工廠
ピエトロの丘、ゴブリンの聖地だった頃の名はロムルス。
今は聖シモーネ大聖堂が鎮座する。
いまだ熱気が冷めやらぬ群衆の声を背に、皇帝は新教皇と部下達を引き連れて奥へと進む。
聖堂内は広大で、天井も見上げるほど高い。
壁や柱には、まるで生きているかのような彫像が並ぶ。
身廊(教会内部の入り口から祭壇までの廊下)の天井は荘厳にして幻想的な宗教画に埋め尽くされる。
皇帝はそれら神秘学的に重要な意味を示すであろう芸術品には目もくれず、聖堂の横にある勝手口のような扉をくぐった。
大聖堂の奥には聖職者達が寝起きし修行するための建造物が並んでいる。
その一番奥は教皇専用の建物があった。
ただし工事中。あちこち傷が入ったり焦げたりしている。
皇帝の後ろを控えめに歩くシモン八世は申し訳なさげに説明した。
「お見苦しいさまを見せてしまい申し訳ありません、陛下。
火災後の修理が間に合いませんでした」
「気にするな。
ヤツが勝手に隠し部屋だの隠し通路だのと増改築したせいもあるしな」
「あれには私も呆れました。
一体、隠れて何をする気だったのやら、詮索する気も失せます」
「綺麗事で国は動かぬし民はついてこぬ、組織は動かぬ。
そんなことを余も周囲も理解しておらぬわけもないのに、この上さらに余人に見せれぬ企みをしようとは、な」
「企み、だったらまだよいのですが……扇情的な絵画や彫刻ばかりの寝室はまだともかく、いかがわしい薬物や汚らわしい禁書を発見したときには、さらに念入りに火を放とうかと思いました」
「……馬鹿が。
今、その部屋はどうしてある?」
「潰して地下通路の入り口にしました。
この先です」
教皇専用建造物、その一番奥の階段を下りていく一行。
薄暗い通路では、まだ工事中らしく多くの職人が建材を抱えたり荷物を満載した台車を移動させたりしている。
組み立て式の足場や大きな穴が開いたりブロックが積み上げられたりと、どうにも通りにくい通路を進む。
一行の姿を見た職人達は一様に手を止め、這いつくばるように平伏する。
教皇は通りすがる一人一人に祈りの所作をもって応え、皇帝は当然のこととして気にせず歩いていく。
たまに作業に熱中しすぎて一行の存在に気付かない者もいる。だが皇帝も教皇も気にすることなく通り過ぎる。
後に続く軍服の部下が礼を失する職人を咎めようとしたが、皇帝のひと睨みで部下の方が恐縮してしまった。
「構いませんよ。
自の職責に己が全てを投じることは神と陛下の意に沿うことです」
教皇の言葉に軍人は口の端を歪めつつ列に戻る。
そのやり取りで一行の行幸に気付いた職人は、大慌てで地面に降りて泥とススに汚れた頭を地面に擦り付けた。
地下に掘り抜かれたであろう通路を歩き続けた一行は、しばらくして今までとは異なる雰囲気を持つ通路へと出た。
それまでは工事中ということもあり、石のタイルや土が剥き出しな地面だった。
だがある地点からはタイルではなくなった。
継ぎ目のない、石というより宝玉のような光沢を持った床が続いていた。
床だけでなく壁も天井も似たような材質で作られている。
ただ、相当に古いようで、あちこちにヒビが入ったり穴が開いていた。
足下には一定間隔でランプが置かれ、ささやかな淡い光を通路に満たしている。
