妖精に箝口令は意味がない
マルリー離宮(le domaine de Marly)。
魔王城ル・グラン・トリアノンの北西に位置する離宮の一つ。
かつては魔界の中心たるべき魔王城を彩る、小さいながらも優美な城だった。
離宮周囲の庭園には川や滝が配され、泉からは噴水が吹き出していたことだろう。
が、今はそんな面影はない。
噴水は単なる冷たい池でしかなく、滝は水しぶきをあげることなく乾いており、川だった場所はただの溝でしかない。
魔力炉の子供達によって追い出された城の機能が離宮に移されたが、このマルリー離宮も同様だ。
ここには郵便の機能が移された。
「はいはーい、お荷物お手紙が届きましたでー」
「順番に呼んでいきますさかい、焦らんとってやー」
鳥の翼を持つ鳥人族達が、封筒の束を手に叫んでいる。
彼らは魔王一族の一人が運営する郵便事業、ファルコン便の社員だ。
飛空挺を使うワイバーン便のような大規模な航空輸送はしないが、手紙や小包を各地に素早く配達する。安くて早くて安心と評判。
支店の一つは魔王城にも置かれていた。以前はル・グラン・トリアノンの一角にあったのだが、今はこちらに移転している。
王侯貴族が居留していた時代は庭園も壮麗華麗に維持していたのだが、今は単なる郵便局。
手間と暇と維持費の問題から、マルリー離宮を預かった鳥人達は庭をほったらかしにしている。
離宮の前には寒い朝から城勤めの者達が集まり、ザワザワと騒ぎながら名が呼ばれるのを待っている。
故郷からの手紙や贈り物を受け取ろうと、リザードマンの竜騎兵もオークの農夫も巨人の近衛兵もソワソワしっぱなしだ。
その中にはデンホルムやリィンの姿もあった。
教師業に就くエルフは、受け取った手紙を早速開き、紙の束をじっくりと読みふけっている。
口から漏れる言葉は、隣のリィンに向けて語っていると言うより、ほとんど独り言のようだ。
「ははは、どうやら父も母も元気そうで何よりだ。
だが子供達の教師を勤める件では心配させてしまったようだな
ふむ、結局ジョンは宿屋を継いだのか。あいつのことだ、どうせ宿より酒場が目的なんだろうが、密造酒などに手を出さなければいいが……」
白い息と共にブツブツ呟くエルフを横目に、リィンもかじかむ手を息で温めながら手紙を開く。
そして、食い入るように文を読み始めた。
普段、エルフとは違った方向でオシャベリ好きな妖精が、何も言わずに文面を読みふけっている。
その様子に、手紙を読み終えたデンホルムが違和感を覚えた。
「……どうしたんだね?
なにやら、他の妖精達も変な顔をしてるんだが?」
彼の言葉通り、同じく手紙を受け取った妖精達が、みんなして真面目な顔になっている。交わす言葉も小声だ。
妖精達の故郷はインターラーケン。妖精達全員が真顔になるということは、インターラーケンで何か大きな動きがあったということ。
エルフは妖精達の手紙への好奇心を隠そうとはしない。
「何か、インターラーケンで大きな事件があったのか?」
二度目の問いに、ようやく彼女は文から顔を上げた。
そして他の妖精と同じく、ヒソヒソと耳打ちして答えた。
「皇国から、新たな亡命者が来たらしいわ」
「ほほぅ……!」
「静かにして!
