
「――っあッ?」
突き刺してくるようなそれの勢いは、俺を床に思い切り倒すには十分だった。ハリを刺すようなチクリとした刺激から徐々に痛みへと変化していき、肩の奥深くにまで異物が突き刺さっているのがよく伝わってくる。痛覚は肩の奥からみるみる溢れ出してきて、腕や脳に悲痛な叫びをこだまさせる。
「ぐっ、あああッッッ!!!」
咄嗟に左手を、激痛が走る右肩に添えて刺さっている物を力を込めて握る。その拍子に伴うであろう痛みは激痛と脳からでる興奮作用でかき消されていたため、何の躊躇もなく肩から引き抜けた。ズブリと音を立てて抜けたものを床に投げ捨てて再び肩を抑えるも、左手と右腕に生温かな液体の感触が流れてくる。
「ッハァ、ッハァッ! クソッ! 痛ェッ……!!」
やっと状況が呑み込めて、思考を再開しようと思った矢先にこれだ。少女からの奇襲を受けて右肩を負傷。幸いにも右手首から下は動かせるものの、血液と共に力まで抜けていく感覚に酷く気持ちの悪さを覚えて、吐き気すら湧き始める。
肩を貫かれる感覚なんて今まで味わったこともなかったし、こうして命の危険にさらされることも初体験だ。呼吸は荒く動悸は激しく、俺の眼球には血が走り痛みに意識を持っていかれそうになるも、机を背にして座り状況の整理を最優先に考える。
「へぇ、私の攻撃を受けてもまだ意識あるのね」
ふいに、少女の驚きを含んだ声が後ろから聞こえてくる。
「お、お前っ、何しやがるんだッ!」
未だ呼吸の落ち着かない俺は、必死に残った理性を探してかき集め少女に問いかける。
「なにって、退治よ退治。私の仕事だもの」
「退治? 仕事?」
俺を退治するのが仕事? そんな馬鹿な話はない。なぜならここへの立ち入りの許可は町会長にもらっているはずだし、そもそもここは俺ら以外に立ち入り禁止のはずだ。幽霊退治だって俺らの仕事だし、他の奴になんて――。
そこまで考えてはっと我に返る。頭に上っていた血が少しばかり抜けたお陰か、いくらか回転が速い。
この場に居合わせることができるのは、大きく考えて三パターンある。まず一つ目は、俺たちのように正規の依頼を受けて、幽霊退治に乗り込んでくる人間。これについては、俺達が該当するわけでまず外れる。次に、町の職員や警察の見回り。しかし、これは俺に危害を加えてくる時点で外れるだろう。そして最後の三つめは、俺ら以外にこういった仕事を専門に受け持って動いている連中。そしてそれは、俺の中で一つの心当たりを浮上させた。
「お前……陰陽師、だな」
「そうよ。よくわかったわね」
俺に"陰陽師"だと疑いを掛けられた少女は、あっさりとその正体を認めた。
「だけどそれが分かったところで、アンタ達はどうすることも出来ない。違う?」
陰陽師だとバラした少女は、何食わぬ態度で尚も冷静に俺へ言葉を放つ。
「ま、待てッ! 俺たちはッ――」
「幽霊退治の依頼を受けて来てみれば、まさか他の怨霊まで見つけられるなんて今日はツイてるわね。玄関の鍵が開いていたから、怪しいとは思っていたけど」
「だからっ、話をッ……!」
陰陽師の少女は、全くもって俺の話に耳を貸そうとはしない。
「さあ、観念しなさい。大人しく封印されるのよ」
そう少女は冷ややかに告げると、ゆっくりと俺の隠れている机の方に向かって歩み始めた。
(マズい、完全に俺が怨霊だと勘違いされている。このままでは本当に危ないっ!)
肩の痛みに耐えながら、琳の安否を心配するよりもこの場の打開策を必死に考える。考える。考える――。
尚も、陰陽師の少女のコツコツという足音は一歩一歩近づいてきて、俺の寿命を確実に縮めてくる。
考えて考えて考えて、血の足りない頭で考えを絞り出していく。そして、一つの案を思いつく。
(やってみてどうなるかわからないけど、やるっきゃないっ!!)
