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教皇

 インターラーケン山脈。

 それは地球ではアルプス山脈に相当し、山脈内には広く平らな盆地が広がっている。

 この山脈は人間の国と魔族の国を分かつ国境ラインとして、名実共に両世界を分断している。

 かつてはあまりの大山脈ゆえに、両国間山脈を通過しての往来は不可能に等しかった。

 だが、魔界側は高々度を飛行出来る飛翔機の開発に成功した。皇国側も山脈を貫く長大なトンネルを構築させている。トンネルは魔界側に占拠されセドルン要塞へと作り替えられたが。

 このため山脈は以前ほどには両国を隔絶する役目をなしてはいない。むしろ重要戦略拠点としての利用へと、両文明世界は認識を変えている。

 山それ自体にはなんら昔と変わっていないのに、それを見る者達の意識は変わってしまった。山を恐れ敬う原初の信仰は消え失せつつある。



 そして初冬、晴れた昼。

 雪の積もるインターラーケン山脈南側、皇国領北端の山中を進む者達がいた。

 真っ白な重装備の耐寒服を着た幾人もの男達。そして子供とおぼしき小さな人物。彼らは各自の体をロープで結び、遭難しないように進んでいく。

 氷雪に包まれた山林の中、粉雪を巻き上げる強風に立ち向かい、道も定かではない斜面を彼らは登り続ける。


 隊列の後方を歩く男は、他の男達と違い、防寒服以外身につけていない。荷物は持っていない。

 にもかかわらず足取りは一番重そうに見える。

 防寒服の襟から少しはみ出しているのは、周囲に積もる雪に負けず劣らず白いヒゲ。苦しそうにあえぐ口からは隙間の空いた歯列がのぞく。

 どうやら相当の老人らしい。

 前を歩く男達が雪をかき分け歩きやすくはなっている。だがそれでも老人の歩調は遅い。腰に結びつけられた紐に引っ張られ、すぐ後ろを歩く子供らしき人に尻を押され、ようやく隊列についてきている有り様だ。

 隙間だらけの歯の間から、問いかけとも愚痴ともつかない言葉が漏れる。


「……ハア、ヒィ……い、いったい、どこまで歩けばいいんじゃあ……」


 あえぐような質問に答えたのは小柄な人影の後ろ、最後列を歩く男。

 口ひげの先を氷で白くしながら、寒さに負けず礼節を保って返答する。


「いま少しです、猊下。

 先ほどオルタの廃村を抜けました。この先に我らが皇国へと戻った坑道があるのです」

「そ、それなら、もうすぐそこへ着くんじゃな?」

「いえ、そこは我らが通過した後に埋め戻されました。

 現在はさらに奥に新たな地下道が無数に掘り抜かれています」

「な、なんじゃと!?

 このわしに、まだ歩けと言うのか! わ、わしを殺す気か!?

 き、教皇たるわし、を、いい、一体、なんじゃと!」


 猊下と呼ばれた老人は、自らを教皇と名乗った。

 皇国では現在、魔界側では通称アンク教と呼ばれる宗教を国教と定めている。

 この老人が教皇というのが真実であるなら、強大な皇国の精神的支柱である教会最高位にある者が、ごく少数のお供に連れられて雪中行軍をしていることになる。

 しかも魔界側領土へ向けて命懸けで歩き続けている、と。


 本来なら、それはあり得べき状況ではない。

 だが隊列を組み雪の中を歩く男達は、当たり前のように山奥へと歩き続ける。

 猊下と呼ばれ教皇と名乗った老人の尻を押す人物も、それを全く当然のこととして進み続ける。


「あと少しの辛抱です、猊下。

 さすがにこの雪の中、軍も竜騎兵も追ってはこれません。風も強く、飛空挺とて容易くは山へ来れないでしょう。

 あと少しで助かるのです。我らも最大限の助力を致しておりますので、どうか猊下も死力を尽くしていただきたい」

「つ、尽くしとるわい! つか、とっくに死にそうじゃ!

 わ、わしが死んだら、貴様ら全員地獄行きじゃぞ……恥知らずの裏切り者共め、魔族の走狗め……」

「真実に気付いたに過ぎません。

 猊下とて、我らと同じ道を歩むと決断なされたのです。

 魔王城へ参じて頂ければ、魔王陛下と皇帝陛下のいずれに正義があるか、ご理解頂けることでしょう」

「く、くそ……何が魔王陛下だ……実験動物ごときが!

