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其ノ14 釣り初めます

 

 魚が食べたい。


 ある日の朝、いつものように食パンと冷茶をテーブルに用意していた俺は、なんの前触れもなくボソッとつぶやいた。


「殿。今何か言いましたか?」


 市販のパックご飯をレンジで温めていた琳がそれに気づき、顔をこちらに向けて反応をする。


「いや、何でもない。独り言だ」


「えぇ~、何か気になりますぅ~」


 俺が椅子に座ったタイミングでレンジのベルが鳴り、「あっ」と琳が会話をいったん区切ってアツアツのパックご飯を取り出す。幽霊は温度の感覚が鈍いらしく、琳は夏の暑さも冷房がガンガン効いた部屋でも顔色一つ変えることはない。このように、生身の人間では持てないくらい熱いものも平気で持てるし食べたり飲んだりすることも出来るのに、お茶は熱い物しか飲まないのは琳のこだわりなのだろう。

 

 今こいつが持っているパックご飯《鬼頭のごはん》は、俺が以前スーパーのバーゲンで買い溜めておいたもので、琳が朝は白米がいいと駄々をこねるのでしょうがなく俺の非常食を削って分けてやっているのだ。もうレンチンの仕方にも慣れたようで、最初こそ箱に入れた物が勝手に温まることを感動していたが、今ではさも当たり前のように扱っている。この順応の早さは、若さ(生前の年齢的に)ゆえなのだろうか。


「いただきますっ」


 自分でパックのフタをはがし、アツアツのごはんと昨日作った山菜の味噌汁を美味しそうに食べ始める。もうこの光景も見慣れたもので、一見するとごく普通の女の子なのだが眺めている時に机の上に琳の影が無いことに気づくと、そういえばこいつは本物の"幽霊"なんだよなと思い出す。幽霊のくせに生きてる人間と同じく寝たり食ったりするから、時々勘違いしたまま外でも普通に接してしまいそうになるから大変だ。


「それで、殿。さっき言ってたことって何ですか?」


「んあ? まだ気にしてたのかよ。何でもないって」


「そう言われても気になったことはそう簡単に忘れませんよ~」


 箸を口に銜えながら、眉間にしわを寄せ悪い顔をして言う。確かにこいつは気になったことを自分が納得するまで知ろうとするところがあり、今までずっとわからないものは俺が説明してやっていたので、聞けばなんでも教えてくれるものだと思っているのだろう。


「どうでもいいことだから気にするな」


「それでもいいのです~っ 気になります~~っ」


 琳が机の下で足をバタつかせて駄々をこねる。テーブルや食器には脚の実体が触れないので微動だにしないが見ていてとても鬱陶しい。


「あーもうっ! 落ち着けっ!」


「じゃあ教えてくれますか?」


「ぐっ……」


 動きがぴたりと止み、今度はジト目で俺を真っすぐ睨み始める。


「……はぁ。魚が食いたいって言ったんだよ」


「魚、ですか?」


 琳の押しに根負けして仕方なく教えると、とても意外そうに首をかしげてきょとんとした表情になる。


「意外ですね。いつも獣肉(けものにく)ばかり食べている殿が、魚を食べたいだなんて」


「悪いかっ! 豚肉とか牛肉の方が保存しやすいし使い勝手も多いんだよっ」


「そうなのですかぁ。確かにこの世の保存技術はとても優れていますものね~」


 味噌汁をズズッとすすりながら冷蔵庫のある方を横目で見る。


「でも魚ですか……私も久しく口にしていませんね。私も久しぶりに食べたいです!」


「お前は生前どんなもの食べたんだ?」


「そうですね……川魚を焼いたものやイワシの煮つけなどがありました」


「ふーん、今とそんなに変わらないんだな」


「あ、あと、祝い事の際は大きな鯛も食べました!」


「めで"たい(鯛)"って縁起物だからなぁ~」


 鯛ねぇ、と天井を見てつぶやきながらあれこれ考えていると、急に琳がテーブルの上に両手をつき身を乗り出して目を輝かせる。こういう時は大抵とんでもないことを言い出すはずだ。


