皇国建国史
長い通路を歩き続ける皇帝と新教皇と部下達。
通路の各所は発掘現場か工事現場のような有り様で、油と泥と汗で顔を黒く汚した職人達が走り回っている。
警備も厳重らしく、そこかしこに銃を構えた兵達もいる。
最上級の敬礼や祈りの所作を横目に、皇帝の話は続いた。
――フォルノーヴォ王たる祖父が発掘した地下空間は極めて広大だった。
主にロムルス地下に広がっていたのだが、通路はさらに遠方まで伸びていた。
その中の一つがパラティーノまで続いていたのだ。
無論それは土砂に埋まっていたのだが、魔王伝説を追う祖父によって発見された。
国を放り出してまで調査を続け、既に土に埋まった地下空洞を掘り返した結果、伝説にある新天地が確認された。
王侯貴族臣下国民達の怨恨に満ちた視線に囲まれた祖父は、それでも自分一人満ち足りた笑顔と共に天へ召された。
後を継いだ父たる先代フォルノーヴォ王は頭を抱えた。
借金まみれの国をどうやって立て直したものかと考え込んだ。
目を付けたのが、この地下空間だ。
かつて祖父に連れられて潜った場所は、大方が土砂に埋まってはいたが、太古に失われた珍品で満ちていた。
それらは地下に住んでいた頃の人々にとっては取るに足らない鉄くずやゴミに過ぎなかったのだが、現在のアベニン半島では有り得ない資材の山だったのだ。
この地下空間を支える鉄骨一本ですら、王国の一年の予算と全ての工房を持ってしても造り得ぬものだった。
が、その錆び付いた鉄骨一本を抜き取り、焼き直し、鉄材へと変える技も富も王国には無かった。
悲しくなるほど借金にまみれた貧困国へと転落していた。
結局、身売りするような形でさらに借金を重ねていった――。
「――先王たる父は、さほど才に満ちた方では無かったが、誠実で慎重であったよ。
王国を立て直そうと身を粉にして働いた。
だが、そうして稼いだ富もゴブリン共に吸い上げられるばかりだった」
「噂に違わぬ守銭奴ぶりですね」
「生かさず殺さず飼い殺しにされる毎日。
母と弟も人質としてゴブリンに差し出され、借金のかたにナプレへ売られてしまった」
「存じております。
強欲の象徴たるゴブリンの悪辣なる罠にかかり、王妃と弟君は狂王へ売り渡された、と。
陛下は復讐と正義を胸に、王国の再建を誓われた。
ナプレへ渡った弟君は世の儚さを嘆き僧院の門をくぐられ、そこで神の啓示を受け教会を開き、後に聖シモン一世聖下へ就任された……という話ですね」
神聖フォルノーヴォ皇国建国の逸話を語る教皇。
自らの少年期を語られる皇帝は、なんら感慨を抱いたようには見えない。
ただ淡々と話を続ける。
広く長い通路を歩き続ける彼らだが、まだ目的の場所には到達しないようだ。
「国を立て直すには、この地下空間を構築する建材を抜き取って資材として売ればいいのは分かっていた。
これらの品々を調べれば、今では失われた古代の技術も手にすることが出来る。
だが、この地はゴブリンの聖地ロムルスだ。
いくら既に地下空間のことが忘れられたとはいえ、あまり派手な工事をすると地上のゴブリン共に気付かれる。
また、何の特産もない小国から突然大量の資源や技術が湧き出せば、当然に周辺国が不審に思い目を向ける。
父は慎重に、全てを秘密裏に事を進めた。
地下空間の出入り口を城内に限定し、城内に工房も抱き込み、借金を取り立てるゴブリン共の目を必死で盗んで、血の滲む想いで富と技を貯め込んだ。
少しずつ地下空間を調査し、持ち出せる品々を密かに運び出し続けたのだ。
ゴブリンからの借金も、必死に交渉して利息を値切ったり有利な契約に借り換えたりした」
「逸話にもある通り、賢明な王だったのですね」
「そうだ、余も父王を誇りに思う。
まあ、民にとってはケチくさく面白みのない堅物だったようだがな。
それに、良き王ではあったが良き父ではなかった」
「何か、先王に父君として至らぬ点があったのですか?」
「大したことではない。
公人と私人の別は困難で、父王は政務にかかり切りだったというだけの、よくある話だ」
