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其ノ24 手熱い看病

 家に着いてから玄関で靴を脱いで立ち上がろうとしたとき、急に足元の違和感を感じると共に不可解な浮遊感が俺の体を襲った。


(あれっ……おかしいな……)


 続いて目がくらみ、視界がぐにゃりと歪んでその場に膝から崩れ倒れこんでしまう。口から言葉が上手く出てこず、ぼやけた視界がスローモーションで回りだし、ピントはどんどんズレていって物体の輪郭さえうまく捉えられない。


(あ……死ぬ、のか……?)


 壁にもたれかかりつつ床にへたり込んでしまった後、最後に琳の顔を視界に捉えたところで俺の意識は遠く彼方に消えていった――……。



―*―*―*―*―*―*―*―*―*―*―*―*―*―*―*―



「と、殿っ!?」


 私はとても驚きました。殿が家に帰ってきて、いきなり倒れてしまったのですから。壁に寄りかかって頭を垂れ、うつむいたまま私の声にも全く返事を返してくれません。


「殿っ、殿ッッ!! どうされたのですかっ!? しっかりしてくださいッ!!」


 体を沢山ゆすっても、肩を叩いても返事はありませんでした。


「殿……そんな、まさか……」


 私はすごく不安でした。殿の身に何が起こったのかは分かりませんが、もし万が一のことがあったら私はどうしていいかわかりません。


「うぅっ……殿っ、殿ッッ!!」


 私はその場に力なくよろよろと座り込んでしまいました。目から涙が溢れ出してきて止まりません。


「約束、したのに……私がついているって、言ったのに……」


 私の目からは大粒の涙がこぼれます。拭いても拭いても止まることはなく、私の着物の袖を熱く濡らしていきます。尚も殿は目を覚ますことはなく頭を垂れているだけで、ずっと苦しそうな表情をしていました。


 ふと、殿の唇がうっすらと動いたような気がしたので、驚いて近づき様子を伺いました。


「……」


「殿……?」


 殿は何も言いません。でもかすかに唇が震えていて、額には汗が浮かんでいます。そしてとても浅く、とても早い呼吸をしていることに気づきました。


 殿が生きている。今もちゃんとここにいて息をしている。


「――ッ!!」


 良かった。本当に良かった。殿が生きている。それが分かっただけで本当に嬉しかった。

 でも、このままだとどの道危ないことには変わりない。


「……よしっ!」


 私は意を決して殿の体に自分の腕を通し、殿の左脇を自分の頭にかけて担ぐ体勢をとりました。

 殿の体はすごく熱く、そして重かったです。でも私は平気でした。いつも殿に色々してもらっている恩を、ここで返したかったのです。



―*―*―*―*―*―*―*―*―*―*―*―*―*―*―*―



「なるほどねぇ。事情は分かった。だが……」


 俺は、話を聞きながらずっと気になっていたことを琳に尋ねる。


「なんで――お前が俺のベッドの中にいるんだ?」


「だって、殿が苦しそうだったので私が傍にいてあげないとと思いまして……」



 今の状況はこうだ。俺は今、自分のベッドに横になっていて布団を掛けられている。そして俺の腕の中に琳はいて、俺が琳を抱きかかえているような構図になっている。俺と琳はお互い正面を向いていて、顔と顔がほんの数センチの距離に迫ろうかとしている。


 俺の周りは電灯すら点いていなかったためもう真っ暗で、月明かりが部屋をうすぼんやりと照らしているだけだった。壁に掛けてある時計の針は見えないが、恐らく帰ってきてからかなりの時間が経っているだろう。琳は俺の困った顔を見ながら、「エヘヘっ」と子供のように笑って俺の反応を楽しんでいて、直ぐに叩き出したくても体が思うように上手く動かなくて出来ないことが口惜しい。


「……どうしてこうなった」


「今話した通りですっ」


「それはわかった。じゃあなんで、俺がお前を抱きかかえていなければならんのだ?」


「それはぁ~……」


 ポッと琳の頬が赤く染まり、紅くなった眼を細める。そんな顔して俺のベッドの中に入ろうなんて、百万年早いわ。誰が俺のベッドに入ることを許したか。無論、俺はそんなことをした記憶はないし、俺なら絶対に禁止するはずだ。

 そういえば、以前に似たような話をしたような……。


「お前、前に約束したこと忘れてるな?」


「はい? 何かしましたっけ?」


 琳は、きょとんと首を傾げて答えた。 

 こいつ、悪びれもせずにすっとぼけやがって。一番最初、琳がうちに来た日の朝に、俺の寝込みを襲うなと言い聞かせてあったはずだ。理由はよく知らんが俺のご先祖様と床を一緒にしたことがあるらしく、そのノリで俺のところにも来かねなかったために固く禁止したのだ。なのに今こいつはそんなことをすっかり忘れて、俺の腕の中にすっぽり収まっていやがる。


