魔界近代史:1/3
僕らが子守の仕事を引き受けて一週間。
山々の秋は深まり、草原は黄金色に染まる。
街道は収穫物を満載した荷車が忙しげに走りまわる。
冬の準備にと薪や毛皮、羊毛や石炭が売買される。
建物の修理や補修にも余念がない。当然に釘や木材、石材も必要。
冬になったら街道は雪に閉ざされる。以後は高額で天気に往来が左右される飛空挺しかないから、みんな大急ぎで大忙しだ。
もうすぐ僕らは魔王城、ル・グラン・トリアノンへ行く。
ルヴァン王子は僕らを魔王城へ届けた後、地球の科学とワームホールの研究のため、ダルリアダ大陸のキュリア・レジスへと戻る。
フェティダ王女とオグル総裁も魔王城に行く用があるので、同じ便で同行する。その後は各自の仕事に戻るそうだ。
でも、この二人は仕事で頻繁に魔王城へ行くことも多いそうなので、また会うこともあるだろう。
トゥーンさんはインターラーケンの領主なので、もちろんジュネヴラから離れない。
で、魔王城へ行くまでの間、僕らは例の「子守」について詳細を教えてもらった。
それは非常に根が深くて複雑で、大変な事情。
魔界と皇国の成立と、40年の長きにわたる戦乱の歴史が背後にあった。
冬に備えて人々が走りまわり飛び回るジュネヴラの一角で、僕らは長くて複雑な事情について教えてもらった。
ブルークゼーレ銀行ジュネヴラ支店。
まず初めに教えてくれたのは、ゴブリン族のイェフダ・エズラ支店長。
憎しみに顔を歪めながら、皇国の人間とゴブリンとの裏切りの歴史を語ってくれた。
「あいつら人間はな、俺達ゴブリンを騙し、裏切ったのさ!」
開口一番、吐き捨てる。
さすがに収穫期。客の出入りは多く、珍しく支店は忙しげ。
店員たちも走りまわって契約書を書いたり宝玉に映像を記録したり金を出し入れしたり……支店長以外の店員を見たのも初めてだったりする。
そんな書き入れ時、わざわざ僕らのために時間を割いてくれた。
人間に裏切られ、追われ、故郷を失ったゴブリンの歴史を語るために。
「俺の曾爺さんの時代、人間とゴブリンは仲良く、とまでは言わねえが、それなりに上手くやってた。
その頃アベニン半島では、人間は幾つもの小国に分かれて小競り合いをしていた。いや、人間以外にも色んな種族が暮らし、いがみあってた。
皇国もその一つさ」
机の上に地図を広げ、ある地域を指す。
それは神聖フォルノーヴォ皇国領、インターラーケン山脈南方のアベニン半島という地域。
僕らにはイタリア半島といった方が分かりやすい。
長靴型をした半島、その脛の部分を緑色の指先でコツコツと叩く。
そこは地球でいえばナポリ(Napoli)に当たる場所。
「皇国は最初、この地を支配していたちっぽけな国だったそうだぜ。
けど俺達ゴブリンが資金援助してやったわけよ。
あんたらなら、多分わかるだろ?
戦争ってのは、剣と魔法でやるもんじゃねえ。もちろん愛や正義や勇気でもねえ。
金だ」
僕らは素直に頷く。
子供のケンカは手を振り回せば出来る。けど戦争は金がなければ出来ない。
それは地球でも同じこと。
「そんときは、まだ『神聖』とか『皇国』とかなんて、大層な名前はついてなかった。ナプレ王国とかいう、単なる王国だったそうだぜ。
ゴブリン族も銀行業なんてしてなくて、金貸しと両替商、それに行商が主だったそうだ。
んで、そんときの王国とゴブリンが契約を交わしたわけだ。
内容は、まあ、資金援助をする代わりに、支配地域で楽に商売やらせてくれって。
なにせ小国同士の小競り合いが続いてるとよ、商売がやりにくくてしょうがねーわけだ。
通貨はクズみてーのがゴチャゴチャ出回るし、道はズタボロだし、野盗や猛獣が出るし。
それに俺達ゴブリンは魔法は得意だし目も良いけどよ、人間ほど喧嘩は強くねえ。
最初は、どこぞの街道に出る盗賊団を片付けてくれってとこから始まり、だんだん大きな戦争を依頼するようになったんだとよ」
支店長はイスに座り、パイプに煙草の葉を詰める。
そして指先から小さな魔法の火をだす。
大きく息を吸ってから、ふぅ~、と煙を鼻から噴き出した。
「けどま、曾爺さん達もセンスがねーわな。
契約を交わした王は、確かに戦争は強かったぜ。盗賊団も商売敵もバッタバッタと倒してくれたんだからな。
んでもって、あっという間に半島の南側を全部占領しちまった。
けどよ……人間だろうが魔族だろうが、逆らう者は皆殺しだぞ?
