Parlement
ルテティアの冬は日が短い。
腕時計を見れば、まだ5時だというのにすっかり暗くなってしまった。
回転する時計の針の下、デジタルで表示される日付を見ると、12月17日。
僕ら姉弟が魔界へ転移した日は、忘れもしない8月4日。
そうか、もうすぐ五ヶ月にもなるんだ。
魔界の暦、魔王歴では今年はあと五日で新年になる。
ところで魔界の暦である魔王歴で一年は354日、来年は魔王歴四一年。
この暦、よく聞いてみたら太陽暦じゃなくて太陰暦だった。
魔法の効果は満月に近いほど強くなることから、太陽暦より太陰暦が一般的に使われてるんだってさ。
でも農耕には太陽暦が便利だし、太陽暦を使ってる種族も多い。なので公的には二つを混ぜて使われてる。
結論として太陽暦なら365日で一日は24時間。地球と自転・公転は同じだった。
それはともかく、本日の取り調べは全て終了。ルテティアに滞在する各魔族の高官はそれぞれの家や職場に戻る。
ヴィヴィアナさん達も劇場近くにある各自の部屋へと帰った。
教皇はリュクサンブール宮殿の一番立派な客室を与えられ、そこに滞在することになった。ティーナという女の子は別室、普通の部屋。
バルトロメイさんは厨房。
多くの魔族のコック達は皇国の食事は知らない。なのでバルトロメイさんがコックとして調理し、皇国の食べ物と料理を出すことになってる。
しばらくは魔王城には戻れないだろう。
離発着を繰り返していた飛空挺と飛翔機も、危険な夜間飛行はしない。数機を宮殿の庭に残して、どこかへ飛び去っている。
兵士の数は減り、多くの荷物を下ろしていた一般兵のオーク達もどこかへ散ってる。
街には街灯が灯り、建物の窓から暖炉やランタンの光がもれる。
ところでこの町の灯り、街区ごとで差が出てる。
寒いのが嫌いなワーキャットの街区では暖炉の火が盛大にたかれ、金のないオーク達の街区では灯りが少ない。
エルフ街区では、夜でも勉強してる学生や官僚や学者の姿が魔法のランプで影となってカーテンに浮かぶ。
裕福な家はガラスとカーテン越しに光が外へ漏れるが、貧乏だと木戸なので光が漏れない。木戸で漏れるのはすきま風が吹き込む本当に貧乏な家。
夜の灯り一つでも各種族ごとの違いが出ている。
さて、僕もしばらく魔王城には戻れない。
教皇への取り調べは今後も続くからだ。
ワイバーンは冬眠こそしないが冬場は強く飛べないので、竜騎兵は使えない。飛空挺での城との往復は意外と時間と手間と魔力を消費する。馬は時間が掛かる。
なので僕もリュクサンブール宮殿にしばらく滞在することになる。
というわけで一階の隅にある小部屋があてがわれた。
石が剥き出しで寒いなあ。木製のベッドも固い。
椅子は小さな壊れかけの丸イスが一個、放り出されるように転がってた。小さな丸テーブルも年季が入ってる。
陛下の姿はまだ見てない。
居場所は聞いていない。警備上の問題から教えてくれるとも思わないし、聞く暇も無かった。
第一、陛下と連絡を取りたいなら魔王城へ戻ればいい……て、姉ちゃんだけで魔王城は大丈夫かな。
まあ、もう暴走が起きることも少なくなった。もし姉ちゃん達だけじゃ対応出来ない事態が起きても、どこからでも陛下が駆けつけてくれるだろう。
僕としてはリィンと連絡を取りたいところなんだけど、無限の窓は貴重で数も限られたアイテム。恋人と話をしたいってだけでは使わせてくれないか。
たしかルテティアにもファルコン便の店があったはず。早いうちに手紙を送ろう。
さて、僕は個人的に知りたいことがある。
皇国のことを教えて欲しい。僕も魔界で一生を終える決心をした以上、皇国との戦いは他人事じゃない。
僕は魔法に関しては無知だし、戦争の知識なんてロクに知らない。せいぜいゲームやニュース、映画でドンパチを見るくらい。
魔界で、魔王陛下の部下として生きるなら、是非とも知っておきたい。「彼を知り己を知れば、百戦して殆うからず」というヤツだ。
寝るにはまだ早い時間。誰か暇してる人に聞きたいんだけど、誰なら快く教えてくれるかな。
でも、デンホルム先生のようなエルフの人達に聞くと、非常に話が長くなるので遠慮したいんだよね。
そもそも、今この宮殿にいる人で親しく話が出来る人って……バルトロメイさんしかいないや。あの人もコックとして元少将として忙しい。
ベッドに腰掛けながら考える。誰かいないかな~。
コンコン
考え事をしてたらノックされた。
誰だろうと扉を開けてみたら、強面のワーウルフの人……そうそう、オイヴァ・オシュ副総監。それと数人の部下らしきワーウルフ。
はて、ルテティア警視庁副総監が僕に何の用だろうか?
