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残暑

 太陽と夕日が交じり合い橙色に染まる人や建物に、まだじりじりとした暑さを差し伸べている九月の中旬。現在時刻は午後五時十三分。

何の変哲もない、ありふれた木造二階建ての一軒家に、一組の男女が橙に反射した顔を並べながら入っていく。

この家は女の実家であり、表札には女の苗字が書いてあった。

玄関に入り女は、


「ただいまー。って、誰もいないんだった」


 と言った。

男女はカップルであり、お互い同じ大学に通う学生であり、2人とも実家通いだった。

女は肩より少し短いボブヘアーに二重の瞳がくりんとして、ふんわりとしたチュニックにショートパンツ姿の可愛らしい一般的な女性だった。

男もまた一般的な、さわやかさを感じさせる短髪をアッシュ気味の茶色に染めて、ワックスで遊ばせており、体型はすらりとして清潔なYシャツにだぼっとしたパンツ姿の男性だった。

男は初めてこの女の家に入った。先ほど女のほうから「今日家に誰もいないみたいなんだけど、家で遊ぶ?」と誘われたので来てみたのだった。

家の中は、よくある構造となっており、玄関から垂直に伸びる廊下は一階の各部屋の扉と繋がっていて、すぐそばには二階へと続く階段が設置されている。

女は靴を脱ぐと男を二階へと導く。


「上に私の部屋があるの」


 そう言って男の手をちょこんと握って、こっち、こっち、と招く。

言われるまま、靴を脱ぎ女の後ろをついて階段を真ん中あたりまで上った時、ガサガサッ、という音が一階のほうから聞こえた気がした。


「なあ、今下で何か音がしなかったか?」


 と男は聞いたが、


「え? 聞こえなかったなぁ。誰もいないはずだから、何か荷物が落ちちゃったのかな」


 と言ってそのまま女は自室に着いたので男を部屋に入れた。

女の自室も一般的で、白を基調とした可愛らしい部屋で、ところどころ遊園地などで買ったようなぬいぐるみがディスプレイされていた。


「けっこう良い部屋じゃん」


 と男が言うと、女は照れながらふふ、と笑った。


「お茶でもいいかな?」


 座って、と女が言うと、男は部屋の真ん中あたりにある白くて丸いローテーブルの前に座った。

女の部屋には小さな冷蔵庫が置かれており、その中にあったお茶を、座布団無くてごめんねと謝りながら、女がお気に入りだという可愛らしい猫のイラストが描かれているグラスに注いだ。

2人してお茶を飲んで、一服。その後男が、


「そういえば、今日夜から雨降るとか言ってなかったっけ」


 と言った。


「そうだっけ? テレビ点けてみよっか」


 と言い、正面にあるテレビの電源を、テーブルの上にあったリモコンで点ける。

テレビ番組はちょうど天気予報を映していた。


『残暑厳しい季節ですが、この暑さはまだまだ続くようです』


 天気予報士の女性がグラフなどを使って説明しはじめる。


『しかし、今日の夜からは天気が崩れ~』

「あ、天気崩れちゃうんだ」

「まじか」


 二人は今夜の天気に一憂した。

しばらくテレビをぼんやり見つめていた二人だったが、おもむろに女が呟いた。


「残暑、って言葉あるじゃん」

「ん? あぁ。あるな」

「子供のころ、残暑って言葉を聞いた時、暑さってものは一年間の中で容量が決まっていて、暑さの残りが少なくなったら秋になって、残りがなくなったら、冬になるんだと思ってたの」


