星祭り
残暑が残る夕暮れ時。
僕らは大きな白いイヌに乗ってジュネヴラ近くの森に来た。
ジュネブラの街は大森林に囲まれている。
インターラーケンを東西に走る街道はあるんだけど、その中で開発された場所はジュネヴラとか数カ所だけらしい。
でも街を囲む森は手つかずの大自然、というわけではない。
実はインターラーケンの領民はほとんどが森で暮らしてる。
森の太い木の上、枝を支柱にして木の幹を囲むような家を作ってるのだ。
見た目、鳥の巣みたいな感じだけど、高い木々の上の方には確かに家らしきものがあった。
見上げながら森の中を進む僕らではあるけど、いや見上げながら進みたいんだけど、この獣道同然な道を進むのは大変。
なにせ妖精は飛べる。地上には巨大狼みたいな猛獣もいる。だから妖精は街以外の地上へはめったに降りない。
だからして、リィンさんに案内される僕らは、ただ巨大な犬の背に乗ってるだけだというのに、しがみついてるだけで一苦労だ。
「まったくー、なんだってこんな苦労しなきゃいけないのよ!」
藪と木の枝に髪や服を引っかける姉ちゃんは、さっきからブツクサと文句を言い続けてる。
必死に犬の毛を掴んでしがみついてるけど、かなり揺れるから落ちないようにするだけでも大変。
おまけに乗馬みたいな鞍も無い。乗りにくい。
乗っているのは巨大な白い犬、名前はカルヴァ。
トゥーン領主の飼い犬。戦時にはこれに乗って出陣するんだって。
でも最近は出番がないので、犬小屋だか馬小屋だかで暇してた。
というわけで今回、僕ら姉弟が妖精達の村へ行くにあたって貸してくれた。
移動手段としてはもちろん、ボディーガードとしても役に立つ、と太鼓判付き。
でも乗り心地は最悪。
さらに周囲には警備の兵士達もついてきてくれた。
さすがにジュネヴラ近くにある妖精の集落へ行くだけといっても、暗くなると危険は大きいから。
カルヴァの前後を歩いてるのはワーウルフの兵士達。銃を背負った隊長と、剣と弓を持つ部下三人。
あるのか無いのか分からないような獣道でも平然と、軽々と歩き続けてる。
訓練で鍛え上げてるんだろうし、『肉体強化』の魔法で筋力やスタミナも上げてるだろうから、この程度は楽々なんだな。
そして一番先頭を飛んでいるリィンさんには獣道なんて関係なし。
『まーまー、もう少しで着くから頑張ってよ』
『マッタク、ナンでこんなクロウをシナクちゃイケナイの?
シカもコンなクラくなるトキに、アブナイじゃないの!』
『昨日の子供達のお詫びって説明したでしょ。
みんなで歓迎するからさ、集会場までちょっとだけ我慢してね』
というわけで、妖精の子供達がやったことを謝りたい、というので妖精の村に招待されたわけだ。
案内役のリィンさんに連れられ、トゥーン領主からカルヴァを借り、兵士四人に守られて森を歩く。
木々の上には妖精達が暮らす家がある。けどほとんど人影はない。僕らが向かう集会場とやらへ先に行ったようだ。
時折、僕らを遠くから眺めてる妖精達の姿が見える。
そのまましばらく進み続けると、突然開けた場所に出た。
薄暗い森の中から、急に光に満ちあふれた草原に足を踏み入れる。
それは、大きな池を囲む広い草地。湿地ではなく、カルヴァの肉球は草をかき分けて土を踏みしめてる。
うっそうとした森の中に広がる草原と、その中心にある大きな池。だけど、眩しいのは沈みかけた太陽のせいだけじゃない。
いや、夕焼け以上に眩しく鮮やかな光が広場の上を覆い尽くしてる。
しかも七色に色調を変え、明滅してる。
それは、妖精の羽。
七色に輝く魔法の光が空を埋め尽くす。
一人一人の羽の輝きはそれほどじゃないけど、さすがにこれだけの数が集まると、もの凄い光量だ。
しかも、この数。一体何万人の妖精が集まって来たんだ?
「すっごい……綺麗ねえ……」
「ホントだよ、こんなの見たことない」
呆気に取られて七色に輝く空を見上げる姉ちゃんと僕。
カルヴァも警護のワーウルフさん達も妖精達の光に目を奪われてる。
そんな僕らの前にリィンさんがフワリと飛んでくる。
『ふっふーん!
どーよどーよ、驚いた?
