其ノ11 チャ・茶・cha
スーパーから少し離れた場所にある小さな商店街の中には、一軒だけ日本茶の専門店がある。俺は商店街自体ほとんど来ることはなく、他の用事でたまに来て前を通ると店前の機械から香ばしくいいい香りが漂ってくるのが印象的なのだ。そこなら琳の納得するものが見つかるだろうと考え、敢えてスーパーの安売り品ではなく専門のお店で選ぶことにした。
(頼む、まだやっててくれ……)
日はもう地平線上に落ちていて、辺りは徐々に薄暗くなってきている。商店街はお店の電灯や街灯の光がコンクリートの道を照らし始め、気温も昼間よりは大分過ごしやすくなっていた。
俺は、今にもはち切れそうなビニール袋を必死に持ち上げて、息を切らしながら辺りを見回してお店を探す。
「確かあの辺に……あ、あった!」
俺が視界に捉えたそのお店は既に今日の営業を終えていて、店員が今まさに店仕舞いをするために軒先に出ている商品棚を店内に入れようとしていた。
「すいませーんっ! ちょっと待ってくださーいっ!」
俺は出来るだけ急いで店員のもとに駆け寄り、手に持っていた袋をその場へ雑に置いてゼーハーと乱れた息を整える。
「あらあら、こんな時間にそんな大荷物持ってどうしたんだい?」
軒先の片付けをしようとしていたのは、田舎の縁側でお茶を飲んでいるイメージがぴったりな、紺色の着物を着て真っ白な白髪のお団子に赤い簪を刺している、物腰の柔らかそうなおばあちゃんだった。
閉店間際に来た俺を物珍しそうに、真ん丸な眼鏡を鼻筋に掛けなおしつつ眺める。
「えと……お茶、探してるんですけど、まだ、やってますか?」
「あぁごめんねぇ、もうじきお終いよ。丁度今から片付けようと思っていたところだけど」
「もうちょっとだけ、開いててもらえませんか?」
「そういわれてもねぇ……」
困ったような顔をしておばあちゃんは横の棚の方を向いた。水出し用のパックやティーバッグなどが沢山詰め込まれていて、棚自体もかなり年季が入っているようで所々に塗装のハゲが見えキャスターはさび付いている。
「私みたいな老体には、これを運ぶのも一苦労なのよね。もうじき孫も帰ってくるし、夕飯の支度もまだできていないからねぇ」
「そ、そうですか……」
(どうしよう、お店は見つけたしギリギリ間に合ったかと思ったけどここで無理に引き留めるわけにもいかないし。でも琳に買ってやるって約束したのに明日にするのも悪いし……)
「どうしても今日必要なんです。その……知り合いのお茶好きが明日家に来るのでっ!」
「そうだねぇ……」
俺が必死に食い下がる様子を見て、おばあちゃんはその場で少し考えるしぐさをとる。その時、店の横の電柱の陰から様子を見ていた琳が、俺の後ろに物音を一切立てずにすーっと傍に寄って来た。
(殿、私はまた今度でもいいですよ……?)
「……ッ!?」
(こ、この幽霊、人が近くにいる時には話しかけるなって言ってあるだろうがっ!)
本来なら垂直チョップの刑にしてやりたいところなのだが、他人が目の前にいる状態で来てしまったものはもうどうしようもない。もし今ここで琳と会話したら、絶対怪しまれる。どうにかして、言葉を使わずに会話する方法を考えないといけない。
俺はとっさに、前のおばあちゃんにばれない様に極小さく首を横に振った。しかし琳には気づいてもらえず一方的な話が続く。
(今度にしましょう? またお手伝いしますからそのときにでも……)
(……手伝い? あ、それだ! 何のために万事屋で働いてるんだ俺は!)
「ならっ、俺が片付けるの手伝います! これでも万事屋やっているので力仕事も任せてください!」
とっさに思いついたことを、勢いに任せて口に出し提案してみた。おばあちゃんは、細長い眼を少し見開いて驚いた様子でこちらを見ている。
「お兄さん、いいのかい? 結構重いはずだよ?」
「大丈夫です。任せてください!」
そう言って俺は、自分の左腕を右手で叩いて自信があることをアピールする。おばあちゃんは俺のことを下から上まで品定めをするかのように見ていくが、ふと、動いていた頭が俺の頭の上で止まると何やら目を細めて注意深く気にしだした。最初は何をしているのか分からなかったが、おばあちゃんの目線の先を確認しようと後ろを振り返ると、その先にはなんと琳が宙に浮かんでいた。どうやら琳もおばあちゃんと目が合ってしまっているようで、まるで蛇に睨まれたネズミのようにその場で固まってしまっている。
(ま、まさかっ、このおばあちゃんには琳が見えているのかっ……!?)
確か、例え霊感が強くても気配が感じられる程度で、琳の実体を見れるのは俺の先祖の家系だけのはず。このおばあちゃん、実は俺の親戚とかなのか? いや、こんな人知らないし見たこともない、今日初めて会った初対面の人で間違いない。でも冗談だろ、何かの見間違いじゃないのか?
