永遠の乙女
『永遠の乙女、鉄の処女、よ!』
金髪美女の口から飛び出す、赤裸々で生々し過ぎる単語。
目が点になった僕の目の前で、王女の愚痴が続く。
助けを求めて楽団の方を向いたら、歌手の女性二人も、他の奏者も、一斉に視線を逸らした。
階段の下から顔をのぞかせてたウェイターの妖精も、慌てて引っ込む。
僕や他の人達が硬直してるのを気付く様子もなく、ポワレという洋梨の酒をグイッと飲み干した。
「何よ何よ何よお……良い人で終わって、何の意味があるのよぉ。
あたしだって女の幸せが欲しいわ、男の腕枕で朝を迎えたいの、夫と子供に囲まれたいのよ!
それが、それが……なんでどいつもこいつも、あたしとベッドに入った途端に逃げ出すの!?
えーえー分かってますよ、それがあたしのサダメですわよ、魔王一族の力ゆえです!
おかげでリバスには行き遅れってバカにされて、ミュウには気を遣われて……」
『ア、アノ……』
リバスとかミュウとか、誰の名前だか分からないけど、それが誰かだなんて聞ける空気じゃない。
もう一度楽団の方を見たら、火の粉が飛ぶのを恐れたか、既に逃げていた。
代わりに階段のところからのぞいてる人達の頭が増えてる。三角耳のワーキャットとか、垂れ耳のワーウルフとか、エルフとか。
逆方向、窓の方へ顔を向けた。そしたら、たくさんの妖精達がササッと屋根の向こうや建物の影に隠れた。
や、野次馬してないで、助けてよ。
『……あなたは、どうなの?』
低い、地獄の底から響くような声。
目線を正面へ戻したら、王女様は目が据わってた。
『全く異なる世界から来たっていうユータは、どうなのかしら?』
ふふふ……という笑い声が漏れてくる。
ペロリと唇を舐める。
いつもは優しげな瞳に、危険な光が宿ってる。その光は明らかに、僕に突き刺さってる。
まさか、もしや、この人が僕に優しくしてくれた目的は……最初から……。
体が目当て!?
血の気が引く。
思わず、のけぞる。
『ア、アノ……フェ、フェティダ、サマ……?』
腰が引けて、椅子から腰を浮かす。
同時に王女もゆっくりと立ち上がる。
瞬間、フェティダさんの姿が消えた。
と思ったら、左耳に囁くような声。
『なにかしら?』
フェティダさんの甘い吐息。
一瞬にして、目にも止まらぬ速さで背後をとられた。
しかもアゴから首筋を、彼女の指が這う。
耳元で囁かれてる。
頬を寄せられ、肌にかかる暖かな空気に、思わず背筋に走るものがあった。
こういう場合、普通は電気のようなものが走るとかいう。
けど、今感じたものは、違う。
絶対違う。
今のは、悪寒。
ね、ねね、狙われてる!?
『アア、アノアノ、ボクハ、ソウイウノ、ワカラナクテ!』
逃げようとした。
だが、逃げられなかった。
彼女の左腕が、左手が、ガッチリと肩を掴んでるから。その細腕からは信じられないパワーで。
そして右手がゆっくりと、脇の下から差し入れられた。
しかもススス……と胸を上下に撫でてくる。
は、初めての感覚に、思わず興奮してくる。
でも同時に恐怖で硬直する。
全身を走り回る感覚が、悪寒なのか快感なのか、もう分からない。
一体どうすればいいのか。
頭が真っ白。
『あら、分からないの?』
『ワワワ、ワカリマセン!』
『安心しなさい、あたしが教えてあげるから。
房事は婚儀の必須知識として、しっかり習ってるのよ。
使ったことは、まだないんだけどね』
な、ななんあななっ!?!?
おおおお、教えてくれるんですかあーっっ!?
え、でも待って、僕は人間で、多分フェティダさんとは異種族ですよ?
しかも凡人と魔王一族の女王様ですよ?
僕で良いんですか本当に良いんですか??
い、いや待って。
こんな、フェティダさんみたいな優しい美人から、どうして誰も彼もが逃げて行くんですか?
しかも魔界の王女なら政略結婚ってヤツも多いはず。
それが、それすらも全く成立しないなんて。
どんな男もベッドに入ったら、逃げていく?
ど、どど、どんな理由なんだっ!?
『アノ! プリンセス・フェティダ!
ワタシ、マカイノヒト、チガウ! ミブン、チガウ!』
『大丈夫よ、魔法は通らないけど、あなたは人間族でしょ?
オグルから聞いてるわ。体の作り自体は人間族と全く同じだって。
人間族の男なら、ここに大事なモノが……あるわよね?』
そういって王女様の指が、僕の胸から腹へ、そして下腹へ!?
えええええええっっ!!
そ、そこはダメなんですでんじゃらすなんです!
特に今はアレがアレしててアレだからダメなんですってばあー!!
でも、逃げられない。
フェティダ様も魔王一族、パワーもスピードも桁外れ。
肩に食い込む指の力は、万力のよう。
それでいて僕のあそこへと伸びていく指はあ、あああ指は指は指はあああああ。
……ズズズズ……
突然の、地響き。
僕とは無関係な、酒場の外からの轟音。
フェティダさんも、僕も、野次馬に来てた人達も一斉に音の方を向く。
それは庁舎の方角。
距離的にも庁舎と一致する場所。
そこから、広場に掲げられた松明に照らされて、煙のようなものがもうもうと上がってた。
『敵!? 敵襲!!』
刹那、王女の声が引き締まった。
僕を捉えていた手を離し、窓から飛び出す。
そして道の反対側の建物の屋根に飛び乗った。そのまま屋根の上を一気に駆け抜けていく。
他の人達も続く。妖精達は空を飛び、多くの人達も路地へ飛び出して全力疾走する。
あとには、貞操の危機を脱した僕だけが、ヘナヘナと崩れ落ちた。
『いやあ~、危なかったわねえ』
そういうのは、ウェイトレスの妖精さん。
なんだかニヤニヤしてる顔は、どうみても心配してる風じゃない。
『タ、タスケテヨ!』
『と、言われても、ねえ……王女様の恋路を邪魔するのも、どうかと思うし』
彼女の後ろには楽団の人達がいる。
その中の、黒人風なコウモリ羽の女性もニヤニヤしながら手を伸ばしてきた。
『あんたも男だろ?