「夜分、失礼する。
実は話があるのだが」
「あ、はあ、ベツにカマいませんけど。
でもこの部屋は」
振り返ってみれば、貧相を絵に描いたような部屋。
副総監ともなれば相当の地位のはず。そんな人を招き入れるような部屋じゃない。
ハッキリ言って狭いし、部下の人達まで入ると定員オーバーって感じ。
「ああ、構わぬ。
我は若い頃はヴォーバン要塞勤務が長くてな。牢獄同然の地下室でも屋根があるだけまし、と思えた毎日であった。
ここですら貴賓室と思えよう」
「はあ、まあ、それでしたら、どうぞ」
「うむ、失礼する」
そういうと、黒い毛並みの副総監は魔法のランタン片手に入ってきた。
壊れかけの丸イスに腰掛けると、大柄なワーウルフの体重できしむ音が響く。
他の部下達は入ってこず、部屋の前に待機している。
腰掛けた副総監はベッドに向けて手を振った。座れ、という意味らしい。
なので目の前に腰を下ろす。
右目に眼帯をしてるので、左目だけがこっちを見つめてくる。うう、凄い眼力。
丸テーブルに置かれたランタンの光に下から照らされた副総監の顔は、かなり恐い。
「あ、あの、えと……話って、ナンですか?
教皇ゲイカの言葉であれば、ヒルに話したイガイにはないですけど」
「いや、その事ではないのだ。
お主……魔界とも皇国とも異なる世界から来た、というのは誠か?
しかもその世界、まるで鏡に映したかのごとく我らの世界に瓜二つ、とか」
「ウリフタツ、というほど似てません。
なんというか、双子ほどじゃないけど兄弟くらいには似ている、という感じです」
「……理解は出来ん。
だが嘘を言ってないのは分かる。
なら考えられるは、お主の言葉が真実か、それともお主が物狂いか、嘘を真として教えられてきたか、だ」
虚言を嗅ぎ取るというワーウルフ族の鼻。なら僕は嘘を言ってないのは理解出来る。でも話の内容は理解出来ないだろう。
狂人か、記憶違いか。ま、それがこの世界での常識的判断でしょうね。
僕としては、いちいち説明するのは面倒臭いし、信じてもらっても何か現状が変わるわけでもないので、これ以上は説明する意味がないと思う。
「ボクはホントウのことを言ってます。
ハンダンは任せます」
「……ま、それは良いとしよう。
それとお主、この魔界に来て間がないということだが、皇国との戦乱については聞き及んでいるか?」
「はい。ごくカンタンに、ですけど」
「どのように聞いているか、語ってはもらえぬか?