箝口令が敷かれてるらしくて、詳しく書かれてはいないんだけど、大きな声で言っちゃダメよ」
「……なんて意味のない箝口令なんだろうね」
デンホルムが呟いた通り、妖精達は小声で同種族内で、そして他種族へも耳打ちしている。
亡命者がどういう人物かは書いていないのだろうけど、こんなに噂になっていては口止めの意味がない。
そしてデンホルム自身も、箝口令が出されたから耳を塞ぐ、という気は無かった。
「それで、どういう人物なのだ?」
「それは分からないわ。
でも、皇国に潜入した人間の間者達が連れてきて、トゥーン様が直々に要塞まで出迎えに行ったらしいわよ。
相当の大物ね」
「ふむ、気になるな。
もしかしたらルテティアに連行されるやもしれない」
「かもね。
あと、皇国での噂なんだけど」
「ほう、皇国の?」
「うん。
どうやら皇国では、船を造ってるらしいわ」
「船を? 新型飛空挺か」
「それは分からないけど、でも、魔界へ侵攻するための新兵器という噂なんだって」
「ふぅ……む。
船か」
顎に手を当てて考え込むデンホルム。
マルリー離宮周囲は、寒空の中でもはやる心を抑えきれず手紙に目を通す魔族達のざわめきで、いつまでも騒がしかった。
さて、ここは僕の勤務地であり住居でもあるル・グラン・トリアノン。
私こと金三原裕太は、姉の京子と共に、授業に出ております。
学校生活の大半を平々凡々と送った僕らは、受験勉強に本気になるまでは成績トップになったこともドンケツになったこともありません。いつも中ぐらいです。
でも、今回は違います。
この授業に置いては、僕らはぶっちぎりでナンバーワンであることは明らかです。
正しくはビリからナンバーワンとツーを姉弟で独占できる自信があります。
人生、努力でどうにか出来ないものが存在するんですよ、ホント。
「……というわけで、魔法の発動に必要となる術式は、この形の組み合わせこそが重要なんだ。
何で書こうと構わない。地面にチョークで描いても、紙にインクで書いても、石を彫り込んでも同じ事だ。
頭の中で描いただけでも発動だけは可能だよ。
描かれた正しい『形』に魔力を流し込む、それこそが魔法を発動させるんだ。
逆に言えば、正しい形状を維持出来ない物に書き込んではいけないよ。
紙はすぐクシャクシャになるし、腕や足に書き込んでもシワになったりして効果がでないからね」
デンホルム先生が、黒板で魔界語の文章と様々な図式を描きます。
床に直接座った子供達は、自分の持つ小型の黒板に文章と図式を書き写します。
各自、描かれた図式に向かって手をかざし精神統一。
ドカンッ!
何人かの子供の黒板が宙に浮き、うち一つはそのまま上昇加速し、天井にぶつかってめり込みました。
パラパラと木片が降ってきます。
描かれた図式は『念動』、早い話が物を動かす魔法。この図式だと、書き込まれた黒板自体が上に向けて動くという内容だったようです。
そして上手く描けた図式に、魔力炉の子供が桁外れの魔力を流し込んだため、天井に叩きつけられる勢いになってしまったようです。
それはシルヴァーナの黒板でした。
「やった、やったぞぉ!
出来たぜー!」
黒髪を踊らせて喜ぶシルヴァーナ。
周りの子達は拍手したり驚いたり悔しがったり。
「すっごーい! シルヴァーナ姉ちゃんすごーい!」
「くっそー、あたしも負けないんだから」
「見てなさいよ!」
本気になった子達は、子供達の周りにいる他のエルフ教師達に正しい図式の描き方を習う。
そしてスザンナやオリアナといった年長の子達から順に、次々と魔法を成功させていく。
つまり術式に付与された『念動』の魔法によって黒板が上昇した。
ただし、やはり正確な図式ではなかったようで、横へ吹っ飛んで壁に激突したり、旋回して外へ飛んでいったり。
でも初歩で、かつほとんど失敗とはいえ、みんな魔法が使えるようになったとおおはしゃぎ。
で、教室の隅っこにいる僕ら姉弟です。
真剣に、黒板に綺麗な図式を描けたんです。円を基本とした、子供達の誰よりも上手い図式だと思います。
必死に気合いを入れて、「ふんぬぅお~!」とか漏らしながら精神統一してるんです。
でも、黒板はピクリとも動いてくれません。
得意げなシルヴァーナが、僕の横に来るんです。ニヤニヤしながら。
「あっれー?
