其ノ12 Let'sサバイバル生活
琳がうちにやってきてから二週間ほどが経った。
幽霊との共同生活にもだいぶ慣れてきて、琳の扱いも勝手が解り始めている。最初の方は、気になることがあれば人前でも平気でしゃべりかけてきてそのたびに肝を冷やすような思いをしていたが、ここ最近は話をしていい場所と悪い場所をしっかり区別することができて、近くに人がいる時にはあまり話しかけてこなくなっっていた。
またこの世にある物のこともだんだんと分かってきたようで、あれこれと逐一質問攻めにされることも減っている。これについては説明する手間が省けて良いのだが、何も聞かれなくなるとそれはそれで少し心配に思う事もあったりする。
仕事では、特に高齢者の依頼で琳の経験が役に立つことがあり、その度に周りに怪しまれない程度で手伝ってもらっている。お土産のお茶菓子選びや、以前ベタ褒めされた盆栽のおじいちゃんの知り合いから頼まれた仕事、ついこの前は家の中で探し物を頼まれた時に、隅から隅まで、床の下から天井裏まで隈なく調べた結果見つけることができたりと俺だけでなく猫の手の評判にも貢献している。
が、しかし。今ここで一つの問題が発生した。
「……金が……無い」
自分の財布を隅々まで覗き、逆さまにしてパタパタと振ってみるが、出てくるのはホコリと小銭が少々。レシートが折り重なってポケットに押し込まれているせいで、ある程度お札もあるものだと勘違いしてしまい、ここ最近は琳が生活に使う道具を買ってあげたり、お茶屋のおばあちゃんのとこへ通ってお茶のブレンドの研究をしたりと、いつの間にかかなりの散財してしまっていたのだ。
因みに、こいつは幽霊のくせに食事もちゃんと摂っている。なんでも生身の体は無くてもお腹は減るらしく、全くもってその身体機構が謎である。これを解明できたならきっとノーベル賞ものだろう。
「殿っ。どうされたのですか?」
琳は当然そんな危機的状況を分かっているはずもなく、木製の椅子の上で器用に正座をして俺が淹れたお茶をすすりながら首をかしげる。三日ほど前から上手い具合に配合が出来るようになり、以前とは比べられないほど飲みやすくなったのだ。しかし、だんだんと琳の好みに近づきつつあるため、日に何杯も飲むせいで茶葉の消費量が半端なく、ほぼ毎日のように買いに出てしまっている状態が続いていた。よってこの財政難の原因はほぼほぼこいつのせいであるのが分るだろう。
「給料日まで食費が持たない……」
「それは大変ですね~……」
湯呑を口から離し、まるで他人事のような適当な返事をする。確かに幽霊だから何も食わなくても餓死することはないだろうが、それでは代わりにこっちが幽霊になってしまいそうだ。
「だからお茶も暫くは買えない。今あるやつで我慢だ」
「え……」
それを聞いた琳の目が点になり表情が固まる。そのまま湯呑をテーブルに崩れるように脱力して置くと、ようやく事の重大さに気が付いたようで机を思い切り叩いて飛び上がると、
「それはっっ!! いと大変じゃないですかッ!!」
「ああそうだ。大変なんだ」
「どうしてそんな……私なんて殿の半分も食べてないのに……」
事の重大さは理解したものの肝心の原因を分かってないようで、琳の頭の中で間違った想像があらぬ方向に進んでいる。流石にここまでバカが進むと、言うのを我慢してた俺でも堪忍袋が限界だ。
「……お」
「お?」
「お前のせいだぁぁぁぁぁっっっ!!!」
「はわぁ~~~っ!!!」
ついに、我慢していた感情が喉元のダムを決壊させて溢れ出す。座っていた椅子から急に立ち上がって、琳に人差し指を突き付けて怒りの感情を露にして怒鳴る。
「えっ、ええっっ!?」
琳は、なぜ自分が怒られて指を指されているのか理解できていない。
「頭湧いてんじゃねぇのか? お前のためにあれこれ買ったりお茶の葉買ったりで、我が家の財政を圧迫してるんだよ! ただでさえ俺一人がギリギリ暮らしていくのに不自由が出ない程度の稼ぎだってのに、お前が来てから出費が多すぎるっ!」
