物理法則
ルヴァンさんの目は、細くて瞳は見えないけど、まっすぐ僕を見ている。
自分の疑問に、研究に答えを出してくれると期待しているんだ。
そして僕らも期待している。ルヴァン王子なら全てを理解してくれる、と。
ゆっくりと、分かりやすく説明を始める。
「ルヴァン王子、魔法は何から生まれますか?」
「ワタシ達ノ、意思。
セイシンリョク、ココロでス」
即答する第二王子。
魔法は心から生まれる、という。
おとぎ話やマンガでよくある話だ。
意思が力になる……科学の常識ではありえない、単なるファンタジーのように聞こえる。
だけど、そうじゃない。
魔法といえど、科学と全く無縁なものではなかったんだ。
いや、もしかしたら、究極的には科学も魔法も同じモノなのかもしれない。
そこには物理の法則がしっかりと働いていたのだから。
「心の、意志の力が魔法を生む……そうですね?」
「ソウでス」
「魔法で炎を作る、即ち熱を作る、ということですね」
「はイ。
私達ハ、正確にハ、『炎の魔力を付与する』とイイます。
魔力ヲ熱にコウカンし、目標ノ物へ与エるノです」
ルヴァン王子はテーブル上のナイフを手にする。それは金属製の、何の変哲も無いナイフ。
カツッと音を立てて、木製のテーブルに切っ先を突き立てる。
そしてナイフの柄へ向けて手の平を向けた。
即座にナイフが真っ赤に焼け始めた。
熱気が僕にも感じられる。
焦げ臭い臭いと共に、ナイフが突き立ったテーブルも煙を上げて焦げ始める。
ナイフに『炎の魔力を付与』したから、木が燃えるくらいの温度まで上がったのか。
ルヴァンさんはナイフに手を向けるのを止める。
赤く光るナイフ、その熱気が徐々に下がっていく。
熱気も徐々に収まっていく。
「付与サレタ熱ハ、消えマセン。
周りニ逃げ、薄マり、散っていクのデス。
消えルように見エルだけデ、消えテハいないノデス」
そう、それがさっきの言葉、物理法則。
エネルギー保存の法則だ。
姉ちゃんの口からポツリと一言漏れる。
「エントロピー増大の法則、ね」
「それも高校の物理?」
「ええ。
必ず習うわよ」
エントロピー増大、それも分かる。
高校の物理で習う以前に、いろんなSFモノで出てくるから。
簡単に言うと、エネルギーは高い所から低い所へ行くけど、その逆は無い、ということ。
電気は冷水を暖めることはできるけど、熱水自体からは電気エネルギーは生じない。熱水で発電しても、冷水を温めるのに使った電気より減っている。
あちこちに分散して薄まってしまうからだ。
けど、エネルギーが消えたワケじゃない。
周囲に散ってしまっただけで、全体の量は変わってない。
それもエネルギー保存の法則に従っている。
「でモ、ジュウリョクだけは、違ウ」
ルヴァンさんはさっきの話をもう一度繰り返す。
僕も思い出す。ルヴァンさんがさっき見せた、重力魔法。
物体にかかる重力を増加させているらしい魔法だ。
そして魔法を止めると重力は戻る。全て元通りになった。
「ワタシ、魔法でジュウリョク、増やせマス。
でも、増やせルだけ、なのデス。
心ノ力、ジュウリョクの魔法に変エタ。ジュウリョクの魔法、イスやテント、重くシタ。
でも、マホウを止めたラ、効果はスグに、カンゼンに、消えマシタ。
魔法デ作った、チカラ、ドコへ行ったンでショウ?」
姉ちゃんは、やっぱり「?、??、?」という感じで頭を捻ってる。
これは『魔法で生んだ力は、魔法を止めれば消える』と考えてるせいだろう。
魔法で生んだエネルギーも魔法の一部、と勘違いしてるんだ。
「姉ちゃん、分かんない?」
「分かんないわよ!
