其ノ16 男の手料理
倒れこんだ俺を見ながらおじさんは「にいちゃん一人でよく頑張ったな」と、笑って健闘をたたえてくれる。
「ど、どうも……」
俺はもう疲れ切っていて、色々思うことはあったがぶっちゃけどうでもよかった。
「それで、こいつは持って帰って食べるの?」
おじさんが、泥と草だらけになった黒鯛を指で突っつきながら問いかけてきた。
「そのつもりですけど……」
「にいちゃん、魚捌けるの?」
あ、しまった。魚なんて一から捌いたことないし、そもそもこれからコイツをどうしようかなんて何も考えていない。
「その顔だとなんも考えていなっただろ」
おじさんがニヤっとして俺の顔を覗く。
「ア、アハハハ……」
「ちょっと待ってな」
そういって自分の担いでいた荷物の中から何やら取り出すと、「ちょっと借りるぞ」と言って黒鯛をつかみ俺のバケツの方に持って行ってしまった。
「なに、するんですか?」
「いいもの見せてもらったお礼だよ。ここで捌いといた方が楽ちんだろ?」
そう言って、おじさんは自分のクーラーボックスの上にバケツで洗った黒鯛を乗せ、取り出した小型のナイフで手早く捌き始める。ウロコをはがし、腹を裂いて中の物をとりだして海へ放り投げていく。
「こうやるとほかの魚がこれ食って育つんさ。また大きくなってから釣れてくれよって、釣った魚へのせめてもの供養さ」
おじさんはそう言いながら器用に捌き、黒鯛の腹の中は綺麗にくりぬかれて空洞になってしまった。俺はあっというまに捌かれていく様を、少ししんみりした気持ちになりながらじっと見ていてた。
「……さあ出来た。早く持って帰って食ってやんな」
おじさんは俺に魚を渡すと、バケツに入っていた海水で捌いていた場所を洗い始める。汚したら綺麗にして帰るのが釣り人のマナーなんだとか。
俺はお礼を言うとおじさんはじゃあな、と一言だけ言ってから夕日の照らす歩道を歩いて帰っていってしまった。
俺は渡された黒鯛を手に持って、おじさんの姿が見えなくなるまでその背中をじっと見つめていた。
ふと気づくと、琳が足元で鯛の頭をつついて遊んでいる。
「殿、良かったですね!」
「あ、あぁ。今夜の飯は豪華にするぞ」
「やったぁ~!!」
俺は改めておじさんに心の中で感謝をしてから、自分の竿とバケツを片付けて夕日の沈む水平線を背に海浜公園を後にする。黒鯛はビニール袋に入れて竿ケースの中にしまっておいた。
――……。
暗闇が街を完全に覆ってしまった頃、家までもう少しというところで琳と話しながら歩いていると、肩にかけていた竿ケースが対向者とぶつかってしまった。俺は話に夢中で、ぶつかるまで相手に気づかず少しよろめいて態勢を崩してしまう。
「あっ、すいません」
「……ッ!」
ぶつかった相手は暗がりでよく見えなかったが、何も返してこないということはそこそこ怒っているのだろうか。
「担いでいるのつい忘れてて。次は注意します」
「……」
俺の言葉を聞いた後、少しの沈黙があってからその人は何も言わずに去って行ってしまった。
「なんだったんだ……?」
お互いの不注意なんだし、一言くらいあってもいいんじゃないかと文句を思いながら、話をさえぎった琳に謝ろうと声を掛けようとした時、
「……おい、琳? どうした?」