「そ、そうだったのですか……そうとは知らず、私は、私はッッ……!」
事情を聴いてようやくこの原因が自分にあるとわかった途端、今度は今にも泣きだしそうなくらい返事に詰まるようになり、紅い瞳は涙を蓄え始める。こうなるともうダメで俺の方が弱ってしまう。
最近分かったことだが、琳は感情の波がある一定を超えると瞳の色が淡い黄緑色から鮮やかな真紅に変わる。最初の方は全然気にしていなったが、よく観察するようになって気づいたのだ。つまり瞳が紅くなる時は、それだけ感情が高ぶっているということである。
「と、とにかくっ! 今我が家は危機的状況なのだっ!」
「うぅぅ……ごめんなさい殿……」
「こうなっちまったのはもうどうしようもない。謝ればお金が振ってくるわけじゃないんだし」
はぁ~っ、と大きくため息を一つ吐いてから冷蔵庫のある方に向かう。
「しかし幸いなことに、冷蔵庫の中には食パンと冷茶はある」
冷蔵庫の扉を開けて中を確認すると、いつも食べている食パンと琳のお茶を水で薄めた特製の冷茶が上段に詰まっている。最近は琳のお茶のおこぼれで冷茶を作るので、別で買いに行く手間が省けているのだ。
「あとは……各種材料が少しずつ。お前が来てから和食ばっかりだから肉や乾燥麺なんかも残ってるな」
琳はそもそも和食文化の生活が中心だったので、洋食や中華には一切触れたことがなく、以前作ってやったチャーハンを油っこいと文句を言って一口で食べるのを止めてしまったことがある。また、カップラーメンに興味深々だった時に、一口食わせたら塩っ辛いとクレームを言われ取り上げられてしまった経験もある。それ以来インスタント麺やレトルト食品などはほとんど食べることを許してもらえず和食中心の食生活に変わっているのだ。
「レトルト系もそこそこ。カップラーメンは……」
冷蔵庫の横にある、様々なジャンクフードが積まれている棚を漁りつつチラッと琳の方を見る。
「またあの塩っ辛いものですか~? 私、それキライですっ」
琳はムスッとした顔で、カップ麺を見ると嫌そうに首を背けた。
「いいんだ。お前が来るまでこれでしのいでたんだからな。懐かしいなぁ~……」
「それを食べることは許しませんよ? 殿の健康を守るのは私の仕事ですっ!」
そう強気に答えると、座っていた椅子から飛んできて俺が手に持っているカップ麺を取り上げて、真っすぐゴミ箱に投げ捨ててしまう。
「あああっっっ!! お前何してくれてんだっ! 大事な食料をっ!」
「ダメなものはダメですっ!」
俺が急いでゴミ箱から救出しようと試みるも、琳がその前に腕を組んで立ちはだかっていてどうにも手出しができない。イラついたのと動きが多くなったことで余計お腹が空いた気分になってしまう。
「……くそぅ。こうなったら最終手段だっ」
俺はゴミ箱からの救出を諦めて再び椅子に戻る。足取りは重くすこしふらつきもあるが、机までたどり着くと、両手をつけて頭を下げる姿勢をとる。
「……琳。"アレ"をやるぞ」
「アレ? アレとは??」
それを聞いた俺は、待っていたと言わんばかりにフッと含みを持った笑みをすると勢いよく振り返って、
「決まってるだろ? ――――サバイバルだっっっ!!!」
――……。
――……。
――……。
「殿、"さばいばる"って何ですか?」
この町周辺の地図を広げてうなっている俺に向かって、琳が尋ねる。
「簡単に言うと自給自足だ。食料を自分で探して採ってきて、それ食って生活するってことだ」
「ほほぅ……つまり、狩りとかするのですか?」
毎度恒例、琳の生前の経験に沿ったアホちんな質問が返ってくる。
「狩りなんかするもんかっ! 今時は銃だって素人にはつかえないんだし」
「"じゅう"とは何ですか? 私たちのころは鷹狩りや弓矢を使っていましたけど、似たものがあるのですか?」
――あ、そうだった。日本に初めて伝わったのは戦国時代で、琳の居たころには恐らく存在していなかっただろう。
「あー、気にするな、なんでもない。とにかく狩りはしない。山菜とか植物系を中心に集めるんだよ」