一体、どういうことよ。
魔法で生まれた力なら、魔法を止めれば消えて当たり前でしょうが」
「えっと、つまりねえ……」
SFや理系が大嫌いな姉ちゃんにも分かるように、なんとか噛み砕いて説明しようと努力する。
ゆっくり、簡単に話す。
「エネルギーを生んだのが魔法であっても、生まれたエネルギーは魔法じゃなくて単なるエネルギーなんだよ。
魔法でお湯を沸かしたら、魔法を止めてもお湯は沸きっぱなし、ということ。
そして魔力は消費したまま」
「あー、えっと、何だかエントロピー増大の法則、に似てる?」
「おそらく、同じモノだと思うよ」
魔力でお湯を沸かせても、お湯で魔力は生み出せない。
いや、もしかしたら彼らにはお湯で魔力を生めるかも知れない。けどやはり、魔力は目減りしてるはずだ。
お湯を沸かした瞬間から、お湯は冷め始めてる。湯気になったり器を通して熱が逃げていったりしてるから。
でも姉ちゃんの疑問は目減りしてない。まだ質問は続く。
「でもそれ、変じゃない?」
「なんで?」
「さっきルヴァン王子が見せてくれたErnst、重力の魔法。
魔法を止めたら消えたじゃないの」
「うん。
瞬時に元通りになったね」
姉の言う通り、すぐに元通りになった。
椅子の重さは増えたままになったりせず、テントの布もビヨーンと戻った。
魔法で作られた重力は、消えたんだ。
それも一瞬で、完璧に。
「重力魔法を止めたから、重力が消えたんでしょ?」
「違うよ」
即答。
父さんの趣味データを見た僕にとっては、それが違うことが分かる。
見ていない姉ちゃんには分からない話だ。
なので、ますます混乱してる。
「魔力の正体がなんなのかは分からないけど、とにかく魔力で生み出したエネルギーは、それは単なるエネルギー。
これは分かる?」
「えーっと……そういうモノなの?」
「そうらしいよ。
そして、たとえ魔法で生まれていようと、生まれたのは単なるエネルギーだから、僕らの習った物理の法則に従う。
これも分かる?」
「ま、まあ、このファンタジーな魔法世界でもそうみたいね。
それで?」
コホンと咳払いして、頭がついていけなくてパニックしてたのを誤魔化す姉。
背筋を伸ばし、澄まし顔で次の説明をしろという様子。
なんか偉そうで気に入らないけど、まあいいや。
とにかく話を続ける。
「エネルギー保存の法則からいうなら、重力というエネルギーが生まれたら、その生まれた重力分のエネルギーがどこかに残ってるはずだろ?」
「え?
あ、あーっと、えーっと、そういえば、重力だってエネルギーよね……?」
「その通り。
いくら魔法とはいえ、重力を生み出したら、それは重力というエネルギーだよ。
勝手に消えたりしないはずだ」
「でも、消えたじゃない。
さっき、目の前で、一瞬で」
「そうだよ。
それが不思議だっていう話を、ルヴァン王子はしていたんだよ。
エネルギー保存の法則からは有り得ない現象だからだ」
「ソウです」
大きく頷いた王子。
この人も凄いなあ。日本語という異国の言語で、魔界にとって全く異質な文明である科学の話を、あっと言う間に理解してるんだから。
「ジュウリョク、ホントにフシギなんデス。
生み出シたチカラ、どこかヘ消えテしまウ。
ドコに行くのカ調べヨウと、弟達と妹ニ協力タノミました」
そういって顔を向けた当の弟妹達は、日本語で交わされる話が理解出来ず、置いて行かれてる。
他の種族も同じで、一応は周りで静かにしているものの、ぼんやり休んだりくつろいだりしてる。
ネコさん達は、既に丸くなって寝てた。
イヌさん達だけが、いまだにビシッと直立不動で警備を続けてる。なんだか可哀想なほど。
「アンクで強いジュウリョクを起こシ、レーダーでチカラの様子、調べてマシタ。
結果ハ、意外なモノでしタ」
「と、いうと?」
僕は、隣の姉ちゃんもググッと前のめり。
ルヴァンさんも心なしか前のめり。
「ジュウリョク、ドコに消えたカ、分かりませんデシタ。
でモ代ワリに、レーダーに穴ガ空きまシタ」
「穴?」
「はイ。
ジュウリョクは、カンゼンに、どこカへ消えてタノデス。全くトラエられませんデシタ。
デモ、ジュネヴラの街ノ周囲ヲ調べてイタレーダーに、突然、レーダーでトラエられない場所ガ現レタのでス。
調査ニ竜騎兵ヲ送ッタラ、アナタタチがいた、というワケデス」
「あー」
「なるほど、そーゆー事だったのね」
話は分かった。
僕らが最初に魔界へ来たときのことだ。
この世界へ転移してきたとき、まるで僕らを捜しているかのように竜騎兵達が飛んできた。
おかげで、あっと言う間に捕まってしまった。
あの飛空挺墜落事件でわかったけど、僕らには魔法が効かない。
地球の物質には、一切の魔力を消してしまう性質がある。
ということは、魔力を放つレーダーを使っていたら、僕らの居る所だけレーダーで捉えられなくなってしまう。
だから僕らの居場所が分かってたんだ。