通路のかなり先は鉄柵で遮られ、鉄棒の間を白い小さな雷が走り回っている。『雷』の魔法で封印されているようだ。
ここまで直々に道案内をしていた教皇が振り返る。
「お申し付け通り、地下直通路を掘り抜かせました」
「うむ、ご苦労だった。
今後は教会も工廠運営に関わることになる。
必要時は利用せよ」
「御意。
ですが私は工廠については何も知りません。
ここより先、工廠最深部には神父達も立ち入ったことがありません。
この先には、一体何が?」
「お前は地上の工房は目にしたことはあるな」
「はい、何度か。
実に素晴らしい工房と職人が揃っておりました。
湧き出すように生み出される鉄材や宝玉の数々、目を見張る思いでした。
あれらがおれば、魔族など恐るるに足りませんでしょう」
「地上の方は主にパッツィ家に任せているが、その技は地下より得たものだ。
ここより先にあるものは、あれら工房の基礎となる。
皇国の始まりとも言えよう」
皇帝は部下の一人に目配せする。
小さく一礼した部下は鉄柵の前へ走り、印章のようなものをかざした。
印章と鉄柵は共鳴するように光り、騒がしい金属音を立てながら鉄棒が折りたたまれる。
封印は解かれ、地下工房への薄暗い道が奥へと続く。
「ここより先は余が案内する」
そういうと皇帝は先頭を早足で歩き出す。
皇帝より一回りか二回りほど若いはずの新教皇は小走りでついていく。
部下達もその後を追った。
それは、信じがたい通路だった。
どこまで行っても壁や天井に継ぎ目は見えない。まるでそれらは一つの巨大な宝玉を掘り抜いたかのようだ。
通路自体は相当に古いらしく、各所が崩壊している。だが瓦礫は取り除き危険箇所には補強を入れてある。
あちこちに扉や何かの術式らしきものはある。だが等しく壊れており、もはや本来の機能を果たすようには見えない。
壊れた扉や壁の向こうには何かの空間が見える。だがそれらも天井が崩落して埋まってしまったものが大半だ。
たまに未だ崩れていない空間もあったが、それは中身を片付けられたためであり、今度は不自然に何もない。
教皇は物珍しげに薄暗い空間を覗きこんでいる。
「噂にしか聞いたことがありませんが、これが工房の地下墓所ですか」
「墓所だったのは地上だけだ。
お前はピエトロの丘について、どれほど知っている?」
「かつてはゴブリンと呼ばれる魔族の墓場だったとか」
「墓場、というより聖地だな。
そのゴブリンを見たことはあるか?」
「幼少の折に。
緑色の小人で、妙に耳障りな声を出す奇怪な連中でしたね。
なんでも地獄も金で売り買いするとすら言われるほどの守銭奴共だったとか」
「ふむ……まあ、そんな感じだった」
皇帝に連れられて一行は地下へと進む。
ほどなくして、彼らは広大な地下の空間へと足を踏み入れた。
それは教会大聖堂より遙かに広く、天井も高い。各所にライトが備え付けられているが、とても空洞全体を照らせるほどではない。
床や壁にはビッシリと足場が組み上げられ、多くの職人が何かの作業をしていた。
あちこちに巨人でも通れそうな通路の入り口がぽっかりと黒い口を開けている。
「ここは……?」
「居住区だ」
「きょじゅうく、ですか?」
「そうだ。
かつてはこの地下坑道に数多くの魔族が暮らしていた」
「なんですって!?
