廃城にて
道を進み、森が開けた先に見えたのは魔王城、ル・グラン・トリアノン。
魔王城といっても、闇夜の雷雲をバックに雷光で照らされたりしてません。お昼過ぎの森の中、すっかり紅葉で赤や黄に染まった木々に包まれてます。
血を吸いそうなコウモリではなく、小鳥が飛び回ってます。
風に舞うのは砂埃でなく、落ち葉です。
まるで雪のように舞い落ちる木の葉の向こう、僕らの勤務地となる魔王城が見えてきました。
いや、かつては魔王城と呼ばれただろう、廃墟へ。
いやもう、上空で飛翔機の窓から見ましたけど、ほんとに酷い有様です。
そりゃあ、ここは地球のヴェルサイユ宮殿じゃありません。パラレルワールドでヴェルサイユ宮殿に対応する存在ですけど、全く同じ存在じゃないんです。
だからガイドブックに載ってるヴェルサイユ宮殿みたいな豪華で華麗な外見を期待してたわけじゃないんです。
でも、やっぱりこれは酷すぎます。
ガラスは一枚たりと無傷のものは無い。
壁や屋根は、あちこちで崩れ落ちてる。
各所に配された彫像やモニュメントらしきものは落書きだらけ。
そして空から見てもハッキリ分かった巨大なクレーター。
近くに来ると、本当に例の『子供達』の危険さが分かります。
まさに不発弾か地雷のような存在……あれ?
あれあれ? 変だぞ?
魔力炉の子供達は確か、潜在的魔力は高いけど魔法の術式は学んでないので魔法が使えない、という説明だった。
実際、さっきのトラップに魔法式の物は一つもなかった。全部、物理的トラップ。
ということは、本当に普段は普通の子供ということになる。
魔力による肉体強化も何も出来ない、ただの子供。
「あの、マオウ……サマ」
「うん、何かな?」
優しそうな青い眼が僕へ振り返る。
この人、こんな廃墟じみた場所で暮らしてるのかな。魔界を支配する魔王なのに。
「マリョクロのコドモタチは、マホウがツカえない……とキきました」
「うん、使えないよ。
まだ術式を教えていないからね。
いやはや恥ずかしながら、文字や算数すら、まともに教えられる状況じゃないんだ。
僕の力が足りなくて申し訳ないよ」
「あの、でしたら、このアナは、ダレがあけたのです?」
「ああ、うん……子供達だよ」
僕が指さした先にあるのは建物の入り口。
大きな木製のドア……斜めになって外れかけだけど……の前にデカデカと大穴が空いている。
地面がえぐられ、茶色い土が剥き出し。
僕の背中に隠れてる姉も、恐る恐る顔を出す。
「でも、子供タチは魔法が使えないのですよね?
でしたら、どうやってこのオオアナを空けたんですか?」
「おや、まだ説明を受けてなかったのか」
少し目を開いた魔王の青い眼がノエミさんの方を見る。
彼女は少し頭を下げた。
「申し訳ありません。
まだ説明の途中でして」
「そっか。
じゃ、僕が城の中では警護するから、説明を続けてくれ。
子供達と仲間達の紹介もしていこう」
というわけで、大穴の縁をグルリと回って入り口へ向かう僕ら。
目の前で見ると、本当に背筋が寒くなる。地球でも結構な威力の爆弾を使わないと、ここまでの大穴はあかない。
ニュースの戦争報道を見ると、たまに爆撃機やトマホークとかの攻撃で地面にあいた穴が撮される。まさにそんな感じ。
つまり、ここは戦地なわけか。
手に汗を握る、目の前が暗くなりそうだ、なんか頭も胃も痛んできた。
後ろの姉ちゃん、僕の服を握る手にも力が増してきてる。
恐怖と緊張でガチガチになりながら壊れかけの入り口をくぐる。
すると、最初に目に映ったのは、メイド姿の女の子達。
人間族みたいな外見の女の子を先頭に、妖精のメイド達が横一列に整列していた。
インターラーケンのメイド達と違って、全員がフリル付きの白エプロンに黒のメイド服。フワフワのスカート。
その後ろには、やはり横一列に整列する人間の男達。ほぼ全員ラフなズボンと上着。軍服っぽい土色や迷彩服の人もいる。
そして最後列で横一列に並ぶのは、見事な黒の燕尾服だか執事服で身を固めた、妖精の男達だ。
凄い、妖精の男がこんなに居たんだ。インターラーケンで見た男の妖精は子供やベルン長老みたいな老人だけだった。
本当に男の妖精は全員が出稼ぎに出てたんだな。
先頭にいるメイド服の少女が一歩前に出て、優雅にスカートの端をつまみ、頭を下げた。
そのメイドさんは、頭の後ろにまとめられた金髪の上にちょこんとティアラが乗っていた。赤い目はタレ目、広い額の真ん中にはホクロ。肌は見事に、本当に雪のように真っ白。
