貨幣経済
さてさて、お金を稼ぎたいという僕らのお願いに、デンホルム先生が案内してくれたのはジュネヴラの銀行。
目の前にいるのは銀行の支店長。ゴブリンのJehuda Ezraさん。
緑色の醜い小人で、声は甲高くて耳がキンキンする。
で、そのエズラ支店長は、今は開店休業中だと説明してくれた。
確かに、客が出入りしてる所を見たことがない。
店員も支店長一人だけ。
一応はインターラーケンの首都にある銀行なのに、なんでだろ?
そんな疑問に支店長はジャラジャラと音を立てるカギを取り出しながら説明を、つか愚痴を続けてくれた。
『なにせ、インターラーケンは妖精の国だろ? こいつらビンボーでよ、金持ってねーのよ。ロクに口座も開いてくんねーんだ。
しかも大半は部族内の物々交換やら分配やらで済ませてる。
軍の連中はいるんだが、こいつらはジュネヴラには立ち寄るだけ、ほとんど素通りってわけ。
まともな客は、ジュネヴラの街に移り住んだ商人や行商人、それにトゥーン様くらいなもんよ。
ジュネヴラ開発も一段落したし、セドルン要塞絡みはオレみたいな下っ端なんぞに出番ねーし。大方がオグル様と上の連中が美味しい所をとっちまう。
次の決済への準備もとっくに済ませちまったし。
今やってんのはもう、ほとんど両替。あとはケチな金貸しと変わんねーよ!
あ~あ、開拓中の街っていうから商売独占で儲けれると踏んでたのによお』
異国の言語で、しかも銀行業に関する単語なんて僕には大してわかんない。
取り敢えず、インターラーケンは金のない貧乏な国だから仕事も少ない、ということらしい。
銀行の支店長っていうと、もっとこう、有能で金持ちでというイメージがあったんだけど、田舎じゃあそうもいかないのか。
それに、セドルンって何だろう? オグル王子達が関わってるみたいだけど、例の軍事基地のことかな?
そんな愚痴を呟きつつ店の奥をゴソゴソ探ってた支店長が出してきたのは、鉱物標本を収めるような箱。
フタをパカッと開ければ、中には通貨の標本がズラリと並んでた。
節くれ立った指が、カウンターの上に硬貨を素早く並べてくれる。
これが魔界の通貨か、ずいぶん沢山あるんだな……て、貝殻や石ころまで混じってるじゃんか。
『まずはこれがオレ達ゴブリンの貨幣だぜ。タラント金貨、シェケル銀貨、プルタ銅貨だ。
こっちはエルフが暮らすダルリアダの通貨。ソブリン金貨とシリング銀貨とペニー銅貨な。
ドワーフ達はこの石、アダマスって宝玉の一種を使ってる。硬すぎて加工しにくいから通貨代わりにしてんだ。
変わったところでは、巨人族は岩塩が通貨代わりだ。山で暮らしてるから、塩が貴重品なせいだとさ。
それとこっちが……』
ずらずらと並べられる様々なコインや鉱石、名前も様々。
しかも製造年代や製造元によって金や銀の含有量が異なり、価値もデザインも名前も微妙に変わる。
羽の生えた人達、つまり鳥人族なんか、珍しい鳥の羽が通貨になるらしい。空を飛ぶ人々には、重い金属の硬貨が邪魔だから。でもこれ、すぐボロボロになるよな。
ハッキリ言って多すぎ、覚えられない。
カウンターにズラリと並べられた貨幣の標本を前にして、僕も姉ちゃんも目が点になってしまう。
そんな僕らの姿を見て、エズラ支店長はバカにするようにキヒヒッと笑った。
『まあ、田舎から出てきたばっかの坊ちゃん嬢ちゃん達にゃあ、難しいわな』
気に入らない言いぐさだけど、ホント難しいンだからしょうがない。
21世紀の日本を田舎だなんて失礼だけど、そんなの説明しようもないし。
姉ちゃんはフンッとそっぽ向いちゃった。
僕としては、これを全部覚えなきゃならないなんて、仕事をする前から気が遠くなりそうだ。
助けを求めて隣のデンホルム先生を見あげる。
『センセイ、コレ、ゼンブヲオボエナイト、ダメ?』
『はは、まあ、覚えておくにこしたことはない。
でもまあ、これでも随分と使いやすく整理されたのだよ。
何しろ昔は通貨として、オーク達すら使われていたのだからね』
『エ?
オーク、アノ、ソトヲ、アルイテル、オークノ、ヒトタチ?』
『そう、このインターラーケンでも農民をしているオーク達さ』
外の方を見れば、ちょうど窓をオークの人が鍬をかついで歩いていく。
ブタ頭で、主に農業を営んでいるオーク族。
あんまり頭はよくないらしく、魔法も使えなくて、力も特別強くはない。
でも、そのオーク族が通貨って、どういうこと?