咄嗟に俺は自分の持っていたバッグの中に手を突っ込みあるものを手に取る。と、同時に少女の歩みの音が机の一歩手前で止まった。
「最後に言い残すことは?」
「こんの、くそったれがァッッ!!!」
手に持っている物を自分の頭上に思い切り高く放り投げた――――。
―*―*―*―*―*―*―*―*―*―*―*―*―*―*―*―
バサバサッ、と音を立てて打ち上げられたものを少女は暗い中見逃すことなく捉え、そして手に持っていたであろう針状の物を勢いをつけて投げつけた。
グサッ、という鈍い音を立てて刺さるとその勢いを壁にまで押し込んでいき、物を貫通した針は壁に突き刺さって止まった。
少女は一呼吸を置き投げ終わった体制を解いて態勢を戻すと、刺さった物の確認のために壁を見上げる。
「……え?」
その瞬間、少女は視界が急にブレると共に下半身に衝撃を受けたことを察知した。しかし脳の判断はコンマ一秒遅れてしまい、身体を制御する伝令が全身に伝わる前に立っていた体勢を、背中の方から倒されてしまった。
―*―*―*―*―*―*―*―*―*―*―*―*―*―*―*―
――――俺は、少女が自分の放った針がどうなったのか確認するであろうタイミングを見計らって、一瞬のスキに机の裏から飛び出して、少女に向かって必死の突撃をお見舞いする。幸運なことに、立ち止まった時の足音からおおよそいる場所の見当はついていたので、確信をもって飛び込むことができた。
「うおおおぉぉぉっっっ!!!」
俺は、勢いそのまま少女の足を左腕で抱えながら倒れこむ。
「――ッッくッ!!」
少女は抵抗することが出来なく、あっさりと俺に床へ倒されてしまった。胸の辺りを押さえてもがいているのが、暴れないように押さえている足から伝わってくる。
俺は無我夢中で少女の身体の上に這い上がって馬乗りになると、両膝を使って少女の腕の自由を奪い左腕を首の上に押しあててさらに拘束していく。
「うぐぅ……な、なんでピンピンしてるのよ! 確かに刺さったはずっ!」
「俺の囮作戦にハマったのさ。お前が刺したのは俺の手帳だ!」
「うがッ! ぐっ、このぉっ!!」
「あ、暴れるな! 俺の話を聞けっ!!」
少女は男である俺に拘束されるも、その身を必死によじらせて抵抗を試みる。しかし、俺の方もいつも仕事で鍛えた身体があるので、そう簡単にはひっくり返されない。少女は脚をバタバタと激しく踏み鳴らしたり、膝で俺の背を蹴飛ばしたり、抑えられている腕で俺の足をつかみ引っかいたりと無我夢中だ。
俺はそんな痛みや衝撃に必死に耐えながら、誤解を解くために説得を試みる。
「俺は怨霊じゃない! 町会長の依頼で幽霊退治に来た万事屋だ!!」
「よ、ろずや? 知らないわよそんなこと!」
「知らないって、お前須三須さんから聞いてないのか!?」
「知らないって言ってるでしょ! 町会長さんは私に依頼したのよ! 他の人が受けているなんて聞いてないわっ!」
なんてこった、まさかこんなところで情報の齟齬が生まれているとは。確かに、俺も直接須三須さんから話は聞いていないのだが、琳のおかげで自分たちよりも先に陰陽師が依頼を受けに来ていたことは知っていた。だから、この子の正体にもすぐに気づくことができて咄嗟に頭が働いたのだが、相手方はそうじゃない。全くの見知らぬ奴が現場に先に来ていて、しかもそれが自分と同じ仕事を受けていたなんて簡単には信じてもらえないだろう。
「と、とにかく! 俺はお前の敵じゃない! 商売敵だと言われればそれまでだけど、俺はれっきとした人間だッ!」
「そんないい訳を、はいそうですかって素直に信じられるわけないでしょ!?」
