第四話
……カラン
これでいい…。
これでいいんだ……。
ジャックはそうなんども自分に言い聞かせた。
『親が決めた相手なんだけどね…』
そう言った君は嬉しそうでも、悲しそうでもなかった……。
まるで魂のぬけたただの"ローズ"という脱け殻のようだった。
『婚約がいやで家をとびだしてきて、ここで働いて、今まで一切連絡もとらなかったんだけど…父がね、危篤状態なんだって』
それで、と彼女はいつもの光輝く目とは違う冷たい目で話を進めた。
『父は…あたしに最後の願いとして結婚して家を継いでほしいって。父は軍人、母は貴族出だから家っていうのがほんとに大切なんだって…初めて父の涙を見たわ』
……カラン
しょうがないさ…。
死にそうな親の願いを無視できるほど彼女は冷たくはなれないのだから。
『ほら、今まで親不孝ばっかりしてきたからさ、最後の願いくらいは…ねっ』
そして、浮かんできた君の最後の言葉と一緒にバーボンをいっきに飲み干した。
『だから、今日でおわかれなんだ』
明日か……。
『なんでまた、そんな急なんだ??』
『前からずっと言われてたんだけど、やっとこないだ決心ができたから』
こないだ……?
こないだって‥‥もしかして、俺を食事に誘った日か??
あのさびしそうな顔が脳裏に蘇る……鮮明に。
僕は彼女の最初で最後の賭けに負けてしまったんだ……。
なんで、こんなに胸が痛いんだろう?
なんで、心がこんな物足りなさを感じて叫ぶんだろう?
今までと同じ……彼女がこの店を出ていって、
俺がここでのこって酒を飲む。
いつもの、恋人との別れと同じ……。
だけど……いつもと違う。 俺とローズは、恋人どうしじゃない。
まだ、始まってもなかったんだ‥‥。
「お客さん‥‥お客さん!!」
ジャックは誰かに揺さ振られ目を覚ました。
「ぅ…ん……?」
どうやらそのまま店のカウンターで眠ってしまったらしかった。
「もう閉店時刻とっくにすぎてますよ、ジャックさん。今日はローズがいなくなる日だろう??いってやんなくていいのかぃ?」
店長はジャックに言った。
その言葉で寝起きと二日酔いでぼんやりしていた頭がはっきりとした。
そうだ……今日なんだ。
しかし、ジャックは行こうとはしなかった。
「俺、もう言ってやることないから……」
「何言ってるんですか。ローズはあなたに逢いたがってますよ」
にこりと笑うと店長はピンクの細長いものを取り出した。
それは、あの林檎に結び付けたリボンだった……。
ジャックがローズに渡した最初で最後のプレゼントの……。
「大切そうにしまってましたよ。高級な指輪なんかを入れておく宝石箱の一番上に」
そして、店長はドアを指していった。
「いってあげなさい、ローズのために」
ジャックはそのピンクのリボンをもって店から走り出ていった。
ローズの元へ。
寒い日だった。
外にでると雪がちらちらと舞っていた。
ジャックは腕につけた時計を見た。
時計の針は九時三十分すぎを指していた。
汽車がでるのは午前十時だ。
ジャックは走った。
顔に冷たい雪があたるのも気にせずにひたすら走った。
気持ちは消せないといったあなたが自分の気持ちを殺して去ってしまうというのか。
俺をこのまま、惨めな男なまま置いていってしまうのか。
やっと駅についた。
汽車が出ようと汽笛をならす。
「ローズ‥‥!!」
ジャックは出来る限りの大声で叫んだ。
「ジャック?!」
窓からローズが身をのりだしている。
「来てくれたんだ……」
とつぶやくローズにジャックは言った。
「行くな」
「えっ?」
「行かないでくれ、ローズ」
ローズは驚き、嬉しそうに頷きかけて、やめた。
「……ごめんなさい。私…あなたに引き止めてもらって嬉しい。‥‥けど、両親をこのままになんてあたしにはできない……ゴメンね」
ジャックは手にもったリボンを手渡した。
「解ってた……君はそんなことできないって。だから‥‥待ってる。あのバーで何年でも、何十年でもいつまでも待ってるから」 その時は、とジャックはローズの瞳をみて続ける。
「こんな林檎なんかよりも光る指輪をプレゼントするよ」
その言葉をきいたローズはクスリと笑うとこう言った。
「いいえ、あたしにぴったりなこんな林檎がいいわ」
汽車が動き出した。
「絶対戻ってくるから」
去りゆく汽車から手をふるローズの顔には涙と……いつもの笑顔があった。
―――そして、汽車は雪の中に消えていった。