「……父や夫は妻子と国のために身を粉にして働くもの。
その行いは、全て家族と国の幸せを思ってのことです」
「言われるまでもない。
それに、余は父が嫌いではなかった。むしろ、父のような立派な王でありたいとすら願った。
まあ、王家の内輪話はよいのだ。
この国の成り立ちについて話を続けよう――」
――時は過ぎた。
勤勉で慎重な父王の指揮の下、どうにか財政は立て直された。
秘密工房は王子たるアダルベルトに管理を一任された。といっても未だ若輩者ゆえ補佐官などの臣下団が補佐にあたった。
臣下団の中には若き銀行家もいた。地味で真面目な人柄の銀行家は質実剛健なアダルベルトと馬が合い、資金面で彼と工廠を支え続けた。
その者は現在ではパッツィ銀行頭取となり、今も地上の工房を支えている。
こうして借金の完済に目処はついたが、新たな問題が半島南部より押し寄せてきた。
狂王。
ゴブリンからの軍資金を得た残虐非道な征服者が北進を続けていたのだ。
そして狂王の傍らには、かつて生き別れた母がいた――
「……その逸話も存じております。
フォルノーヴォ王国へも血塗られた手を伸ばした狂王は、元妻たる王妃の命をたてに先王へロムルス攻略を命じた。
逆らえばフォルノーヴォも血で染め上げる、と脅迫したと。
先王は一計を案じた。
ナプレ王と共にロムルスへ侵攻するとみせかけ、ゴブリンと狂王を共倒れさせよう、と。
計は成功したがゴブリンの邪術による呪いは狂王のみならず先王と母たるナプレ王妃にも及ぶ。
王妃は倒れ、両王とも床へ伏せてしまわれた。
先王は、そしてナプレ王も死の淵で、ロムルス攻略で功をあげ若き血潮と神の恩寵がごとき才に恵まれた陛下の広き御心に感服し、王国を譲られた。
とのことですね」
「編纂された皇国史には、そう記されている」
教皇は皇国史について、それ以上は口にしなかった。
皇帝はその後の話を続ける――。
――ロムルスを攻略しゴブリンを追い払ったナプレ王国とフォルノーヴォ王国。
フォルノーヴォ王位はアダルベルトへと継がれた。
狂王は死に、ナプレ王国の王位も譲られた。
半島南部を統一し、地下空間に隠された古代文明も手にした。
ナプレの僧院で一僧侶として修行をしていた弟のシモンを呼び寄せ、国教会を設立し、弟を教皇聖シモン一世へ就任させた。
自身は皇帝アダルベルトとなり、神聖フォルノーヴォ皇国が誕生した。
地下遺跡は地上の異種族を気にせず発掘調査出来るため、技術力は飛躍的向上を続ける。
広大な地下空間を構成する建材や備品は解体し、新たな資材とした。武具・線路・飛空挺・鍋や釘や包丁などの日用品にすらなった。
皇帝アダルベルトは狂王と異なり、少なくとも人間族へは虐殺も略奪もしないと表明した。
圧倒的な国力・魔法技術力を背景にした皇国の使者を前にして、残りの小国は雪崩を打って皇国の前に平伏した。
ただ、あまりに派手に発掘をすると異種族に地下空間の存在を知られる恐れがある。
ゴブリンはロムルスから追い払ったが、噂が他種族にまで伝わらないとも限らない。
現在、古代文明の存在は忘れ去られている。これを他種族にも思い出させるのはまずい。
他にも地下遺跡が残っている可能性があるからだ。
ロムルスはピエトロの丘と改称し、変わらず不可侵の聖地とすることにした。
地上にあるゴブリンの墓と神殿は潰して、代わって聖シモーネ大聖堂を建築。地下空間の出入り口はパラティーノ城のみとした。ついでにゴブリン墓地の副葬品たる財宝も獲得。
こうしてパラティーノのフォルノーヴォ城は周囲から隔絶された工廠へと姿を変えていった――。
「――それを、なぜ今になって大聖堂との直通路を?」
「もはや隠す必要が無くなったからだ」
「魔族に古代文明の存在を明らかとしても構わぬ、と仰せられますか。
即ち、もはや奴らが今から古代文明を探索しても間に合わぬ、というわけですか」
「その通り。
お前も話は聞いていよう、新型飛空挺の事を」
「はい。
ですが、新型の飛空挺だけで魔族を滅ぼしうるのですか?