俺は琳の存在を意識の中から消し去り、改めて空には何もないことを確認してから、
「あの、何か?」
と、何も知らないフリをする。おばあちゃんは、眼鏡の位置を変えながらよくよく見ようとするが俺の言葉を聞いてから、
「……いや、気のせいかな。すまないね、歳のせいで目が悪くて」
「いや、いいですよ。しょうがないですよね。ア、アハハハ……」
(どうやら気のせいっぽいな。マジで一瞬焦ったぜ……)
一通り見定めが終わりおばあちゃんが俺の方を向く。
「本当にいいのかい?」
「もちろん! 時間も取りませんので」
そうかい、とだけ言い残しておばあちゃんは着ているエプロンをはたいて一旦店の中に入ると、消しかけていた照明をつけて品物で埋まっていたレジカウンターを整理し始めた。そして少しして中から、
「大した物は無いけどおはいり」
と優しく声をかけてくれた。俺は小さくガッツポーズをしてからお邪魔します、と言って店内に足を踏み入れた。
初めて入る店内は、こじんまりとした和風の内装でスペースの多くを木製の棚が埋めていた。もう既に片付けられている所もあったが、沢山の銘柄に別れているお茶の葉がパッケージされて棚に並んでいる。
売り場の奥には少し開けた休憩スペースのようなものがあり、古い丸椅子や壁にくっついているベンチ、丸いちゃぶ台が置かれている。休憩スペースの目の前には、ごちゃごちゃした小さなレジカウンターが少し高めに作られていて、おばあちゃんはそこに座って後ろの棚の整理をしている最中だった。
俺は手に持っている袋をベンチに置いてから、改めて店内を見回す。
「すごいな……」
日本茶の専門店、と看板に書いてある通りに店内には何十種類ものお茶が売られており、煎茶、ほうじ茶をはじめ抹茶、玉露、さらにはそれを美味しく淹れるための茶器などがずらりと並ぶ。また、お茶つながりでウーロン茶や紅茶なども取り扱っていて、品ぞろえはスーパーにも引けを取らないくらいにとても豊富だと思う。
琳はさっきから一つ一つじっくりと見定めながらどこか懐かしむような、何か思い出しているような感慨深い顔をして見回っていた。またおばあちゃんのいる前で話し始めないかとドキドキしていたのだが、もうすっかり自分の世界に入り込んでしまっているみたいなのですこし安心した。
「さて、どれがいいのやら……」
「欲しいものは見つかったかい?」
片付けがひと段落したおばあちゃんが、レジカウンターの奥から出てくる。
「い、いやぁ、何がいいものかさっぱりで……」
近くにあるものから見回っているのだが、正直今まで急須で淹れた経験は無くお茶の葉も買ったことがない。だからぱっと見どれも同じに見えるお茶の葉は、どれが良くてどれが悪いのか見当がつかないでいる。
「お兄さんのお友達、若いのにお茶が好きなんて珍しいわよねぇ」
「そ、そうですね……」
「さて、どれがよさそうかな?」
おばあちゃんは少し曲がった腰に手を当てながら、自分の身長より少し高い棚の中からいくつかパッケージを選び取って俺に見せてくる。しかし、見せられたところで俺には知識がないから違いが全く分からない。
(そういえば、前に琳に説教された時お茶のことなんか行ってたような……?)
琳の教えを思い出すために、「ちょっと待ってください」とおばあちゃんに言ってから背負っていたバッグから手帳を取り出すと、何時ぞやにメモ書きしたページを探す。
(お、あった。……なるほど、これか!)
「えーと、普通の物より味が濃くて、うまみが感じられるものってありますか?」
「ほう、そうだねぇ……」
少し驚いたような声を出してから、おばあちゃんは今まで手に取っていた物を元の場所に戻すと、何かを思いついたように他の棚の方に向かって行った。
「なかなか詳しいんだね、そのお友達は」
「え、ええ。小さいころからよく飲んでいたらしくかなり拘りがあるようです」
「今時の子はちゃんとした味を知らないからねぇ。でもまだ好きで飲んでくれている子がいるのは嬉しいよ」
おばあちゃんの嬉しそうに話す姿と言葉が、普段市販の冷茶しか飲まない俺に深く突き刺さる。
「これなんかどうかしら?」
そう言って別の奥の棚から取り出してきたのは、粉末抹茶入りのかなり高級そうな煎茶の茶筒だった。この店でもかなり人気の商品でリピーターも多いとのこと。気になるお値段の方は……
「…………」
「おや、ちょっと足りないかな?」
「……はい、かなり……」
給料日の遠い俺にとって死活問題になりかねないほどの金額で、琳のためとはいえ流石にこれを買うわけにはいかない。
「これがだめなら……ああ、そうだ」
そう言ってまたカウンターの方に戻っていくと、こっちおいで、と声を掛けられる。誘われるがままカウンターの方へ行くと、
「うちはお茶のブレンドもやっていてね、ほら、外に機械があるでしょ? あれで毎朝煎って作ってここに入れてるの」
そういってカウンターの下から数種類のお茶の葉が入った袋をいくつか取り出した。なるほど、たまに通り過ぎる時に漂ってくる香ばしい香りの正体は、あの機械でお茶の葉を炒ってブレンド用に作っていたということなのか。
「これは今朝出来たもので、かなり濃い味のものだけどどう?」
(そんな、俺にどうって言われても……)
(殿が選んだものなら私はそれでいいですよっ)
いつの間にか店内を吟味し終わった琳が、俺の後ろからコソコソと耳打ちしてくる。実際、琳に選ばせるのが一番手っ取り早くて楽なんだが、そんなことはやらせたくてもできない。ええいっ、こうなったら一か八かだ!