「殿っ! 私、たi――」


「やだ」


 自分が言い終えるよりも先に釘を刺されて言葉が詰まる。


「えっ……」


「どうせ鯛食べたいとか言い出すんだろ? うちのどこにそんな金があると思ってるんだ?」


 まさに図星を突いた俺の的確な返しに、琳が苦虫を噛み潰したような顔をする。


「な、ならっ! 殿が釣ればいいのです!」


 琳も負けじと、俺に向かって人差し指を突き付けて反論する。


「自分で釣ればお金はかかりません! そうすれば"さばいばる"になります!」


(うっ……確かに、自給自足やるなら釣りだってやったほうがいいが……)


「ど、道具がないっ! それに鯛を釣るのって相当難しいんだぞ?」


 実はその昔、死んだ父親とよく釣りに連れて行ってもらっていたので、そこそこの釣りの経験がある。と言っても、防波堤で餌を撒いて沢山のハリに小魚をひっかける程度の簡単なものしかやったことないのだが。


「それなら任せてください! 私に考えがありますっ!」


 琳が椅子の上に立ち上がって自信満々に胸を張る。何か思い当たることがあるのだろうが非常に不安だ。


「さぁ、早く食べて行きますよっ!」


 そう言うと、すでに食べ終わった自分の食器をシンクに持って行って俺を急かす。俺は話していたせいで、まだ食パンが半分残っているので今すぐに出ることができない。


「ちょ、まてっ、急かすなっ!」


 俺は琳が一人で飛び出していかない様に残ってたパンを口に突っ込み冷茶で胃に押し込むと急いで部屋へ着替えに向かった。



――……。


――……。


――……。



「ここって……」


 急いで支度をした後家を飛び出して琳に連れられてきた場所は、なんと俺のバイト先である万事屋の事務所がある部屋の前だった。


「ここに何があるってんだよ」


 呆れた顔で琳に聞くと、琳は事務所とその隣の部屋の境目の方を指さして、


「以前ここに来た時に色々見回ってましたら、あそこの物置に竿のような物が置いてありました。店長さんに借用の許可をとって使わせていただきましょう!」


 そんなものがここにあるのかと、琳から聞いて少し驚いた。確かに、あの辺には鍵のかかった部屋があって奥は倉庫のような造りになっているらしく、古い資料や終わった仕事のファイルなどがあるらしい。しかし中には機密情報もあるようで、ただのアルバイトの俺は入ることができない。だからあそこに何があるのかは未だに謎だったのだ。


「なるほど……ダメ元だが聞いてみるか」


「頑張ってくださいっ!」


 琳が後ろでガッツポーズをして応援する。仕事がない日に職場に行くことはほとんどないので多少怪しがられるかもしれないが、そこは何とかごまかしてく方向で。


「ちわーっす」


 入口のドアを開けるとクーラーの涼しい風が俺の周りを包み込む。じっとり汗ばんでいた体に心地いい。


「おーう」


 中から店長のやる気のない返事が返ってくる。出勤表のある仕切りを避けて中に入ると、マリエさんが赤い縁の眼鏡を掛けて自分の机に座っていて、俺に気づくと首だけ横を向いて珍しそうに眼鏡をかけなおしてじっと眺める。


「オフの日に来るなんて珍しいわね。今日仕事入ってなかったでしょ?」


「そうなんですけど、ちょっと店長に話があって」


「給料日はまだ先だぞ~。前借(まえがり)しに来たのかなぁ~?」


 奥の机で店長がニヤニヤしながら小馬鹿にしたように口を挟む。既に二人は俺が金欠で自給自足的な生活をしていることを知っているので、店長はついに給料の前借のために頭を下げに来たのかと嬉しそうなのだ。


