其ノ19 幽霊少女の過去
会館の敷地内から出ると、琳は石レンガの壁沿いに寄りかかりうつむいて待っていた。以前スーパーの前で見た時のような悲しそうで寂しそうで、心がチクチク刺されるような気持になる表情。
しかし俺には、今なぜそんな顔でうつむいているのか理由が見当たらない。ほったらかされて待っていたというよりは自分からついてこなかったという感じだし、仕事の都合によって他人と話すことが多かったため自分にかまってくれないから拗ねたという訳でもないと思う。
「よう、そこで何してんだ?」
「……あっ……」
琳は俺の問いかけに気づいて一瞬顔をこちらに向けるも、すぐにまた自分の足元に目線を落としてしまった。朝はあんなに元気だったのに、いったいどうしたというのだろうか。
「なぁ、何そんなに落ち込んでんだよ。そりゃ待たせたのは悪かったけど……ていうかなんでついてこなかったんだ?」
「それは……」
そこまで言いかけてから、唇を固く閉じて押し黙ってしまう。こんなに険しい顔をしてるのは、釣りをした日の帰り道にぶつかった奴のことを考えていた時以来だ。もしかして、またそのことで何かあったのだろうか。
「黙りこけられちゃあなんも分からねぇよ。話すなら話す、話さないなら話さないって言ってくれ」
「……」
琳は唇を固く閉じて開かない。決して怒っているわけではなく、何かを言いたいけど言い出せないような息苦しさをにじませた眼は、俺と地面をウロウロと行ったり来たりしている。胸の前に拳を当て身体は小刻みに震えているが、それでもかたくなに理由を口にしない。
「はぁ……」
これじゃあいつまでたっても埒が明かなそうだ。俺だってそこまで暇じゃないし、これからいろいろ忙しくなるって時にいちいち気にしてやるほど構っていられない。
「事情はよく分からんが、話す気がないならそれでもいい。だけど何も言わないのはナシだ。意思疎通がなくちゃ何も始まらないからな」
「……はい……ごめんなさい……」
そう力なく答えると、寄りかかっていた壁を離れ俺のいる方へ身体を向ける。未だうつむいたままの顔は垂れた前髪のせいで覗くことができなかったが、きっと思いつめた険しい眼をしていただろう。俺は今ここでそれ以上のことを聞くのは野暮だと感じ、この話題はしっかりと向き合ってするべきだと感じた。
しかし、いつも元気溌剌な琳がしおらしくなっているのは、なんだか調子が狂ってしょうがない。
「あー、なんだ、取り合えず俺たちの次の目的は出来た。が、お前がその調子だとイマイチ調子が上がらないんだけどさ。ついて来たくないならお前は先に家帰ってるか?」
「……いえ、私は大丈夫です。お気になさらず……」
俺の提案に、ゆっくりと首を横に振り弱々しく小さな声で答える。
(いや、気にするなって言われても気になっちまうだろっ!)
自分のことは大丈夫だから殿には殿の仕事をしてほしいと口では言うが、どう考えても大丈夫じゃないってことぐらい女性経験のない俺にだってわかる。女性の大丈夫はだいじょばないって、どっかの本にも書いてあったくらいだ。
「~~ッたくっ! こっちが気になって仕方ないんだっつーのっ!」
頭をかきながらあれこれ考えた挙句、俺は何かを吹っ切ったように息を吐き捨ててずかずかと琳の方に向かうと、その力なく握られている細い手をつかんで元来た道を引き返して歩き始める。
「えっ、殿……?」
琳は最初俺の行動に戸惑いこそしたものの、引く手を振りほどくような抵抗はしなかった。思っていたよりも素直に連れられて商店街を進む琳は、終始何も言葉を発せず俺のすることにただ従って動く人形のようだった。
――……。
――……。
――……。
琳の手を引いてやってきたのは、俺の住んでいるアパートの前。なぜここに来たのかというと、こんな状態の琳を引き連れて仕事なんてとてもじゃないが出来ないし、幽霊に出会えたとしてもロクな策もないまま突っ込んでいって返り討ちにされたくないので、一度作戦を立てるため帰ってきたという訳である。
「殿、仕事はいいのですか……?」
琳が張りつめて今にも崩れそうな顔をし、小さく消え入りそうな声で俺に問う。
「いいんだよ。策もないし今できることはないから。それよりいつまでも俺にばっか気を遣うな」
