ジバチトカゲ
建物の陰に隠れた僕らの目の前で、騒動と混乱は拡大の一途をたどる。
広場周辺で衝撃音と粉塵が巻き起こる。
魔法の障壁『吸収』を展開していた魔導師達が、次々と吹っ飛ばされる。
ジバチトカゲ達の魔法攻撃で『吸収』を潰され、光の波が消えてしまう。
途端に障壁で止められていた破片と他のジバチトカゲまで地上に降り注ぐ。
王族四人も地上の様子に慌てるが、彼らは動くことが出来ない。
崩壊が進む巨大武装飛空挺と大量の破片を支える彼らは動けない。
地上にいる兵士達と街の人達がさらに大騒ぎで右往左往。
と、そんな混乱の中、聞き覚えのある声が聞こえた。
それは日本語の女性の声……姉ちゃんの、冷静な実況の声だった。
「引き続きインターラーケンはジュネヴラの街より金三原京子がお伝えします。
現在、巨大武装飛空挺は魔王一族の王子王女達が展開した強力な魔法により、街への墜落は防がれました。
ですが、船体が自重と衝撃によって崩壊しています。そのため破片が街に降り注ぐという危険な事態は未だ消えていません。
そして、今、新たな状況が発生しました!
船から、何かトカゲらしき生物が大量に落ちてきています!
あれらのトカゲは、恐らく積み荷だったと思われますが、魔導師達のバリアーを逃れて地上に降り立つや、強力な魔法を放ち街を破壊し始めました!
既にジュネヴラの街は大混乱で……」
声の方を見れば、そこにはカメラで動画を撮り続ける姉ちゃんがいた。
建物の影に隠れつつ、実況もしてる。
こ、こんな時に……。
「姉ちゃん、何してんだよ!」
「見て分かんない?」
「分かってるから聞いてるんだよっ!
逃げたんじゃなかったの!?」
「逃げたわよ、ここに。
んで、特ダネ撮影中。
いやー、これ絶対地球に持ち帰りたいわ」
僕は、隣のジークリンデさんもカメラの機能は知ってるので、呆れてしまった。
まったく、この姉と来たら。
たくましいやらずぶといやら、信じられない。
いや、もうそんなことはどうでもいい。
とにかく逃げないといけないんだけど、デンホルムさんはどうしたろうか。
さっきパソコンを取りにテントへ……え!?
「ね、姉ちゃん! あれ!」
「あれって何よ、て、ああ!」
僕が指さし姉ちゃんがカメラを向ける先は、テント村。
アンクとレーダーが置かれた巨大テントのある広場の一角。
その上空はやぐらの上で吸収の結界を広げるルヴァン王子がいるので、破片やトカゲは降り注いでない。
でも、地上に降りて逃げ出したトカゲたちが、街の四方八方へ逃げ出してる。そしてその多くが、テント村の方へと向かってる!
もちろん兵士達も、街の人達もトカゲを捕まえたり退治しようと必死になってる。
ゴブリン達が魔法を放ち、突風でトカゲの魔法陣を破壊する。
巨人の棍棒が飛来する炎の塊を遮る。
目にも止まらぬ速さでワーキャット達がトカゲを捕まえたりくわえたりしてる。
ワーウルフ達のチームワークで次々とトカゲが倒される。
でもあのトカゲ、相当にすばしっこい。おまけに所構わず魔法をぶちかましてるせいで、危なくて近寄れない。
兵士達の方は降り注ぐ破片と走り回る街の人達が邪魔で、大量にいるトカゲを上手く倒せない。
降り注ぐ破片を受け止めるエルフやドワーフの魔導師達も、魔法を展開してるせいで動けないからトカゲに吹っ飛ばされてしまう。
そして破れた結界から破片とトカゲが降り注いできて、さらに混乱が増す。
まさにパニックの連鎖だ。
んで、そんな騒ぎがテントの中に、僕らの荷物に、地球に帰るてがかりの詰まったパソコンにまで……!?
「まずいっ!」
思わず、駆けだしてしまった。
危ないとか、剣も弓も魔法も使えない僕が行って何の役に立つとか、そんなことは頭から吹き飛んだ。
あれが壊れたら、終わりだ。
もう地球に帰れない。
この世界じゃ僕らは生きれない。魔法も何にも使えないってのに、言葉もロクにしゃべれないのに、生活出来ない。
日本に帰るには、あれを失うわけにはいかないんだ。
町の人とトカゲが走り回る中、必死でテントへ向かう。
後ろからジークリンデさんの止める声が聞こえたけど、止まれない。
降り注ぐ木片やガラス片、飛び交う魔法で生まれた炎や凍り付く地面、衝撃波に吹っ飛ばされる広場の石畳とオークの兵士。
風に飛ばされて転がり、両手で頭を守りながら、必死に走る。
目の前に、トカゲが三匹逃げてきた。
背中の毛はフサフサ、それ以外は土色のウロコに覆われ、大きさは柴犬くらい。
そのうち一匹と、目が合ってしまう。
即座に三匹が正三角形を描き、触手が結ばれ、魔法陣らしき図形が光を放つ。
間違いなく、こっちを向いてる。
魔法が、来る!?
