Théâtre du Châtelet
ルテティアの街を蛇行しながら下っていくマルヌ川。
川が大きく幅を広げた場所にはParisiiという名の中州がある。
ルテティアが地球で言うパリなら、このパリシイという名が何らかの関係があるはずだ。
学者だったらこれだけで研究でも始めるだろうけど、買い物に来ただけの僕らには関係ないし時間もないので、深く突っ込まない。
それよりは中州に建ってる大きな建物の方が気になる。とにかく大きな石造りの建物で、壁や屋根を飾る彫像と彫刻の大きさも量も質もハンパじゃない。
出入りする人々は、種族こそ様々だけど、一様に黒マントを羽織ってる。
今度は四人乗りの馬車でやってきた僕らは、道に降り立つ先生の解説を聞く。
「あれは最高裁判所だよ。
ルテティア各街区には領主がいて、各自に各種族の法に従い裁判権を有している。
その裁判に不服ある者が最後に訴え出る場所だ。
もちろん最高裁判所まで裁判を持ち込めるのは、豪商や貴族くらいなものだがね」
最高裁判所か、魔界って法律もしっかりしてるんだな。
で、その中州へ通じる橋がある辺りの川岸には、露店がズラリと並んでる。その商品の多くが本だ。
ザッと見たとこ、どれも使い込まれてたり破れてたり。古本ばかりだな。最近の印刷物もあるし、古い手書きの冊子みたいなものもある。
売っている店主は、なーんか冴えない感じのエルフが多いかな。他の種族も色々といるけど、どの店主も顔色悪そうで元気なさそう。
先生は、早速嬉しそうに本の露店を物色し始めた。一応は解説を続けてるけど、上の空だな。
「ここは古本の露店が多くてね……研修の学徒や遍歴でルテティアに来た者達が、要らなくなった本をやり取りするんだ……うん、これは持ってる本だな。
まあ、貧乏学生が多いから、大した本は置いてないけど、たまに掘り出し物が……おや、これはフュユティエールの『市民物語』じゃないか、ふぅ~む、興味はあるが……ああ、失礼、うん、本を読み出すと、どうにも……」
心ここにあらずな先生、もう本の世界に没頭してる。
それにしても、新品でいいですよって言ってるのに。「いやあ、さすがにそれは高いからね」とかいって、家具も本も中古を選らんじゃう。気にしなくていいのに。
僕や姉やリィンさんは本にそれほど興味なし。一応は勉強のために目を通すけど、趣味って程じゃない。
なので、貧乏学生ゆえに食にも事欠いているだろう古本屋の店主達より、他のことの方が気になります。
それも先生が得意げに解説する裁判所より、もっと華やかで活気があるものの方が。
最高裁判所とは川を挟んで反対側の岸にある、大きな建物。
とても大きく、四階建てくらいの高さがあり、飾り付けられた鮮やかな布が幾筋も風にひるがえってる。
出入りする種族は様々で、建物の前にたむろする群衆は陽気で熱気に包まれてる。
そう、いうなればアイドルのコンサートに来たファン達って感じ。
字で埋め尽くされた本に顔を埋めてる先生の背中をチョンチョンとつつく。
「センセイ、あのタテモノってなんですか?」
「んー……」
チラリと一瞬だけ視線を向け、即座に再び本の世界へ戻っていく。
一応は説明してくれてるけど、すっごい興味なさげ。
「あれはThéâtre du Châtelet(シャトレ座)……なにか、歌や劇をやってるらしいよ……よく知らないけど」
うわ、初めて聞いた先生の投げやりなセリフ。
この人、本当に流行り物とかに興味がないんだな。見事なまでの本の虫。
うーん、女性二人も座り込んで本を読みふけってる先生に白い目。先生の買い物が主な目的っていっても、女性二人のエスコートを忘れるだなんて。
先生って、いつもこうしてフラれたんだな、きっと。
それにしても、シャトレ座か。
確か、さっきの酒場の店主が言ってたっけ。シャトレ座で人間の歌を聴くのが流行りだって。
そして建物前の熱気を見るに、本当に売れてる楽団か何かが公演するんだろう。
その人間達が所属してるグループかどうかは知らないけど、もしそうなら興味があるな。ぜひ見てみたい、会ってみたい。
姉ちゃんも興味あるみたい。
「ユータ、行ってみない?」
「うーん、イきたいのはやまやまなんだけど、もうジカンがなあ」
空を見れば、太陽は傾き始めてる。
南駅舎に戻って竜騎兵に城へ送ってもらうことを考えると、あまり遅くはなれない。
いつから公演が始まるかわからないし、入るのは難しいな。
でもリィンさんも気を引かれてしょうがないようだ。ワクワクという感じが伝わってくる。
「でもでも、外からちょっと眺めるくらい、いいでしょ?