「こんっのっ……!」


 どうにか腕を動かして一発制裁を加えたいのだが、やはり思うように腕は動いてはくれず、まるでマヒしているように重く微動だにしない。


「あっ、無理しないでください! まだ安静にしていた方がいいです」


「誰のせいで安静できてないと思ってるんだっ!」


 体は動かなくても頭は以前より冴えている気がして、口だけはしっかり動かせるため出来る限りの反撃をするが、琳はそんな無理をする俺を見て慌てて手を伸ばして制止しにかかる。この時だけは琳の力の方が強くて、両手を俺の胸に当ててベッドに押さえつけられてしまった。


「くっ……」


「まだ動いちゃダメですよっ」


 そう言いながらゆっくりと俺を定位置に戻すと、自分もまたいそいそと俺の腕の中にすっぽり納まってきた。

 琳が腕の中で動くたびに髪の毛から漂う果実のような甘い香りと、優しく色めいた吐息にドキッと胸が高鳴って来るのが嫌でも脳に伝わる。こんなに間近で琳の顔をまじまじと見る機会がなかったので、初めての感覚に内心は焦りっぱなしだ。暗くて良くは見えないが、琳はその大きく潤んだ瞳で上目使いになって俺を見つめていて、その小さく濡れた柔らかな唇は何かを期待しているように俺の行動をじっと待っている。


「~~ッッ!!」


 目を逸らしたくてもその大きな瞳に見つめられると、どうしても逸らさずにはいられなくなってしまうような魔の力を感じる。歳のくせになんという色っぽい物を持っているんだこいつは。


「殿? どうかしましたか?」


 琳が首を傾げ小声でそっとつぶやく。そのつぶやき方がなんともエロティックでグラマーで、絶対狙ってやっているとしか言いようのない絶妙なタイミングだった。


「うぐっ……」


 琳の鼓動が彼女の手のひらを伝わって全身に響いてくる。琳は押さえつけている手を片方だけ俺の胸に当てたままにしていて、それが俺の心臓の真上なので鼓動が直に伝わってくるのだ。

 今まで意識していなかった感覚。いや、意識しないように蓋をしていた感覚が少しづつ呼び覚まされていく感覚。これは、かなりヤバい……。


(し、しっかりしろ俺! 何を吊り橋効果みたいに意識してんだっ! 俺の頭は湧いてんのかっ!?)


 顔が徐々に火照っていくのが分かる。自身の心臓の鼓動も強くなり血流が速まるのを感じる。


「まだ、熱があるみたいですね」


 そういうと、「よいしょっ」と声をだしてから、俺の胸に顔をうずめるようにしてさらに身体を密着してきた。


「あうっ」


「これで少しは治まると思います……」


 確かに琳の言う通り、俺の今の体温は琳の体温より高くなっており、触れ合っている部分はいくらかひんやりと感じるので気持ちがいい。そう、気持ちがいいのだ。


(これはッッッ、非常にマズいッッッ!!!)


 柔らかな肌の質感。自分の体温より少し低い温度の身体。俺の腕にすっぽりと納まってしまうくらいの小さな女の子。そして……、


(こっ、このふくらみはッッッ!?)


 和服の上からでもほんの少し伝わるかどうかわからないくらいの小さなふくらみが二つ。水色の帯の上にちょこんと頭を出している二つの丘は、俺の腹に優しく触れてきて優しくくすぐってくる。


(あ……もうだめ……)


 俺は最後に下半身が熱を帯びていくのを感じ取ってから意識を失った……。



――……。


――……。


――……。



カァッカァッ、カァァァッ――


「んぁ……」


 目が覚めると既に日はオレンジ色で西に傾いていて、西日が俺の部屋を燃えるような赤に染め上げていた。被っていた布団の中がすごく熱くて、寝汗をかきそうなくらい蒸しているのが身体全体で感じ取れる。


