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救世主(メシア)

作者: 大谷津竜介

挿絵(By みてみん)

 宇宙が消滅するまで、十秒を切った。


 隆は、慎重に狙いを定めた。手のひらに緊張が走り、大きく上下する喉を冷たい汗がひとすじ、滑り落ちる。二の腕の筋がひくつく。

 嫌がる筋肉を叱咤し、隆は腕を向こうへと放り出し、伸びきった頃合いを見切って手首を返した。最後に指先に一生分の注意をはらって、それを送り出した。


 祈る。

 そして、それを凝視した。


 あと四秒。

 放たれたものは、狙い通りのコースで弧を描く。


 三、それは中空でくるりと半回転して、隆が設定した軸線からわずかに揺らいだ。隆の瞳孔が開く。


 二、すんでのところでしがみつくようにして縁を捉える。


 ……ゴール。宇宙は救われた。


(俺は今日も、この宇宙を守った)


 隆は、安アパートには不似合いに立派だが、所詮本革ではなく合皮を張った椅子の中にへたり込むと、大きく息をついた。


「なわけねえな」


 小さく声に出して確認するのも、いつものことだ。大きな声で言わないのは、大きな声では言えないようなことだからである。

 座ったまま半身を伸ばせば届くほどのところに置いたゴミ箱の中で、隆が鼻をかんだばかりのティッシュが、使命を果たした満足感いっぱいに転がっている。


(五分以内に結奈が来なかったら宇宙消滅)


 今度こそ机に向かってレポートを書くはずが、間髪を入れずに次のお題を自分に課してしまっていた。


 一分もしないうちに、掃き出しの窓が、いつものようにノックされた。

 隆の部屋は一階にあり、窓から直接、アパートの駐車場に出られた。そのおかげで、表通りから直接部屋へ入ってこられる。


 隆は、パソコンに向ったまま下半身をひねって片足を横に伸ばすと、器用に足の指で窓の鍵を開けた。

「今日の朝飯は何……」

 窓の外に立っていたのは、恋人の結奈ではなかった。


 見ただけで暑さが増幅されるような、冬物のスーツをきちんと着込んだ小太りの中年男が、けたたましいセミの鳴き声を背負って立っていた。


「どなたですか」


 隆は席を立つと、男の前に立ちふさがった。

 男は答えず、ただうっすらと笑みを浮かべ、両手を身体の前に組んで立っている。


「見ての通りのボロアパートですから、住んでいる俺ももちろん貧乏人です。何も買えませんよ」

「セールスではありません」


 男が口を開いた。思いの外高く、若々しい声だった。目尻に、人なつこそうな笑い皺が浮かんだ。

 隆は、男が炎天下にこの格好で汗ひとつかいていないのに気づいた。その顔は、白いのを通り越して青いが、具合が悪い、というのではなさそうだった。


「俺って無宗教で」

「違います。宗教の勧誘に来たのでもありません」


 隆が、じゃあ何でと言いかけた時、男の身体越しに、結奈が現れたのが見えた。逆光の中に、ひょろりとした真っ黒いシルエットが揺れている。そこから伸びた両手に、コンビニエンスストアのビニール袋をぶら下げて、小さく左右に揺れながら近づいてくる。


 人が来たから帰ってくれと言いかけた時、男が言った。


「もうすぐ結奈さんが現れますね、お話はそれから」

「何でそれを……。結奈の名前まで。あんた誰だよ」

 無言で笑顔を向ける男の後ろから、結奈が顔を出した。

「隆、おはよう。お客さん?」


        *


「あなたは先ほど、見事にアンドロメダを救って下さった」


 男はグレイと名乗った。宇宙人としては最もポピュラーな呼び名である。本来、自分たちに名はないが、不便を感じるならそう呼んでくれと。


 隆は机の前の椅子に座り、結奈はその横で、怪訝な顔で机の縁に尻を乗せている。ふたりが見下ろすローテーブルの前には、笑みを浮かべ続ける中年男が、かしこまって正座していた。


「どういうこと?」

 結奈が隆をつつく。部屋へ上げた時は、駐車場側からやって来るくらいだから、親戚のおじさんかなにかかと思っていたらしい結奈も、さすがにおかしいと思い始めているようだった。


「誰にでもあるだろ、普段の生活の中でさ、自分だけの意味のない、小さなゲン担ぎみたいなものが。俺はそれに、宇宙とか地球の運命を賭けていただけだよ。もちろん、冗談で、信じているわけじゃない。でも、なんでその内容をこの人が知っているのかが分からないんだよ」