突然、正三角形が崩れた。
正三角形の頂点が一つ、いきなり消えた。
代わりに、弓を手にしたワーウルフの兵士が一人立ってる。
駆けつけた兵士がトカゲの一匹を、思いっきり蹴り飛ばしていたんだ。
魔法陣は崩れて光が消える。
残り二匹は結んでいた触手をほどき、慌てて逃げていく。
兵士は弓を構えてトカゲを射ようとした。
けどトカゲがチョロチョロと逃げ回り、走り回る人も射線上に入ってしまって、射ることができない。
グルルルッ、と悔しそうにうなり声をあげたワーウルフの兵士は短剣を手にして走り出した。
た、助かった……。
違う、助かってない!
パソコンを、荷物を守らないと!
再びテントへ向けて走り出す。
突風の魔法に吹き飛ばされて転がりながら、必死で立ち上がって走り出す。
どうにかこうにか、アンクの置かれた巨大テントまで来れた。
体のあちこちに擦り傷やアザが出来たけど、そんなのはどうでもいい。
息を弾ませ肩を激しく上下させながら、それでもテント入り口をくぐる。
テントのあちこちにある大きめの天窓から、朝の光が差し込む。
細い光に照らされたアンクは、まだ稼働前だけどキラキラと輝いてる。
薄暗いテントの中で、アンクだけが神秘的な光に包まれていた。
テントの中には、まだトカゲはいなかった。
いるのはアンク警備の兵士達……だった人達。
だった、というのは、もう過去の話だから。
警備兵の彼らは今、警備が出来ていない。
彼らは今、一歩も動けない状態にされていた。
結界。
王子達や魔導師達がテントの外で展開しているのと同じ、運動エネルギーを吸収する魔法。
淡い光の波が、薄暗いテントの中、あちこちで光ってる。それは直径2mくらいの球形で、やはり表面に動けなくなったものが張り付いている。
でも結界に捉えられ動けなくなっているのは、トカゲじゃない。
テントを突き破って降ってきた破片でもない。
兵士達だ。
アンクの警備をしていたはずの兵士達が、結界に捉えられて動けなくなっていた。
だけど、テントの中の全員が完全に動けなくなってるわけじゃない。
結界に捉えられてない皮鎧の人物や、体の一部だけ捉えられたローブの人もいる。
皮鎧を着ているのは、アンクが置かれた台座の下にいる、二人のリザードマン。
茶色のローブを着てるのは、緑の長髪男……デンホルム先生!?
デンホルム先生は結界に右手から肩を捉えられ、ローブも張り付き、もがいてる。
「せ、先生!?」
先生も動けない。
ヘタに動けば右腕だけじゃなく、他の部分まで結界に触れて、さらに動けなくなる。
このままでは逃げることも何も出来ない状態だ。
ただ、まだ結界表面に触れていないので動かせる頭を必死にひねり、ようやく僕の方を向いた。
そして、凄い形相で叫ぶ。
『逃げろ!』
「え、ええ!? でも、パソコンがっ!」
『早く逃げろっ! 外の者を、ルヴァン様を呼んでくるんだ!!』
突然のことに、思考が停止しそうになる。
一体、何のことだかわからない。
でもとにかく、幾つもの球形結界に捉えられた警備兵と先生に背を向けようとした。
だが、皮鎧のリザードマンの方が、素早かった。
テントから飛び出そうとする僕の視界の端、そいつが何かを投げつけるのが見える。 僅かな放物線を描き、真っ直ぐ飛んでくる。
僕の背中へ、真っ直ぐ。
それは、黒い玉。
見事に磨き上げられた丸い石の玉は、何かの宝石のよう。
それが僕の背中にコツンと当たった。
キュウゥウゥゥウウウン……。
何かが回転するような音がした。
同時に、僕の周りを光が覆う。
破片やトカゲや警備兵、そして先生を捉えてるのと同じ、結界だ。
運動エネルギーを吸収するという、魔法の障壁。
「なっ!?」
仰天する僕の周囲に光の波が広がる。
完全な球形を描くそれは、僕の肩の後ろを中心に展開している。
ということは、その波の中心にいる僕も、動けない。
動け、ない……?
あれ?