「いや、そうじゃなくて、ここに釣り竿とかないかな~って」


「釣り竿? 釣りでもするの?」


 マリエさんは仕事の手を一旦止めてから、俺の方を向いて話を聞く姿勢をとる。


「まあ、そんなところです。自給自足のために色々手段を探してまして……」


「なるほど。あなたも大変ね」


 同情の交じった微笑みを返されて、俺は苦笑いしかできなかった。


「でもここには釣り竿なんて――」


「あるよ~」


 自分の仕事をほったらかして二人のもとにいつの間にか来ていた店長が、急に俺達の話に割って入り込んできた。給料の前借しに来たわけじゃないのかと、当てが外れて少し残念そうな顔をしている。


「えっ?」


「マジで?(ほんとにあるんだ……)」


 俺とマリエさんは、二人して不意を突かれたような驚いた顔をする。


「むか~し俺が仕事で漁港の手伝いに行ったとき、そこのおっちゃんと意気投合しちゃってね~ぇ。話の流れで貰っちゃったんだ~」


 そう言いながら、店長は例の倉庫へ向かって行って鍵を開け中に入ってしまった。少しごそごそと漁る音が聞こえていて、小さく「あったあった」と声がすると、倉庫からホコリをかぶった竿のケースを持って出てきた。


「使えるかどうかわからないけど錆びてはないと思うよ~」


 店長がホコリまみれの竿ケースを開けるとそこそこしっかりした竿が入っていて、キズや錆びもほとんど見受けられなかった。ほかにもリールやハリなども一式揃っていてすぐにでも始められそうだ。


「ちょっ、店長ぉ~」


 マリエさんは、竿ケースに付いていたホコリが舞い始めて自分の机に降りかかりそうになり、露骨に嫌な顔をして鼻をつまみ反対の手で目の前を仰ぐ。


「店長、これ借りていってもいい?」


「いいけど、タダとはいかないなぁ~?」


 何かを企んでいるような怪しい笑みを浮かべて、条件付きだと返す。流石猫の手を一人で経営していた人だ。そう簡単にはいどうぞって貸してはくれない。


「明日、一つ仕事を頼まれてくれないか?」


「明日? 元々明日は仕事で来るはずだったけど」


「それはそうなんだが、ちょっと面倒な依頼が入ってね~」


 そう言って店長の顔が少し曇る。頭を掻きながら、明らかに面倒くさそうに俺から目をそらす。


「俺にできることなの? 難しいやつならマリエさんの方が……」


 そう言いながらマリエさんの方を向くが、マリエさんもわざと俺から目線をずらして顔を伏せる。


「わ、私は……そう、明日は忙しくて手が離せないのよっ!」


 明後日の方を向きながら少し焦ったように話す。二人してこの態度は何か怪しい。


「とにかく、そういうことだから明日はよろしくね~。竿は明日返してくれればいいよ~」


 竿ケースをドンっと俺に押し付けて、事実の追及を許さないかのように出口に向かって背中を押してくる。


「ちょっ、まてっ、まだッ――」


「そんじゃ頑張ってね~」


 店長は俺の質問に一切耳を貸してくれず、事務所を追い出されるように外に押し出されてしまった。さらに俺が出た後にドアの鍵を閉められてしまい完全に中に戻れなくなった。


「おいおい……いったい何なんだよ……」


 ドアの前で竿ケースを抱えて呆然と立ち尽くす。


「大変でしたね……」


 俺が外に出たことでやっと琳が喋り始める。


「あぁ……でもこれで物は手に入った。まさか本当にあるとは……」


「これで鯛釣れますかっ?」


 琳が期待の眼差しで問う。


「いや、まだいろいろ足りないが、取りあえず海の方に行くか」


 俺は何とか手に入れた竿を持ち、期待で胸が膨らんでいる琳を引き連れて海へ向かって歩き出す。

 この街のはずれには小さな海浜公園があり、ジョギングやデートなどのコースになるほど人気の高い場所になっている。釣り人もよく見かけるのでたぶん何か釣れているのだろうと考え、まずはそこに情報収集がてら行ってみることにした。


 今日の空模様は雲がわりかし多く入道雲が発大きく発達している。風は少し吹いている程度で涼しいと感じられるほどではない。

 夏はまだまだ尻尾を見せる気が無いようだった。








雅稀メモ:あれっ? いつの間にか釣りをする流れになっているけど、俺がやるの?





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