女に言い寄られて、まんざらでもなかったろうしさあ』
『ジョ、ジョウダンジャ、ナイデス』
ヨタヨタと立ち上がる。
うう、腰が抜ける寸前だ。足に力が入ってない。
もう一人の歌手、長い黒髪の女性が窓の外を指さした。
『ところで、あれって広場の方じゃない?
何かあったのかしら?』
『オウジョハ、テキッテ……』
窓に身を乗り出して見ると、暗闇の中にうっすらと舞い上がる煙が見える。
その場所は、間違いなく庁舎だ。
て、姉ちゃんがっ!?
僕も必死で駆け出す。
『待って、連れて行ってあげるわ』
『しっかり捕まりなよ!』
そういうと、歌手の二人は僕の手を掴み、窓から飛び出す。
コウモリ羽を大きく広げると、さっきまでとは比較にならないほどの大きさに広がった。
暗い夜空の中、僕の体はコウモリ羽の女性二人に支えられ、宙を舞う。
上空から見ると、庁舎の一角が崩落しているのが見えた。
場所は僕らの部屋から遠くない。確か廊下の端に当たる場所。
まるで何かにえぐり取られたかのように、ゴッソリと崩れ落ちてる。
『一体、何が起きたってんだい!?』
「姉ちゃん! ぶ、無事なのかっ!?」
『騒がないでね、すぐに下ろしてあげるわ』
既に多くの人が駆けつけた広場。その中央に下ろされた。
慌てて駆け寄り人垣の隙間を塗って顔を突っ込んでみる。
すると、本当に庁舎のはじっこが崩れ落ちてる。
崩れた庁舎の中には、二階の廊下が見えてる。
そして薄暗い中、そこに立つ人影も。
「えええーーーっ!!??
あ、あたしの家具が、服が! 食器があっ!?
アクセサリーも、なにもかも、何でえーーーーーっっ!?」
誰なのか、何が起きたか、何が原因か、あっと言う間に理解出来た。
聞こえてきたのは、日本語。
今、二階の廊下で崩落箇所に向かって叫んでたのは、我が姉。
崩落したのは廊下の端にある倉庫。
原因は、重量オーバー。
僕らの部屋の床をへこませた大量の買い物。あれを廊下の奥にある倉庫に入れっぱなしてたんだ。
そして重さに耐えきれず、床が抜け落ちた。
インターラーケン首都の庁舎とはいえ、金が無い上に大急ぎで建てられた建物だ。それほど頑丈じゃなかったんだな。
「あ、あほくさ……」
力が抜けて石畳に座り込む。
姉の叫びは、虚しく広場を木霊した。
次の日。
幸い崩落箇所に人はいなかった。二階もその真下も運良く倉庫として使われていたから。
建物を崩落させた姉ちゃんの購入品の山、その下の倉庫に保管されていた食器類と家具、ついでに崩れた建物の一部、ほとんどが粉々。
日の出を待って瓦礫の除去と修理も始まった。
もちろん、姉ちゃんが弁償。
ざざざーっと集まってくるジュネヴラ中の商人と行商人と職人と妖精達。ついでに手に職持ってる兵士達。
続々と運び込まれてくる石材と木材と工具その他。
昨日に続いて特需だ大仕事だーっと活気に沸く広場。
パオラさん以下メイド達が、瓦礫の中から使える品と使えない品を分類する。
現場を指揮するベルン執事長兼族長とリア第一妃兼侍従長の声が響く。
放心したように銀貨と銅貨の山が運び去られるのを見つめている姉。
そして工事現場前で唖然とするトゥーンさんと、こめかみに血管を浮かべるクレメンタイン妃……。
『た、確かに、貨幣をジュネヴラ内で使って欲しいとは頼みましたが……』
怒りのぶつけ所がみつからず、ブルブルと拳が震えてる。
今朝からリィンさんの姿が見えない。倉庫に荷物を入れるよう勧めたのは彼女、なので逃げたようだ。
そして僕は、フェティダさんと目を合わせない。
目の前で恥ずかしそうにモジモジしてる王女と、目が合わせられない。
フェティダ王女は昨日の事を思い出して、恥ずかしくてしょうがないようだ。
『そ、その……も、申し訳、ありません。
あ、あたし、お酒に弱くて、すぐ酔ってしまいます、ので……その……昨夜のことは……』
『イ、イエ……ベツニ、イイデス、カラ……』
そうはいいつつも、うつむく彼女と目線を合わせることができない。
目も、頭も、思いっきり右を向く。
真っ青で、引きつった顔を、彼女に向けることが出来ない。
とにかくフェティダさんと目は合わせない。
魔王第三子フェティダ王女。
なぜ彼女はいまだに独身で、あらゆる男にことごとくフラれ続けるのか?
それは、いずれ本編に語られる日もくるでしょう……こない気もするけど。
嗚呼、悲しき乙女。
次回、第九章『選択肢』第一話
『収穫の季節』
2011年6月10日00:00投稿予定