琳は、今さっきぶつかった人が去っていった方を緊張した目で見つめていて、表情はいつになく真剣で身体はこわばっている。
「琳?」
「……そんな。いや、でも……」
まるで、物語で死んだはずの人間が生き返って目の前に現れた時のような、驚きを隠せないで視線を離そうとしない。
「おい、琳! 聞いてんのか? 置いてくぞ!」
「――……ひゃぁっ! あ、すみません……」
浮かんでる琳の背中を、人差し指でチョンっと刺す。琳はびっくりして変な声を出してしまうが、同時に正気も戻り緊張した顔つきからいつもの柔らかい表情に戻った。
俺は琳がなにを気にしていたのか気にはなったが、それよりも早く黒鯛を調理しないと悪くなってしまいそうで早く帰ることを優先する。
――……。
やっと家に帰ってくることができ、俺は急いで魚を冷蔵庫に押し込む。三十分以上も陸上で、しかも常温で持ち帰ったため悪くなってないかどうかが心配だ。
琳はリビングまで来ると、すぐ椅子に座って視線を落としてしまった。夕方までの元気を無くしてしまい、普通に会話はできるもののさっきのことがずっと気がかりなようで表情に影が出来てしまい暗く見える。
俺はそんな琳を横目に荷物の整理をしてから台所を整理し、ケータイで黒鯛のレシピを探し始める。
「琳、お前はどうやって食べたい?」
少し話題を作った方がよさそうな雰囲気に思えたので、おもむろに尋ねてみる。
「……へっ? あ、えーと……」
「鯛料理はお前の方が詳しそうだからな。案を出したのもお前からだったし、何かあれば作るけど」
「そう、ですね……」
琳は少し考えるしぐさをとってから、
「殿が作るものなら何でもいいですよ」
と、無理に作った笑みをして答えるとまた少し顔を伏せて考え込んでしまった。俺はそれを見て、なぜだか少し気に食わなく思う。
「なら、味とか文句言うなよな?」
何でもいいと言われることが一番難しいのだが、琳は基本的に和食なら文句を言わないのでどうにかなるだろうと思い、再びケータイの画面に目線を落とす。
リビングには暫く沈黙が漂っていたが、ケータイの画面を閉じ俺がその空気を破る。
「……よしっ。やるぞ!」
俺はまず魚の状態を確認する。冷蔵庫の中から取り出して確認するが、やはり少し締まりが悪く感じ若干身が柔らかくなっている。ちゃんと氷を使って保冷して持ち帰ればと後悔もあったが今更もう遅い。
捌くのが面倒だったので最初は塩焼きにしようかと思ったが、うちのトースターやコンロのグリルには入りきらずそのまま焼くことができない。
「大きすぎだ……頭も落としてもらえばよかった……」
こうなったらもう自分で捌くしかない。魚を扱うのは小学生の時の野外キャンプ以来で正直あまり覚えていないし、他の奴が捌いたニジマスに竹串を刺して焼く程度のことしかしてない。
「三枚おろし……って、どうやるんだ?」
まな板に魚を乗せて包丁を持つところまでは良かったが、そこからが進まない。
(たしか、身が二枚と中骨一枚で三枚、だったよな。てことは背骨の上を切ってけばいいのか……?)
そうして考えている間にも魚はどんどん悪くなっていく。色々考えたが、もうどうにでもなれとヤケくそになり頭を思いっきり叩き切る。
(こういうのは勘だ。男の料理ってのは豪快さが一番っ!)