 正座している男が、満面の笑みでふたりを振り仰いだ。

「わたしは、宇宙人ですから」


 結奈が立ち上がった。


「ちょっと、いい年して子供以下の嘘ついて、いったい何が狙いなの?」

「そちらの方、隆さんに、この宇宙を救っていただきたいのですよ」


 男が言うには、自分は数千の文明星が加盟している銀河連邦から派遣された全権特使であり、隆の妄想は妄想ではなく、これまでに行われた賭けは、すべて現実に成立しているという。そして、現在未曾有の消滅危機に直面している、銀河系を救ってもらえないかとやって来たのだと話した。


 もちろん、隆も結奈もそんな与太話は信じない。ふたりの間には、いかにして、この頭のおかしい男を穏便に帰すか、ということに全力を注ぐということが、アイコンタクトで了解されていた。


「でも、ひとつ聞きたいんですけど」

「ちょっとお」

 結奈が隆の二の腕をつねった。

「今までに、けっこう失敗もしていると思うんだけど」

 男が得たりと頷く。


「もちろん、全て成功というわけにはまいりますまい」

「つまり?」

「当然、消滅しました。失敗した分の星や銀河は全て。あなたも時々ニュースで見ませんか? 銀河の衝突とか、ブラックホール発見とか超新星発見などなど。あれ、全部そうなんですから。観測されているデータなどは、確かに数億年も前のものもありますけど、原因はあなたなんですよ。さて、そろそろ参りましょう。こうして話ばかりしていても、何にもならない。よろしければ、そちらのお嬢さんもどうぞ」


 結奈がまだ何か言いかけた時、突然、部屋が暗転した。

 隆が、思わず表に目をやると、外も真っ暗だった。窓から首を出すと、空一面を、やたらとオーソドックスなスタイルの空飛ぶ円盤が、隆のアパートの上空に静止している。円盤は、直径が二キロはありそうに見えた。

 暗くなったのは、あたり一帯が円盤の影に入ったからだ。


 隆も結奈もその場で目を見開いたまま固まって動かなくなった。自分たちが何を見ているのか、理解していない、というより、認識しているが認めたくないという思いだった。


「あ、ご心配なく。円盤は我々にしか見えませんから。さ、さ、さ」


 グレイと名乗る、本物らしい宇宙人は、慇懃にふたりを誘った。円盤の中心部が、ちょうど駐車場の真上にあり、グレイに誘導されるままに掃き出し窓から表へ出たふたりの頭上で、円盤の底がするすると真っ暗な口を開けた。


        *


「ふたり一緒なら、おおくま座のM51銀河が消滅せずにすむ。というわけでしてね。……我々の星がある銀河ですが」


 グレイは、空飛ぶ円盤のなかの広い部屋へ入ると、暑苦しい冬服を脱ぎすて、ついでに人間に似せた擬態も解いていた。

 そして、テレビの超常現象の番組で、アメリカあたりの目撃者が描く下手くそなスケッチそっくりの、異様に大きな頭の中に更にバランスが悪いほど大きな黒目だけの目を向け、隆と結奈に相対していた。


「だけど、何で俺の中だけの妄想みたいなもので実際の宇宙に影響が出るんだよ」


 隆は、状況の不可解さを怪しむよりも、自分の妄想がグレイなどに知られていたことの方に憤っていた。

 不意に結奈が、無言で隆の傍らを離れ、壁伝いに遠ざかっていった。


「それが分かれば、私たちだって苦労はしないんですよ。こんな真似だってしなくて済みますしね」


 結奈は、理解しているのかいないのか、円盤の中を好き勝手に見て歩いていて、ほかのグレイたちへ話しかけたりしている。異常なほどの順応性の高さだった。

 部屋は体育館ほどの広さがあり、壁際には窓に似せたモニターのようなものに宇宙空間が映し出され、その一つには地球も浮いている。


「何をやらせたいんだよ、俺に」

「できれば何もして欲しくはないんですが、そうもいかない。なので見張ってます。一生ね」

「ここに監禁するつもりかよ」


 グレイは、隆が立ち上がりかけるのを手で制すると、表情のない顔で微笑んだ。


「そんな、とんでもない。あなたがたには行動の自由は最大限に差し上げますよ。ただ、帰る所はない、というだけで」

「それを監禁って言うんだ」

「私らも、何の前触れもなく消滅したくはありませんからね。こりゃ自己防衛です」


「隆!」

 結奈が窓=モニターの前で叫びながら、隆を振り返った。

「地球が無い!」

 グレイを突き飛ばすようにして、隆は結奈の立つ窓へ走った。駆け寄るまでもなく、たった今まで窓の中で輝いていた青い星のあった場所には、漆黒の宇宙が見えるばかりだった。


