青黒い霧
長い廊下を歩く僕ら四人。それを先導し案内する魔王陛下。
コツコツ……という音が広々とした人気のない城の中に響く。
多くの人が逃げ出した、というだけあって、あちこちが崩れた城には生活感があるのに人影が少ない。
子供は56人もいるし、その保母保父さん達に執事メイドの妖精達もいるから、決して城にいる人数は少なくないはず。
上空や外から見た通り、城のいたる所で天井や壁が崩れてる。窓も割れてカーテンも破れてる。おまけに落書きだらけ。
でもこうして内側を歩いてみると、外側ほどには酷い状態じゃなかった。瓦礫はもとよりゴミも落ちていない。家具は整理され、歩くのに邪魔だったりもしない。
生活のために必要最小限の掃除や整理はしてるんだ。
それに、子供が手出し出来ないような場所は綺麗なままだ。
円柱形の太い柱が並び、各部屋の大きな扉はアーチを描き、床は大理石が幾何学模様を描く。
天井からはきらびやかなシャンデリアが下がり、星のような輝きを瞬かせる。
壁の上の方、天井近くに動物や人物の彫刻は精巧で繊細な姿を保ってる。
天井は上品な絵画や模様で埋め尽くされてる。
う……あちこち焦げてる。放火したのか?
「酷い有様でしょ?」
僕と、同じく城の中を呆れながら見まわしていた姉に、魔王様が声をかける。
どう答えたらいいものか、姉弟で顔を見合わせて複雑極まりない引きつった顔を向けあう。
そして、日本人らしく愛想笑い。それくらいしか思いつかない。
「これでも随分とマシになったんだ。
最初の頃は、本当に、戦場のような有様でねえ。
もっと沢山の、色んな種族が城に居たんだけど、避難させるしかなくなっちゃったんだ」
「あの、妖精のシツジ達やメイド達、皇国のニンゲンはダイジョウブなんですか?」
姉の質問に、魔王様も微妙で複雑な表情を返してくる。
「子供達が異種族を怖がるんだよ。
ほら、彼らは皇国の人間族でしょ?
皇国では異種族が全部追い出されて、教会では『魔族は呪われた悪魔』って教えてたから、人間以外の種族を知らなくて怖がるんだ。
だから城に残れたのは皇国の兵士達と、人間に似てて小柄な妖精だけになってしまったんだよ。
あとはエルフやドワーフがたまに立ち寄れるくらいだね。
というわけで、デンホルム君とリィン君は大丈夫」
僕らと同じかそれ以上に不安げな顔をしていた二人も、引きつった笑顔を魔王様へ向ける。
「そんなわけで、人間族と全く同じ外見の君達は有り難いんだよ。
ノエミ君をはじめとした保父さん達は、元々皇国の精鋭だから体力はあるんだけど、人数は多くないから。
本当に手が足りなくて困ってたんだ。
来てくれて有り難う、本当に有り難う」
足を止めて向き直った魔王様は僕と姉の手を取り、力強く握りしめてくる。
正直、困った。
まさかこんなに期待されてただなんて。
これじゃ『やっぱり止めます』なんて言いにくい。
「さらに君達は、強力な抗魔結界を身につけているそうじゃないか。
その能力があれば、きっと子供達の『暴走』を止めることが出来るって、ルヴァンが予想したんだ」
「あー、エット、そう、みたいです。
ボクらにはよくワからないんですけど」
「ふむ、ちょっと試していいかな?」
「どうぞ」
「ありがとう。それじゃ失礼して……」
魔王様の青い眼が光る。
ほんの一瞬、まるでフラッシュのように発光したような気がした。
あまりに一瞬過ぎて分からないくらいだ。
ただ、魔王様には十分だったらしく、数回まばたきして「ワオ……!」と驚きの声を上げた。
「し、信じられない!
全く魔力が無いワケじゃないようだけど、本当に魔力が通らないよ!
