初めての、夜~どきどき
「ねえ、リィン……さん」
「ん? なあに?」
昼食の後、陛下の寝室をリィンさんと二人で掃除中。
陛下は最近はルテティアで夜を過ごすことも多いし、子供達のベッドルームで小さな子を寝かしつけながら寝る事も。
なので、この寝室はほとんど使ってない。
とはいえ陛下の部屋をホコリまみれにするなど、メイドとしてあるまじき怠慢。なのでリィンさんは掃除中。
そして僕はそのお手伝い。
で、あくまで自然に声をかけるつもりだったんだけど、声が上ずりそうだ。
頭にバンダナみたいな被り物をしてハタキをパタパタしてた彼女は、振り返らずに答える。
えっと、えと、なんだか言いにくいな。
でもここらでビシッと言わなきゃ。
「ええっと、その……さ。うんと、ね」
「なーに?
もしかしてさっきの皇国の船とか亡命者のこと?
それなら話した以上のことは書かれてなかったわよ」
「い、いやその、さ、そっちじゃなくて」
ううう、勇気を出すんだ。
リィンさんは子供じゃないし、僕だってもう給料をもらって働く社会人だ。しかも高給取り。
付き合い始めて一ヶ月以上経つ。キスだってした。
ここらでいい加減、さらに一歩前に進むべき!
でもでも、僕を覗きこんでくる黄色い瞳にハートを射抜かれて、なんだか心臓が破裂して死にそうです。
「あ、アシタも、リィンさんは朝から仕事……だったっけ?」
「違うわよ、明日は夜回り組。夕方から城に来るわね」
「あっと、そ、そうだったっけ。
ぼぼ、僕もアシタは夜からのキンム、なんだ」
「ふーん、それなら明日の夜も一緒ね」
「うん、そうなんだ。
キョウの仕事も、二人で、ヒグれまで……だよ」
「うん、そうだわね」
いや、それはもともと知ってるんです。確認したかっただけなんです。
というか、言いたいことがあるんですけど、提案なんですけど、それを言い出すのが恐いんです。
断られたら立ち直れないんです。
だから必死に本題の周りをグルグル回るような質問をしてるわけで。
言い出したいけど言い出せない、聞きたいけど聞けない。僕の視線は陛下のアンティークで統一されたシックな雰囲気の室内を右往左往してます。
と、いきなりリィンさんの方から僕のすぐ目の前へ飛んできました。
「つまり、あたしもユータも今夜は夜更かしできる、ということね?」
心臓が口から飛び出るかと思った。
そうなんです、つまり今日はこれから二人ともフリーなんです。
口付けを交わし、お付き合いすると決めて、指輪もプレゼントしたんだけど、それ以後の進展が無いんですよ。仕事が忙しかったり勤務が合わなかったりで。
こ、こここ、ここらで僕が男であることを、ををを、みせ、見せみせみせみみーんみーんつくつくほーし。
いや、男を見せねば。
「そそそ、そうなんだ! だ、だからして、その、あの……」
おおう、次の言葉が出てきません。
出てくるのは滝のような汗と鼻息だけです。
や、やばい興奮しすぎだ引かれる落ち着けおちつこんだ素数を数えろ1,2,さん……違うソレ素数やない! 素数って1を含んだっけ?
言いたいことも言い出せず、ただひたすらにテンパる僕。
それを白い目で、ゴミでも見るかのような目で見つめるリィンさん。
ああ、終わった……一世一代の見せ場があ……。
と思ってたら、彼女はさらに顔を寄せてきた。
唇が重なる。
優しく触れる小さな彼女の肌。
すぅ、と離れて、僕の目を真っ直ぐに見つめてくる。
「今夜、ユータの部屋に行くから」
え。
え~、いええ!?
さらりと何でもないことのように口を動かした彼女、その唇からはとんでもないせりふがあ!
し、しかも彼女は、頬も耳も真っ赤に染めてますよおおおお!!