ぐ、確かにそうだ。こんな辺境地にこんな時間にいるやつのことなんて、簡単には信じちゃくれないのは火を見るより明らかだ。でもどうすれば信じてもらえるのだろうか。流石にそこまでは考えが至っていなかった。
「な、ならっ! 俺の眼を見ろっ!!」
咄嗟に俺の口から訳も分からず言葉が飛び出した。と、同時に俺は顔を少女の目の前に持っていき少女の双眼を探す。
「なっ、何を言って……」
少女が俺の言葉に動揺し始めた丁度のタイミングで外の雲が晴れ、月の光が煌々と執務室を照らし始めた。その淡い光によって暗がりだった室内はうっすらと明るさを取り戻していき、同時に俺と少女は互いの姿をはっきり目視できるまでに照らされ始める。
「うっ……」
「くっ……」
急に差してきた光に目が追い付かず、お互いに目を細めてしまう。
そこで初めて、俺は陰陽師の少女の正体を確かめることができた。
明るめの栗色をした長い髪は後ろで束ねられ床に広くバラけていて、前髪の左右に垂れる触角の根元は赤いひもで縛ってあり、その右側の根元付近には黄色のひもで編んだ花飾りが付けられている。小顔で綺麗に整った顔立ちをしていて、その眼は琥珀色に澄んでいて吸い込まれそうな魅力を感じるが、少し吊り上がった眼尻とキッとした視線の鋭さに威圧されてしまう。
薄黄緑色をした着物に、巫女さんが着るような袖におはしょりのある白く綺麗な羽織を着ていて、細い首には深い蒼の勾玉が薄明るく輝いている。和装のようでそうじゃないような、アニメのキャラクターにありそうな感じの見た目でこれまた洋館には似つかわしくないいで立ちであると思う。
「……ッッ!!」
「あっ……」
いつの間にか俺は、相手がだれかということも忘れて月明かりに妖美なまでに照らされた少女を見入ってしまっていて、視線を顔に近づけた時に目が合ってしまった。
「なに、見てるのよっ!!」
「ゴフッ!」
少女は、目線が合ったのが余程恥ずかしかったのか急に顔を赤く染めたと思えば、その眼がさらに鋭さを増して俺を睨みつけ、俺が一瞬拘束する力を緩めたスキに左腕の自由を取り戻し、俺の鳩尾に渾身の一発を放ってきた。
流石に人体の急所までは鍛えることはできないので、一瞬の出来事に息が吸えなくなり衝撃と苦痛で視界がブラックアウトし、机の傍まで押し返されると背をもたれて座りこんでしまう。その際に拘束が全て解かれ、少女は仰向けだった体勢をすぐに起こして素早く身をひるがえし俺と距離をとる。
「がッ、がはッッ……」
少女は鳩尾を押さえながらもだえ苦しむ俺を睨みつけながら、まだ隠し持っていた針を指の間に通し投擲の構えをとる。
「こ、このッッッ!!!」
「ま、待てっ! 早まるなっっ!」
少女の眼には、さっきよりも力が込められており殺気立っている。あれを受けたら確実に死ぬだろう。
「問答無――!」
「まあ待ちなよ、カナミ」
突如この部屋に現れた声に、少女の挙動がピタリと止まった。
俺は、流石に死を覚悟していて目をぎゅっとつぶっていたので、何が起こったのか理解できないでいる。自分の身に何も起きてないことを確認すると、恐る恐る上げていた腕を下ろし目を開けていく。
少女もどういうことなのかわからないというような顔をして、自分の周りをキョロキョロ見回していた。
「なによっ! 何か文句あるの!?」
「文句というより忠告、だね」
謎の声はどうやら目の前の少女と知り合いのようで、何かを口論しているようだ。
「忠告? 何を?」
「目の前の男をよく見てごらん」
「はぁ? 何を言って……」
声に諭されて、仕方なくと言った顔で俺の姿をよくよく眺めてくる。いくら敵でも、女の子にまじまじと見つめられるのはなんだか気恥ずかしい。
