酒場にて
店は二階建て。基本は木造で、壁は漆喰みたいなので白く塗られてる。
店内は、壁や柱に取り付けられたランプの光で淡く照らされてる。
さすがにこんな店では魔法のライトは高価で付けられない。なので獣脂を燃やすカンテラみたいなヤツだ。
木製のテーブルと椅子、奥にはカウンターがあり、木の食器と酒樽が並んでる。
壁際には暖炉があり、バーベキューが焼かれてる。この街では羊肉と山羊肉が多く、味は良いけど臭みが少し強い。
カウンターのさらに奥には厨房。オーブンでパンが焼かれ、その下では薪がパチパチと燃えてる。
その横では大鍋。何かの鍋料理がもうすぐ出来上がるみたい。
まだ夜になったばかりなのに、もう客で一杯。
主に兵士、特にワーウルフ達がガブガブと酒をあおってる。
他にもチラホラと他の種族もバーベキューの串にかぶりついてた。
妖精の給仕も飛び回って、料理と酒を配って回ってる。
客の中には、もう出来上がってるのか、立ち上がって歌ってる人もいる。
音楽に合わせて歌ってるつもりらしいが、音程は狂ってた。
店の一角には、丸っこいギターみたいなのやホルンみたいなのを奏でる楽団。
歌手は、背に黒いコウモリ羽を持った人間タイプの女性二人。えーっと、種族名は知らないな。この街では少ない種族だ。
歌手の女は、一人は白い肌で長い黒髪にスレンダーな体、切れ長の目が魅力的。
もう一人は小麦色、というか黒人風の女性。髪は肩までのドレッドヘア、ボンキュッボンなダイナマイトボディ。大きな目の中は、まるで黒い水晶がはまってるかのように黒光りしてる。
どちらもおへそを出すような、タンクトップにショートパンツ姿。
そして、二人の喉から漏れる高音は、心に染み入るように澄み渡ってる。
思わず聞き惚れて立ち止まってしまった。
ところが、僕らが入ってきた途端に音楽が止まってしまった。
それどころか、おしゃべりしてた人達もピタリと黙る。
一斉に僕ら、正しくはフェティダ王女様へ視線を向けた。
どうやら兵士らしきワーウルフ達が、ジョッキを握りしめたまま直立して敬礼。
他の人達もそれぞれに敬意を表す礼をする。
突然のことに、僕は思わずたじろいでしまった。
敬礼された王女はと言えば、さっきまでのラフな態度が一変。
背筋を伸ばして胸を張り、顔も引き締まって目つき鋭い。
『皆の者、苦しうない。
今宵は私も宴に混ぜさせてもらう。
私のことは気にせず、おのおの楽しまれよ』
客達は、店員も再び礼。
そして着席し、またワイワイガヤガヤと楽しみ始めた。
おお、まるで王族か貴族のよう……て、当然だ。魔界の王族なんだから。
普段はきさくで優しい人なんだけど、決める所はピシッと決める人なんだな。
と思ったら、また穏やかな顔つきに戻った。
『それじゃ、奥に行きましょうか』
『ハ、ハイ』
すぐに妖精のウェイトレスさんが来て、僕らを二階へ案内してくれた。
二階はテーブルの数はまばらで、まだあんまり人もいなくて落ち着いた感じ。
その窓際の席に案内してくれた。
さて、案内されて着席したはいいんだけど、こういう店ではどうやって注文をするんだろう?
と一瞬悩んだら、勝手に料理が目の前に並べられてしまった。
『アノ、マダ、タノンデナイケド……』
おずおずと言ってみる。
するとウェイトレス妖精さんのクリクリな大きな目が、キョトンとしてた。
そして心底不思議そうに聞き返されてしまう。
『酒と料理を食べずに、何を食べる気だったの?』
『エ? デモ、マダ、ナニヲタベルカ、イッテナイ』
『何を食べるも何も、今夜はコレしか作ってないわよ?』
言われて気がついた。
地球じゃあるまいし、沢山の種類の食材や調味料があるわけない。真空パックされたレトルトもない。
おまけにジュネヴラは基本的に田舎だ。酒場だって大きくない。
なので料理も種類は少ない。簡単な鍋料理や焼いた肉、そしてパンやパイがあるだけだ。
僕が毎晩食べてたのは庁舎の食事。つまり、王族であるトゥーンさん達と同じ料理なんだ。だからあんなに種類も豊富だったんだ。
ああもう、既に一ヶ月以上も魔界で暮らしてるっていうのに、こんな単純なことも分かってないだなんて!
真っ赤になって小さくなってしまう。
『ス、スイマセン。コノセカイ、マチノコト、アマリ、シラナクテ』
妖精のメイドさんは呆れてるけど、フェティダ王女は別に呆れも怒りもしなかった。
むしろ微笑んで、メイドさんへ親切に説明してくれてる。
『失礼をしましたね。
この者は魔界へやってきて、まだ日が浅いのです。
それに普段は買い物をすることも、夜に庁舎から出歩くこともなかったのです』
『やですねえ、もちろん心得てますよ。
ところで、お酒なのですが……なにぶんこちらは田舎の酒場でして、フェティダ様のお口に合うようなエールや蒸留酒などはありませんわ』
『構いませんよ。
ワインはありますか? 無ければポワレかシードルでも』
『もちろんワインくらい置いてますわ!