「……なに、これ?」
動けた。
首をキョロキョロと回す。
普通に動ける。
運動エネルギーを吸収するという魔法の結界は、張られたままだ。
何かが回転するような音も続いてる。
右肩の後ろに張り付いた黒い宝石を中心に、見事な球形の波が僕を包んでる。
でも動ける。
左手で右肩後ろの宝石をつまんでみた。
黒の宝石は、なんだかベタベタしてる。狙った目標に張り付くよう、ノリが塗られてるのか。
確かに魔法を放ち続けているそれは、今までに見た魔法のアイテムに近いモノだ。
この世界の魔法アイテムには必ず付けられている、宝石のようなもの。
魔法アイテムの核。
でも、動きを止める結界が張られているのに、動ける。
動きを止める魔法結界の中、普通に動ける。
僕の体も、服も、自由に動けてる。
魔法の光が宝石を中心に展開してるので、僕が黒の宝石を動かすのと連動して結界も動く。
運動エネルギーを吸収されてない……。
故障?
キョトンとして立ち尽くす。
ふと投げつけたリザードマンの方を見れば、無表情だけど、なんかたじろいでる。
デンホルム先生は、明らかに仰天して目を見開いてる。
そして、絶句してる。
立ち直ったらしいリザードマンが改めて弓を構え……え、弓!?
矢が真っ直ぐに僕を狙ってる!
さすが鍛え抜かれたらしいリザードマンの兵士は、一瞬で矢を構えて、瞬時に放ってきた。
避ける暇もない。
鉄の矢が一直線に、僕の眉間へ向けて――。
止まった。
光の壁に当たった矢は、ビタリと止まる。
矢の先端が光の波に当たった途端、完全に停止してしまう。
矢に触れてない棒の部分が、ビイィィン……と振動してる。
僕の体には、触れることも出来なかった。
これは……故障じゃない。
魔法の結界は、確かに働いてる。
でも僕には効果が無い。
効かない!
間違いない、この魔法は僕には効果がない。
理由は知らないけど、僕の動きを止めることは出来ない。
でも、彼らの攻撃は止まる。
この結界があれば、自由に動きつつ、完全に身を守れるんだ!
む、無敵状態!?
思わず、口の端が釣り上がってしまう。
アンクの下で、何をしてんだかわからないけど、多分悪いことをしようとしているリザードマンを見返す。
喉の奥から、思わず「ぐっひっひっひ……」なんて笑い声が漏れてしまった。
睨まれるリザードマンは、やっぱり無表情だけど、明らかに動揺してたじろいでる。
僕が一歩前に出れば、一歩下がる。
「うぅおりゃああっ!」
絶叫。
そして疾走!
左手に黒い宝石をつかんだまま、リザードマン達へ向かって走り出した。
スニーカーに巻き上げられた土とホコリが、結界の表面に貼り付けられていく。
けど、そんなことはお構いなしにリザードマンへ右拳を握りしめて突っ込んだ。
簡単に避けられた。
彼らの動きはとてつもなく速い。
瞬時に飛び退き、僕から大きく間合いを開けられてしまった。
まるでマンガの忍者かというくらいの素早さで、とても追いつけない。
僕はといえば、全力で走ってきたせいで、急には止まれなかった。
なので、勢い余ってアンクの台座にぶつかってしまった。
しかも吸収の結界表面が台座に触れてしまった。光の波が台座に張り付いてしまってはがせない。
なので、結界を張り続ける黒の宝石も動かない。
宝石は、それ自身が張る結界が動かせないもんだから、まるで空中に固定されたかのように停止してしまった。
アンクが乗った台座の重さも相当なもので、宝石は押しても引いてもピクリとも動かない。
「やべっ! 結界が動かせないから、その中心の宝石も動かない!?
これじゃあいつらを……をおをっ!?!?」
逃げたリザードマンを見たら、その内一人が動けなくなった警備兵の一人から、銃を取り上げてるのが見えた。
この世界の銃は、レーザーガン。光による攻撃。
そして今、僕は結界の中からでも彼らの行動が見えてる。
と言うことは、この結界は光を通す。
なら、レーザーの光も通り抜ける!?
や、ヤバイッ!
台座の影に飛び込んだ。
ほぼ同時に僕が立っていた場所を光の筋が通過する。
危なかった……?
左足に、熱を感じた。
見たら、ふくらはぎの両側に一つずつ、穴が計二つ開いてた。
そこから細い血飛沫が飛ぶ。
れ、レーザーが、貫通したっ!?
視界の端に、もう一人のリザードマンが別方向から銃を構えてるのが見える。
しまった、二人いたんだ。
足を撃たれて逃げられなくなった。
おまけに挟まれた。
慌てて体を縮めるが、もう遅い。
立て続けに光が走る。台座の影から僅かに見える僕の体を狙った銃撃が来る。
そのうち数発が足や腕をかすめた。
血が噴き出し、服を赤く染める。
「お、終わった……」
余計なことを、するんじゃなかった。
調子に乗って突っ込んだりなんかしなきゃよかった。
次の瞬間には、レーザーで穴だらけにされてしまう。
恐怖のあまり、力一杯目を閉じる。
渾身の力で歯を食いしばる。
次回、第五章第五話
『姉』
2011年4月15日00:00投稿予定