妖精の子供
「ふぅあ~……ねみぃ」
カーテンの向こう側、窓から差し込む光で室内が照らされる。
もう太陽が山向こうから上がってしまってる。
今日は寝坊だ。
「いや、日の出前に起きれなかったから寝坊って、どんだけ早寝早起きなんだよ。
老人かっての」
ベッドから体を起こしながら、独り言を呟く。
すっかり身に付いた早寝早起きだけど、昨日は夜更かしだったし疲れ果てた。
おかげで久々にゆっくり寝れた。
疲労回復、気分爽快!
大仕事を終えた達成感も加わって、最高の気分だ。
データの入力作業は、ほぼ完了した。
昨日の夜で、僕らに対する箝口令も終了した。
きっと今日からは何か今までと違うこと起き、新しいことが始まるに違いない。
わき上がる期待で、なんか体もウズウズする。
というわけで、散歩でもするとしようか。
新しい出会いがあるかもしれない。
ズボンとスニーカーを履いて、まだ寝息を立ててる姉ちゃんを起こさないよう、静かに部屋を出る。
市庁舎、いやジュネヴラはインターラーケンの首都だから県庁くらいの位置付けか、その中を歩いていると、既にメイド妖精達が朝の掃除に飛び回っていた。
廊下を皮鎧のリザードマン達や、白い袋を抱えた白い羽の人達や、作業服みたいなのを着たドワーフ達も歩き回ってる。
さすがに一ヶ月もいると、みんな顔見知りになってる。
通りすがりに「サリュ」と挨拶したり頭を下げたりすると、『Salut』や『Grüß Gott』とか答えたり会釈して通り過ぎていった。
心なしか、昨日までより人々の愛想がいい気がする。
建物の扉は朝から開きっぱなし。
オークの農夫らしき人達も気軽に出入りしてる。
扉をくぐって外に出れば、気持ちの良い朝だ。
もう街の人達は起き出して、忙しく動き回ってる。
両手を高く上げて、うぅ~ん……と背伸び。
「ふぅあ~……さーって、今日からは何をしようかなぁー……?」
ふと、違和感を感じた。
気のせいかと思って改めて周りを見る。
するとなんとなく、いや確かに感じる。
違和感というより、何かこう、視線を感じる。
クルッと振り向いた。
扉の中から大きなカゴを抱えたメイドの妖精さんが僕を見てた。
こちらから「サリュ」と挨拶すると、ニッコリ微笑み返してから去っていった。
でもまだ視線は感じる、ような気がする。
ふと何気なく横を見た。
すると建物の影、路地の向こうから小さな頭が幾つものぞいてた。
妖精の子供達だ。
人間の子供より小柄な妖精の子供達。それが何人も建物の影から頭を半分だけ出してコッチを見つめてた。
じーっと、こっちを見てる。
「……サリュ」
さっきと同じように挨拶する。
するとニパッと笑った子供達が『Salut!』『G...Grüß Gott!』なんて挨拶を一斉に返してきた。
そして即座に路地の奥へと頭を引っ込める。
今までも路地の奥とか木陰から僕と姉ちゃんを怖々と観察してる妖精の子供はいた。
でも挨拶を返してきたのは初めてだ。
これも箝口令解除の影響か?
「……?」
まだ何か違和感を感じる。
振り返って上を見上げてみた。
すると、庁舎の屋根に沢山の妖精達がいた。
身を乗り出し、こっちを指さして、何かを小声で囁き合ってる。
ジュネヴラで働いてる大人の妖精達じゃない、みんな年若い、というか子供の妖精達だ。
て、なんでこんな沢山の子供達が来てるんだ?
なんて不思議に思ってたら、沢山の甲高い声が聞こえてきた。
『……見て見て!』
『ホントだ、あれが例の?』
『わーにんげんだにんげんだよぉ』
『なんだぁ、ふつうじゃんか。なんであんなのに近づいちゃダメなんていうんだろ?』
『ゆだんするなよー、にんげんはこわいって、かーちゃんいってたんだぞー』
『うっそだーい、あんなのパセルモバチにくらべたら、ぜ~んぜんだぜ』
『だよねー、キバも毒爪もないんでしょ?』
『油断しちゃダメ! ものすごい強いケッカイで、どんな魔法も消しちゃうんだって』
『うぅ~ん、よく見えないよぉ~』
子供の声が、周囲全てから聞こえてくる!?