「じゃあ、それください!」
俺は迷わずおばあちゃんの勧めてくれたオリジナルの奴を選んだ後、お茶を淹れるための急須と、なぜか琳がしきりに指をさしてアピールしていた白地に薄ピンクのラインが入った湯呑の二つをカウンターに持っていき、全部の会計をお願いする。途中おばあちゃんが、「お友達って女の子?」と、湯呑を覗き込んで訪ねてきたので、苦笑いしながら「そうです」と答えると、「そうなのね」とニコニコしながら古新聞紙で包んでくれた。最後に綺麗な包装紙でラッピングしてくれて、
「大事にするんだよ?」
と一言添えて商品を渡してくれた。俺は始終ヒヤヒヤしっぱなしで、ここに来てからの記憶が曖昧で何を喋ったかすらはっきり覚えていなかった。
俺は商品を受け取ると、他の荷物を一旦全部店の外に出してから片付けの手伝いを始めた。しかし思ってたほど時間はかからず、買い物を終えてからわずか十分足らずで店仕舞いが終わってしまう。
「随分早く終わったわね。助かったよ」
「いえ、こちらこそ時間延ばしてもらってすいませんでした。でもおかげでいいものが買えました。ありがとうございます」
「それならよかったよ。お友達にもよろしく伝えてちょうだいね」
「わかりました。伝えておきます」
おばあちゃんはにっこりした笑顔で、店の前で夜道に消えゆく俺を見送ってくれた。
琳はおばあちゃんに一つお辞儀をしてから、くるっと振り返って俺の後を付いてくる。
「殿っ。ありがとうございました!」
「おう、帰ったらさっそく淹れてみるか」
「はいっ!!」
まぁ、俺は飲んでないから味の保証はできないけどな、と心の中でつぶやきつつ暗くなった夜道を自宅に向かって進んでいく。
―*―*―*―*―*―*―*―*―*―*―*―*―*―*―*―
「ふふふ、今日は珍しいお客さんが見えたわね」
今さっき、飛び込みでお茶を買っていった青年を見送りながらつぶやく。長年このお店をやっているけれど、こんな珍しいお客さんたちは初めてのことだった。
「さてさて、もうすぐあの子が帰ってくるわね。早くお夕飯の支度しないと」
首からかけていた白いエプロンを外し、お店の裏手にある勝手口へと歩いていく。
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家に帰り着くと、今までパンパンに張っていた両腕が一気に解放されると同時に疲れがどっど押し寄せてきて、入り口から入ってすぐの場所で思わず倒れこんでしまった。
しかしそんなことはお構いなく、琳は紅い眼をキラキラと輝かせて早く早くとお茶の準備を急かす。こっちはずっと重い荷物持ってて疲れてるんだと言っても、新しいお茶を目の前に興奮している凛は聞く耳を全く持ってくれない。
「はぁ……」
仕方なく、軋む体に鞭打って台所に向かい、やかんでお湯を沸かし始める。その他お茶の淹れ方は琳の指示に従い、何とかそれらしきものが出来上がった。
「それでは、いただきますっ」
琳と俺は机に向かい合って座り、俺は正座をして琳が飲む様子をじっと伺う。琳は自分の湯呑を持ち上げて一呼吸置き、それから目を閉じて口へと運んでいく。
「……んっ、ずずっ」
「……どう、ですか?」
琳は眼を閉じたまま湯呑を口から離し、何も言わずに口に残るお茶の味を確かめている。と、それまで平常だった表情が徐々に歪んでいき、眉間にシワが寄り口元も引きつり始める。
「ど、どうした!? なんかまずかったか!?」
「……に……」
「に?」
「苦すぎですぅ~~~っ!!!」
琳は眼に涙を浮かべて、とても渋い表情で訴えてきた。
「そ、そんなにか?」
そんなおおげさなと思った俺は琳の湯呑を持ち一口含む。
「――ッッッ!!!???」
その苦さは想像以上で、例えるなら漢方薬をうんと煎じて飲まされた時くらい。
その日の夜、俺と琳は二人しておばあちゃん特製の激苦緑茶にやられて悶絶してしまった……。
雅稀メモ:幽霊もお茶が飲める
琳メモ:この世のお茶はとてつもなく苦い