Le Petit Trianon
ノエミさんはお仕事終わって部屋に戻り一休み。
僕は午後から約束があるので、城を離れる。
でも城は広大な庭園に囲まれてて、各所にある離宮や飛空挺発着場までは、とんでもない距離。
歩いて移動できる距離じゃありません。
これが魔法に長けた人とか、翼をもつ種族なら飛んで移動できる。
飛べなくても肉体強化魔法があれば高速で走って移動できる。
でも僕には両方無理。他にも魔法の使えない人や足の遅い人はいる。また、魔法で空を飛ぶのは魔力消費が激しくて、緊急時でもない限り嫌がられる。
というわけで、庭園内を移動する馬車が各所に待機してくれてる。バスかタクシーみたいな感じで利用できる。
馬車、といっても目の前にいるのは馬じゃなくて大きな犬。
インターラーケンでトゥーン領主が飼ってたカルヴァと同じ種類らしいけど、こっちは黒とか茶とか。
犬を曳いているのはワーウルフの兵士達。
彼らは城の警備兵、いわゆる近衛兵だ。警備ついでにタクシー役もやってくれる。
城を離れて犬小屋だか馬小屋だかよく分からない場所に来ると、犬の兵士達が敬礼で迎えてくれる。
僕もぎこちなく敬礼で応える。
「ども、おツカれサマです」
「任務御苦労!
本日はいか用にござるか?」
「Le Petit Trianon(小トリアノン宮殿)へおネガいします」
「承知致した!」
軍人、というよりは侍のようなノリの兵士は一頭の犬を曳いてくる。
それは大きな背中に鞍を乗せ、あぶみも付いてて乗りやすい。
目の前に伏せた犬にまたがり、あぶみにつま先を入れて体を安定させる。手綱も一応はあるけど、頭のいい巨大犬達は乗馬初心者の僕の命令なんか聞いてくれない。
僕の前にひらりと乗った兵士の手綱で走る。
「さ、シャルルよ。小トリアノン宮殿へ急ぐぞ!」
わぅ、という返事とともに走りだす犬。名前はシャルルらしい。
ものすごい揺れで、鞍を太ももでしっかり挟んでいないと振り落とされそうだ。
秋も深まりつつある森、赤や黄色に染まる落ち葉が渇いた音とともに降り続ける。
巨大犬シャルルが駆け抜けると、風で巻き上げられた枯葉がクルクル踊る。
石畳の道を走り、田園風景を通り抜け、あっという間に小トリアノン宮殿を対岸に望む池に到着。
「あ、ここでいいです」
「ふむ? 小トリアノンはまだ先であるが?」
「トチュウにヨウがあるので、アルいていきます。
ありがとうございました。またおネガいしますね」
「いつでも声をかけられよ。お待ちいたす」
犬を降りて、再び敬礼を交換。
目の前にあるのは、小トリアノン宮殿。庭園に数ある離宮の中の一つだ。
その離宮は城というほど大きくも派手でもなく、ちょっとしたお屋敷という感じ。屋敷の前には大きな池がある。
特徴的なのは、魔王城庭園の中にありながら田園風景に囲まれてること。そして農家みたいな家が周囲に幾つも並んでいること。
牛や豚、大トカゲや鶏、そのほか名前は知らないけど色々な家畜が飼われてる。畑ではオーク達が収穫に忙しい。
庭園が広いからって、城の中の食べ物は自給自足するって……籠城時のためかなあ?