 ノーノ! オルタの田舎神父ごときの貴様まで、偉そうに……」

「魔王陛下が実験動物だったのも、私が神父だったのも、昔の話です。

 それに皇帝陛下の暴虐については、猊下自身が語ってくれたではありませんか」


 教皇であるはずの老人は、口汚くノーノ元神父を罵った。その言動に教皇としての威厳も風格も知性も見られない。

 対するノーノ元神父の口調は、この身も凍る冬山を歩いてなお丁寧だった。自らを口汚く罵倒する教皇に対し、礼節を保ち続けている。

 そしてノーノ以外の男達は、老人の尻を押す小柄な人物も、無駄な体力を消耗すまいと黙って歩き続ける。

 冬山とはいえ南向き斜面、しかも昼間の太陽は容赦なく雪原で反射する。斜め上からの太陽光と雪からの照り返しで眩しい山道。

 僅かに露出する顔の皮膚を光で焼かれ、風に行く手を阻まれながら、必死で歩き続ける。


 ほどなくして、先頭を歩き続けていた男が右手を挙げた。

 隊列は止まり、老人は雪の上に尻餅をつく。

 先頭の男は隊列を繋ぐ縄をほどいて森の中へと入っていく。


 しばらくすると、男は数人の人物と共に隊列へ戻ってきた。

 同じく防寒服に頭まで包んだ者達は、森の中の一本道にたたずむ、あるいはへたりこむ隊列を慎重に見定める。

 そして全員が高速で呪文を唱え印を組み、隊列へ魔法を放つ。それらは『魔法探知』や『探査』といった探知系魔法。じっくりと時間をかけて調べ上げる。

 ようやく納得した男達は、フードを外して顔を露わにした。

 それは人間族と同じ顔立ちの男達。だが髪から飛び出す耳は人間族に有り得ないほど長い。

 耳長の者達の一人が隊列先頭に居た者へ向き直った。


「任務ご苦労、そして帰還を歓迎する。テルニ殿。

 私はエルフ族のチャド。ジュネヴラまでの案内は私が務めよう」

「ご協力感謝する。

 改めて紹介させてくれ。俺はタルクィーニョ=テルニ。そしてこちらにおられるのは……」


 テルニと名乗った男はフードを下ろして、長い栗色の髪を揺らしながら老人の方へ振り向く。

 力尽きて尻餅をついていた老人は、それでも必死で立ち上がり、力を振り絞って朗々と声を張り上げた。


「わしは、神聖フォルノーヴォ皇国国教会、神の第一の僕に列する教皇座にしてピエトロの丘の首長たる地位を神より与えられし首座司教!

 教皇シモン七世である!

 下賤なる魔族共め、頭が高いわい!

 控えおろう!」


 老人は名乗った。教皇シモン七世と。話が長いはずのエルフより長い装飾文と共に。

 一瞬エルフ達の目は見開かれ、テルニと名乗った男へと視線を戻す。

 テルニの赤い目は、もったいぶって顔と共に上下した。


「真実だ。

 確かにそこのご老体は、教皇だ。いや、元教皇と言うべきか」

「今も教皇じゃ!

