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其ノ1 なんの変哲もない日常

 この世には、"幽霊"なんてものは存在しない。小さい頃からそう信じて疑わなかった。

 そんな非科学的な存在が昔から恐れられてきたというのは、全くもって理解しがたい事だ。夏場に流行るホラー系のバラエティ番組やお化け屋敷なんかの、ほとんどが作り物の捏造作品を見て肝を冷やすことのいったい何が楽しいのだろうか。肝試しや心霊写真なんて見てもちっとも怖くないし、閉鎖病院なんてあったとしても興味ないので不法侵入する奴らの気が知れない。

 

 たとえ、何かおかしなことが起きても非実体の霊が物理的行動をするわけがないのでたまたま、とか偶然、とかで済ましてしまえばいいのに。

 別に怖いのが苦手なのではない。見えないし居ないものを怖がることが馬鹿らしいのだ。


 そう、ずっとそう思っていた。

 つい、先日までは。


 事の発端は、昨日にさかのぼる。



―*―*―*―*―*―*―*―*―*―*―*―*―*―*―*―



 ミーン、ミンミンミン――……


 今年もまた、一年の中で一番嫌いな季節がやってきてしまった。

 今朝のニュースでは、今日の最高気温が38℃にまで上がる予想だと気象予報士がほざいていやがったが、38℃って言ったら風呂のぬるま湯と同じ温度じゃないか。半身浴できるくらいの温度だなんて、太陽は俺を茹で殺す気か。まったく、なんでこんな日に限って日中のバイトが入るのだろうか。


「くっ……あのクソおやじめ、頭湧いてんじゃねぇか……?」


 セミの大合唱が住宅街の中を木霊するうだるような暑さの中、今朝電話でクソおやじことバイト先の万事屋の店長に急遽配達の仕事を入れられた雅稀(まさき)は、陽炎が躍るチリチリに焼けたアスファルトの上を汗だくになりながら、今日の目的地へ歩いて向かっていた。

 

 今回の依頼人は山の上に住むおばあさんで、山の麓のスーパーで買い物をしてきてほしいとのことだったのだが、買う量が恐ろしいほど多くてビニール袋3つにパンパンになるまで詰めた挙句、山の上の自宅まで運ばなければならない。買ったものは主に食糧と水分、そしてバーゲンセールで安売りしてた大量の婦人服。


「依頼したばあさん、一体何する気なんだよ……」


 ゼーハーと息を切らしつつもアスファルトで綺麗に舗装された山道を歩き続けるが、まだ登り始めて数分だというのにもう帰りたい気持ちが足を重くする。道路脇に生えている木々の作る影のおかげで、いくらか体感温度は下がったように感じるが、その代わりに長く伸びる坂が気力と体力をごっそりと奪い去っていく。


「あーくそっ! この仕事終わったら絶対冷たい物奢ってもらわないと割に合わないっ!」


 顎先から汗が滝のように流れている俺のことをあざ笑うかのように、灼熱地獄の坂道は延々と眼下に伸び続けていた。



――……。



 どのくらい登ってきたのかもうわからなくなっていた頃、ようやく目的の家の近くまでたどり着くことができた。ここまで登ってきたという達成感を感じるよりも、汗でぐっしょり濡れたシャツが身体に張り付き気持ち悪くてしょうがない。


「あれか……」


 家と言うより古いお屋敷のような年季を感じる佇まいの建物で、門から家本体までの距離の中に広い庭が広がり瓦屋根は所々が剥がれ落ちていて、外壁も茶色く変色した木の板を未だに使っている。

 一通り眺め終わった後本来の目的を思い出して広い敷地内に入ろうとすると、遠くの玄関前で杖をついた少し派手な恰好をしたおばあさんが待っているのが見えた。大きな庭の中に伸びる砂利道を進んでいき玄関の方へゆっくり近づくと、


「おや、遅かったわねぇ。ちゃんとお願いしたもの買って来たのかい?」


 待っていたおばあさんが待ちくたびれたとでも言いたげな、歓迎ムードゼロな顔をして出迎えてくれた。


「い、いやぁ、あまりにも暑いもので……」


 内心は愚痴のひとつでも言いたかったがここは仕事なのでぐっと我慢して、軽く挨拶を済ませ依頼のものを渡し代金を受け取る。最後に依頼完了のサインを貰う作業にも、もう小慣れたものだ。