地球のヴェルサイユもそんな風だったんだろうか。
てくてくと池をグルリと回って田園風景の中を歩く。
農家が並ぶ、といってもそこは宮廷。普通の農家みたいに汚らしくも崩れかけでもない。地味で小さいけど清潔で上品な民家だ。
まだ建築途中の家も並ぶ。川があって水車小屋もあり、このままだと本格的な農村が出来上がりそうな勢い。
秋の収穫の時期なので、庭園各所にある木の実をかご一杯にかついだオークも道を歩いてる。
目の前を歩いてきたオークの男が声をかけてきた。
「おーう、おめ、ユータつったっけ?」
「はい、こんにちは」
「新しく城に来たんだってなー。人間のくせに感心だぞ。
ほれ、リンゴくっていきな」
ぽいっと投げ渡されたのは真っ赤なリンゴ。美味しそう。
オークさんは「がんばんなよ~」と手を振りながら通り過ぎて行った。
頭はイマイチで魔法は使えないし力も強くないけど、気さくで素朴で良い人達なんだよな、オークって。
さて、到着したのは二階建ての民家。
二つの煙突が屋根から突き出て、窓ガラスもはまってる。
ちょっと値の張るガラスを窓にはめれるのは金持ちの証。普通の民家は木戸がはまるか油紙を貼っただけなので、暗いし寒いしすきま風も辛い。
ブドウ棚みたいな日除けのついたテラスに、直接二階へ上がれる階段もついてる。家の周囲の柵も庭もピシッとしてる。
何より、けっこう広い民家。おまけに新築だ。
「せんせーい! イますかー?」
外から声をかけると、中からトントントンという階段を駆け下りる音がする。
バタッと大きな音を立てて開けられた入り口から顔を出したのは、デンホルム先生。
頭にはバンダナ、手には雑巾。体はズボンとシャツの上にエプロン。
まだ掃除中だったか。
「やあ、よく来てくれたね。
丁度良かった。今しがた、ようやく掃除が終わった所だったんだ。
まだ何にも無いけれど、さあ、入ってくれたまえ」
珍しく上機嫌の先生にうながされ、「おジャマしまーす」と家の中に入る。
中にはいると、さすが新築だけあって綺麗なモノだ。まだ家具は何も無く、生活感が無い。ショールームみたい。
しかも、よほど几帳面に掃除したんだろう。チリ一つ落ちてない。
そういえば外の庭も柵も完璧に整備されてた。この一週間、この新居の整備に全てを費やしたのか。
「ふわぁ~、キレイにしましたねえ」
「いやあ、まだまだだよ。
庭の土壌改善もしなきゃね。家畜を飼うつもりはないので豚舎とかはいらないが、農作業用の倉庫も欲しいところさ。
家具を入れてないうちに、あちこち手入れや補強をしたいし、棚も付けたいな」
「キアいがハイってますねー」
「もちろんさ!
憧れの魔王城勤務だよ。故郷の両親にも、ようやく胸を張って報告が出来るという物だね。
正確には君達姉弟専属の教師だが、こうして離宮に居を構えることすら出来たんだ。
いやあ、恐らく我が一族の中でも出世頭になってしまったかもしれない。いやはや、帰郷したら学友達の嫉妬が恐ろしいな、ははは」
先生は暖炉前でピカピカの新居を眺めながらご満悦。
嫉妬が恐いとか何とか言いながら、全然そんな様子はない。
やっぱり魔王城ともなれば勤務するだけで自慢なんだな。多国籍大企業に入社するようなもんか。
「それで、そろそろカグとかカいにイけそうですか?」
「ああ、うん、家具だね。本も、という約束だったね。構わないのかな?」
「はい、そろそろルテティアへカいモノにイきたいです」
「ああ、うん、そうだねそうだね。
君の稼いだお金で私の家具や本を買い揃えるというのは心苦しいが、ここは厚意に甘えるとするよ。
だが、もう少し待ってくれるかな。どんな家具をどう配置するか、まだ計画がまとまらないんだ」
そう言いながら先生が部屋の隅に丸められた大きな紙を広げる。
それはこの家の見取り図。そして大量のメモ書きと、何度も修正して書き足した家具の配置図。
どんだけ気合い入れて計画してるんだ、この人は。
「まだ構想中の段階だけど、そうだね、それほど贅沢な品を期待しているわけじゃないんだよ。
小トリアノンに保管されてるような黒檀の家具みたいな、あんな真鍮と鼈甲で飾られた高級品などは使いにくいんだ。手入れが手間だから。
食器だって出入りの行商人から中古品を買うつもりだしね。おっと、食器類は自費で出すから安心してくれたまえ。
ああ、でも生活には潤いが必要じゃないかな? だとするとワンポイントくらいは良い品があってもいいと思える。となると実家から、祖父から受け継いだ嗅ぎ煙草入れを送ってもらおうか。
あの嗅ぎ煙草入れはね、ドワーフの職人にも劣らぬと高名な金銀細工親方のジャン=シャルル・デュクロレの逸品なんだ。編み縄模様の素地に半透明のエマイユで表した建造物のモチーフが金地で浮かび上がってて……」
既に僕の存在なんか遙か遠くに忘れ去り、憧れの魔王城勤務をいかに充実させるか理想の社宅を作り上げるか、に思考をフル稼働させてる。
なんだよベッコウとかカギタバコイレとか、エマイユって一体何なの?