それほどの何かを秘めた飛空挺、と?」
最後の問いには皇帝は答えない。
そのまま早足で進み、地下通路の行き止まりで足を止めた。
簡単な手すりが通行者を遮るその先は、果てしなく広い空間が闇の彼方まで続いている。
地下とは思えぬほど高い天井は、何本在るのか分からぬほどの太い柱で支えられていた。
天井や柱の各所には、恐らく後から取り付けたであろう巨大な魔法のライトが輝いている。だがその光量ですら、果ての見えぬ空間を照らし出すには至らない。
地面は、何か巨大な卵か繭のような形状の物体が幾つも並んでいる。
その物体は半ば壊れているものが大半だ。
穴が開き、歪み、斜めに倒れているものもある。
それらの周囲には足場が組まれ、ライトで照らされ、何らかの工事や調査が行われているようだ。
よく見ると、その広大な空間自体も各所で崩落している。
崩落箇所の周囲にも足場が組み上げられ、幾台もの魔道車が崩れた土砂や建材を移動させたり運び去ったりしている。
新教皇は手すりに歩み寄り、見たこともない光景に目を奪われる。
「ここは……」
「船渠だ」
「船渠ですって?
では、これらは全て古代の船……?」
「そうだ。
こここそが魔王伝説にある新天地だ。
もっとも実際には、古代の敗残兵共と難民達が自分達で生み出した地獄から逃れるための穴蔵だったのだがな。
あれらは役目を終え、持ち出せる全てを持ち去られた後の、抜け殻だ。
同時に今の我らには宝の山だ」
船渠とは、船の製造や修理、荷役作業などのために築造された設備・施設の総称。地球ではドックとも呼ばれる。
だがこの世界では船とは飛空挺を指し、海と関係なく存在するため内陸地に存在していた。
そして皇帝いわく、ここは古代の船渠であり、魔王伝説にある新天地だという。
だが新天地というには、あまりに寒々しく重苦しく、虚ろな場所だった。
皇帝も手すりに寄り、話を続けた。
「古代の連中は、恐るべき魔法文明を築いた。
それこそ世界を破壊する兵器を生み出すほどに、な。
そして事実、完全に破壊した」
「なんと……信じがたい」
「全く愚かな連中だ。
鏡を殴れば砕け散るのは己の姿だというのに。
これらの船に乗っていた魔族と人間は、途方に暮れたろうな。
主から魔王を殺せと命じられ、飛空挺で出向いてみれば、相手も同じ事をしていたため、双方の国土が焦土と化したのだから」
「愚かな……まるで、御伽噺です」
「事実、御伽噺だ。
魔王伝説という名の御伽噺なのだ。
ともかく、これら軍船は帰るべき故郷を自分達で破壊してしまったのだよ。
ようやく己の愚かさに気付いた連中は、敵味方問わず生き残りをかき集め、この船渠に隠れ住んだ。
地下深くに建設されたため比較的被害の少なかった、『ロムルス空軍基地』にな」
「ロムルス、空軍基地?」
「そうだ、それが遙か古代に、この地に与えられた真の名だ。
そして我ら皇国が世界を手にするための、始まりの地となった」
教皇の額に、そして頬に汗が流れる。
ひんやりとした地下でありながら、まるで熱に冒されたかのように。
いや、手が細かく震えている。
脳裏に湧き出した言いしれぬ不安と疑念が、その身を責め立てるかのようだ。
「陛下は……」
絞り出すような声。
皇帝は応えず、ただ太古の空軍基地を眺めている。
「陛下は、古代の過ちを今に繰り返すおつもりですか?」
「繰り返さんよ」
「陛下は、利に聡く己を固く律する方と存じております。
いえ、存じておりました。
ですが今の陛下は、私の知る謙虚で慎重な方と同じ人物とは思えません。
もしや、人の身に余る力を得て慢心なされましたか?」
「余は変わらんよ。
何も変わらん。
これは、若かりし頃からの計画だったのだ。
人が生まれ、子をなし、老いて死ぬに相応しい年月をかけて練り上げられた、計画だ。