「実体のない怨霊が血を流すと思う?」
「あ……」
少女は小さく声を漏らす。その視線の先には俺の負傷した(させられた)右肩があり、今もなお赤い血液が細く流れ出ているのが月明かりに反射して鈍く煌めいている。
俺も肩のことを指摘されてふと我に返ると、急に痛み出してきてつい出血個所を押さえてしまう。刺さった時の痛みが、脳裏から蘇ってきて表情がゆがむ。
「ね? あの子が言ってることは本当さ。もっと言うと、その奥に倒れている幽霊の子もオイラたちの探している奴じゃない」
「そんなっ! だって……」
「とんだ勘違いをしたね。このおバカさん」
呆れたようなトーンの謎の声によって身構えていた少女は、投擲の構えを解いて困惑し始めてしまった。何かよくわからないけど助けられていることだけは分かる。ならばと俺も一呼吸着いてから少女の方を向いて、
「そうだ、その声の言う通り俺は怨霊なんかじゃない! 第一こうやってお前にケガさせられていて血まで出てるし、今さっきアンタを拘束したのだって実体がない幽霊には無理な話だろ?」
俺の言葉にやっと耳を傾け始めた少女は、黙って俺の言葉を聞き入る。その顔には口惜しさと恥ずかしさ、そして自分の犯した間違いの後悔の念が浮かんでいる。
ふいに突っ立っている少女の髪の毛が揺れたと思ったら、俺と少女の丁度間のところに小さな白い影が下りてきた。
「うちの子が無礼なことをしてすまなかったね」
小さな影は冷静に俺に対して謝罪の言葉を述べた。その声はさっきから聞こえているそれと同一の物だった。
「あ、いや、わかってくれればいいんだよ」
こうは言うけど実際は文句や慰謝料のひとつでも請求したいところなのだが、こうもあっさりと非を認められるとこちらも拍子抜けしてしまう。
影は柱の陰になっている所から前進して、月明かりのもとに姿を現していく。
「オイラは出雲。この子の式神さ。よくオイラたちが陰陽師だってわかったね」
出雲、と名乗った影――小動物のような姿は、まんま動物の子ぎつねのようだった。
全体を銀色にうっすら青の混ざった体毛で覆っていて、大きな目の元には赤い線が入っている。二股に分かれた尻尾をゆらゆらと振っていて、首には少女と同じく深い蒼の勾玉がぶら下がっており、同じ色をした大きな眼は真っすぐに俺を見つめている。両掌に収まるくらいの小さな体格だが、そこから発せられる強者のオーラは部屋中を覆っているようだ。
子ぎつねが喋ったという驚きよりも、こんな小さな存在に助けられたのかという自身の無力さにあきれる方が強かった。
「ま、まあ、前情報があったし? それより助けてくれたことには礼を言う。助かった」
「いやいや、元はと言えばオイラ達の手違いで君に手傷を負わせてしまったからね。こちらこそすまなかった」
出雲はその小さな頭を床につけて改めて謝罪をする。しかし、俺としてはこのケガを負わせた張本人から言葉を聞きたいのだが……。
そう思ってふと子ぎつねの後ろに目をやると、少女はばつの悪そうに顔を背け口を噤み眼を伏せてしまっている。どうも、頭では解っていても感情で理解ができていないらしい。
「ごめんね、うちの子もかなり強情で。後でよく言い聞かせておくよ」
出雲もやれやれと言った表情で後ろを振り返り、まるで保護者のような口ぶりで話す。確かに、言われなくてもその態度を見ていれば、なんとなくその性格が読み取れてしまう。
「さて、と」
出雲はまた俺の方に振り返ると、その場でゆっくり体を宙に浮かせ始める。
「傷つけたお詫びをしなくちゃね。キミと、そこの子に」