術式も何もないのに、信じられないなあ……!」
いつも通りの反応をされた。
ここで鼻高々になればいいような気もするんだけど、どうにも自覚がないのでリアクションに困る。
あれ、いや、いつも通りじゃなかったぞ。
今、『全く魔力が無いワケじゃない』て言わなかったっけ?
僕がその点を聞くより先に、姉の方が尋ねた。
「あの、魔王様。
今、魔法はトオらないけど魔力がナいわけじゃない、と言いませんでした?」
「あ、うん、言ったよ。
僕の魔法ですら効果が無いほど、強力な抗魔結界だった。
でも、ほんの僅かなんだけど、魔力を帯びてるらしいね。
あまりにも少しで、しかも抗魔結界に邪魔されて、ルヴァン君でも感知できないほどだったようだけど」
ふーん、僕らも少しだけとはいえ魔力を帯びてたんだ。
とはいえ感知も出来ないほどじゃ、魔法を使うなんて無理だろうなあ。
ちぇっ、少しは期待したのに。
「ともかく、これなら期待できるよ!
子供達の『暴走』を安全に止めることが出来るかも知れない」
「ボウソウ?」
「そう、『暴走』だよ。
子供達の魔力の暴走が無差別に周囲を破壊してしまうんだ。
今のところ、子供達の魔力暴走を止めるには、僕が大魔力を使って無理矢理抑え込むしかなくてねえ。
そのせいで僕は魔力を十分にためることが出来ず、魔王としての仕事にも支障が出ていたというわけだよ」
額に手を当て、溜め息混じりに語る魔王様。
笑顔はそのままだけど、その姿には疲れが見える。
いや、疲れ以上に老いが見える。
人間の常識がどこまで通じるか知らないけど、まるで人間の老人のような衰えが感じられる。
やはり魔王といえど、永遠不滅の存在ではないのだろうか。
「だから、君達の抗魔結界で子供達の暴走を安全に止めて欲しい。
それが出来れば、僕は魔力を使わずに済む。魔力を溜めることが出来る。
僕が魔力を十分に溜めれば、アンクを僕の魔力で最大限に稼働させることが出来るんだ。
そうすれば、君達がチキュウという国に帰るための道を開くことができるかもしれないんだよ」
うん、そういうことだと聞いてる。
その『暴走』というのが何なのか知らないけど、魔王の魔力を大量に消費しないと止められないモノなんだな。
でも僕らなら、魔力無しで『暴走』を止めれるかもしれない、そうルヴァン王子は予想した。
もしこれに成功すれば、魔王は魔力を溜めれる。
魔王の魔力が十分溜まれば、その大魔力でアンクをフル稼働させれる。
そうしたら、僕らが地球に帰るためのワームホールを生み出せるかも知れない。
んで、その『暴走』って何だろう?
名前からして安全そうじゃない。今まで説明もなかった。はて、どうしてだ?
もちろん魔王が大量に魔力を消費するし、その影響で城が破壊されるのだから、まともなものじゃない。
その点を聞かざるを得ない、聞きたくないけど。
「あの……その『ボウソウ』って、どんな」
「陛下!」
そのとき、男の叫びが響いた。
悲鳴のように魔王を呼んだのは、さっきのマル執事長だ。
頭から流れる汗を飛び散らせながら飛んでくる。
「エルダが、暴走しそうです!」
「なっ!? また……。
しょうがない、すぐ行くよ!」
報告を聞くが早いか、魔王様の姿がかき消えた。
一瞬遅れて廊下に突風が吹き荒れる。魔王様が立っていた場所のタイルにも真新しいヒビが走った。
文字通りに、目にも止まらぬ速さで駆けだしたのか。
魔王様の起こした風で吹っ飛ばされた執事長だけど、すぐに体勢を立て直して廊下奥へと飛んでいく。
さて、残されたのは僕ら四人。
どうしたものかと顔を見合わせる。
廊下の奥からは、何やら大声や足音が響いてくる。
例の『暴走』に対応するため、城の人達が集まってるんだ。
「……どうする? ネエちゃん」
「どうって、言われても……行ったら、アブないわよね」
「だよねえ」
デンホルム先生も困惑してる。
額に手を当てて考え込んでる。
「ふぅむ、非常に言いにくいのだが……『暴走』を抑えることが君達に与えられた職務なのだ。
この目の前の件に関しても、無視や逃げは選択肢としては取り得ない、としか言わざるを得ない」
「ちょ、ちょっと待ってよ!」
リィンさんは先生のセリフに慌て出す。
先生の顔の前に飛んできて、指を突きつけて怒ってる。
「この子達に、いきなり何をさせるっていうの!?