『オーク族は昔から農業に従事している、といえば聞こえは良いが、実際は奴隷か家畜扱いだったのだよ。
彼らは戦う力は乏しいが、とにかく多産で数が多い。性格は素直で大人しく、病気にも強く、何でも食べれる強い胃袋を持っている。
そんな彼らに目を付けた各魔族は、彼らを農奴としていたのだ。支配するオーク達の数は食料生産量に直結する、と言っても過言ではない。
故に昔は通貨代わりに取引されていたわけだ』
『うわア、ヒドい』
姉の率直な感想。
僕も嫌悪感がわき起こる。
顔をしかめる僕ら二人の姿に、先生は満足げに頷いた。
『君達の嫌悪は当然だね。
でも安心したまえ。実のところ、それは昔の話だよ。
もちろんオーク達の地位が農奴以上のものに向上したかといえば、そう断言は出来ないだろうが。
少なくとも今は通貨扱いされてはいないな』
ちょっと安心。
別にオークの人達に思い入れとかはないけど、奴隷と聞いて良い気分がするわけでもない。
『さて、それでは話を戻そう。
現在も流通する各通貨の価値を知っておかないと、色々な場面で損をするぞ。
例えば、両替の時にね』
チラリと支店長の方を見下ろす先生。
見下ろされた方は、不愉快そうにケッと吐き捨てる。
そして、最後に懐から幾つかの硬貨を取り出した。
『とまあ、色々と貨幣を出したワケなんだが、な。
実を言うと、もうこれらの貨幣はお呼びじゃない』
『エ?』『ドウいうこト?』
同時に疑問の声を上げた僕らに、今度は先生の方が説明を始めた。
『いやなに、魔王様が魔界を統一されたからだよ。
で、魔界が統一された以上、共通の通貨も必要になってね。
昔は各魔族がそれぞれに通貨を発行し、勝手な価値を与えていたわけだ。種族間の商売もまともに出来ない有様だったよ。
より詳しく言うと、貨幣は実体貨幣の貴金属的価値を再現することでしか計算貨幣としての価値が表現出来ない、というのが原則だ。しかし現実には貴金属価値というのは各魔族各地域で相場が異なる。
また、各魔族内でも複数存在する貨幣高権所有者が各自に貨幣を発行するのだよ。そのため、セント・パンクラスにある貨幣サンプルだけでも六百種を超える。
加えて各高権所有者の財政悪化は貨幣の粗製濫造に直結し、取引基準たるべき計算貨幣としての地位を失うものも多い。
これでは一般の者達には貨幣流通を理解することが困難極まりなく、ひいては各魔族間の紛争へと』
『おい、エルフさんよ』
支店長が先生の腕をツンツンつつく。
ここでようやく、店内を歩き回りながら貨幣経済の講義をしていた先生は、生徒である僕らを光の彼方へ置いて行ってたことに気がついた。
何を言ってるのか全く分からずボケ~っとしてた僕らを前に、頬を赤らめた先生がゴホンオホンと咳払い。
『し、失礼したね。
結論を言うと、魔王様の製造した通貨があるので、今は皆それを使ってる、ということだよ。
他の貨幣は補助的なものに過ぎなくなった』
『そーゆーこった。
今はこの、魔王様印のグルデン金貨とグロッシェン銀貨、それにプェニヒ銅貨が最先端だぜ。
もちろん製造元は、オレ達ゴブリンの力を結集したブルークゼーレ銀行だ!』
『オー』『わースゴーい』
自慢げに胸を張って、鼻高々に語る支店長。
思わず僕と姉ちゃんは感心の声を上げながら拍手。
と、ふと見れば銀貨と銅貨しかない。
金色に輝くべき金貨はどこに?
あるべき金貨を探す僕の視線に、支店長も気がついた。
『ああ、金貨ならねーぜ』
『サンプル、モッテナイ?』
『いや、金貨は製造してねーんだ』
『エッ!?』
金貨を製造してない?
それじゃ、どうやって取引をやってるんだ?