ねーねー、デンホルムさんも、本を選んでる間くらい劇場に行ってて良いわよね?」
「……あー、うん、行ってらっしゃい……」
絶対聞いてないな、この人。
ま、買う本を選ぶのにいつまでかかるかわかりゃしない。その間くらい自由に動いてても良いでしょ。
というわけで、本の虫は本の中にほっといて、僕らはシャトレ座へゴーなのです。
シャトレ座の前は、もう押すな押すなの大盛況。
入城待ちの観客やら、それを目当てにした屋台やら、単なる通行人や馬車も、警備をしているワーウルフ等の兵士達の怒声も合わさって、それはもう大騒ぎ。
そこかしこから会場を待ちわびる人達の話し声だか叫び声がわき起こる。
「あ~、チャロちゃんの太鼓のリズム、たまんねえなあ~」
「アーラ様のフィドル、いつも聞き惚れちゃうのよねえ」
「でもなんといっても、イラーリアさんのリュートが一番!」
「何をいってんだい、演奏なんて全部、ヴィヴィアナ達の歌声を引き立てるための添え物だべよ」
小柄なゴブリンも見上げるような巨人族も、一様に興奮で沸き立ってる。一体どんな楽団なんだろう。
建物の入り口に掛かってる垂れ幕を見ると、『Parisiorum』と書いてある。何の名前かはわからないけど、さっきの話から察するに、人気の楽団か。
入り口の方から「並んで並んでー、お金は先に準備してねー」っていう声が人垣の向こうから聞こえてくる。
それはいいんだけど、とにかく人が多すぎ。
押すな押すなの、じゃなくて、本当に押されまくって大変だよ。
巨人族の極太な足に蹴られそうになったり、人の隙間をチョロチョロとすり抜けていく小柄なゴブリン達にぶつかったり、警備のワーウルフに「こらー! そこ、ちゃんと並べー!」と怒鳴られたり。
頭の上だって、妖精やら鳥人やらコウモリ羽の人やら、魔法で飛んでる他の種族だっている。『浮遊』の魔法は高度な技術が必要で、魔力消費も激しいそうだけど、混雑に耐えられなくなったか。
冬だというのに、すごい熱気だ。
頭の上で涼しい顔で飛んでるリィンさんの姿も、うっかりすると見失いそう。
「ちょっと、ユータもキョーコも、流されて迷子になったらダメよ!」
「わ、分かってるわよ! ちょっとユータ、どこにいるの!?」
叫んでる姉の姿が人混みに隠れて見えない。
うひゃー、もうたまらん、演奏を見るどころじゃない。出ようか。
と思ったら、なんか聞き覚えのある中途半端に甲高い声が聞こえた。
「あっらぁ~?
そこにいるのって、もしかして、城の新入り妖精ちゃんじゃない?」
後ろから、中年男のオカマっぽいセリフ。
人の波をかき分けて姿を現したのは、人間族の小太りなおじさん。城でコック長をやってる元皇国軍少将のバルトロメイさんだ。
僕らと同じくエルフの服装、やたらと羽根飾りがついた帽子で耳を隠してる。手には荷物をさげてる。
リィンさんを目指してやってきたコック長は、その真下にいた僕とバッタリ出くわして目を白黒させてる。
そこへようやく姉ちゃんも人混みから姿を現した。
「あらあら! おっどろいたわねえ。
ユータちゃんにキョーコちゃんもパリースィオールムに会いに来たの?」
「あらら、コック長じゃないですか。
私タチは買いモノに来たんです。コック長は、そのパリ何とかというのに来たのかしら?」
「そぉなのよお!
ミュウ様に午後のお仕事お任せしてね、久々にあの娘達の歌を楽しもうかと思ってえ!