 教皇選出会議が終わるまで、わしは間違いなく教皇に変わりないわい!」


 皇国国教会最高位にある者が、魔族を地獄の使いだ呪われた悪鬼だと教える張本人が、魔界へ赴かんと雪山を登ってきた。

 その事実はエルフ達の理解を超えており、どう判断すべきか疑うべきかと視線を左右させる。

 最後尾に立つ男、口ひげを左右に伸ばすノーノ元神父は一礼して口を開く。


「初めまして、ダルリアダの賢者達よ。

 私の名はノーノ。かつてはオルタ大聖堂の一神父を務めておりました。

 このお方が間違いなく初代シモン聖下に連なる教皇猊下であらせられることを、偽りの神ではなく私の誇りに誓って証言致します」

「さあ、聞いての通りじゃ。

 さっさとわしを魔界へ、魔王のところへ連れて行け!」


 エルフ達は、絶句した。

 果たしてこれは亡命か、それとも皇帝からの特使か、はたまた陰謀か、判断が付かなかったから。

 とにもかくにも彼らは頷きあい、彼らの職務を遂行することにした。

 隊列を森の奥へ招き入れ、新たに掘り抜かれた皇国への潜入路へ案内する。




 皇国が構築したセドルントンネルを改造した要塞、セドルン要塞。

 オルタの廃村近くから魔界側のインターラーケンまで伸びる線路を、トロッコのような乗り物が走り抜ける。

 簡単な座席が取り付けられたトロッコに乗るのは、雪中行軍をしていた教皇以下の者達。それと案内役のエルフ達。

 魔法のランプが照らすトンネルは、それでも薄暗い。

 両横には排水溝があるが、水は流れていない。冬ゆえに雪は溶けず地下水の水量が少ないためだ。

 その薄暗い中を、ツルハシやスコップを担いだオーク達が歩き回る。

 複線になった場所では土砂を満載したトロッコとすれ違う。

 たまに天井近くを妖精達が飛び去る。彼ら妖精の羽は七色に輝くため、離れた場所からでも存在がよくわかる。

 リザードマンが小さなトカゲの群れ、ジバチトカゲ達を連れて脇の坑道へと入っていく。その奥からは岩を削るような音が絶え間なく響いてくる。

 時折すれ違うゴブリン達は、トロッコに乗った人間達の姿を見るなり顔をしかめる。地面にツバを吐いたり、何か分からない言葉を投げつけてくる。恐らくはゴブリンだけに通じる悪口だろう。

 トンネルを塞ぐような巨人達が壁際によける中を進む様に、老人は怯えた目を向けている。


「こ、こいつらは、人間を襲って喰ったりは、せんのか?」


 魔法を動力とするトロッコを操作するエルフは、あくまで冷静に正しく答える。


「我らは人間を食べません。

 四十年の長きにわたり人間族との接触がないため、かつては人間を食料としていた種族も、その風習が途絶えたことでしょう。

 また、人間族への命令無き殺傷は軍紀に反します」

「な、何が軍紀じゃ、いっちょまえに……」


 誤解と偏見に充ち満ちた不毛な会話をしつつ、トロッコは地上へと進む。

 そして彼方に見える眩しい光が大きくなり、最終的には彼らを包む朝日となった。

 目も眩むほどの光の中に立ったとき、そこには雄大にして穏やかな、しかし厳しい大自然の光景が広がった。


 目に映るのは、雪に覆われた広大な盆地。

 巨大な丸い皿を置いたかのような大地を囲むのは、やはり雪に覆われた山々。

 その山頂は、あまりに高すぎて雲の中にまでそびえている。

 それは妖精族が暮らすインターラーケンの大地。

 あまりに急峻な山に囲まれたため翼無き者達には立ち入れなかった、インターラーケン山脈中央盆地だ。


 インターラーケン側トンネル出口では、既に皇国からの来客を迎えるべく、完全装備の魔王軍が隊列を組んで待ちかまえていた。

 その隊列の中から、漆黒の鎧に包まれた小柄な人物が進み出る。


「任務ご苦労だった!

 以後の亡命希望者の処遇はインターラーケン領主として、このトゥーン様が引き受ける!」


 トゥーン=インターラーケンとトロッコのエルフ達は敬礼を交換する。

 領主は次に、トロッコを胡散臭そうにみつめた。

 眉をしかめながら、先頭にいるテルニへ話しかける。


「おい、テルニよ……そこのジジイが、例の連絡にあった?」

「そうだぜ。

 皇国国教会教皇、でっちあげな神のしもべのしもべ、シモン七世だ」

「こいつがあ?」


 思いっきり疑いの目を向けられる老人は、魔王軍最精鋭であろう魔族集団に包囲された現状に、怯えきってトロッコの中で小さくなっていた。

 その老人の横に座る小さな人影も、同じように座席下に小さな体を丸めて身を隠そうとしている。

 教皇の横で教皇以上に縮こまるのは、白く長い髪を垂らした少女。その額には、まるで草輪が頭にかけられているかのような模様が描かれている。

 居並ぶ魔物達の視線が集中する中、教皇と少女はトロッコの中でがたがたと震えながら隠れ忍んでいた。


 それでは次回より後半開始です。

 魔界で居場所も仕事も見つけた裕太と京子、彼らにも変化の時が訪れることでしょう。

 大人への階段を登りつつ彼ら、その辿り着く先は……?



第十四章『大人の階段』、第一話


『決算期』


2011年10月14日00:00投稿予定



*現在までの投稿予約状況


2011/10/14 第十四章

2011/11/21 第十五章

2011/12/25 第十六章

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