そして可愛い声で歓迎の言葉を述べる
「いらっしゃいませ、カナミハラ=ユータ様、そしてキョーコ様。
魔王城にて勤務する侍女と執事と保父一同、首を長くしてお待ちしていました。
私は魔王城侍従長を務めています、ミュウと申します」
同時に後ろに並ぶ妖精のメイド達も同じく可愛らしく礼をしてきた。
次に歓迎の言葉を続けたのは、隣に立つノエミさん。
「ミュウ様の後ろに並ぶのは保父一同です。
昨年のインターラーケン戦役後に、子供達と一緒に魔界へ移り住んだ元皇国軍人ですわ。
改めて、よろしくお願いしますね」
その言葉と共に、ノエミさんはビシッと敬礼。
同時に横一列に並ぶ男達もザッと音を立てて直立不動、そして敬礼。
おお、一糸乱れぬ見事な敬礼。映画で見た海兵隊員のようだ。
そして最後は最後列の執事達。その中から一人の妖精が飛んできた……ハゲの中年男でも、妖精は妖精。
たとえ顔はゴツいオッサン顔で、頭に毛が一本も生えてなくても、背中には蝶の羽を生やした妖精族の男、執事だ。
胸に右手を当てて、礼儀正しくハゲ頭を下げてくる。
「お初にお目にかかります。
私は魔王城にて執事長を務めさせて頂いております、Waldemarと申します。
皆には、マル、と呼ばれております。
以後、お見知りおきを」
他の妖精執事達も同じく礼をした。
僕らも「は、はあ……」と、さっきから何度も頭を下げ続けてる。
魔王様はというと、城のホールを見まわして小さく溜め息。
「マル君……子供達は、やっぱり来てくれなかったんだねえ」
その言葉に、ヴァルデマール執事長は申し訳なさそうに頭を下げた。
「力が至らず申し訳ありませんでした。
結局、子供達はみんな庭園へ逃げてしまいまして。
今、フェティダ王女様が追いかけてくれています」
「はあ、しょうがないねえ。
とにかく、みんな持ち場に戻ってくれ。
そろそろオヤツの時間だから」
メイドさん達も執事さん達も元軍人さん達も、もう一度それぞれの礼や敬礼をして散っていった。
ただミュウとかいう名前の侍従長の女の子だけは、魔王に呼び止められた。
「あ、ミュウ、ちょっと待って。
君は改めて、ちゃんと紹介しないと」
「あ、はい」
ミュウ侍従長は他の妖精達に簡単な指示を出し、自分はトコトコと戻ってくる。
はて、この女の子は妖精じゃないらしい。小柄ではあっても妖精よりは体は大きい、蝶の羽も無い。
しかもティアラを頭に乗せてて、まるで姫様みたいだ。広い額の真ん中に大きめのホクロがある。
なんて観察してたら、魔王は彼女の横に立って彼女の肩に手を乗せた。
「さて、改めてちゃんと紹介させてもらうよ。
この子はミュウ、僕の娘だよ」
「ミュウです。
魔王第四子で、第二王女です。
フェティダ姉さんとは双子なんですよ。
まあ、説明は受けていると思いますけど、双子といっても血はつながっていません。
お父様の魔力の霧から目覚めたのが同時だった、ということから双子として育ってきたんです」
「あ、いえそんな、ごテイネイに」
僕も姉も、さっきから恐縮して頭を下げてばっかり。
あんまり急に沢山の人が現れて名乗るもんだから、ちょっと覚えきれない。
それにしても、このミュウって人、王女様だったんだ……と、よく見たら額のホクロと思ってたヤツ、青黒く光ってて僅かに動いてる。魔王一族の証だ。
しかもフェティダ王女様の双子として育ってきたとか、魔力の霧とか、色々な事情が混じってて良くわからん。
あ、いや、待てよ。
フェティダ王女と双子として育てられた、ということはフェティダ王女と同い年。
え、ということはもしかして、女の子とか少女とかじゃなくて、もういい年の女性。この外見で、結構な年なのか……と驚きそうになった。
けど、すぐに『人間族かどうかも分からない上に、魔力炉として改造された体なんだから、外見が人間の常識に合わなくて当たり前』と思い出す。
ホモ・サピエンスじゃない上に生体改造までされて、他にも色々な事情が絡んでるらしいのに、外見なんか何の判断材料にもならない。
つか、魔王一族とは四十年ほど前に皇国から脱出した人々。
ということは、全員が少なくとも魔界の暦で四十歳以上なんだ。
日本人中学生っぽいトゥーン領主も、背の低いオグル頭取も、色気ムンムンなフェティダ王女も学者風のルヴァン王子も、全員が相当の年ということになる。
やっぱり魔力が強いから年もとりにくい、という話なんだろうか?