無論、手短に願う」
「はあ……いいですけど」
何の用か知らないけど、ともかく言われた通りにする。
インターラーケンで支店長や先生や領主から教えられた内容、四十年に渡る戦乱の歴史を要点のみ語った。
ナプレ王国によるゴブリンの聖地ロムルス占領。
王国は神聖フォルノーヴォ皇国へと名を変え小国を併呑しアベニン半島を統一。
皇国に無理やり改造された陛下は他の実験体を救出して逃亡、ダルリアダへ亡命。魔王に就任し人間以外の種族を統一。
皇国の魔界侵攻を阻止し、インターラーケン山脈東西のトリグラヴ山とヴォーバン要塞を挟んでの睨み合いを長期間続けていた。
「……で、キョネンからサンミャクのセドルン要塞が加わったと。
ドウジに両要塞はホウキしたとも聞いてます」
本当にかいつまんでの説明。
僕が話している間、副総監は目を閉じ腕組みしながら黙って聞いていた。
説明を終え、口を閉ざすと同時に毛だらけで肉球もついた手がポンッと膝をならす。
そして満足げに牙を光らせながら頷いた。
「安心したぞ。どうやら大方のことは理解しているようだな」
「いえ、それほどでも」
「だが、付け加えるなら東西の両要塞を放棄した後のことだな。
現在、防衛線は両要塞の十万ヤード後方に、扇状に展開されている」
「十万ヤード(約91km)? ズイブンと下がりましたね」
「うむ、村や畑を残して逃げる民草を思うと、魔界としても身を切る思いだった。
だが武具の性能で大きく劣る魔王軍としては、円卓会議のエルフ共が示した示したScorched-earth strategyを取るしかなかった」
「Sco……ナンですそれ?」
「ん?
ああ、土地から利用価値ある品を全て消し去り、そこを通る皇国軍を飢えさせるという作戦だ。
さらに本国との距離を大きく開けさせ、物資を輸送する手間と時間を大きくさせる。
と、こういう話は分からぬのであったか」
「いえ、リカイは出来ますよ」
その戦法は知ってる。焦土作戦だ。
敵を自陣近くまで引きつけて疲れ果てさせ、物資輸送ラインを維持防衛が不可能なまで引き延ばさせる。
第二次大戦で日本が見事なまでに引っかかった。いやあれは軍が勝手に戦線を拡大し、自滅したって話だったから、ちょっと違うな。
でも、なんでそれを僕に説明するんだ?
「ナゼそんなことを聞くんです?」
「うむ、実は今夜お主に会いたいという方々がおられるのだ。
対皇国戦に関し、お主の意見を聞きたいと」
「ボクの?
あの、ハッキリ言って、ボクは戦争についてはゼンゼン分かりませんよ」
「気にするな、それは彼の方々も承知して下さっている。
単に参考までに、というだけだ。
思うところを正直に語ってくれればそれでよい、とのことだ」
「あの……まあ、サンコウだけでいいなら。
それで、その方々というのは、どこにいますか?」
「うむ。実はこの宮殿ではなく、別の場所におられるのだ
なに、さほど時間はかからぬ。
すぐに犬を出すので、我と同行して欲しい」
「えと、まあ、いいですよ」
んなわけで、まるで引きずられるように副総監に連れられて巨大な犬の後ろに乗せられた。
さすが武人というだけあって、鮮やかな手綱捌きで雪が積もる街路を駆けていく。
ルテティアは詳しくないのでよくわからないけど、大きく長い橋を渡って立派な建物の前に到着した。
あれ? これって以前見たことがある。
確か最高裁判所じゃなかったっけ?