ユータ、全然ダメ?」
「う、うっさいなー。
イマ、魔力をナガしこもうとがんばってるんだ。
ジャマしないでよ!」
「ふっふーん、無駄だと思うけど?
ま、がんばんなよ」
むっきー! むかつくー!
こっちは真面目にやってるんだ。魔界で平穏無事な生活を送るために魔法の知識も身につけようと頑張ってるんだ。
しかも子供達と違って、こっちは魔力を溜めるとこから始めないとだめなんだ。基本から真面目にやってるんだ。
それをバカにしやがってー!
ふととなりから、ギリギリという音がするのが聞こえる。
見るまでもなく、悔しさのあまり歯ぎしりする姉だ。
今、横を見ると姉と目が合うだろう。そしたら腹いせに殴られるだろう。だから横を見ないでおこう。
ボカッ!
甘かった、横を見なくても殴られた。
頭を押さえてキッと睨み付けても、姉は素知らぬ顔。
「な、ナニすんだよ、姉ちゃん!」
「八つ当たりよ」
しれっと言いやがりましたよ、この姉。
僕は何なんですか、あなたの奴隷とでも思ってるんですか?
前の方からデンホルム先生の呆れたような溜め息が聞こえた。
「ま、今日はこの辺にしておこう。
では諸君、昼食の時間だ」
とたんに子供達の歓声。
僕は姉をつけあがらせた自分の甘さを反省。なんとしても、なんとしても姉をギャフンといわせなければ。
弟としての地位向上を目指さねばならないのだ。
「船、ですか?」
昼食は僕と姉、それに先生とリィンさんの四人で食べることにした。
教師役のエルフ五人も子供達と一緒に食事を、ということにはなったんだけど、さすがにまだ子供達はエルフに慣れてない。
なのでエルフの残り四人も大人達と一緒に食事。
ちなみに今日の昼食には魔王陛下はいません。僕らが城にいるおかげで、陛下はルテティアでの政務に打ち込めるようになりましたから。
陛下と一緒に食事する機会は減りました、ちょっと寂しい。
で、リィンさんが受け取った手紙の話になったわけです。
「そう、船よ。
皇国から戻ってきた人間達の話じゃ、噂なんだけど、魔界に攻め入るための船を造ってるって。
それもスッゴイ大きい船らしいわよ」
船。
魔界に侵攻するための船って、魔界の船は大体が飛空挺なんだけど、そういう船なんだろうか?
それとも意外と普通に、海に浮かぶ船かなあ。
なんて考えてると姉の方が先に質問した。
「ねえねえ、リィン。
その船って、どんな船? やっぱり飛空挺? それとも海に浮かぶ船かしら?」
「海に浮かぶわけないじゃない。
当然、飛空挺よ」
はて、なんで海に浮かぶわけがないんだ?
この魔界ではまだ海を見てない。だから海に浮かぶ船って見たことない。
せいぜいレマンヌス湖の漁で使ってた小船くらいだ。
というか、変だ。
東西の巨大要塞で魔界と皇国が睨み合っていたとか、山脈を貫く大トンネルを掘り抜くとか、そういう話にスッポリ抜け落ちてる所がある。
地中海はどうなってるんだよ!
120kmもの大トンネル工事するより、船で海を渡った方が楽じゃないのか?