「おい! 何をしたんだ、いったい!」

 辺りに散らばって立っている他のグレイたちも、隆と結奈を見つめているようだった。

「だってねえ、あなたさっき、この円盤に乗るときに、右足から踏み込んだでしょう。そりゃ、仕方がないでしょう。右足じゃあねえ……」

 グレイは同意を求めるように、他のグレイを見回した。彼らも同じ意見らしく、黙ったまま佇んでいる。


        *


 地球は、ブラックホールに飲み込まれた。

 モニターでコンピューターグラフィックスのようなものを見せられただけとも考えられたが、隆たちには確かめようがない。


「消滅、したのか」


 グレイが、最前からと変わらずに、殴りたくなるような笑みを湛えながら、かぶりを振った。


「ブラックホールの中じゃ、時間の経ちかたが違いますからね。しばらくは大丈夫でしょうが」

「助ける方法は」

 どう考えても、このグレイの思惑に乗せられていると思ったが、それくらいしか言うことはなかった。


「なくはないですよ」

「教えろ。いや、教えてください」

 グレイが、舌なめずりをしそうな顔で笑った。舌は、喋るのだからあるのだろうと、目の前のグレイを見ながら、隆はそんなことを考えていた。


「千回連続」

「え」

「千回連続で宇宙を救って下さいよ、あっちこっちのね。そうすれば、地球は、うまいことブラックホールの内側を滑って、反対側へ抜けるんじゃないですか」

「反対って、どこへ」

 グレイは肩をすくめた。いちいち仕草が人間くさいのが、隆の気に障った。


「そんなことは分かりませんよ。でも、やらなければ、いずれ本当に地球は消滅しますがね。どうします?」

「どうしますって、こういう話をしてしまったら、その瞬間からそういう方向へ転がり出すのが、この妄想というか賭けというかジンクスというか、何でもいいけど、これの特性だろう。聞くまでもないよ」


 その時、隆は結奈の姿がないことに気づいた。


「またどこかへ行っちゃったのか。危機感のないやつだな」

「行っちゃったというか、跳んじゃったというかね」

「何だって?」


 グレイが隆に背を向けて伸びをした。


「あなたさっき、私の話に集中しきらなかった時があったでしょう」

「まさか」

「その通り。ブラックホールに跳んでいきましたよ。言っときますけど、私のせいじゃありませんからね」


        *


 それから、どれほどの時間が過ぎたのか、隆には分からなくなっていた。地球と同じ単位で時を計るものが、この円盤の中には全く無い。


 その間、彼は頭に浮かぶお題を、次々とクリアしていった。

 ある時には、円盤で一番広いホールに入って、そこにいるグレイが偶数ならセーフと勝手に賭け、眠りから覚めたときに右向きならアウトと思いこみ、部屋から部屋への出入りは、必ず左足から踏み出し、鼻は右からほじる。


 一日の最後——地球時間が分からなくなっているので、適当だったが——に口にするのは、必ず「地球と結奈と家族と友達と、その他地球上の諸々が無事でありますように」であることに決めつけて厳守し、一日に一回、必ず、どいつでも構わないので、グレイを殴る。


 数日後には、何回連続で成功したのか、すでに分からなくなっていた。

 それを思い出そうとすることもNGだった。


        *


 グレイが、隆に向かって円盤内の通路を歩いてくる。彼らには一様に、およそ表情というものが無いのだが、隆には何故か、機嫌が良さそうだということが分かった。


「もうすぐ成就ですな」


 そう言ったグレイに、隆はだるそうに通路の壁に寄りかかったまま答える。

「知らなかったよ。数えてなんていなかったんでさ」

「それもお題のひとつですな。お題の数を数えてもいけない、と。存じてますとも」


 隆が寄りかかる反対側の壁には、モニターが等間隔に並んでいた。ひとつが両手を広げたほどの大きさである。どれを覗いても、目に映るのは、小さな星ばかりで、地球は気配も無い。