まだ説明の途中で、しかも本当に『抗魔結界で暴走を抑えれる』かどうかも分かんないのよ?
出来るわけないじゃない!」
その言葉に、姉ちゃんはウンウンと頷く。
でも僕には、正直僕も頷きたいんだけど、そういうわけにもいかない。
魔王一族が僕らにやらせたい『暴走』とは何なのか、僕が本当に役に立つことが出来るのか、知らないわけにはいかない。
何が出来るか知らないけど、やるしかないんだ。地球へ帰るためには。
「ネエちゃん、センセイもリィンさんも、ここにいて」
それだけ言いのこし、僕も執事長の後を追う。
徐々に大きくなる叫び声と靴音の方へと走り出す。
後ろから姉ちゃんが「ま、待ちなさい! あんたに何が出来るってのよ!?」なんて叫ぶのが聞こえる。
けど、行かなきゃ。
そのために僕は魔王城へ来たんだから。
と思ったら、後ろから何かが追いかけてくる。
肩越しに振り返れば、リィンさんが僕のすぐ後ろを飛んで追いかけてきてた。
「もう! 男って、どうしてそう無茶なのよ!」
「リィンさんはアブないよ、ムこうでマってて」
「そうは行かないわよ!
わ、私は、あんた達の世話役なの、ほ、保護者なの!
あんたを守るのも、私の、し、仕事なんだからね!
リィンさんを舐めるんじゃないわよ!」
「そっか……ありがと!」
そんなわけで、僕とリィンさんは騒ぎの中心へと向かう。
目の前には同じように中心へ向かう人と妖精。
妖精は空を飛んでるからスピードがあるのは分かる。でも同じくらい速いのは、廊下を走ってる人間族達。
驚いたことに、二本の足で廊下を走ってる人間の方が、速いかも。
カーブでスピードを落とすかと思いきや、そのままの勢いで突っ込んで、勢い余って壁を走っていく。
目の前に家具とか邪魔なモノがあると見るや、とんでもない跳躍力で飛び越える。
壁だろうが天井だろうが、まるで忍者のように跳ね回る。
さっきから僕の頭上や横を、とんでもない勢いで飛び去っていく妖精達と、人間。
「な、なに、あのヒトタチ……ホントにニンゲン!?」
「魔法よ。『肉体強化』で体を強くしてるの。
でも、あそこまで動き回れるなんて、凄いわねえ。
さすが皇国の精鋭って言うだけはあるわ」
本当に凄い。
これが魔法の力か、羨ましいなあ。
でも、あんな人達ですら抑えられない『暴走』ってヤツを、僕なんかが本当に押さえ込めるのか?
必死で走ってるのに、後ろから駆けて来る彼らの邪魔にしかなってない。たったこれだけの距離なのに、もう息があがりはじめてる。
汗でジーンズを湿らせ、パーカーのフードも振りながら走ってるのに、スニーカーだって彼らの革靴より走りやすそうなのに。全く話にならないほど、遅い。
こんな貧弱な僕に出来るって、抗魔結界があるから大丈夫って、本当なのか?