犬の背から降りながら周囲を見れば、間違いない。薄暗い街灯でも川に挟まれてるのは分かる。
Parisiiという名の中州に立つ、最高裁判所だ。
ヒラリと地に立つ副総監に確認してみる。
「あの、ここってサイバンショでしたよね?」
「そうだ、良く知っているな。
ちなみに向かいにあるのが警視庁だ。我はここに勤めている。
ここに戻るついでにお主を連れてきてくれ、と命じられてな」
裁判所の斜め向かいを指さす副総監。
その指先を見てみれば、なるほど薄暗い中でもハッキリ分かるほど、裁判所並みかそれ以上に立派な建物。
へー、裁判所の隣が警視庁だったのか。この中州って重要な建物が集まってるんだ。
「さて、我は職務に戻らねばならぬので、今日はここまでだ。
彼の方々は、裁判所の中にてお待ちだ。粗相なきようにな」
そういって、ワーウルフの警察官達は警視庁へ歩いていった。
裁判所の方へ視線を戻すと、今度は黒いマントを着たゴブリン達がやってくる。
最初にルテティアを見回ったときにも見たな。おそらく裁判所の職員だろう。
でも裁判所が何のようかな?
誰かに訴えられた……こんな夜中に、わざわざ警視庁副総監に送らせて、これから裁判。
んなわけないか。
ゴブリンの職員に連れられて裁判所内を歩く。
大理石の床を歩くコツコツという音が反響する。
うーん、灯りは少なくて薄暗いし寒々しい。人の気配もないし、恐い感じだ。
裁判所に暖かみがあっても変だろうけど。
「あの、どこへ行くんですか?
ボクに会いたい人タチというのは?」
「安心しな、別にとって食いやしねえから。
黙ってついてきな」
ゴブリンの職員達は説明してくれない。ただ奥へと歩くばかり。
しょうがないので僕も黙ってついていく。
すると、ほどなくして立派な両開きのドアが見えてきた。
重厚そうな木製の扉で、金属製のネームプレートには『Parlement』と一言だけ、流れるような優雅な文字で記されていた。
「……ここは?」
「高等法院(Parlement)だぜ。
魔王陛下が直接裁判をして下さる一番偉い裁判所ってことで、普通は最高裁判所って呼ばれるがな。
さ、入んな」
腹に響く重苦しい低音と共に、扉は開け放たれた。
薄暗い室内の奥、やたらと背もたれの高い椅子が並んでるのがうっすらと見える。どうやら椅子に布がかけられているらしい。
目の前には観客席みたいな席もズラッと並ぶ。傍聴人席ってやつか。
そして部屋の中央には、向かい合う証言台。
おお、まさに裁判所って感じ。
部屋の中央には、丸い物体があった。
それはランタンを手にする小柄で丸っこい人物。見覚えがある人。
魔王第十子でありブルークゼーレ銀行頭取、オグル王子だ。
何故か銀行の頭取が裁判所の中で僕を待っていた。
はて、「方々」と聞いたんだけど、一人だけかな?
広い部屋の中、薄暗い中でも青く光る二つの目が僕に向けられる。
「……よお、ようやく来たか」
「お久しぶりです、オグル様。
ごキゲンウルワしゅう」
「俺相手におべっかはいらん。
用件は聞いているな」
「はい。イケンを聞きたい、ということですけど。
オグル様、だけですか?」
「いや、既に全員集まってるぜ」
パチン、と指が鳴らされる。
同時に椅子の背もたれにかけられた布が一斉にめくれた。と、椅子かと思ったら、大きくて立派な台の上に置かれた鏡だった。
大きな鏡が光を放ち、室内を明るく照らし出す。
それは円を描くように置かれた幾つもの通信用アイテム、無限の窓だ。
一枚ごとに数人の知ってる人物と知らない人物の姿を映し出す。
その中の一人、とても良く知ってる人物の姿が目の前にあった。
《やあ、よく来てくれたね、ユータ君。
鏡越しで済まない。最大限の警戒を、と厳しく注意されててね。
改めて紹介しよう。今、他の鏡に映ってるのが魔王十二子、僕の子供達だよ》
それは魔王陛下。
そして穏やかな笑顔で紹介されたのは、十二人の魔王一族だ。
次回、第十六章第二話
『十二子』
2011年12月29日00:00投稿予定