ジュネヴラ周辺に住む妖精、全員あなた達のために集まってくれたのよ』
集まってくれたという上空の妖精達、その中から一人の妖精がふわりと降りてきた。
その姿は、小柄なおじいさん。インターラーケンでは珍しく男の妖精で、白ヒゲに顔の下半分を覆われてる。
僕らの目線まで降りてきたおじいさんは、ペコリと頭を下げた。
『お初にお目にかかりますじゃ。
ワシはインターラーケンに住まう妖精族の族長をしとります、Bernardinoといいます。
皆にはベルンと呼ばれとります』
ベルン族長か。
地球ではスイスの首都がベルンという名だけど、この場合は関係無さそう。
族長は申し訳なさそうに再び頭を下げた。
『昨日はワシら妖精の子供達が大変な粗相をしてしまい、本当に申し訳ありませんでしたじゃ。
いやはや、王族の方々の客人にご迷惑をおかけするなど、お詫びのしようもございません。
今宵はせめてもの償いにと思い、妖精族伝来の祭りにご招待致しましたじゃ』
姉ちゃんも「あ、そ、そう……」と頭を下げ返す。
さっきまでの不満はどこへやら、夕暮れの赤い空一杯に広がる七色の輝きに、怒気も毒気も抜かれたようだ。
さらには森の奥から妖精の子供達がお盆や大きな葉っぱに料理をのせて飛んできた。
リィンさんは池のほとりにある、大きな平べったい石の上に僕らを引っ張っていく。
目の前にはズラリと果物やパンや肉が並べられてた。
『そんなわけで、今夜はあなた達が主役よ。
本来は王族以外の異種族を招くなんてことは無いんだから、たっぷり楽しんでいってね!』
石舞台の上にサササッと目の前に並べられた料理は、僕ら二人だけじゃ絶対に食べきれない量。
いつぞやのような虫料理じゃなくて、ちゃんと僕らが食べれる種類の物だ。ちゃんと選んでくれたんだな。
石の上に座った僕らには木製の杯も手渡され、妖精の子供達が持つ革袋から淡い茶色の液体が注がれる。
リンゴの爽やかな香りと、僅かなアルコール臭。果実酒か。
ちょっとだけ口を付けてみるけど、喉が焼けるような感じはあまり無い。アルコール度は低いらしい。
どちらかというと炭酸ジュースに近い。
「どう? 妖精族伝来の果実酒よ。Mostoって言うの」
「ウン、オイシイ……」
確かにこれはアップルサイダーみたいで飲みやすい。
うん、確かに飲みやすいんだけど……気になるのはお酒じゃなくて、お酒を注いでくる子供達の方。
妖精の、裸の子供達。
妖精達は人間の半分くらいの大きさだし、そもそも寿命とか知らないから、外見からじゃ正確な年齢は分からない。顔立ちと大きさから、多分子供というくらい。
でも、ほとんどの子供が裸。
男の子も女の子も、ほとんどみんな裸。
ちょっと年上っぽくなると、薄汚れて破れたパンツやシャツを言い訳程度に着ているだけ。
大人の妖精も、ヒラヒラの薄着一枚とかがほとんど。
まあ、いかにも妖精っぽくはあるけど。
『アノ、リィンサン』
『ん、なあに?』
『ナゼ、コドモタチ、ミンナ、ハダカ?』
『ん? 子供が裸なのはどうして、て聞いてるの?』
『ウィ』
『……子供が裸だったら、何か変なの?』
キョトンとするリィンさん。
いきなり隣からボカッと殴られた。
姉のゲンコツは相変わらず痛い。
耳を引っ張られたところへ、わざわざ日本語でヒソヒソと、でもきつい口調で呟かれる。
「ちょっとアンタ! 妖精がビンボーって知ってるでしょ?」
「え、あ、そうか。子供服を買う金が無いのか」
「ったり前でしょーが、少しは考えなさい!」
『何を言ってるのか知らないけど、予想は付くわよ』
う、日本語で話してたのに、内容は通じてしまった。
ちょっと機嫌を悪くしたようで、頬を膨らませてる。
『えーえー、そうですわよ私ら妖精は貧乏ですわよ!
子供はすぐに大きくなって服が合わなくなるし、今は夏だから裸でも暮らせるから、服はケチって買いませんし作りません!