ポワレとシードル、モストも持ってきますね』
てなわけで、ささっと持ってこられたのはワインその他のお酒が入ったジョッキ。妖精の祭のときに飲んだようなジュースに近いモノじゃなく、ちゃんとした酒だ。
う~ん……こちらは15歳でして、未成年なんですけど。
でもこんな世界で成人だの未成年だの区別してるとは思えない。
それにヨーロッパでは子供でもワインは飲むらしいし。
んじゃ、代金は先に払うとしようか。あっと、チップも要るな。はて、幾らなんだろう?
『オカネ、コレデ、タリル?』
そういってテーブルに出したのは銀貨一枚。
途端に表情を輝かせた妖精の女の人。だけど、フェティダさんの顔と銀貨を見比べ、すぐに気まずそうに頭をかいた。
『あの、嬉しいんだけど、王族の方から代金を受け取るってのは、ちょっとねえ』
『構うことは無い。
安心して受け取られよ。
ただ、それでは多すぎるのではないか?』
『はあ、全くですわ。
お釣りが出せませわねえ』
ジュネヴラがコイン不足なのを忘れてた。
というわけで銅貨の方を出し、チップも含めてジャラジャラと受け取ってもらう。
本来の相場が幾らか知らないけど、かなり多めに払ったのは鼻歌交じりで飛び去って行くウェイトレスさんの後ろ姿からも明らか。
こちらもぼったくられるのは慣れてます。イタリアに入った初日から、あっちこっちでふっかけられましたから。
最初は勉強料込みと自分を納得させてますよ。
『さ、それじゃ頂きましょうか。
ところで、あなたの国では食事の前には、どういう作法があるのです?』
『エト、ショクジマエ、ミナデ「いただきます」ト、テヲアワセマス』
『じゃ、今夜はそれで』
フェティダさんは僕を真似て、テーブル前で手を合わせて「いただきます」と、たどたどしい日本語で言ってくれた。
なんだか変な感じだけど、久しぶりに日本を思い出して懐かしくなる。
そして飲んだアルコールはワイン。
うぐ……正直言って、マズイ。
父さんが飲むビールも苦くてまずかったけど、これは何かこう、もっと酷い。
舌が焼ける感じの上に、酸っぱい。おまけにショウガや蜂蜜やらを入れてるらしい。味付けというより、マズイのを必死に誤魔化した気がする。
おまけにブドウの皮みたいな細かいのが混じってる。歯に詰まる。
ど、どこぞの中世を舞台にしたファンタジー小説では、美味しそうに飲んでたんだけどなあ。
そんな僕の、歪んでしまいそうなのを必死に耐える様子を、フェティダさんは面白そうに眺めてる。
『あらら、インターラーケンのお酒は口に合わないかしら?』
こ、ここで正直に不味いなんて言う勇気は、僕にはない。
なので、必死に当たり障りのない言葉で誤魔化すことにする。
『イ、イエ、サケ、ハジメテ、ダカラ』
『え!? お酒が初めてなのですか!?
それじゃ、何を飲んで生活してたの?』
その言い方だと、まるで飲物は酒しかないという風に聞こえる。
いや魔界だし、ワインがグレープジュース並に飲まれてても不思議はないか。
さて、僕みたいな平凡極まりない日本人が、普段何を飲んでいたか、と思い出してみる。
家で飲むものは、水と……お茶。
『ミズ、オチャ、ノンデタ』
『水って、そのまま? 沸かさずに?』
『エト、マア、ソノママノメマス』
『あらあら!
水がそのまま飲めるなんて、水が綺麗な国なのですね』
『エエ、ミズガキレイデ、タダ、ナノガ、メイブツ』
『素晴らしいわあ、そのまま飲める水が無料で手にはいるほど豊富だなんて。
あなたのパソコンっていうアンクにあった映像を見ても、素敵な服や様々な化粧や、美味しそうな料理がたくさんでしたわ。
ねえ、もっと色々教えてくれますかしら?』
『ハイ、モチロン!』
そんなわけで、地球のことを今までよりさらに詳しく話した。
王女はよほど地球のことに興味があるらしく、僕にとってどんなつまらない当たり前の話でも、興味深そうに聞いてくれた。
ふと気がつくと、一階から聞こえていたはずの歌声が近くなってる。
見れば、楽団は二階に来てくれてた。王女様へのサービスらしい。
歌手二人は、こちらに軽くウィンクして、そのまま静かで穏やかな歌を歌う。
それをBGMにして、僕も日本の自然や季節のことを話したりした。
まだ畑も多い郊外の我が家。
木々で覆われ、春になると花粉が雲のように飛んで迷惑。
夏は超絶蒸し暑く、冬は雪がたまに降る。
海に囲まれ、山ばっかりの、日本……。
『……大丈夫ですか?』
王女が、心配そうにのぞきこんでくる。
聞かれて気がついた。頬を一筋の涙が流れてる。
やれやれ、この前みたいに泣き出したりはしてないけど、それでも帰りたいという想いに変わりはない。
『ダ、ダイジョウブ』
『そう……でも、無理することはないですわよ』
慌てて涙を拭う。
この前みたいなのは、こんなところではゴメンだ。
何時のまにやら、楽団の音楽も悲しげで切ない調子に変わってた。こんな空気を読まなくても良いのに。
『故郷に、妻や子がいるのですか?』
とたんに湿っぽい気分が吹っ飛んだ。
何を言うんだこの人は。
『イ、イマセンヨ!