今までお世話になったし、魔王城へ一緒に来てくれる礼も兼ねて、先生の家具をルテティアで買ってあげる約束はしたんだけど、まさかこんなにハイテンションになるなんてなあ。
いつにもまして話が長くてまわりくどくなってる。独り言をブツブツと呟き続けてるよ。
こりゃ、買い物に行くのは先のことになりそうだ。
「あの、センセイ。
そういうコウソウはゆっくりまとめるとして、リィンさんは」
「……あ、そういえば実家の物置で眠ってた書き物机。足が折れたけど上質のコナラとバラの木を使ってるからもったいなくて、捨てずにとっておかれたままのはず。
確かあれは寄せ木細工だから、新しい部品を作ってもらって分解組み立てすれば、また使えたかも。あれも送ってもらって修理しようか……」
「あの! センセイ!」
「え、ああ、すまないね。つい新居の構想に没頭してしまって。
えと、なんの話だったかな?」
「リィンさんですよ」
「ああ、彼女か。
彼女ならle Petit Trianonだよ。
結局、大部屋で他の妖精達と一緒に暮らすことにしたそうだ。
君達のお付きということで特別待遇が得られるというのに、わざわざこのような居宅を断って狭いベッドを選ぶとは。
やはり妖精は雀のように群れないと、不安と恐怖に押し潰されてしまうんだね」
「ふーん、それじゃカオをダしてきます。
センセイはどうします?」
「はは、私は遠慮するよ。
今日のうちにオーク達から肥料と炭をもらっておきたいんだ。
買い物の方は、準備が整ったらこちらから声をかけるとするよ」
「ハーイ」
まだまだ新居の準備で忙しい先生に一礼。
わざわざ王宮の中に作られた農村風景の中へと戻る。
腕時計を見れば、そろそろ夕方のはず。でもまだ結構明るい。
これならリィンさんに会っていっても、暗くなる前に魔王城へ帰れそうかな。
魔王城に住み込みで働いてた人間以外の種族は、魔力炉の子供達のせいで魔王城にいられなくなった。
妖精達だけは子供達が怖がらないので魔王城勤務を続けられるけど、やっぱり危険なので寝起きの場所は別。
なので、みんな急遽、本来は各魔族の有力者が滞在したり会議・宴会・儀式をするための離宮に暮らすことになってしまった。
さらに魔王城から避難させてきた高級家具や財宝も、各離宮で保管してる。
何しろ城が大きくて広いから、庭師や使用人だけでも大人数。大慌てで民家を建て増ししてるんだけど、全然間に合わないんだって。
というわけでやってきたのは池の畔にあるお屋敷、小トリアノン宮殿。
本来は魔王城ル・グラン・トリアノンほどじゃないにしても、立派な宮殿だったと思う。
いや、今だって立派ですよ。特に暴走のせいでボロボロになってしまった今の城と比べれば、壊れてないしピカピカで綺麗です。
まあ、確かにピカピカなんですけど……でも、この有様は無いと思う。
窓という窓には洗濯物が干されてる。
軒先には何かの干物がズラリとつり下げられてるし。
入り口の横にはホウキにチリトリに何かの大きな調理器具、みたいなもの。
生活感バリバリ。もう城じゃなくて下町のアパートな雰囲気。
地球のルイ14世がこの光景をみたら、血管ブチ切れて死ぬんじゃなかろうか、という光景だ。