「そ、そうですか……私も鷹狩はよく見ていましたけど、幼かったので実際にやらせてはもらえませんでした。なので、また殿のお役に立てないのではないかと思ってしまいましたよ~」
「例え扱えたとしてもやらせん」
むくれた顔で「えーっ」と不満そうな返事をする琳を横目に、俺は地図を見ていくつかの目安を付けていく。仕事柄よく町中を駆け巡っているので大体の地形やアテは知っているのだが、いざ行って何もなかったら嫌なのでルートと採るものを決めていき、自身の手帳の空きページに書き記す。
「……よし」
パタンと手帳を閉じてから席を立り、着替えをするために自室へと向かう。
「これからどうするのですか?」
部屋で着替えをしている俺の後ろで、琳がドアの横から顔を出し少し期待の眼差しをして尋ねる。
「取りあえず近くの山行って山菜集めに行く。天ぷらとかおひたしくらいにはなるだろう」
「わかりましたっ! 私もお手伝いしますねっ!」
琳はやる気満々に両拳を胸の前で構えていて、いつも以上に気合が入っている。
「お前にできることがあったらな」
「はいっ! 頑張りますっ!!」
俺は簡単な荷物を持ってから家を出て、最初の目的地である山へと向かう。そこは綺麗な滝と琳の封印されていた祠のあるあの山であることは、この時の琳はまだ知らない。
大きな入道雲が空にかかっていて深い青空との対比が美しく、気持ちの良い風が背中を押す。
――……。
――……。
――……。
「まずはここからだ」
山の麓にはコンクリートの坂道以外にいくつかのハイキングコースが設定されていて、その中でも比較的うっそうとしていそうな道を探して入り口に立つ。この山はハイキングや散歩コースとして有名で山菜も多く採れるらしい。特に許可も取る必要はなく、荒らさない程度であれば持ち帰りも可とのこと。
「ここでしたか……今では少し懐かしく感じます」
「うちに来てから一回も来てないもんな。嫌だったか?」
「いえ、そんなことはないです。ちょっと複雑ですけど」
そう言う琳の表情は、いつもより少し影が多いような気がした。
「まあ、嫌になったら他行けばいいし」
「私は大丈夫です! いっぱい山菜採りましょう!」
琳は元気よく腕を振り上げて、一人先走ってコース脇の山道に飛んで行ってしまった。
「あ、おいっ! 外出時の約束守れ~っ!!」
俺も急いで後を追いかけていく。比較的緩やかな坂道だが、足場があまりよくなく木の根や雑草が行く手を邪魔する。それに引き換え、あらゆる障害物を一切無視して飛んでいける琳が正直羨ましい。
「はぁっ、はぁっ、こ、こらっ、まてこらっ……ぐっ!」
夏場の軽装備な服装では、身体に当たる葉や枝の攻撃は防ぎきれないので、腕や脚に引っ掻き傷が増えていく。
土と草だらけになりながらも暫く進んでいくと、枯れ木と落ち葉で出来た窪地に出くわした。足元には湧き水らしきものが細い糸のように流れていて、近くにはきれいな湧水の水たまりも見受けられ、琳も先に着いていて丁度そこにとどまって薄暗い辺りを見回し山菜を探していた。
「ど、どうだ。なんか見つかったか?」
「う~ん、この辺りには無さそうですね。もう少し見回ってきてもいいですか?」
「あ、ああ。余り遠くには行くなよ?」
遠足の自由時間みたいなノリの注意に、「はーい!」と返事を返してから琳は少し高度を上げて窪地の周辺を見に飛んで行った。俺は山道を歩き続けて疲れたので、湧き水で汚れた腕を洗いながら少し休憩をする。やはり山の中を流れる水は冷たくて気持ちがいい。
しばらくしてから琳が戻ってきて、
「殿っ、あちらにそれらしいものが生えてましたよっ!」
と、もぎ取った葉っぱの一部を持って見せてきた。これは俺でも見たことがある、たしか明日葉というやつだろう。はるか昔に、母親が買ってきたものを食べた記憶が漠然と残っている。
「よし、ならそこへ行くか」
そういって俺は膝とおしりに着いた枯葉をはたいて落とし、琳にその場所への案内をお願いした。