せっかく招待状も持ってるし」
といって胸元から取り出されたのは手紙。
にしても、バルトロメイさんって、ほんとにオバサンっぽいしゃべり方だ。これってゴブリン族やワーキャット族のしゃべり方みたいな、何かの方言……ではない気がするけど。
それはそれとして、コック長の後からも城の男達がゾロゾロとやってきた。みんなエルフの服を着て、バンダナやフードで耳を隠してる。
「おー、ユータにキョーコちゃんじゃねーか!」
「シニョリーナ、君も演奏を聴きに来たのかい? 夜勤明けに頑張るねえ」
「奇遇だな、それじゃ一緒に入るとしよう」
嬉しそうに僕らの腕を、というか姉の手を取り腕を取り劇場の中へと誘おうとする彼ら。
バルトロメイさんも僕の腕を捕まえて劇場の入り口へと引っ張る。
おっとっと、でも僕らは時間がないんですよ。といってもなんか断るのも悪い気がするし、困ったな。
「ちょっと待ってね、保父さん達!」
頭の上からリィンさんの声。助け船を出してくれるようだ、助かった。
「ユータは今日は夜番で、魔王様と夕方に交代よ」
「あ、そうなのか?」「となると、そろそろ城へ戻らないと、間に合わないな」「そりゃ残念だわねえ」
ホントに残念そうに僕の腕を放すバルトロメイさん。
僕も演奏は聴きたかったけど、ちょっと時間がないなあ。あ、それじゃ姉ちゃんはどうするかな?
「ネエちゃん、ツギのキンムは?」
「明日はアサから、あんたとコウタイよ。だから早寝したいのはホントね。
う~ん、エンソウは聴きたいけど、そろそろ疲れたし、どうしようかしら?」
顎に手を当てて首を捻る姉。
保父達は「いやいや、せっかくルテティアまで来たのに、もったいないよ」「パリースィオールムは聴く価値ありだぜ! 保証するぞ」「それに、彼女たちとは早めに会っておいた方が良い。紹介するからさ」なんて、姉を必死に演奏へ誘おうと頑張ってる。
まあ、下心ありだろう。けど会った方がいいのは本当かも。
うーん、僕だって街に頻繁に来れるワケじゃないし、どうにか一曲くらい聴けないかなあ?
なんて悩んでたら、ポンッとバルトロメイさんが手を叩いた。
「それじゃ、直接会いに行きましょう!」
とたんに皆、「あ、そうだな」「うん、それくらいは良いだろ」「んじゃ早速行こうぜ」なんて言い出す。
えと、直接って、劇場の楽屋へ直接パリースィオールムのメンバーに会いに行くってこと?
見たとこ、凄い人気バンドみたいだけど、そんな簡単に通してくれるわけないと思うんだが。
でも彼らは当然のように僕らの腕を引っ張り、劇場の裏へと向かっていく。リィンさんも「ちょっと待ってよー」と言いながら後を飛んでくる。
「バルトロメイさん、そんなカンタンにアえるんですか?」
「あら、大丈夫よ。いつもは演奏の後にこれを渡しに行ってるの。
今は演奏前だけど、たまにはいいでしょ」
といってコック長が示したのは、手に持ってる風呂敷包みみたいな荷物。
当たり前のように裏口から劇場内へ通された。
警備のワーウルフ達はバルトロメイさん達を見るなり、普通に扉を開けてくれる。
もちろん通り抜けるとき、コッソリと警備員のポケットに手を差し込んでた。賄賂だか通行料だか、お互い心得てるなあ。
薄暗く狭い廊下を走り回る劇場の大道具さんやらの間を縫い、飛び交う大声の指示だか怒声だかを聞きながら、舞台の横へ到着。
その間、誰にも何も言われない。チラリと姿を見ただけで、すぐ忙しそうに自分の仕事へ戻っていく。本当にいつものことなんだな。
たくさんの小道具や箱が散乱し、天井からは垂れ幕やロープが垂れ下がった舞台袖には、何人もの楽団員がいた。
魔法のランプで照らされた舞台では、開演前の最終調整が続いてるようだ。
ズラリと並べられた太鼓の具合を確かめる巨人の女。
角笛みたいなのを磨いてるオーク。