「でも……」
「でももへちまもねぇ。ほら、行くぞ」
つないでいる手を優しく、しかししっかりとひぱってアパートの階段を上る。事務所のある建物のそれよりは綺麗に整備された階段は、俺のしっかりとした踏み込みにも難なく耐えてくれるので上るのに大した苦はない。
二階へ上り階段とは反対側の角部屋に着くと、ドアノブにポケットから出した鍵を差し込みロックを解除する。木製のドアがかすれたうめきを上げて開くと、俺は靴を乱雑に脱ぎ捨てて自室に向かう。靴を脱ぐ際に手を離した琳は、薄暗い玄関の中にひとりぽつんと立ってじっとしていた。荷物を置き半袖半ズボンのスポーツウェアに着替えてから再び廊下に出た時にそれを確認するも、声を掛けにくい雰囲気には勝てず、言葉を喉に詰まらせて逃げるように台所の方に向かった。
俺はやかんに水を汲み火にかけ、急須に残り少ないお茶の葉を入れ湯呑を二つ準備し始める。しばらくして、二人分のお茶が淹れ終えたタイミングで琳を呼びに行こうと顔を上げると、丁度机の目の前に琳が立っていて俺のしていることを静かに見つめていた。
「おう、ナイスタイミング。丁度淹れ終わったところだし、まあそこ座んな」
「……はい」
ここに来てもまだ琳の調子は戻らない。大好物の熱いお茶を目の前にしても、その表情は会館から出てきた時とずっと変わっていない。
琳は俺に言われた通りに、おずおずと進み出て俺の前の椅子に腰かける。目の前の湯呑に入っているお茶に映る顔を見て自分でも酷いものだと悟ったのか、すぐに目線をずらしてそっぽを向いてしまった。
俺も自分の椅子に座り、淹れたての熱いお茶をふーふーと息で冷ましてから一口すする。朝飯以降何も口にしていなかった上にこの数時間のうちに心臓に悪いことばかりあったからだろうか、お茶が余計に渇いていた喉を熱く潤していく。
「……ふぅ。やっぱりちゃんと勉強してブレンドしただけあって美味いなぁ」
「……」
うっ。この沈黙が辛い。好きなものの話題から入ろうと思ってたのにそれもダメか。
琳は相変わらず自分の湯呑から目線を外し、ずっとそっぽを眺めて黙っている。
「……あ、そういえば依頼にあった幽霊だけどな、どうやらお前のことじゃなかったみたいだ。良かったな!」
重い空気感を打破しようと明るい話題を引っ張り出してきても、琳の反応は水のように薄い。
「ぐっ……」
やっぱり今日は話すべきじゃなかったのだろうか。ここまで露骨に話したがらないところを見ると、まるで無理やり事情聴取しているみたいで罪悪感がぬぐい切れない。
俺の小さな脳みそのキャパで考えられる万策が尽きてどうしようもなくなってしまい、眉間にしわを寄せばつの悪そうな顔をして湯呑を口にする。喉を流れる液体の温度は、まだ淹れて数分しか経ってないのに熱さの感覚を鈍く感じた。
「……ごめんなさい」
ふと琳が小声で弱弱しくつぶやいた。長らくその声を聞いていないような気がして、最初誰の声かと疑ってしまった。前触れのない突然のことに少し驚いたが、言葉を発してくれたことに安堵しつつ手に持っている湯呑を置いて話をするための姿勢を整える。
「な、なんだよ急に。別に悪いことしてないだろ?」
「いえ、殿のお仕事の邪魔をしてしまいましたし……」
伏しがちな眼には自分を戒めるかのような強い力がこもっていて、悪いのは自分だと信じて疑っていない。
「別に邪魔なんてしてないって。帰ってきたのも作戦を立てるためだし、今日一日で片が付くなんて誰も思っちゃいない。でなきゃ今まで調査してきたやつらが無能みたいだろ?」
「……」
俺の正論とフォローを聞いてもやっぱり考えは変わらないみたいだ。相当頑固だなこいつ。
「なによりも……」
ため息を一つしてから付け加えようとする俺を、琳が伏していた目線を上目使いで見上げる。
「お前がその調子だと、なんか、こう、集中できないんだよっ」
俺の言葉が意外だったのか、聞いてから困り顔で首をかしげる。
「あ~もうっ! とにかくっ! お前がいつまでもそうやって元気がないと俺が困るの!」
「……ごめんなさい……」
あ、やばい。これはかえって地雷を踏んじまったんじゃないだろうか? 結局迷惑になっているってことを遠回しに言っただけじゃないかっ!