恐る恐る、視線を上げたまま、ぐるりと振り向いてみた
妖精が、いた。
広場を囲む建物や巨大テント、その上に妖精の子供達が鈴なりになってた。
その全ての視線が、こっちに向けられてる!?
「なっ!? ど、どっからこんなに子供が!?」
思わずたじろいで後ずさる。
それに子供達が反応してしまった。
僕がビビッたと見るや、何人かの子供達が蝶の羽を光らせながら飛んでくる。
子供とはいえ、羽を持ち空から舞い降りてくる妖精達は身軽で素早い。あっと言う間に囲まれてしまった。
妖精の年は分からないけど、みんな人間の子供より小さい。間違いなく子供。
髪は赤金茶白と様々、目の色も青金赤と色々。
格好は、薄い肌着を着ているだけの子、薄汚れたパンツを一枚履いてるだけの子、何も着てない子とか。
男の子も女の子も、好奇心一杯の目で僕を見てる。
「え、えと、あ……な、何!?」
いきなり妖精の子供達に取り囲まれ、呆気に取られてしまう。というか、ちょっと恐い。
そしたら、いきなり後ろ髪を引っ張られた。
「うわっ!」
驚いて慌てて振り払う。でもさすがに素早くて、僕の手が触れる前にフワリと飛び離れた。
すると、足下にいた子供が服を引っ張ってきた。
さらに反対側から耳をつままれる。
「ひゃあっ!」
いきなりのことに身を屈める。
フワフワ飛んでる子供達の隙間に突っ込んで、そのまま庁舎の中へ駆け込む。
突如、背中の方から、子供達の歓声が沸き起こった。
肩越しに振り返ったら、建物の屋根や路地の奥から、妖精達が一斉に飛び立つのが見えた。
それは全て、妖精の子供達。
全員が庁舎へ、僕へめがけて飛んでくる!?
「う、うわああああっっ!!」
庁舎の廊下を必死で爆走。
目の前のエルフやゴブリンが仰天して飛び退く。
でも、逃げる僕の後ろから、『キャーキャー!』『あー! 逃げたぞー!』『わるものめー』『おいかけろー、せいばいしてやるー』なんて声が聞こえてくる!?
な、なんでじゃーっ!!
庁舎の中をメチャクチャに走り回る僕。
その後ろから押し寄せる妖精達の大群。
突然のことに飛び退いたり、子供といえど妖精の大群の勢いに吹っ飛ばされる人々。 さらには開け放たれた窓からも妖精の子供達が飛び込んできて、目の前に立ち塞がったり突っ込んでくる!!
こ、このままでは捕まるっ!
なんで捕まるの!?
目の前に、空いてるドアがあった。
無我夢中で飛び込んで、慌てて扉を閉め、瞬時にカギをかける。
とたんに扉がドンダン叩きまくられ、向こう側から『にげるなーわるものめー』『すぱいをたいじしてやるぞー』『キャハハハッ! おっもしろーい!』なんて子供の声が飛んでくる。
な、何がなんだか分からないけど、とにかく今は助かった……?
目の前に、何かがあった。
何かこう、見覚えがあるんだけど、それはこんな形をしていたかなぁ、というモノ。
人間より大きな、そう、白いものと薄汚れた布の塊。
そこかしこから見覚えのある、大きな蝶の羽が飛び出してパタパタ動いてる。
蝶の羽は、妖精の羽。
白いのは、妖精の肌。
薄汚れた布は、妖精の服。
パッと見たとき、それは何なのか分からなかった。
よーく見て、分かった。
妖精が、妖精の子供が塊に、団子状になったものだ。
そして、中から聞き覚えのある声が聞こえてくる。
たぁ~すぅ~けぇ~てぇ~……。
「……姉ちゃん?」
姉ちゃんの声?