Lutetia (ルテティア)の貴族達じゃあるまいし、夏の子供はみーんな裸ですよ!』
ルテティアというのが何かは知らないけど、金持ち貴族が居る場所の名前だろうな。
TVでジャングル奥地の原住民、そこの子供が裸で暮らしてるのと同じなんだろう。
で、その子供達はといえば、お酒や料理を持ってきてから、僕らの前にそろってフワリと降りてきた。
石舞台の前、大きな池の水面上に浮かぶ子供達。さすがに凄い人数。
水面に反射する光も合わさって、かなり眩しい。
リィンさんと、えと、ベルナルディーノ族長が子供達の方へ向く。
『さあ、みんな! ちゃんと謝りなさいよ!』
『妖精として恥ずかしくないところをみせるんじゃぞ』
言われて子供達は、全員でペコリと頭を下げた。
『きょーこさん、ゆーたさん、ごめんなさい』『ごみーん、ゆるしてちょ』『こら、ふざけてないで真面目にしなさい!』『なんだよー、おれはちゃんとあやまったぞ』『あんたじゃなくて、そっちの』『うぇ~ん、ごみぇんでしゅぅ~』
謝るといっても子供のやることなので、ちゃんと謝ってるんだか謝ってないんだか。
まあ、気持ちは分かったし、よしとしよう。
『オコッテナイ、キニシナイ』
『マあ、チャンとアヤマるなら、ユルシてあげるわ』
僕らが許すと言うと、子供達の中でも年長の妖精が飛んできた。
姉ちゃんの方には男の子達、僕の方には女の子達が、目の前にくる。
そしてすぐ目の前まで顔を寄せてきた。
チュッ
頬を寄せた女の子達が、いきなり僕のほっぺたにキスをしてきた。
左右の頬に、次々と連続で入れ替わりに。
突然のことにビックリしてる間にもキスが続く。
小さくて可愛い妖精、その中でも特に可愛い少女達、オマケに全裸。
彼女達の、なんというか、花のつぼみみたいに小さな唇が、頬に重ねられ続ける。
細い指があごや首筋に触れるたび、ちょっと恥ずかしくて頭に血が上る。
果実みたいにツヤツヤしたお尻や、スベスベの背中も可愛らしい。
隣を見れば、姉ちゃんも男の子達の連続キスを頬に受けてた。
真っ赤になりながら硬直してる。
多分、僕も負けず劣らず真っ赤になってるんだろう。
ようやく子供達のキスが終わったときには、頬がベトベトになってる。
でも拭う気にはなれない。
なんかこう、天国で天使の祝福を受けたって感じ?
暗くなりゆく空を背景に、七色に輝く妖精のスクリーンを見上げながら、ホケーとしてる。
僕も姉ちゃんも、リィンさんと族長に肩を揺すられるまでボンヤリしてたかも。
『ちょっと、大丈夫?』
『私ら妖精族には、謝罪として頬に口づけをする習慣があるのですが、もしやあなた方では無礼な行いでしたかな?』
『イ、イエ! ソ、ソンナコト、ナイデス!』
『ワタシタチにも、シャザイのキスはあります。ダイジョウブよ』
ホッとした様子の、えっと、本名忘れたからベルン族長でいいや、族長とリィンさんは胸をなで下ろす。
こうして妖精達の祭りは始まった。
池の水面上に降りてきた子供達が歌を歌う。
歌に合わせて大人の妖精達が舞い踊る。
空を埋め尽くす七色の光は、リズムに合わせて色を変える。
風も水面も彼らの動きに合わせて揺れる。魔法で動かしてるのか。
だけど、夜空に輝く妖精達の羽は星より遙かに鮮やかで、ネオンより目に優しく、澄んだ歌声は脳を震わすほど響き渡る。
まさに妖精の、幻想の世界だ。
アルコール度の低いモストだけど、酒に慣れてない僕らの顔を赤くするには十分。
料理も素朴な焼き肉とか果物、でもとても美味しい。
もちろん僕ら二人だけでは食べきれない。なので警護についてきてくれたワーウルフ兵士達にもお裾分け。
カルヴァは石舞台の隣で、僕らが投げる食べ物を器用にパクッと大きな口でキャッチする。
こんな巨大な白犬だけど、意外にも雑食だった。野菜も果物も好き嫌いせず何でも食べてしまう。
本当に幻想世界のような、妖精達の祭。
現実のものとは思えない、こんなの映画ですら見たこともない。
夢のような夜だった。
いつしか、祭も終わり。
妖精の羽の光に代わり、月光が池に降る。
ワーウルフの兵達が持つ魔法のライトが石舞台周囲を照らす。
アルコール度は低いモスト。酒に慣れてない僕らにはピッタリで、なんというかほろ酔い気分。
「いやー、姉ちゃん。凄いの見れたねえ」
「本当ねえ。スッゴイ映像が撮れたわ」
姉はカメラで撮影した動画を再生して満足そう。
ここに来てから大量に撮影した動画と写真。8ギガのメモリーカードを沢山持ってきてるけど、こんな勢いで撮りまくってたらメモリーも電池も足らないや。
そろそろ節約を考えないと。
頭の上からはベルン族長のしわがれた声が下りてくる。
『いやはや、お二方とも、遅くまで引き留めて申し訳ありませんでした。
帰りもリィンに案内させますで、えと、少々お待ちを……』
キョロキョロと周りを見た族長は、リィンさんの姿が無いのに気が付いた。
老人とはいえ妖精、身軽に宙を舞うベルン族長は森の奥へと飛んでいく。
族長が向かう先、確かに淡い光が幾つか舞っているのが見える。妖精の羽の光だ。
なにやら大きな声も聞こえてくる。
「これは……リィンさんの声みたいだけど、何だろ?」
「ちょっと行ってみましょうか」
石舞台の横で伏せてるカルヴァに二人でまたがる。
僕らがしっかり乗るのを確認してから、巨大犬はゆっくりと起きあがってくれた。
この犬、本当に賢い。僕らのヘタな魔界語の指示に従って、ゆっくりと森の奥へと入っていく。
ワーウルフ達もライト片手についてきてくれた。
『……おめでとうって、言ってるじゃないの!』
『そんなに怒らないでよ、リィン。
あたし、そんな風に怒られてまでフランツと結婚したくないの』
『だから、怒ってないわ!