よもや余の一代でなし得るほどの長寿を得られるとはおもわなんだが」
「お、驚くべき深慮遠謀、ですね」
「そうだな、自分でも信じがたい。
これも父王から学んだ勤勉さと慎重さの賜物なのだろう。
もしくは、ゴブリン共に家族を引き裂かれた恥辱と憎悪の賜物か」
「そして、その賜物ゆえに過去の過ちを繰り返さぬ、と?」
過ち、その言葉を聞いたとき皇帝は少し笑った。
だがそれは新教皇への侮蔑でもなんでもないように見える。
むしろそれは自嘲の笑い。
「余は皇帝などと呼ばれてはいるが、なに、ただの人間に過ぎぬよ。
幾らでも過ちを繰り返す、愚かな人間だ」
皇帝自身の言葉とはいえ、この言葉に同意することは不敬に当たる。そう思った新教皇は何も答えない。
黙したまま皇帝の次の言葉を待つ。
「増長、慢心、そして失敗と後悔……。
若かりし頃には誰しも打ちのめされる通過儀礼、はしかのようなものだ。
余も、己の慢心と油断ゆえに、弟を失った」
「初代教皇シモン一世聖下がお隠れあそばされたことですね。
皇国に侵入した魔族の牙にかかり……と聞いておりますが」
「とりあえず不都合なことは魔族の仕業と言っておけば、体裁が繕えるし後始末が楽だからな。
実際には、余が弟に教皇などという無理を押しつけたせいなのだ。
そのことで皇国が得たものは大きいが、代わりに余は弟を、シモンを失った。
ゴブリン共に売られ、ナプレで人質にされていた生き別れの弟を、ようやく取り戻したというのに。
いくら後悔しても、仕切れん……若さゆえの過ちというには、苦すぎる失敗だ」
皇帝は船渠の遙か彼方を見る。
その視線の先には、なにやら大きな光源があり、光のなかに浮かび上がる工事用の足場も長大で大がかりなものだ。
組み上げられた巨大な工事用足場の中で職人達がとりついているのは、船渠だけに恐らくは巨大な艦なのだろうが、足場に完全に隠れてしまって姿は見えない。
皇帝の視線は巨大な足場へと向けられているが、その目は巨艦を見ているわけではないようだ。
若かりし日々を懐かしく、そして苦々しく思い返しているのだろう。
長い沈黙が過ぎる。
船渠の中に響く鎚の音が淡々と通り過ぎる。
沈黙に耐えかねたか、聖職者としての立場に突き動かされたか、新教皇は皇帝へ問いかけた。
「若かりし頃の過ちは繰り返さぬ、と仰られますか……」
「うむ」
断言した皇帝。
過ちを繰り返さぬ、と。
余人なら、さらに皇帝を問い糾すなど分をわきまえぬ不敬の極み。
だが新教皇は、『皇帝の半身となり皇帝と皇国を支えよ』という教皇の職責を正しく理解していた。
「決意だけでは戦に勝てませぬ。
何故に言い切れますか?」
「簡単なことだ」
皇帝アダルベルトは手すりに手をかける。
そして、まるで己が人生を振り返るような遠い目で答えた。
まるで呟くように、自然に。
「古代人達は、どの勢力も『嘆きの矢』を持っていた。
だが今は我ら皇国しか有していない」
「嘆きの矢?」
「世界を破壊した兵器の名だ。
今、皇国しか『嘆きの矢』を持たぬが故に、魔族はただ皇国の前に為す術無く打ち倒される。
古代人は鏡を殴ったが、我らは泥人形を殴る。
砕けるのは泥人形だけだ。
それが我が計画、リナシタ(Rinascita:古代復興)なのだよ」
当たり前のように語る皇帝。
それは予想でも期待でもなく、予定された結末と考えているかのように。
いや、事実そう考えているのだろう。
教皇は、知らず知らずのうちに皇帝へ首を垂れ、胸の前で手を組み祈りを捧げていた。
失われた魔導技術を復活させ、魔界侵攻と魔族殲滅を実行に移す皇帝と皇国。
戦いの火ぶたが切られる日は近い。
果たして平凡な地球人に過ぎないはずの京子と裕太は、魔界の危機に立ち向かう術を持つのだろうか
次回、第十八章『ルテティア潜入』、第一話
『カラ』
2012年2月10日00:00投稿予定