コイビトモ、イマセン』
『あらあら、それはごめんなさい。
でも、あなたくらいの年なら、好きな子の一人くらいは居たのでしょう?』
『ソ、ソレハ、ソノ……』
『ははあ、片思いだったのですね?』
『……ハイ』
『うふふ、それはご愁傷様。
でも若いんだから、他にもすぐに好きな子は出来ますわよ。
そういえば、この街ではどうです? 気になる人は出来ましたか?』
『エッ!?
ソ、ソンナコト……』
聞かれてドギマギしつつ、考えてみる。
この町で気になる人……というか、そもそも恋愛対象になりそうな人間の女性がいないじゃんか。
普通の人間らしき人はパオラさんのみで、彼女はトゥーン領主の奥さん。
妖精の女性達は、どうみても小学生並。明らかにサイズ違い。
他はエルフとか、そこで歌ってる歌手とか。でも、種族の違いは魔界ではどんな風に扱われるんだろう?
あとは……。
視線を戻せば、フェティダ王女の赤い瞳。
薄茶色のフェルトのワンピースは、それほど胸元を強調してるわけじゃない。けど前のめりになってるから、ちょっと胸元が気になってしまう。
思わず真っ赤になって目を逸らす。
『ソ、ソンナヒト、イマセン!』
『あら、そうですの?
ざーんねん。興味ありましたのに』
クスクスと楽しそうに笑うフェティダさん。
唇についたワインが灯りを反射し、神秘的な輝きに吸い込まれそう。
な、何を考えてるんだ。
相手は王女、それも魔界の王女だ。身分も種族も違いすぎる。
それに、王族の結婚は政治政略のためのはず。
というか、そもそもフェティダさんは独身なのかな? 見た目、子供がいても不思議のない年だけど。
『ソレジャ、フェティダサマ、ハ?
ケッコン、シテル?』
この質問に、フェティダさんはあからさまにイヤそうな顔をした。
シードルという、サイダーみたいなリンゴ酒をグイッとあおる。
やばい、不機嫌にさせてしまった。
『ア、ゴ、ゴメンナサイ』
ぶはっと息を吐き出した王女は、ドンッと音を立ててジョッキをテーブルに置く。
今までの穏やかで優しげなお姉さんの雰囲気でも、酒場で見せた王女様らしい権威を示す態度でもなく、別の顔を現す。
それはあえていうなら、酔ってくだを巻くオッサンの顔。
『……してないわよ。
結婚どころか、まともに男と付き合えたこともありませーん!
なんとビックリ! いい年コイて、未だに男も知らないの!』
『……エエッ!?』
やけくそのように、とんでもないコトを叫ぶ王女様!
思わず絶句。
BGMを奏でてた楽団まで歌も曲も止まってしまった。ビイィィン、とギターの弦が弾ける音が響く。
信じられないカミングアウトをぶつけられて真っ赤になったけど、それに負けないくらい赤ら顔のフェティダさん。
ぬお、いつの間にか酔ってる。
『父上も、配下のドワーフ達も縁談を勧めてくれるわ。
他の兄弟姉妹だって色々と男を紹介してくれるの。
魔王一族の権勢や富を目当てに近寄ってくる連中なんて、数知れない。
でもね、ぜーんぶダメ!
良いトコまでは必ず行くのに、最後の最後でいっつもコケちゃうのよ。あたしはいつも良い人止まりだわ。
どの男も去り際に必ず言うわ、あなたに相応しい男が必ず現れる、てね。
なーによそれ、アタシのことが好きなら、ちょっとくらいの壁は根性入れて乗り越えてみせなさいよぉ……根性無しどもめ。
ユータ、あたしが影でなんて呼ばれてるか知ってるぅ?』
もちろん何て呼ばれてるかなんて知らない。
というか、何か下手な答えをしたら、酔った勢いで酷い目に遭わされそうな気が。
なので口は開けず、ブルブルと顔を左右に振る。
すると、フェティダ王女は大声で叫んだ。
店内はおろか、町中に轟くような大声を。
『永遠の乙女、鉄の処女、よ!』
次回、第八章第七話
『永遠の乙女』
2011年6月3日00:00投稿予定