「あ、いや、そんなつもりじゃないから! 迷惑じゃないけど迷惑って言うか……」
椅子から勢いよく飛び立って身を乗り出し、必死に身振り手振りで誤解を解こうとあれこれ言い訳をしてみるが琳はうつむきっぱなしで状況はさらに悪化しているようだ。
何言ってもダメだと悟ると、肩に張っていた力を抜いて椅子にどかっと腰を掛ける。
「……はぁ。だからよ、お前が何を悩んでんのか言ってくれ。迷惑ってんなら何も言わない事が一番迷惑だ」
「……そう、ですよね……」
流石の琳でも、黙っていることが一番悪いということは理解できているようだ。それなら早く言ってくれよと心の中でつぶやくが、それを口に出すほど俺も鬼じゃない。琳が言いたくなった時にちゃんと聞いてやる覚悟はしておくようにしようと、心の中で決意する。
未だ昼過ぎだというのに外は厚い雲で覆われていて、太陽光がほとんど地上に降り注いできていないため薄暗く今にも降り出しそうなくすんだ色をしている。
少しの沈黙が流れた後、琳はおもむろにその固く閉ざされた唇と心の奥底にしまってある事情をこぼし始めた。何か覚悟を決めた、という感じは見受けられなくて、ただボソッと独り言のように小さくか細い声でつぶやいていく。
「……殿が釣りに行った日の帰り道での事を覚えていますか?」
「ん、暗がりで分からなかったけど誰かとぶつかったことだよな?」
いつもの俺ならここでボケのひとつでも入れているところだが、今は空気を読んで恐らく先祖の中に混ざっているであろう関西人の血を心臓の奥底にしまっておく。
「はい、そのことです」
「それが、今日のこととどう繋がってるんだ?」
湯呑に映る琳の横顔が、今までの険しい表情から意を決した覚悟のようなものへと変わっていく。
「……あの日、私はある者の気を感じました」
「ある者?」
「その話をする前に、私の過去を少しお話しなければなりません」
琳の過去。確かそれは出会って初日で大まかなところは聞いたはずだし、共同生活の中でちょくちょく生前のことを話していたからそれなりに言ってはいるだろうけど。
「俺が前に聞いたこと以外にもあるってことか?」
「あの時は、私が殿の前に現れた経緯を説明しただけですので……」
「あ~、なるほど」
妙に説得力のある言葉に、すんなりと意味が理解できる。
琳はそこで一呼吸を置き、改めて自分の中で何かを覚悟したように膝の上で拳を握る。
「……私は死して幽霊として蘇った後、私を騙し陥れようとした者たちを恨み呪おうとお屋敷中に災いをもたらそうとしました」
「ま、マジか……」
まさかの展開が始まって、いきなりの暴露にガツンと頭を殴られたようなショックを覚える。こんな琳にそんな気性が荒かった時期があったなんて初耳だ。
「その時、殿や屋敷の者を守るため私のお父様の家来たちによって封印されたことは話しましたよね?」
「あぁ、陰陽師、だったっけか。今時は動画投稿サイトのネタキャラにしかなってないような存在だけど」
「はい。しかし私の恨む思念はとても深く、心を病んでいたことも相まってそれはそれは凶悪だったそうです。怨霊化している間に何人もの家来を葬りましたがその時のことはあまり覚えていません」
「……お、お前、ひょっとして怒らせると怖いタイプ?」
話を聞いているうちにだんだんと目の前の幽霊の本性が暴かれてきて、今まで雑に扱っていた分だけ恐怖が湧き上がってくる。
「そうかもしれませんね、殿も気を付けてください」
そう言う琳はいつものイジワルそうな小悪魔の笑みをすることはなく、真っすぐに鋭くとがった視線を向けていて淡々と忠告をしているようだった。
「……話を戻します。強大な恨みを持った私は並大抵の陰陽師達では全く歯が立ちませんでした。お父様の家来の陰陽頭でさえ力を抑制するだけで精いっぱいでした」
おいおい、お父様の家来もうちょっと粘れよ。仮にも陰陽師なんだろうし何か式神とかでも使って抑えられなかったのかよ。
「その時、お父様はある陰陽師を緊急に呼びました。それは当時陰陽師の中でも一、二を争う力の持ち主で強力な式神を従えていました」
「あー、やっぱりそういうやつに頼るしかなくなるよなぁ」
王道のゲーム展開になっていきそうな予感が少し脳裏をよぎったが、今はそんなことよりも琳の話に集中する。
「その陰陽師は陽をつかさどる流派で悪霊や妖怪退治を専門としていました。よって私のような怨霊にも強く、私の抵抗も届かず最終的にその者一人で私は封印されてしまいました」
「なんだ、最後あっけねぇな。……いや、別に琳がどうとかは言わないけどよ」
「その時に陰陽師が用いたのが強大な力を持った式神だったのです。私の力を相殺し押さえつけ祠に押し込めたのはその式神で、あの祠に封印したのが式神を使役していた陰陽師です」
「なるほどねぇ……」
そこまで聞いてからはっと考えがよぎる。琳にとってその陰陽師と式神は、自分を封印した云わば宿敵だ。怨霊化しつつあった時とはいえ、少なからず琳の中にもそいつらに恨む気持ちはあるはずだろう。しかしそれは遥か昔の話で、今そのことを知っている人は俺と琳しかいない。だったら、いまさら何を怖がる事があるのだろうか。
その答えにはおおよそ見当がついている。真剣に話す琳には悪いが、ここはゲームや漫画の展開を利用させてもらうと、
「……その陰陽師と式神を見たってことか」
俺の的の中心を射たであろう答えは琳の顔を驚かせた。顔を上げて目を丸くし、毒気が抜かれたような拍子抜けの表情をする。
が、一度目を閉じてすぐにまた真剣な顔に戻ってから続ける。
「正確には、その陰陽師と式神の気を感じた、です」
なるほど、俺があの時直感で思ったことがどうやら当たってしまっていたらしい。そりゃ死んでこの世にはいないであろう宿敵が現代の、それも身近に現れたってなればだれでも正気じゃいられなくなるだろう。
尚も琳の話は薄暗い部屋の中で進んでいく――――……。
雅稀メモ:過去の琳は怒らせると怖い(下手したら呪われる)