「目が、覚めましたか?」


 声のする方に首を回し視線を向けると、琳が丸い机の端にちょこんと正座をして座っていた。


「あ、あぁ……」


「昨日はよく眠れましたか?」


「昨日って……ああッ!!」


 そうだ、昨晩確か琳は俺の腕の中にいて、それで――……、


「うわあああぁぁぁっっっ!!!」


 俺は琳が昨日しでかしたことを思い出してその場で思い切り飛び上がり、布団をかぶって琳に背を向ける。布団で耳と顔を塞ぎこみ、琳に見られないようにと必死に身を隠す。なんせ人生で初めて女の子と一緒の布団に寝てしまったのだから、動揺するなと言われる方が難しい。しかも相手は幽霊の琳だ。人間の女性ではなく幽霊の、それも(おそらく)年下の"女の子"だ。健全すぎるくらいの女性経験ゼロの俺にとって、これは今年一番の大事件である。


「ど、どうされたのですか?」


 琳が横から、不思議そうに尋ねながらおろおろと俺の方に近寄ってくる。


「やっやめろっ!!」


「えっ、えぇっ!?」


 琳は俺の咄嗟のでた拒否反応の驚いて目を見張り、その場で固まってしまう。


「おおおお前は昨日何したのか分かってて言ってんのか!?」


 あまりにも焦って言ったためかなり言葉がきょどってしまった。


「お前、おおお俺の布団の中でなんてことをっ……」


「一緒に寝たのがいけなかったのですか?」


 琳は、何も悪びれることもなくきょとんと首を傾げてさらっと答える。


「マズいに決まってんだろーがっ!」


 俺はかぶっていた布団を引っぺがし、ベッドの上に立ち琳の方を向いて大声で叫ぶ。そこまで言い放った後、少しおびえたように肩をすくめた琳を見て、ふと我に返り自分が何を言っているのかよくよく考えてみる。

 確かこいつは昨日俺が返ってきてから玄関先で倒れてしまって、そこから一人であのベッドまで運んでくれてほぼ一日中看病していてくれてたんだよな。それを俺は棚に上げて目先のことでグチグチ言っていて……。


「あ、いや、ごめん、言いすぎた……」


 困った顔できょとんとして聞いている琳を見て、俺はさっきまでの勢いを忘れ急に我に返ってしおらしくなってしまう。そういえば腕や脚ももう自由に動かすことができていて、だるさや目まいも全くなくなっている。それだけ長い間眠っていたということなのだろう。てことは、こんな時間になるまでほぼ丸一日、琳は俺に付き添っていてくれたって事なのか。


「あ、いや、俺は――」


「フフッ」


「えっ?」


「ふふふふふっ、あははははっ」


「琳、さん?」


 琳は俺の罵倒に対して怒ったり泣いたりするどころか、口に手を当てて面白おかしく笑いだしてしまった。俺は状況が呑み込めずただ唖然として笑う琳のことを見ているしかなかった。


「ふふふっ。ごめんなさい殿、最初に会った時と同じ反応だったのでつい……」


 瞼に涙を浮かべながら腹を抱えて笑っている琳は、あの日の朝に俺がとった反応と今の反応が同じだったことをおかしく思い笑いっていたのだ。

 それから少し収まってきたと思ったら、裾を正してその場に立ち上がり胸に手を当てて真っすぐ俺の方を向いて、


「殿……無事で本当に良かったです……」


 笑い泣きしていたと事はまた少し違う、安堵と、うれしさと、不安と、そんな相反する感情が混ざったような微笑みを浮かべつつ涙を流すという、ちぐはぐな表情をしている。

 と、思っていたら琳は真っすぐに俺の胸の中に勢いよく飛び込んで来た。


「おぅわっと!」


 俺は、勢いよく飛び込んでくる琳を足場の悪いベッドの上で受け止めつつ、壁に背を預けて衝撃を受け流す。すっぽりと納まるその小さな身体を抱きとめると、琳はまた腕の中で小さくすすり泣き始めてしまった。


 突然の出来事に俺の脳は未だ全部を処理しきれていないが、とりあえず琳の笑顔を見たら今までやましいことを考えていた自分が恥ずかしく情けなく思ってしまった。こんなに献身的に看病してくれた琳とどう接していいかわからなかったのだが、幸いなことに今俺の胸に顔を埋めていてくれるお陰で直接目を見る恥ずかしさが幾分抑えられている。小さな身体を強く抱きしめている今なら言えるだろうと覚悟を決め、琳の頭に手を優しく置く。もし目が合ったら言えなくなってしまうだろうと、少し琳の頭から目線をずらして、


「あ、ありがとうな。お前のおかげで助かった」


「グズッ……んっ……はいっ!」


 顔を埋めていた琳が上を向き、俺の恥じらいがある感謝にとびっきりの笑顔をして答える。


 夕日の最後のきらめきが、琳の笑顔を映し出して地平線に沈んでいく――……。







雅稀メモ:ほぼ丸一日ぶっ倒れていた


琳メモ:殿は無事だった





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