まさか、小銭だけで商売してるはずもないだろうし。
その質問にも先生が、今度は短めに説明してくれた。
『理由はね、使いにくいからだよ。
なにしろ魔王通貨は発行が始まってまだ間がないからね。特に銅貨の製造が追いついていない。
簡単に言うと、店で金貨を出されたら、ほとんどの人は釣りの小銭が足らない』
『そーゆーこったぜ。
それにさっきこのエルフ先生も言ってたけどよ、金貨に含む金の量がちょっとでも変われば、即座に相場と市場が混乱するのさ。
だから開き直って、金貨ってのは名前だけの、帳簿と手形にしかない存在にしちまったってぇわけよ。
こいつもオレ達ゴブリンの知恵だぜ』
『伝統的な商取引を理論化体系化し、誰でも利用出来るよう簡素化したのはエルフですぞ』
良くわからない内容の話で自慢し、手柄を取り合って睨み合うエルフの先生とゴブリンの支店長。
その話を聞いて姉ちゃんは、シュパッと手を上げた。
『デも、ソれジャ、オオきなトリヒキは、どうすルノ?』
『ああ、そんときゃ各魔族の金貨も使うけど、主には……これだよ』
睨み合ってた支店長が机にポンと置いたのは、一枚の羊皮紙。
広げると魔界語で日付やらサインやらが書かれてる。
一番上には題名、なんか領収書みたいな内容らしい。そして題名の横には白い宝石が取り付けられていた。
『こいつは、手形な。
誰からどこのどいつへ、いつまでに幾ら払うって書いてある。これを代金として払うわけだ。足りない端数は銀貨銅貨で、てわけ。
こいつが金代わりに色んな商人や商会の間をグルグル回るワケよ。その宝玉には取引の記録が収められてるぜ。
で、決算日になったら手形を全部一か所に集めて、全ての貸し借りを相殺して精算するわけ。
最後に残った支払い分だけしか払う必要は無いから、無駄に金を動かす必要は無いワケだぜ!』
『あー、ナルほど、「商法」のジュギョウでナラったナア』
商法の単語は日本語だった。
商法というと、商売の法律っていう商法だな。
僕には難しくて良くわからない話だったけど、姉ちゃんは解ったらしい。
「姉ちゃん、それって法学部で習うの?」
「もちろんよ。
六法全書には商法の項目がしっかりあるから。
最近はオンライン決済が中心なんで手形は流行らないみたいけど、ここでは必要な知識ね。
あんたも覚えときなさいよ」
「えー、難しいなあ」
ピシッと指示棒がテーブルを叩いた。
忘れてた、今はデンホルム先生の授業中だから、日本語禁止だ。
でも手形を理解したのは満足だったらしく、少し笑いながら頷いてる。
『どうやら理解出来たようだね。
まったく、君達の知識の多様さと頭の良さには驚かされてばかりだ。
こんな商人と学者しか知らないことも、即座に理解してしまうのだから』
僕らの知識量について驚く先生。
いやまあ、この魔界の進学率ってヤツはしりませんけど、僕らも高度情報化社会の日本で学生してましたから。
基本的なことは分かりますよ、うん。
『話を戻すが、手形以外にも、口座を開いている者同士なら口座内だけで取引を済ませる事も出来る。
この二つを組み合わせれば、商取引は貨幣をほとんど必要とせず、非常に便利で安全なのだよ。
他にも小切手など、幾つかの支払い手段は存在してる。だがその辺の細かい話は次回にしよう。
ま、手形の決算も口座内での取引も、銀行に手数料を支払わないといけないのだが』
『キヒヒッ!
そんな顔をしなさんな。
こっちも仕事だ、手間賃は頂くぜ。
特に手形の総決算は、町中の手形を全部集める大市だからな。他の街とも取引があると、そりゃあ手間がかかってしょうがないぜ』
先生は、明らかに白い目をゴブリンへ向ける。
けどゴブリンの支店長は悪びれる様子はない。
ま、それが銀行の仕事なんだから、当然のはずなんだけど。
あまり他の種族からは良い印象をもたれてないんだな。
と、姉ちゃんがニヤリと笑う。
『まだ、ダイジなギンコウのシゴト、セツメイしてないでショ?』
姉の言葉に、支店長と先生はキョトンとする。
すると、得意げに言葉を続けた。
『ギンコウにおカネ、アズけるトキ、フルいツウカをカイシュウ。
それをトかしてアタラしいコインにする。
おカネのリョウと、カチをソウサする』
『アー、アルネ、ソレ』
そうそう、通貨発行量の管理。日銀の仕事。
インフレやデフレってやつを防ぐため、市場全体の通貨量を管理する。
しかもさっきの説明にもあったように、本物の貴金属を使った通貨なせいで、貴金属の含有量を常に管理しないと経済が混乱する。
魔界中央銀行が日銀に近い存在なら、余計な通貨を回収して潰して新しい貨幣に作り変えるのも仕事なわけだ。
と、支店長と先生が驚いてる。
目も口もあんぐりと開きっぱなしだ。
ようやくエズラ支店長が言葉を吐いた。
『お、おまえら、なんでそんなことまで知ってやがんだ?』
『キュリア・レジスの大学で教えるような、経済学まで知っているとは。
まったく、恐るべき若者たちだね』
デンホルム先生も仰天してる。
僕らは、ふっふーん、と鼻高々。
地球人を舐めてもらっちゃ困ります。
そんなわけで、朝からずっと銀行や商店を回って、商業と商売について学んで本日の授業は終わりとなった。
気がついたら、もう夕暮れになってた。
夜、姉ちゃんと部屋に帰って一言。
「そうじゃなくて、あたし達は金を稼ぎたいって言ってるのよ!」
「銀行の決済が必要な大金なんか、持たないし~」
二人で頭を抱えました。
だからエルフは話が長いとか回りくどいとか言われるのか。
ああ、財布が今日も乾いてる。
金、欲しい……。
次回、第八章第三話
『新素材』
2011年5月26日00:00投稿予定