そこからは早かった。先ず、三枚おろしは諦め身をタテにぶつ切りにしていく。魚体が数個の切り身になったところで鍋に湯を沸かし、沸騰したらお頭を豪快に突っ込む。そうして煮込んでいるうちに切り身の半分に塩を振ってトースターで塩焼きをつくり、残りの切り身はケータイで調べたレシピに沿って煮つけにする。お頭が煮立ったら山菜の残りと味噌を溶いて味噌汁にする。
一度方針が決まると流れるように作業が進み、あっという間にテーブルには豪華な料理が並んでいく。
「ふぅ、何とか出来たぞ」
珍しく料理を頑張ったので、できたものを眺めてやりきった達成感が身体に満ちている。テーブルには黒鯛の塩焼き、煮つけ、そしてお頭の味噌汁が並んでいて、とても一人暮らしの人間がやるような夕食のレベルじゃない。
「す、すごいですね……」
暫く考え込んでいた琳も、段々と漂ってくるおいしそうな匂いにつられていつもの調子に戻りつつあった。出来上がったその立派な見た目に思わず感嘆の声が出る。
「どうだっ! 俺だってやればできるんだよ」
「ささっ、早く食べましょう!」
そういって琳は自分と俺の分のごはんを温めに飛んでいく。俺はいつも通り湯呑を二つ用意し、琳が返ってくるまでにお茶を淹れる。急須で淹れる作業もすっかり慣れてしまい、最近では熱いお茶も悪くないと思い始めている自分がいるのが怖いくらいだ。
琳が温まったご飯を持ってきて二人で席に着く。
『いただきます』
まずは味噌汁を一口すする。黒鯛の出汁がしっかりと出ていて、ほのかな磯の匂いも重なってとても美味しい。
「はふぅ~、おいしいですぅ~」
琳の表情もすっかり緩みきり、味噌汁の評価はかなり高そうだ。
続いては塩焼き。切り身に塩を振っただけの簡単なものだが、見た目は普通の白身魚のそれと同じである。
「これはどうだ……?」
身を箸でほぐして口に運ぶ。魚本来のうまみと抜群の塩加減、そして意外なことに脂がしっかりとのっていてしっとりした触感である。これは本家の真鯛にかなり近い味である。
「これはッッッ! 昔食べた鯛そのものではないですかッ! いと懐かしいですぅ~」
琳の素直な反応が面白い。きっと期待以上の味だったのだろう。
最後に煮つけ。煮つけは本来、一日以上寝かせてから食べたほうがおいしいらしいのだが、上手く保存できる容器がうちには無いので今日中に食べきらなければならない。
「一番自信ないけど、あの有名なコッコパッドのレシピだし……」
タレとうまく絡めて身を食べる。材料は醤油、酒、砂糖、みりんの四つだけというシンプルなものだったがしっかり煮つけの味になっていて、塩焼きとは違いトロリとしたなめらかな口当たりに鯛の香りが乗って、とても上品な味に仕上がっている。これには作った俺自身も驚きだ。
さて、気になる琳の評価だが……、
「と、殿ぉ……」
「ど、どうした!? なんかまずかったか!?」
琳は――――泣いている。それもかなり号泣している。
「おいじずぎまずぅ~~~」
紅くした瞳を潤ませて号泣しながら、煮つけを口いっぱいに頬張っていた。
「……っぷ。あはははははっ!」
思わず笑いがこみ上げてきて、我慢できずに噴き出してしまった。
「なんでわらうのですか~っ」
琳が口に煮つけを入れたまま、泣いて怒りながら問う。
「いや、スマン。お前の反応が面白くてつい、な」
「ヒドいですよ殿~っ!」
「あははははっ! すまんすまんっ」
俺はこの日、琳が家に来てから初めて腹の底から笑うことができた。
久しぶりに楽しい夕食がとれて、お腹も気持ちも満足した一日が終わる。
「給料日までもう少し。この調子で乗り切るぞっ!」
「はいっ! 頑張りましょうっ!」
夏の夜空には星が輝き、満月に近いほど丸くなった月が煌々と夜空に輝く。
―*―*―*―*―*―*―*―*―*―*―*―*―*―*―*―
「ねぇ、さっきぶつかった奴らのことだけど……」
「どうだろうね~。オイラにはどうでもいいことだよ~」
「何言ってんのよ。 もしそうだったらどうするの?」
「その時はその時どうにかすればいいよ~」
「ハァ、やる気ないわね……」
「いつものことだろう?」
「はいはい、そうですねっ」
夜が更けて人気のなくなった道の電柱の上で怪しく立つ影が会話する――――。
―*―*―*―*―*―*―*―*―*―*―*―*―*―*―*―
雅稀メモ:黒鯛は真鯛並みにうまい
琳メモ:殿が作る煮つけはこの世で最もおいしいもの