もう夕方なので洗濯物を取り込み夕食の準備をする妖精達がいた。ラフな私服を着た妖精達は、みんな女性だ。小トリアノンは女性妖精が住み込んでる。
そのうち一人が僕に気付いて力一杯手を振ってきた。
「おーい! ユータぁ!」
元気いっぱいなリィンさんの声。
手に握る白い布を旗みたいにふりながら、僕の方へ飛んできた。
と思いきや、その後ろに沢山の妖精達がついてくる。
小トリアノンは妖精達の女子寮と化してしまったため、今は彼らもほぼ全員私服のラフな格好だ。
家事の手を止めた彼らに、あっと言う間に囲まれた。
「もう、ユータったら水くさいじゃないの!
いつまで経ってもこっちに顔を出さないんだから!」
「ゴメンゴメン、シロのシゴト、イソガしかったから」
「あらあら、この人が例の異邦人かい?」「へえぇ~、トゥーン様と同じ黒目黒髪なのねえ」「若そうだけど、魔王陛下の魔力すら弾き返す結界使いなの?」「見た目は普通の人間族なのに、凄いんだわさ」「ふぅ~ん、結構神秘的な雰囲気じゃない?」「リィンのお気に入りなのも頷けるわ」「リィンってば、危険な恋が大好きだもんねー」「あらやだ! 横恋慕の次は異人さんへの禁断の愛なの!?」
囲まれていきなり、リィンさんのお気に入りとか禁断の恋とかなんとか、一気に恋バナが咲いてしまった。
て、僕がリィンさんのお気に入りだってえ!?
なんですかそれは、僕は人間でリィンさんは妖精ですよ、魔界に来てから異種族間のカップルなんて聞いたことありませんが。
恋バナの中心に放り込まれたもう一人、リィンさんも目を白黒。いや瞳の色は黄色だから目を白黄と言った方がいいのかな。
表現の仕方はともかく、ビックリ仰天してる。
「な、何を言ってるのよ!?
いきなり何の話よ、私とユータはそんなんじゃないわよ!
というか、妖精と人間じゃないの! 有り得ないわよ、変態呼ばわりしないで!」
へ、変態って。
禁断の愛を通り越して、変態って。
せめて不毛とか言って欲しい、というか、そんな関係じゃないっての。
でも周りはそんな事実は認めない。
ええ絶対認める気がないのは知ってます。認めたら面白くないもんね。
「なーにいってんのさ、リィンって、障害が大きいほど燃え上がるタチじゃないの」「フランツに横恋慕して振られたんでしょ? あなたって毎回そんな報われない恋に燃えてるじゃない」「フられフられてフられ続け、とうとう妖精じゃ飽きたらず……なのね」
「ば、バカ言わないでよっ!」
肩を震わせて怒るリィンさんだけど、周りは気にする様子全くなし。
僕とリィンさんの腕を取り背中を押して、小トリアノンへ引っ張る。
「まあまあ、もう晩ご飯の時間だし、積もる話は中でしましょ」
「ささ、入って入って! 今夜は良いお魚が手に入ったのよ」
「魔界とも皇国とも違う国から来たんだってね、どんな話か教えてちょうだいね」
なわけで、妖精達の夕食に招待された、というか連れ込まれた。
もの凄い興味津々なのは空気だけで分かる。
明日も僕は朝シフトなんだけど、遅くなる前に返してくれるかなあ……?
次回、第十二章第三話
『許されざる』
2011年8月23日00:00投稿予定