「窓、カギは開けておいて。
それとちゃんと体は綺麗にしておいてよ。ベッドも整えてなきゃイヤ。
暖炉にも火を入れなさいよ」
それだけ言うとリィンさんは、部屋を飛んで出て行きました。
後に残った僕は、僕は、ぼぼぼくは、取り敢えず外を見ます。
まだ陽は高い。すっかり昼の時間は短くなったけど、それでも夜まで時間はある。
こちらから言い出したかったことだけど、結局リィンさんから言われてしまいました。でもそんなことはどうでもいいんですどうでもいいんです。
じゅ、じゅじゅ準備せねば!!
もう日暮れ。
ぜーぜーと肩で息をしながら、すっかり綺麗になった部屋を再度チェック。
絨毯もカーテンもゴミ一つありません。薪も暖炉横に積み上げて、火は既に入ってます。暖炉の前には熊の毛皮を敷いてたり。
壁も机もベッドの足までピカピカに磨きました。
そ、そして、シーツも新しくしましましたしたたあった。毛も落ちてません。
こここ、ここで今夜、僕とリィンさんは、一つになるんですー!
自分の手でベッドの感触を確かめる……よし、高級羽毛布団でフワフワだ。
下々の人々は虫だらけのワラの上に寝るのだろうが、僕とリィンさんの記念すべき夜に無粋な邪魔者は許さない。
魔王城勤務で良かった。
服だってバッチリです。手持ちの服の中で一番綺麗なヤツに着替えました。
そろそろほつれたり破れたりしてきたパンツとかズボンなんか、全部洗濯にだしちゃったぜ。
そして、窓のカギは開けてあります。
妖精のリィンさんは扉とか関係なく窓から入れますから。
おっとっと、それなら窓と窓枠も綺麗に拭こう。
コンコン
ドッキーンッ! と心臓が高鳴った。
ドアをノックする音。誰だろう、リィンさんは窓から来るから彼女じゃない。
ともかく開けるか。
「はーい、ダレですか?」
「ミュウですよ。
なんでも臭いを抑える香草が欲しいそうなので、持ってきました」
え、ミュウ様?
扉を開ければ確かにメイド服のミュウ様だ。小脇に香草が詰まったカゴを抱えてて、爽やかな香りが漂ってくる。
パセリやバジルやローズマリー、その他色々と入ってる。
「臭い消しの薬草や香草が欲しいと言ってたそうじゃないですか。
ちょうどバルトロメイさんからも明日の料理にって頼まれてたので、ついでに持ってきましたよ」
「うわあ、ありがとうございます!
でも、わざわざミュウ様がモってきてくれるなんて」
「ついでですから、気にしないでね。
それにしても……もう大掃除ですか?」
ミュウ様のタレ目が部屋の中を覗きこむ。
不自然にピカピカにされ片付けられた僕の部屋。ベッドもピカピカ。
「まだ年末の大掃除には早いですよ」
「え、ええ! そうなんですよ!
大ソウジをしてたんです! ええ、そうなんです!」
「この香草も、掃除に使うんですか?」
「はは、はい!」
汗ダラダラ。
言えない。本当は口臭予防とか、ブレスケアのガムが無いからせめて香草を噛もうと考えてたとか。
僕の姿と部屋の様子、そして小脇に抱えた香草を見比べてたミュウ様は、なぜか目を伏せた。
なな、なんとなく、頬を赤く染めてるような気が?
「あの……」
「……はい?」
恥ずかしそうに、小声で呟く姫様。
「キャンドルも……どうです?」
「え、キャンドル?」
「カモミールなどの精油を混ぜてますので、とても良い香りが部屋に満ちますよ」
「え、えっと……いいんですか?」
「は、はい。
その、やはり香を焚くのは、客人をもてなすには欠かせないかと……」
ぎゃー、見抜かれたー!