それは……もしや魔王伝説にある、船が辿り着いた理想郷ですか?」
「その通り、よく分かったな。
あの物語それ自体はお伽話だが、遙か昔に物語の元となった史実が存在する。
その一つが、ゴブリンが聖地として守り抜いてきた、聖地ロムルスの秘密だ」
教皇は虚ろな空間を満たす職人達の鎚や怒声の間を抜けながら、ロムルスがピエトロの丘へと改称する頃の経緯を語った――。
――かつて、この地はゴブリン達が聖地として守ってきた。
皇国の若者達は既に人間以外の魔族を目にしたことはないが、かつて人間族の隣人として魔族達も暮らしてきた。
パラティーノの丘に暮らす黒目黒髪の人々も、聖地ロムルス周辺に暮らすゴブリン達を隣人としていた。
彼らは守銭奴と蔑まれるが、確かに金貸しだったのだが、同時に非常に勤勉で約定を違えぬ者達だった。
かつて『聖地ロムルスを守る』と神に誓った彼らは、確かにロムルスを守り抜いた。 異種族からだけでなく、ゴブリン族自身からも。
ロムルスの地には彼らが崇める商売の神の神殿と、とゴブリン達の墓が代々築かれ、彼らの聖地とされた。
彼らは神から授かった約束の地と、祖先の墓を暴くことなど無く、その地を守り続けていた。
だが、余りに律儀に守りすぎた。
その地を守る本当の理由を忘れてしまうほどに――。
「――本当の理由とは、この地下の空間を封印すること、ですか?」
「そうだ。
こここそが、物語にある理想郷、新天地なのだよ」
教皇は周囲を見渡す。
工事の足場や職人を省いた空間を想像してみる。
するとそれは、鍾乳洞より虚しく寒々しい部屋があるだけだ。
聖地や皇国の基礎という言葉から伝説の理想郷を連想したものの、とても理想郷や新天地というような場所には思えない。
幾つもの似たような空間を抜け、それでもまだ目的地に到達出来ない一行。
教皇は前を歩く皇帝に問う。
皇帝の目は歩む先を見つめてはいるが、本当に見ているのは追憶のようだ。
若かりし頃を懐かしむように、老皇帝の言葉は続く。
「それは神との契約などではなかったのだよ。
居住区から地上へ移った者達は、持ち出せる品を全て持ち去った。
後に残ったのは用済みとなった地下の空洞と、何らかの理由で持ち出せなかった品々のみ。
恐らくは既に崩壊が始まっていたであろう地下空間は、不用意に立ち入るには危険な場所となっていた。
ゴブリン達は、この地下空間の管理人としてロムルスに残ったのだ。
既にめぼしいものも無く、立ち入れば崩落の恐れがあるため、入り口を封鎖して不用意な立ち入りを禁じたのだ。
祖先の人々と他の魔族にとっても、既に運び出せるものは運び出したロムルスに用はなかった。
立ち入る者無き地下空間は崩落し続け、入り口も塞がった。
何のことはない、単に危ないから立ち入り禁止になっただけの場所なのだよ。
いつ陥没するか分からない場所には住めないからと墓場にし、ついでにゴブリンの寺社神殿も建てられた。
代を重ねるごとに真実が忘れられ、神格化され、いつのまにやら聖地と呼ばれたわけだ」
「なんとまあ、喜劇のようですね」
「誰か一人でも『地下には何があるのか』と掘り返す不届き者や酔狂者がいれば、すぐに真実は明らかになったのにな。
律儀すぎるのも問題だ」
くっく……と笑う皇帝。
クスクスと笑おうとした教皇だが、ふと首をひねって一瞬考え込む。
「もしや……その不届き者酔狂者というのは、若かりし頃の陛下ですか?」
「いや、我が父と祖父だ。
パラティーノを治めるフォルノーヴォ王国の王であった祖父は、まあ、王としては愚鈍を極めていた。
政務を放り出し、ゴブリン共から借金してまで穴掘りに精を出す、夢追い人だったのだよ。
国を傾かせ、ゴブリンの金貸しに領地を蝕まれてまで魔王伝説を追い続けた。
結果として夢を現実に出来たのだから、祖父としては満足な人生であったろうよ。
振り回された我がフォルノーヴォ一族と王国の民は、苦渋と辛酸を極めたがな……」
巨人族が横に三人並んで行進出来そうな通路に入った皇帝の昔話は、まだまだ終わりそうにない。
教皇と部下達も通路に足を踏み入れ、僅かに下る斜面を歩き続ける。
次回、第十七章第四話
『皇国建国史』
2012年2月3日00:00投稿予定