「アナタ達、チキュウのブッシツ、フシギです。興味ありマス。
でも、元々ノ実験ハ、失敗デシタ。
ジュウリョク、消えてシマイまシタ。
ドコへ行くのか、分かラズ、でス。
キュリア・レジスでイクラ調べてモ、セント・パンクラスの全てノ資料ヲ広げてモ、分かりませんデシタ」
セント・パンクラスという単語が出たとき、姉が何か気付いたように目を丸くした。
すぐに姉ちゃんはヨーロッパのガイドブックを出し、地図を広げる。
「ルヴァン王子、そのセント・パンクラスって、どこです?」
その問いに、ルヴァンさんは即座に地図の一点を示した。
それは地球のヨーロッパの地図だったけど、その中の一点を迷い無く指さしてる。
理由は簡単、そこにはしっかりとセント・パンクラスと書いてあったから。
座標は 北緯51度31分、西経0度7分。
イギリスのロンドン、英仏海峡トンネルを通り英国とフランスとを結ぶ国際列車ユーロスターも乗り入れてるSt Pancras station(セント・パンクラス駅)。
近くにあるのは、大英図書館。
さすがパラレル・ワールド、似たような場所に似たようなものがある。
ということは、エルフの国ダルリアダはイギリス、キュリア・レジスはロンドンのことなのか。
「いや、そんなことはいいから」
それはそれで興味あるけど、今は関係ない。
話を戻す。
「ルヴァン王子、重力がどこに行くのか、知りたいのですね?」
「ソウでス」
頷くルヴァンさん。
姉ちゃんは僕を見上げてキョトンとしてる。
「ユータ、あんた、重力っていうエネルギーがどこへ消えるか、知ってるっての?」
僕も頷く。
尋ねてきた姉ちゃんの方は、あからさまにうさんくさそうにしてる。
なんて失礼な姉だ。
そのことを僕に勉強しろって押しつけてきたのは、姉ちゃんじゃねーか。
「父さんのデータにあったよ」
「あ、そうなの。
さすが父さんのデータって、無駄なモノが一杯ね」
「無駄じゃない」
明言する。
そうだ、無駄じゃなかった。
いや、父さんの趣味データにある重力に関する知識、それこそがカギだったんだ。
ついでにいうと、この世界に飛ばされたのも父さんの趣味のせいだけど……。
僕は知っている。
重力の魔法で生まれた力が、どこへ行ってしまうのかを知っている。
それが、僕らが地球から魔界へ転移した理由だ。
僕はPCを動かし、あるデータを表示させる。
それは「超ひも理論」、全ての物質は極小のひもから成る、という理論。
詳しい内容は難しすぎて、僕にもロクに分からない。
だが、重力の力がどこに行くか、については書いてあった。
気を落ち着け、可能な限り簡単な言葉で話す。
「ルヴァン王子……僕は、重力がどこへ消えるか、知っています」
「ヤハリ、そうデシタか。
そのパソコン、チョウ小型アンクのデータ、興味ブカカった。
内容ヲ、もっと学びタイ」
「結論を、言います。
重力は、重力子という小さな粒で出来ています。
その粒は別世界へ、宇宙の狭間へ逃げてしまうのです。
この宇宙、世界そのものの外側へ、漏れるのです」
「力が、漏レル? 宇宙カラ?」
「そうです。
あなた達は知らなかったようですが……重力とは空間の歪み、宇宙の歪みなんです。
その歪みが大きくなったとき、空間に穴が空きます。
紙を思いっきりつねったり引っ張ったら破れるのと同じです」
「アナ……穴ガ、空間ニ、宇宙ニ、穴ガ開く、と言ウのデスか?」
「はい。
この穴から漏れて別次元へ逃げるため、計測は出来ないし、この宇宙に何も残さないのです。
それがルヴァン王子がなさっていた実験に対する答えです」
ルヴァン王子は、何も答えない。
おそらくその頭脳は、僕なんかが想像できないほど大量の高度な思考を繰り返しているだろう。
でも、その思考が結論を出すのを待っているわけにはいかない。
僕は、僕の話を続ける。
「そして僕らの世界、地球でも強い重力を生み出してしまう実験をしていました。
たまたま僕ら姉弟は、その実験の近くにいたんです」
ルヴァン王子の目が見開く。
といっても瞳が見えるほどじゃないけど。ほんの僅かにまぶたが開かれる。
「この世を形作る様々な力、その中で重力だけが、別の宇宙へ漏れるんです。
言い換えると、重力には別世界へ移動する力があるんです。
空間に穴を開け、世界を渡る橋を造る力です」
僕は立ち上がる。
ルヴァンさんの前に立つ。
姉ちゃんも、話の内容があんまり解らないみたいだけど、僕のマネをして隣に立つ。
「僕らは、その穴に落ちたんです。
僕らは、地球に帰りたいのです。
お願いです、もう一度同じ魔法を使って下さい。
再び出来た穴を通って、僕らは帰ります。
どうか、お願いします」
僕は、隣の姉ちゃんも、深々と頭を下げる。
僅かに見開かれたルヴァンさんの目は、僕らの頭を見下ろし続ける。
次回、第七章第三話
『GagOrden』
2011年5月11日00:00投稿予定