なんて鋭いんですかアナタは魔王一族の魔力は伊達じゃないんですか。
どどどうやって誤魔化そう。
「で、ではすぐに持ってきますから。
これ、どうぞ!」
といって香草の山をカゴごと、押しつけるように渡された。
そして姫様は顔を赤くしたまま走り去っていきます。
廊下を飛んでいた他のメイド達が不思議そうな顔で僕の顔と姫様の後ろ姿を見比べてる。
「は、はい、これ。
それじゃ、その、失礼します!」
香草と同じくキャンドルを押しつけて走り去る姫様。
いや、そんな恥ずかしそうに気を遣われると、こっちもますます恥ずかしくなってしまいます。
やれやれ、とにかくリィンさんを迎える準備を、と思ってドアを閉める。
と思ったら、即座に再びトントンとノックされた。
今度は何?
ガチャリと開けると、そこにはさっきのメイド妖精さん達。
「あれ?
マリアさんにローラさんにセレイさん、どうしたんですか?」
メイド妖精三人は、何も答えない。
ただニヘヘーっと笑い合うばかり。その両手は背後に隠されてる。
と思ったら隠してた物を突き出された。
それは酒瓶。でも酒瓶の中にミョウチクリンなヘビが入ってるって、ナニソレ!?
「ドワーフ秘伝のヘビ酒さね、精がつくそうだよ!」
「あと、こっちはジュネヴラ特産、蜂の子の蜂蜜漬けだわ。どんなジジイも一晩中空を飛べるって評判だね」
「んじゃ、頑張りなよ~」
というわけで、酒瓶と小さな樽を押しつけられた僕は、茫然自失。
あっと言う間にばれまくり。
「全くもう!
みんな無神経なんだから!」
僕の想いを代弁するような声が後ろから。
振り返れば、メイド服の上にカーディガンを羽織った妖精。待ち人来たるリィンさんだ。足には膝上までの厚手な白いソックス。
部屋に小雪が僅かに舞っている。いつの間にか外は暗くなり、雪が降り始めていたのか。リィンさんが窓から入った時に舞い込んだらしい。
そのリィンさん、外を飛んできたから服に雪がついてる。
「ほ、ホントウに、ほっといて欲しいよね!
それはともかく、サムかったろ? 暖炉でアタタまりなよ」
「そうさせてもらうわね。
うう~、寒かった。
あ、それと……」
細い指が祈るように胸の前で組まれる。
蕾のような口からは、何か呪文のような言葉がもれてくる。
何だろうと思ってたら、妖精の羽が小さくなって背中に吸い込まれていった。
「これでよし、と」
「へえ、久しぶりにみたなあ、羽を消したの」
「魔法の羽は、ユータに触れられると消えちゃうから。
魔力がもったいないもの」
なるほど、そういう理由か。
う、うむ、僕に触れられることが前提なんだね。うむ。
それにしても、妖精の羽を消した彼女は本当に普通の人間の女の子にしか見えない。
カーディガンを優しく脱がせてポールハンガーにかける。
パチパチと小さな火が燃える暖炉、赤く光る薪からの熱が部屋を温めてくれてる。
暖炉前の熊の毛皮にチョコンと座り、すっかり冷え切った両手を火にかざす。
え、えと、こういうときは、と。
「あ、と、ともかく、何か飲む?
ワインと、タンサンスイと、あるけど」
「それじゃワインもらうね」
「うん、イッショに飲もう」
ル・グラン・トリアノンには陶器やガラスの食器はないので木製のコップが二つ。
そこに予め準備してたワインを注ぐ。さっきのヘビ酒は無視。
暖炉の横に持って行って毛皮の上に、彼女の右に座る。
小さな手で受け取ったコップ、ちゃんと妖精族用の小さなヤツです。
それを小さな口で飲むリィンさん、うわああ可愛いよおお。
次回、第十四章第六話
『初めての、夜~はぁはぁ』
2011年11月3日00:00投稿予定