「どれくらいの時間が経ったんだ」

「かつての地球時間で八ヶ月半ほどですな」

「へえ。二、三年に感じてたな」


 その時、突然、グレイの顔が歪んだ。表情ではない。文字通り、顔の形が雑巾でも絞るようにねじられた。よろけて尻餅をつく。ねじれが、ぶるんと反対に振れた。


「ど、どうしたんだ」


 グレイは、這いつくばって、起き上がろうとするのが精一杯で、隆の問いに答える余裕を無くしていた。

 隆が、手を貸そうと、身体を伸ばしかけたとき、今度は、通路全体が軋んで、大きく波打った。隆も通路の反対側へ放り出されて転げた。


 円盤中のあちこちで、十数人のグレイ達が、跳ね上げられたり、叩きつけられたりと翻弄されていた。

 隆と結奈のことをここまで連れてきたグレイが叫んだ。


「まずい! 奴の力がここまで及んできた」


 隆が叫び返す。

「奴って、誰だよ!」


 グレイが、起き上がるのを諦め、転がりながら答えた。

「あなたは、あなたのような人が、自分一人だけだとでも思ってたんですか。あなただけが特別って訳じゃないんですからね。思い上がらないでくださいよ」


 隆は、後頭部を壁にしたたか打ち付けた。

「他にもいるのか」

「当然でしょう」

 グレイは答えながら、隆達が最初に地球の消滅を見せられた窓のあるメインホールへと転がっていく。


「なんで今まで黙ってたんだ」

 隆が、遠ざかるグレイへ叫んだ。


(そういうルールだからですよ)

 いきなり、隆の頭の中へグレイの声が響いた。音声での意思伝達を諦めて、テレパシーに切り替えたのだった。


「くそっ、これもお題ってことか」

(そういうことですね。あなた、千回連続成功が全体のお題になってから、何かしくじりませんでしたか)


 言われた隆には、心当たりがあった。今日、起きた時、身体を起こすのに、右手でなく、左手を寝床についてしまっていた。


(それですな。その時、全く同時に、宇宙のどこかにいる、もう一人の奴が、何か大きなことを成功させたんでしょう。それで、この有様に)

 隆も、うねる通路を腹ばいでメインホールへ進みながら、叫んだ。隆にテレパシーは使えない。受けるだけである。


「どうしたらいいんだ。何か方法は」

(あなたのお題のハードルを上げましょう。もう遅いかもしれないですが、これくらいしか手は無いと思いますよ)

「じゃあ、そうだ、メインホールまで息継ぎ無しで辿り着く」

(ついでに数学の問題を四つ出しますから、つく前に解いてくださいね。あと三点倒立で後ろ向きに来てください)

「滅茶苦茶じゃないか」

(もう猶予がないんですよ。ブラックホールの中の、地球や結奈さんは、そろそろリミット近くです。反対側がどこかなんて考えるまえに、消滅してしまいますよ)

「わかったよ。やればいいんだろう。真面目に考えると馬鹿馬鹿しいけどな。こいつを引き起こしてる、もう一人っていうのは、何を成功させたんだ」


(いま情報が入ってきましたけど、昨日一日、左手と右足を一切つかわずに過ごしたらしいですね)

「そんなことで宇宙が滅ぶのかよ」

(はい、問題と逆立ちに集中してください。あなただって人のことは言えないんですよ。同じように下らないことで奪ってきた命の数は、知的生命体だけに限っても、兆のケタを超えてるんですからね)


 隆には、すでにグレイの声は聞こえなかった。正気では絶対に馬鹿らしくてできないことを、これ以上なく真剣に行っていた。

 関数を三つ解いた。メインホールまでは、既に倒れ込めば足が届きそうなところまで来ていたが、律儀に倒立のまま、じりじりと進んだ。息をしていないので、脳が酸欠になり、問題を解く能力を著しく低下させているが、必死に手がかりを捜していた。

 ついに円盤そのものがねじれだした。辺りには、他のグレイの姿は無い。


「解けた!」

 四つ目の問題を解き、隆はメインホールの中へ崩れるように辿り着いた。


(おめでとうございます)

 隆が顔を上げると、目の前に、これまでに見たこともない嬉しそうな顔、をしているように見えるグレイが立っていた。


「勝ったんだな」

(はい、円盤のねじれも、宇宙の崩壊も、ブラックホールの収縮も止まりましたよ。それで、どれにします?)


 隆は慎重に、両手を同時に着くようにして起き上がった。


「どれって?」

(もちろん、あれですよ)


 グレイが大げさに広げて見せた両手につられて、左右を見渡すと、壁面に無数のモニターが現れた。


 その全てに、地球と結奈が交互に映し出されていた。


   (完)

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