「……確かに。それはそうとお前さん、随分と汗びっしょりじゃないか」


「そ、そうですね……」


「そのままでは臭くていかんわ」


「は、はあ……」


(俺だって好きで汗かいてんじゃないわっ)


 俺の身なりを見て文句を言いながらおばあさんは家の奥に戻ると、少ししてから紙切れのようなものを持ってまた玄関まで出てきた。よく見ると、それは全体が茶色く変色しているとても古びた地図のようだった。相当昔のものらしく、書いてある言葉や地形も今とは大きく異なっているのが窺える。


「ワタシの家はここで、この道をこう行くと滝がある。そこへ行って洗ってきんしゃい」


「ど、どうも」


 そういうとおばあさんは俺に地図を押しつけ、「またよろしく」とだけ残し荷物を担いで奥に引っ込んでしまった。


「何だったんだよ……」


 一人玄関に取り残された俺は、再び灼熱の風に煽られる。

 このまますぐにでも帰りたいところだが、山一つ登ってきた足は一刻も早く休みたいと悲鳴を上げているし、今登ってきた道のりを今すぐ引き返そうという気分にもなれない。ここは大人しくおばあさんの言った通り滝に行って休んだ方が賢明だろう。


「仕方ない……行くか」



 貰った地図を頼りにさらに少し山を登り道端の茂みにある山道を下っていくと、うす暗い森の中に光の射す開けた空間があり轟音を立てている滝が姿を現した。

 巨大で大迫力な、とまでは言えないもののそこそこの水量と落差があってドボドボと大きな音を立てて流れ落ちている。滝壺は深くえぐられて暗くなっており、大人四、五人なら楽に入ってしまうくらいはあるだろう。周囲は水しぶきのおかげかひんやりと涼しく、空間には水の落ちる音だけが満ちていてここだけ外界と切り離されているようだ。


「ここかぁ。まあまあいい感じじゃない?」


 とにかく汗で濡れた気持ちの悪いシャツを早く脱ぎたかったので、使えるかどうかの確認の為近くの水たまりに手を入れた途端、キンと冷えた水が手に刺さり反射的に水中から引っこ抜く。


「うおっ、冷てえっ!」


 手を引き抜いてもまだ水の冷たさが残っていて、しもやけに似たような痛痒さを感じる。ここの水は冷蔵庫に入ってる飲み物ぐらいしっかり冷えていそうだ。


 辺りをもう一度よく見渡して他に誰もいないことを確認してから汗だくのシャツを脱ぎ、水たまりでじゃぶじゃぶと洗いきつく絞ってから傍の木にかけて干す。それから水たまりに顔を付けて洗い、手で水をすくって上半身の汗を流す。


「ふぁぁぁ……きっもちいいぃ……」


 火照った身体に水の冷たさがよく効いて心地よく、いっそのことこのままダイブしてもいい気分にもなるが、その後のことや一応ここは公共の場と言うことを考えて渋々諦めるしかなかった。



――……。



 しばらく岩に腰かけて足を水につけて涼んでいると、辺りは徐々に夕日に染まり始めカラスの鳴き声が空間に響く。上半身裸なうえに少し長くつけすぎたのか、足元から寒気が襲ってきて背筋が震える。


「うぅっ、少しつけすぎたな。そろそろシャツも乾いた頃だろうし帰るか」


 最後にもう一度顔を洗って岩から立ち上がり、すぐ傍の木に干してある期待していたほど乾いていなかったシャツに嫌々袖を通してから、貰った地図を見て帰り道を確認する。地図を広げて現在地点を探していると、


「ん? これなんだ?」


 地図上の滝の横にある森の上に、赤いバツ印が小さく書かれている事に気がついた。さっきまでは全然気が付かなかったので、危うくスルーするところだった。


「海賊のお宝……なわけないし、誰かの埋蔵金?」


 日が全部落ちるまでにはまだ時間があったので、どうせただのいたずらだろう思い暇つぶしにと興味本位で行ってみることにした。この地図が正しければ、そう遠くない場所にあるみたいだ。