あたしのことなんか気にしないで、フランツと幸せになってちょうだい!』
『リィン、お前には悪いと思ってる。
でも、俺は元々ヘラと』
『悪くなんかないわ。だって、片思いの横恋慕だなんて、最初から知ってたもの。
あたしなんか気にしないでちょうだい』
森の上、聞こえてくるのはリィンさんと知らない妖精達の声。
内容は、分かる。
修羅場。
フランツという男と、リィンさんと、ヘラという女の人とで三角関係か。
そしてフられたのはリィンさん。
『これ、リィンや! お客人達の前でなんちゅう話を』
ベルン族長の声でリィンさん達は振り向く。
地上で見上げてる僕らに気が付いた彼らは、気まずそうに黙り込んだ。
フランツとヘラの二人は小さく頭を下げ、森の奥へと飛んでいく。
リィンさんは小さく溜め息をついてから、僕らの方へ下りてくる。
『失礼したわね。さ、もう夜も遅いし帰りましょう。
では族長、私は彼らを街へ案内しますね』
『う、うむ、よろしく頼むわい』
気まずそうな族長に背を向けて、リィンさんはサッサと街へと飛ぶ。
僕らも兵士達も、カルヴァまで気まずい空気のまま後をついていく。
あれだけ幻想的な祭の後だけど、その余韻も酔いもふっとんじゃった。
うーむ、きまずい空気が漂ってる。
月明かりも僅かしか通らない夜の森、虫が集まってくる魔法のライトに照らされて、カルヴァも慎重に足を進めていく。
森を抜けて街道に入り、街の灯りが見える辺りまで来たとき、リィンさんが僕らの近くへ飛んできた。
『悪いわね、みっともないトコ見せちゃって』
『ウ、ウウン。キニシナイ』
『あの、フランツってヒト、ツきアってたノ?』
姉ちゃんの無神経な質問に、リィンさんはサバサバした様子で答える。
でも、どちらかというとヤケクソな口調。
『違うわよ、あたしが勝手に惚れてただけよ。
フランツはねー、最初からヘラと結婚する気だったの。
あ~あ、でもね~、少しくらい希望はあるかと思ってたんだけどなー』
吹っ切れたというより、吹っ切ろうという感じのリィンさん。
また案内役として先頭に飛んでいく彼女の背中には、羽が七色の輝きを放つ。
でも、その光に照らされる水滴が幾つか宙を舞っていた、そんな気がする。
それは目の錯覚だったのか、それともリィンさんの涙だったのか、単に汗とかの水滴が偶然飛び散っただけなのか。
本当のことは、僕には分からない。
僕らを必死で看病したり、色々世話をしてくれたリィンさん。
なんとか励ましたい、何か言葉をかけたいとは思う。
思うけど、何を言えばいいのか分からない。
魔界語が分からないという以前に、こういうときにどんな事をどんな顔で言えばいいのか、なんて経験が無いから。
もっと頑張ろう。
いつか彼女の力になれるように。
彼女を励ますくらいは出来るようになりたいから。
なにはともあれ、ジュネヴラの住人達に受け入れられた姉弟。
何気なく毎日を過ごす彼らの日常は、平和なような騒がしいような
地球と魔界の交差点に立つ彼らの周囲は、まだまだ静かにはなりません。
というわけで物語の序盤が、起承転結の起がようやく終わったのです。
これからはユータとキョーコには恋に仕事に色々と頑張ってもらう予定です。
そう、来るべき時に備えて……。
次回、第八章『コイン』第一話
『金、欲しい』
2011年5月22日00:00投稿予定