そんな残虐な王の有様を見て、ゴブリンだけが無事でいられるなんて思うかねえ。
んなわけねーだろうによ」
次に支店長の節くれだった指が差したのは、Romulusと書かれた地点。イタリア半島の膝に当たる場所、ロムルス。
地球で言うならローマ。
「ここは、俺達ゴブリンの故郷であり、聖地だったそうだ。
もう俺の代じゃあ、見たことあるヤツもいねえけどな」
ローマが聖地か。
ヴァチカン市国がある、地球でもキリスト教の聖地と言っていい場所だ。
この世界ではゴブリン達の故郷でもあるんだな。
「昔話によると、悪の魔王を倒した戦士達に導かれた人々が辿り着いた場所らしいぜ。
ここで船を降りた人々は、新天地の各地に散って町や国を築いた、てえ話だ。
けどゴブリンだけは神との契約に従い、その地に留まり船を守り続けた。
以来、このロムルスがゴブリンの故郷とされてたわけよ」
悪の魔王って、以前にも聞いたな。
そうだ、デンホルム先生から最初の頃に教えてもらった昔話。
確か、はるか昔に悪の魔王が現れて世界を滅ぼそうとしたけど、神の戦士に倒されたんだっけ。
んでもって、人々を船に乗せて新天地へ、つまりこのロムルスへ連れてったと。
へー、各種族の昔話に出てくるとは聞いてたけど、具体的な歴史にもつながってるんだな。
地球で言うなら箱舟伝説に近いな。大洪水も地球の各国で似たような伝説が語り継がれてるらしいし。
いや、現実に今の魔王がいるんだから、やっぱり昔にも魔王はいたんだろう。
それはともかく、支店長の話は続く。さらに苦々しげに歪めた顔とともに。
「で、王国はアベニン半島北側の侵略を始めたわけだがな。案の定、ロムルスにも攻め込んできたわけよ。
理由は簡単、借金を踏み倒すため。
人間だけの国を作りたいから異種族は邪魔だったし、俺達が貯め込んだ金銀財宝も欲しかったろうよ。
け! 金貸しの俺らゴブリンを超える強欲さだな、見習いたいもんだぜ」
ペッ、と本当にツバを吐き捨てる。
そして僕らを睨みつけた。
「最初、お前らがジュネヴラに現れた時、皇国連中が送り込んだスパイだと思ったぜ。
先祖の恨み、そして流浪の民にされた俺達の恨み、お前らぶっ殺して晴らしてやろうかとも思ったけどよ。
ま、勘違いだったようで良かったな」
そういえば、最初に町へ連行されてきたとき、ゴブリン達が僕らを見て憎らしそうにしていたっけ。
そうか、憎き皇国の人間だと思われてたんだ。
ひとしきり睨みあげたあと、またイスに深く腰掛けて煙草をゆっくりと吸う。
今度は煙で輪っかを作ってから、その後の歴史を語る。
「けどよ、こちとら金貸し。
王国の金の動きはガッチリつかんでた。
武器の購入記録、各領地への糧食輸送、兵への支払い内容。それらから軍事作戦の内容は読み取れる。
ロムルス侵攻を嗅ぎ取った曾爺さん達は、金を担いで素早く逃げだしたわけだ。
ついでに半島北側の連中にも王国の情報と金をばらまいて、王国の北進を抑え込もうとした。
まあ、結局ダメだったけどな。
契約した王は残虐な戦闘狂だったが、その後継ぎがとんでもねえヤリ手だったそうでよ。
北側の小国を次々と呑み込んで、あっという間に半島を統一しちまった。
曾爺さんたちは半島を逃げ出すのがせいぜいだった……てえわけだ」
あとの話は、ゴブリン達の苦難と成功の歴史。
故郷を失った彼らは、魔界を当てもなくさすらった。
行く先々で強欲な金貸しと恨まれ、流行り病を持ち込むなと追い出され、猛獣や野盗に襲われる日々。
けど魔王が魔界を統一する時、自分はやりくりが苦手だから、とゴブリン達を財務官として雇い入れた。
以後、魔王城ル・グラン・トリアノンで財務管理を一手に引き受ける。
報酬として魔界北方の海を埋め立てた海上都市、ブルークゼーレを手に入れた。
そこを第二の故郷として、第十王子オグルを銀行頭取に戴き、今や魔界の経済を管理するまでになってる。
そのブルークゼーレ、地図で示された場所は地球で言うとブリュッセル。
ベルギー首都のブリュッセルに近いけど、心なしか少し北の方に見える。
ちなみに銀行本店はル・グラン・トリアノン近くの街、魔王直轄都市ルテティアに置いてあるそうだ。
支店から出て、姉と僕は大きく背伸びする。
あー、長い話だった。
ふぅ~、さすがに疲れたなあ。
でもまだ話は終わらない。部屋に戻れば、次はデンホルム先生からの話が続くんだ。
次回、第十章第二話
『魔界近代史:2/3』
2011年6月25日00:00投稿予定