なぜ姉ちゃんの声が、妖精団子の中から?
というか、何故に妖精の子供が団子になってるんだ!?
ふと見れば、そこは僕らの部屋。
窓は開け放たれている。
ということは、開いたままの窓から、妖精の子供達が飛び込んできて、姉ちゃんを……。
妖精団子が、震えた。
揃って頭を上げる。
団子から飛び出した頭が僕を見る。
そして、全員が、ニヤリと笑った。
『敵はっけん!』『とつげきだじょー!』『わーわーきゃー!』『いったーいっ! だれよアタシのお尻をたたいたのっ!?』『ぼく、しらない』『こらー、まじめにやれー、にっくきにんげんをたおすのだー』『おー!』
避ける暇は無かった。
一瞬にして散開した子供達は、一気に僕へ飛びかかる。
そして、今度は僕が妖精団子にされた。
『いやー、わりいわりい』
ボロボロにされた僕らの前で、トゥーンさんが苦笑いしながら頭をかいてる。
子供達の乱入でグチャグチャにされた部屋、荷物は散乱し、カーテンはビリビリに破かれてる。
隣の姉ちゃんは、髪も服もひどい有様。
僕も似たようなもんだ。
いくら子供とはいえ、あんな数で一気に飛びかかられたらたまったもんじゃない。
あちこちに歯形やひっかき傷も出来てしまった。
アルコールで消毒して包帯を巻いてくれるリィンさんとパオラさんも、申し訳なさそうな顔をしてる。
大きな溜め息をついたのは、トゥーンさんの横で立ってるクレメンタインさん。
『まったく……妖精の子供達には、こちらからもきつく叱っておきましょう。
本当に申し訳ありませんでしたな』
「申し訳ない、じゃないわよ!」
手当てしてくれてるリィンさんを跳ね飛ばす勢いで怒鳴る姉ちゃん。
怒りのあまり、日本語のままで叫んでる。
さすがに今回は姉を止める気にならない。
「一体、どういうことよっ!
あたし達が何をしたっての!?
なんでこんな目に遭わなきゃいけないよおっ!」
『ちょ、ちょっとキョーコさ、怒んねーでくんろ。
何いってっかしんねーけど、落ち着いとくれ』
パオラさんがなだめるのも耳に入らず、怒鳴り続ける姉ちゃん。
日本語で叫んでるけど、内容は剣幕だけで通じた。
部屋の外、広場の方からは、リア妃はじめ妖精の大人達が子供達を叱りとばす声が響いてくる。なのでメイドがみんないないから、残ってる妃達が自ら介抱をしてる。
そして怒られる子供達の鳴き声も響いてくる。
クレメンタインさんは、頭を僅かに下げながら事情を説明した。
昨日まで、ジュネヴラには僕らに対する箝口令が出ていた。
同時に森で暮らす妖精達は、安全のため街に不用意に近寄らないよう言われてた。
そのため僕らが来てからの一ヶ月間、森の妖精達は用もなく街へ来ないようにしていたのだった。
時折僕らの様子を見つめていた妖精の子供達は、いいつけを破ってこっそり来ていた悪い子達。
で、今朝。
箝口令解除が妖精達に伝えられた。
なので妖精達が、特に子供達が一気に街へ押し寄せたのだ。
もちろん目的は、異世界から来た僕らを見るため。
朝からずっと庁舎周囲に陣取って、建物から出てくるのを待ってた、と。
それを知らずにノコノコ出てきた僕は、完全包囲してくる妖精の子供達に驚いて逃げ出した。
逃げる僕を見て、子供達は面白がって追いかけてきた、というわけだ。
「……だから子供は大ッ嫌いだっての!」
心の底から魂の叫びを放つ姉。
僕も、この国ではやっていけない気がしてきた。
いや多分ムリ。
次回、第七章第五話
『星祭り』
2011年5月15日00:00投稿予定