 はぁ、というため息にも似た相槌を男は打つ。


「例えばね、ペットボトルの中の水量だけ暑さがあって、空になったら冬になる。そんな感じ」


 ふわっと笑いながら、女は男と視線を絡ませる。

男には話の内容はあまり入っていなかった。


「ね。あいしてる? 私のこと……」


 いきなりの質問に、思わずえ?と返してしまう男。

不意の質問に軽く驚いただけだったのだが、女にはそんな仕草がわずかの焦りに感じられた。


「聞いてみたくなったの」

「いきなりなんだよ」


 女はややこしい。唐突に良くわからない話をしだす。そう男は時々思っていた。


「ね。私への愛、空っぽ? 残ってない?」

「今の残暑のくだりから、なんでその流れになるんだよ」


 女心がそうさせるのか、女だけがこうなのか。


「だからーっ。わたしへの愛情という名のペットボトルには、あなたの愛という名の水は残ってるの? って聞いてるの! ザンアイはどのくらいなのかってこと!」


 ザンアイってなんだよ、と男は思ったが、何も言わないことにした。

女は良く変な言葉を作るから、それをいちいち気にしてはいられないと思っていた。


「はいはい。残ってるって」

「なによーその言い方はっ。私は真剣に言ってるんだよ?」


 女は軽く頬を膨らます。


「ごめんごめん」


 男は軽く謝った。


「で。どのくらい残ってるのよ」

「うーん……」


 男は二種類の返答を考えた。一つは女が喜ぶ回答。一つは女がもっと頬を膨らませる回答。


「梅雨くらい」

「それってどういうこと?」

「ペットボトルには入りきらないくらい愛してるってこと」


 男は前者を選んだ。理由はこの後の行為を円滑に進めるためだった。

男の思惑通り、女は目に見えて表情をぱあっと変え、目をきゅっと閉じて、


「ありがと。わたしもあいしてるよっ」


 と返答した。

それを見て男は気取られないように少しほっとする。


「まったく、不安がりだな」


 と、世話役のような口ぶりで女をたしなめた。


「ごめん。何だか急に不安になっちゃったの」

「しょうがないやつ」


 男と女は目と目を紡ぎあい、男が女の髪を優しくなでる。

女はこの穏やかな時間が好きだった。

そしてどちらからともなく、顔を近づけあい、キスをする。


「今日、中に出していいよ」

「安全日?」


 口づけがどちらからともなく激しくなる。


「それもあるけど、アフピル手に入れたの」


 舌を絡ませながら、女は言う。


「どうしたの、優しいじゃん」


 唇を一旦離し、


「だって、愛してるって言ってくれたんだもん」


 と言って、また女の方から唇を求めた。

その後はなだれ込むように体を重ね、ベッドの中へ暗転した……。


(冷めないうちに、全部出して。そうすれば、空っぽにならない。ずっと残り続けるから……)



 まだ少しだけ夕焼けの色が部屋を明るくしている時刻。

裸で抱き合いながら、二人は目を閉じて会話している。


「そういえばお前、妹いたよな」

「あ、うん。でも今日は友達が妹の誕生パーティしてくれるらしくて、出て行ったよ」

「今日誕生日なのか?」

「ううん。誕生日自体は昨日。昨日は私とお兄ちゃんとでお祝いしたの」

「兄もいるのか」

「うん。歳がすっごく離れてるんだけどね」

「へー」


 ちょっと適当な返しすぎたかと男は勘繰ったが、女は特に気にせず、話を変えた。


「シャワー浴びる?」

「あぁ、借りていいか?」

「いいよ。そうだ、ごはん食べてく?」

「いや、ごめん。今日はサークルの飲み会があるんだ」

「そっか。ざんねん」

「また今度作ってくれる?」

「喜んで」


 そうやりとりしながら、男は部屋の壁掛け時計で時刻を確認した。


「うわっ。時間けっこうヤバイかも」

「えっ、ほんと? どうしよう」

「シャワー浴びる時間無さそう」

「そんなに?」

「ごめん、行くわ」

「そっか。じゃあ、送るね」


 男は慌てながら急いで服を着替える。

女は慌てる必要はないのだが、同じように急いで服を着た。

バタバタと階段を下りて、玄関に到着する。

男は靴を履いて、女の方を向いてそっと近づき、顔を寄せて、軽くキスをした。

ふいのキスだったので、女はとてもにこやかな、幸せそうな笑みを浮かべ男に優しく抱きついた。


「バイバイ。気をつけて。あ、天気崩れるらしいから、傘持っていく?」


 と、玄関の脇にある傘たての中のビニール傘を差し出す。


「ありがとう。でも、雨降ってからコンビニで買うことにするよ」

「そっか」


 もう一度ありがとうと言ってから、女の頭をぽんぽんとなでる。

ふふっと笑って、じゃあね、と手を振る仕草をした。

玄関のドアを開け、家を出る。

男は女の見送りを一瞥して前を向き直すと携帯電話を取り出した。

女も男が前を向くと同時に玄関の扉を閉めて携帯電話を取り出す。

男は鼻歌交じりでメールを確認する。

女はため息交じりでアドレス帳を確認した。



 女は知らなかった。

男が言った「サークルの飲み会」とは、実際には「サークルで知り合った女の子と二人きりでの飲み会」だという事を。


 男は知らなかった。

女の携帯電話のアドレス帳には、男の名前欄に「火曜日くん」と記載されている事を。


 二人の愛が残っている事を。



 そして。二人は知らなかった。

この女の家の中にある、男が気づくことは無い二つの死体が、今一つ増えたという事を……。

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