そんな僕の疑問には、聞かれる前に先生が答えてくれた。
「今回の船の話、もし真実だとするならば、それは飛空挺と考えるべきだろう。
何故なら海に船を浮かべるのは、危険極まりないからだ。
海岸沿いならともかく、遠洋に出たら助からない」
「ナゼです?」
「海にも魔族や強力な海獣がいるからだよ」
あ、そりゃそうだ。
地上にこれほど多様な魔族が暮らしてるのに、海に知的生命体がいないなんてはずがない。
「それも、地上の我らとは比較にならないほど強力な力と古い歴史を持つ種族だ。
海竜族、鯨族、クラーケン族などが代表的だな」
「彼らとは、ナカが悪いんですか?」
「仲が悪いとか以前に、会話が成り立たないんだ。
彼らの声は私達の耳には聞き取れないほど高くてね。特殊な宝玉を介さないと言葉を聞き取れないんだよ。
言語も全くの別物だ。
生活だって、彼らは水中に暮らしている。遠洋の海の底に、だ。接触の機会自体がない。
だから言語を解析出来た種族は数える程しかない」
「でも、フネで出たら会えるんじゃ」
「船で海に出てごらん、即座に船底に穴を開けられて沈没させられ、喰われる。話をする暇もない。
船で海に出るのは彼らにとって、エサ箱が流れて来るのと同じだよ」
それも納得。
この世界の知的生命体は、大半が魔法を使える。
水中から魔法を使われたら、海上を走る船なんかひとたまりもない。常に潜水艦の大群に狙われてるのと同じだ。
海洋生物が浜に打ち上げられたら助からないのと同じく、この世界の陸上生物は海に出たら死ぬ。
これじゃ、いくら陛下でも仲良くするのは無理かな。
でも陛下なら出来たりしないかな。
「でも、魔王陛下がいるのに」
「いくら陛下でも、暗き水の底まで行くのは大変だ。他の者なら泳げもしない、溺れるだけ。
統治を行き渡らせるどころの話じゃない。
結局、魚人族という MareNostrum(我々の海)、ああ、魔界の東方に広がる穏やかな内海のことだが、そこの 沿岸や河川に暮らす一部の魔族だけが、かろうじて魔王第九子リトン様を受け入れたんだ。
その魚人族を足がかりとして他の魔族とも交流を試みてるが……正直、上手く行っているとは言い難いらしい」
「へ~」
リトン、確かフェティダ様が以前言ってた、水が好きって人だ。
魔王第九子リトンは魚人族を支配する、と教えてもらった。
といっても、海全体を支配するとかいう話じゃなく、その一部だけと仲良くしてるだけなのね。
ああ、それでネフェルティ様が言ってたように、大航海時代が来なかったんだ。
速度は遅く積載量も乏しい、おまけに金と手間がかかる飛空挺でチョコチョコとしか探検出来なかったわけか。
となると、飛翔機開発は魔界の悲願だったわけだな。
滑走路のない未開の地、狭い平地だけでも運用出来るように垂直離着陸機にしたわけか。
えっと、話がずれたんじゃないか?
ああ、そうだ。皇国が開発する『船』の噂だ。
「そんなわけで、その『船』が海を渡る可能性は低い。
いくら皇国の技術が優れていても、地上の生物が海に出れば即座に沈められる。助からない。
苦労して海を渡って来たところで、既に半壊状態だ。その有り様で魔王軍が上陸を許すわけもない。
大型の飛空挺を開発している、と考えるのが正解だろう」
なるほどねえ、大型戦闘用飛空挺か。
でも、だとすれば、魔界としては全然問題ないな。
やたらめったら大きくて、動きも遅く、そのわりに大して荷物を積めない飛空挺。積んでるのは大方が軽い空気だからな。
おまけに大きくなればなるほど風の影響も受けるんだよね。強風を受けたらどっかに飛んでってしまう。
つまり、魔界が開発する飛翔機の前には、風船がフワフワ浮いてるのと同じ。ただの的だ。
といっても、魔界と長く戦争をしてる皇国が、僕が考える程度のことに気付かないとも思えない。
アンクの演算能力ならシミュレーションだってしてるはず。
なら、全くの新型の船ということになるかも。
皇国の『船』か、気になるな。
次回、第十四章第五話
『初めての、夜~どきどき』
2011年10月30日00:00投稿予定