疑問と不安と劣等感をまとわりつかせながらも、騒乱の中心にようやく到着した。
そこは、ドアが並んだ廊下。どうやら小部屋が並んでいるらしい。
廊下には子供のおもちゃとおぼしき木の彫り物や積み木、ぬいぐるみが転がってる。
その一室の前に人垣が出来ている。天井近くの空中には妖精の執事とメイドもフワフワ浮きながら、部屋の中をうかがってる。
そして部屋からは、何やら合唱のような声が響いてくる。たくさんの人間が呪文を詠唱してるらしい。
「……くそ、狭いな。
術式が組めない」
「しょうがない、周りの部屋に子供はいなかったはずだ。壁をぶち抜け!」
「柱は残せよ、城を崩さないよう気をつけろ」
部屋の中から、保父として城で働く元皇国兵士達の大声。
その指示と同時に廊下にいた人達も印を組んで呪文を詠唱。
慌てて飛び離れる妖精達。
そして、男達が一斉に腕を突き出した。
ドゴンッ!
壁が吹き飛んだ。
何の魔法かは知らないけど、とにかく凄い衝撃が小部屋のドアも壁も粉々にした。
まだ離れた場所を必死で走ってる僕の体に振動が打ち付けられる。耳には耳鳴りを残していく。目が回る。
僕まで吹っ飛ばされ、廊下の床をゴロゴロと転がされてしまう。
視界の端、リィンさんも廊下奥へ飛ばされていくのが見えた。
「……つぅっ!
い、一体、何だっていうんだ……!?」
頭を振りながら上半身を起こす。
すると目の前には、弧を描いて並ぶ男達。
横から飛んで戻ってきたリィンさんが手を貸してくれる。
「大丈夫? 立てる?」
「ボクはダイジョウブ。リィンさんは?」
「あたしも大丈夫よ。
それにしても、うわあ、すごい魔法陣ねえ」
確かに、それは見たこともない巨大な魔法陣。
僕は魔法に関しては無知だけど、それでも目の前に展開されてるのが凄いモノだというのは分かる。
飛空挺墜落事件の時とは違い、全員が声も印も合わせて一つの巨大な魔法陣を描き、一つの魔法を使ってるんだ。
立ち上がった僕の目に映るのは、壁がぶち抜かれて柱だけになった幾つかの小部屋。 二重の円を描いて並ぶ男達。
壁が無くなった床には、男達が並ぶ二重の円を基本とした魔法陣。複雑怪奇な図形図式がチョークか何かで一瞬にして描かれたらしい。
床の術式は淡い光を放ってる。男達の魔力が流し込まれ、魔法が発動しているらしい。
描かれた二重円、その内側の円にノエミさんも立ってる。
円の中心へ向けて必死の形相で魔法を使ってる。
そして、円の内側には魔王様が立っていた。
さっきまでの優しげな笑顔じゃない、真剣で鋭い視線を魔法陣の中心へ向けている。 その足下には、いや内側の円全体を、青黒い何かが漂っている。
内側の円に充満しているのは、青黒い霧のようなもの。
でも、霧じゃない。
絶対に霧じゃない。
なぜなら、その霧に触れた床石が、削れたからだ。
床石は青黒い霧に触れると、砂より細かく砕けてチリになった。
落ちていた布地のようなものは一瞬で腐敗した。
天井の一部が円の内側に入っていたけど、その天井も霧に触れた瞬間に砕け落ちる。だが床に落ちる前に、蒸発するかのように消えてしまった。
「これが、暴走……」
これが、暴走なのか。
これが城を破壊するモノの正体だって言うのか?
魔法陣と青黒い霧の中心にいる、あの小さな女の子が、危険極まりないという子供達の正体だっていうのか!?
青黒い霧が充満した円陣の中で、魔王は小さな女の子と相対していた。
六歳か七歳くらいの、白いワンピースを着た、短い赤毛の少女。
見たこともないような苦悶の表情を浮かべてうずくまる子供の体から、霧は湧き出していた。
次回、第十一章第五話
『暗い霧の中』
2011年7月31日00:00投稿予定