木琴をポンポンと叩いて調子を確かめてるリザードマン。
偉そうに指示を飛ばしてるドワーフ、腰に工具を下げてる所をみると、大道具の親方かな。
コウモリ羽の女性達もいる。胸に手を当てて発声練習中。
妖精の女性達も、タンバリンやカスタネット片手にフワフワ浮いてる。
他にも沢山の種族がいて、それぞれ開演前の最後の調整に忙しい。
が、その中に一風変わった服装の人が三人いた。
いや、楽団員はそれぞれに一風変わったカラフルな服装なんだけど、その三人は僕と姉にとっては場違いな服装をしていた。
それは地球で言うなら、シスターの服装に近い。
ただし、近いというだけで、絶対にシスターの服じゃない。こんなワイルドな色気を出したシスターはいない。
ほとんどミニスカートと言えるほど丈が短く、あちこちにスリットだか破れた穴だかがあり、靴はハイヒール。
そしてヴェールは被ってるのに、その裾をまくりあげて、あえて耳を剥き出しにしてる。
人間族の特徴である短い耳を。
それは三人の人間の女性。
一人は細い笑い目が特徴的な、人間の女性としては背の高い人。赤く長い髪が背中へ垂らされてる。なにやら宝玉が幾つも光るオルガンみたいなものを叩いてる。
もう一人は、クルクルとカールした金髪で、今にも泣きそうな目をした女の子。小型のハープを爪弾いてる。これも宝玉がゴテゴテとついてる。
最後の一人は栗毛に琥珀色の瞳、えらく強気そうな釣り目の女。背は人間族としては中くらい。ギターみたいな楽器の弦を調製してる。やっぱり宝玉が輝いてる。
宝玉は高級品。それを楽器に幾つもつけるなんて、何か特殊な地位にある人達なんだろうか?
バルトロメイさんは嬉しそうに彼女たちへ駆け寄っていった……内股で。他の男達も開演前の緊張感を気にせず寄っていく。
こんな場所にズカズカ入り込んでいいのか気後れするけど、成り行きで控えめに後をついていくことにする。
「ヴィヴィアナちゃーん! イラーリアちゃんにサーラちゃんも、応援に来たわよー!」
そのカマっぽい声に三人はクルリと振り向き、緊張感漂う真顔が一瞬で花が開くような笑顔に変わった。
調製もそっちのけでバルトロメイさん達の方へ駆けてくる。そしてハグし合い、お互いの頬にキスをする。
あ、魔界に来て初めて見たな。スキンシップを伴った挨拶って。
「お久しぶりですわ! 来て下さったんですね」
「あ、アリーチョさんも、ジャコモさんもロターリォさんも、う、嬉しい、です」
「開演前に来てくれるなんて珍しいじゃねえか、いつも終わってからなのに。なんかあったのか?
つか、その後の連中……みない顔だな。新入りか?」
釣り目の女性がこっちを見る、つか胡散臭そうに睨み付けてきた。
とりあえず僕はペコリと頭を下げる。
姉は軽く頭を下げてから、胸を張って一歩前に出た。
「はじめまして。
私はカナミハラ=キョーコと言います。この秋から城でアラたにハタラき始めました。
トナリは弟のユータです」
「は、はじめまして、ユータです。
アネとオナじく、シロでコモりしてます」
僕らの自己紹介に、女性三人は目を見開いて驚いた。「あ! あなた達が噂の新しい亡命者!」「陛下の極大魔法すら弾き返すっていう、結界使いの姉弟ってわけかい」「た、対魔王陛下用の、刺客として、造られた、とか……」なんて呟いたりヒソヒソ話したり。
ちゃんと聞こえてますよ、しかも人聞きの悪い。
結界使いはまだともかく、何ですか魔王陛下への刺客って。しかも皇国から逃げてきたって。
いやでも、魔界では人間って皇国出身なんだよな。なら皇国から来たと勘違いされるのも当然か。
さらに魔王の魔力を弾く結界を持つ、というところから、皇国で造られた魔王への刺客、と話が進んだわけか。
噂に尾ひれがつくのはどこでも同じだなあ。
次回、第十三章第七話
『元修道女達』
2011年9月23日00:00投稿予定