 滝の脇に小道があり、密集して生えている草木をかき分けて進むと少し開けた空き地のような場所に出てきた。

 目の前の視界を遮るものはなく、そこから見える夕焼けの景色はそこそこドラマティックな演出に使われていそうな感じで、目下には俺の住む街の建物も見える。空き地の先は高い崖になっているが防護の柵は見当たらなく、夜ここに来たらかなり危険である。崖近くの地面はもろく崩れそうであまり先端には近づかない方がいいだろう。


「へぇ……こんなとこに繋がってるのか」


 しかし、景色がいい以外特に目立ったものは見つからない。前は崖、後ろはうっそうとした雑木林、左右にも草木が生えている程度でお宝の目印になるようなものも無い。元より、この広場は何のためにあるのかすら疑問だし地図の赤い印の正確性も怪しいところ。


「やっぱりガセか……」


 期待してたのにつまらないと思い諦めて引き返そうと振り返ったっとき、雑木林の木々の根元に少し土が盛られている所があり、その中に小さな四角い人工物が頭を覗かせているのに気が付いた。気になって傍によるとそれは石を削って作られた小さな祠のようで、コケや土などによってその半分が埋もれた状態で倒れていた。


「何だこれ? お墓か?」


 しかし納骨するための扉はなく、本体に名前が彫られているわけでもない、とても簡単な彫刻が施されているだけの質素なものである。特に何の変哲もないのでこのまま放っておいてもよかったのだが、何故だかその祠が妙に気になってしまい、掘り起こして手に持ちじっと見つめてしまう。


「……おまえ、こんなところにひとりぼっちなのか?」


 コケと土まみれでどことなく寂しげに思えた祠に我慢できず、「しょうがねぇなぁ」とつぶやきながら周りに着いた土やコケを払い落とし、元あったであろう場所に立ててみる。土を払っている際に後ろに何か紙切れのようなものが張ってあったが、半分以上が破けていて読めなかったのと手入れに邪魔だったので剥がして取り払っておいた。


「……よし。これでいいだろう」


 さっきよりは見た目が立派になった祠を見て、少しだけ安心した気分になる。


「さて、そろそろ帰るか。暗くなってきちまった」


 手入れに集中しすぎたせいで、辺りはいつのまにかすっかり暗くなってしまっていた。しかしこちらの手元にはライト1つ持っていないため、これ以上ここに居ると真っ暗な森をさまよう羽目になる。腹もかなり減ってきたし、それだけは何としても御免だった。


「じゃあな」


 ぱんぱんっと二度手を叩き一礼をした後、もし今度またここに来るようなら、花のひとつでも摘んできてやろうと考えながらもと来た道をたどって戻る。


 雅稀の去った後の祠の正面には、夏の夜空と夕焼けが綺麗なグラデーションになり重なり合って映っていた――――。



……。


……。


……。


(……やっと。やっと会えた……)



――……。



「これ、ありがとうございました」


 帰り際、昼間来たおばあさんの家の前を通るついでに貰った地図を返しに行くと、


「おお、アンタか。ちっとは涼しめたかい?」


 地図を受けとりつつ、さっきとは別人のように陽気な声で問われる。どうやら買ってきたものはお気に召しているようで、早速何枚か着ていらっしゃる。お世辞にも俺の服選びのセンスはいいとは言えなかったが、見た感じはそこまで変な様子はなかったので選んだものがお気に召してよかったと、内心でほっと一安心した。


「そこそこ良かったです。ありがとうございました」


「そうかそうか」


 笑顔のおばあさんに一言お礼を言ってその場を後にした。

 


――……。



 自宅に着くと体の内から疲れがどっと押し寄せ、とても遅くまで起きていられる状態ではなかったので、早々に風呂に入って寝る準備をする。

 帰り際に事務所に寄って仕事の報告をしてきたのだが、結局のところ収入は思ったほどよくなく万事屋のクソおやじの巧みな策略により臨時ボーナスもなし。文字通り、身を粉にしてやったってのに割に合わない仕事だった。その分バイト自体は固定シフトで入っているわけじゃないので、休みは多く自由な時間は多く作れるのが利点なのだが。


「はぁ~疲れた。まったく、今日は散々だったなぁ……」


 ベッドに横になると途端に睡魔が襲ってきて、本格的に眠くなってくる。


「もう寝よう。明日は休みだ……」


 開け放った窓から熱を帯びた風が吹き込む――――。







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