そんな風に考えてる横で、魔王様はポンポンと手を叩いた。
「それじゃ皆さん、挨拶はこれくらいにしようか。
僕は案内を続けるので、各自の仕事場に戻ってくれ。
あ、ノエミ君も戻ってね」
「いえ、魔王陛下御自らがなさられずとも」
「いやいや、僕も彼らとちゃんと話をしておきたいんだ。
案内ついでにね」
「御意。
では、私はここで」
すいっと頭を下げたノエミさんはミュウ侍従長とマル執事長と共に城の奥へと消えていこうとする。
でも、ノエミさんへ姉ちゃんが慌てて呼び止めた。
「あ! あの、ノエミさん!」
「はい、なんでしょうか?」
「あの、えと、ちょっと……聞きたいことが」
姉は言いにくそうにモジモジした末に、ノエミさんの右耳に耳打ちする。
囁かれたノエミさんは、クスリと笑ってホールの奥を指さした。
「あちらにありますよ。
あ、でも、陛下の御前ですし……」
そういって指さしたのは、ホールの片隅にある目立たないドア。
目立たずもさりげなく自己主張する場所にあるドアの、その雰囲気は……ああ、あれか。
気を払われた魔王様は、ニッコリ笑って一言。
「僕は構わないよ。
まだ話は続くし、待ってるから今のウチにどうぞ」
気さくな陛下からのお許しを得て、全員ドアの方へ進む。
コトを済ませてドアの前にたむろする僕と先生。
男達よりずいぶん遅れて姉とリィンさんも出てきた。
やっぱり女性は長いなあ。
そして姉は出てきた途端に、わざわざ日本語で喋ってきた。
『いやー、安心したわ。
ヴェルサイユ宮殿だけに、トイレが無かったらどうしようかとヒヤヒヤしてたのよ』
そのセリフにキョトンとする僕。
トイレが無いって、そんなワケがないじゃないか。
よくわからないけど、僕も日本語で話をする。
『姉ちゃん、何を言ってんの?
トイレなんて無いわけないじゃない』
『あー、あんた知らないのね。
地球の方のヴェルサイユ宮殿、ルイ14世が建てたとき、トイレは無かったのよ』
『なっ!?
ん、んじゃ、どうしたの!?』
『おまる付きの椅子とか、携帯便器とか、庭で……とかよ。もちろん出したもの、全部庭園へポイ。
いえ、それどころか、下々の人達は階段の下や廊下の隅にやりっぱなしよ。
中世の貴婦人のスカート、なんであんな傘みたいに広がってたと思う?
庭に出て、スカートの中で、そのままやっちゃうのよ。
知らなかった?』
『ん、んな、だって……どこぞの歌劇とかフランス革命の少女マンガなんかじゃ、そんなの全然……』
『大学でフランス語選択したけど、そこの先生が、わざわざそーゆーのを題材にして授業してくれるのよねー。セクハラかしら?
ま、乙女の夢一杯な少女マンガでは、ンなリアルで臭いネタは出せないでしょうし』
あっけらかんと話す姉。
僕は絶句。
中世ヨーロッパは酷い衛生状態と聞いてたけど、まさか、そこまで酷かったなんて。
つか、上級貴族のご婦人方が、あの広大で美しい庭園の中で、野グソ!?
信じられない。
「君達、何を話しているのかな?」
「ちょっとー、ヒソヒソ話なんて失礼よ。ちゃんと教えなさいよ」
横を見れば、日本語の会話が分からない先生とリィンさんが不機嫌そう。
でも、地球のヴェルサイユ宮殿の話なんて、どう説明したものやら。
つか信じてもらえなさそう。
「いや、その、タイしたハナシじゃないんです」
「そうそう! でも、まあ、また今度オシえてあげるから。
今はマオウ様を待たせるのは、シツレイよ」
ちょっと首を傾げた二人だけど、魔王様を待たすわけにもいかないので話を切り上げてホールに戻る。
ん~、こういう話って説明が難しいなあ。
次回、第十一章第四話
『青黒い霧』
2011年7月28日00:00投稿予定