飛空挺
「ユータ、忘れ物は無いわね?」
「もちろん!
もう荷物はアンクのテントまで、一つ残らず運んでもらったよ。
残るは手持ちのナップサックとウェストポーチに入れて持参するだけ。
今日は良いトコまでいけるぞ!」
背中には、既にカメラとかを入れたナップサック。
腰にはウェストポーチ。万一に備え、ベルトに水色の丸い防犯ブザーも繋げてある。
姉ちゃんの荷物も万端だ。
「ええ、行ってもらわなきゃ困るわ。
まったく、アンクを動かすたびに二週間も間をあけられちゃ、たまんないわよ。
なんとか今回で全て終わらせるわよ!」
「おうっ!」
ジュネヴラ中央広場、庁舎前で僕らは気合いを入れる。
まだ朝日も顔を出してない、白み始めたばかりの早朝だけど、とてもノンビリ寝てる気にはならない。
なぜなら、今日は二週間ぶりにアンクを動かせる日だから。
ルヴァンさん達の魔力が、ようやく回復したそうだ。
あのアンク、とにかく動かすのに大量のエネルギーを必要とするんだ。王族クラスの魔力がないと、安定して動かせない。
そして魔力を十分溜めるには、相当の時間が必要になるんだって。
というわけで、前回のアンク運用から二週間も経ってしまった。
さーて、そうとなればジッとなんかしていられない。
この前はアンクの翻訳が不十分なせいで、パラレルワールドとか高度な内容の話が全然できなかった。
彼ら王族四人がインターラーケンに集まってた目的というアンクの運用実験の話も聞けていない。
今回のアンク稼働で、なんとしても説明しきらないと、いつになったら地球に帰れるんだか全く分からないままだ。
『よう、早いじゃねーか』
不意に後ろから、というか頭の上から声をかけられた。
それは魔界の言葉だけど、もうその意味は分かる。朝の挨拶。
誰の声かも知ってる。振り返って見上げれば、そこには予想通りトゥーンさんが三階の窓から顔を出してた。
多分、起きたばかりのインターラーケン領主様は、薄いシャツを着たまま不機嫌そうな顔をしてる。
姉ちゃんは瞬時に頭を下げ、胸に手を当てて深々と礼をした。
『ア、オハヨウゴザイマス。トゥーン様』
『おう、お早うさん』
姉ちゃんのたどたどしい、でも魔界の言葉での挨拶。
トゥーンさんは眠そうに手を振って朝の挨拶。
僕も慌てて頭を下げ、頬をぺしぺし叩いてる領主に礼を言う。
『トゥーン様、アンクト実験ヘノ協力、アリガトウゴザイマス。
キョウハ、ヨロシクオネガイシマス』
『んむ~……あ~、わーったわーったよ、全く……。
アンクなんて持ってくるんじゃなかった、クソ』
爽やかな朝の空気の中、全くもって爽やかとは縁のないトゥーン領主の愚痴が振ってくる。
まあ、気持ちは分かる。だってアンクを動かすとなると、自分が魔力を吸われるんだから。
領主ともなれば他に仕事もあるし、そこで使う魔力も要るのに、アンクのせいで景気よく消費してしまう。
ところで、今の会話は全部、魔界語で交わされた。
この二週間で僕らの語学力もグッと上達。基本的な会話くらいはなんとか出来る。
彼らが何を話してるかも分かるようになってきた。
真面目にやって良かった受験勉強、英語の知識が相当に役立った。
最近は、夢の中でも魔界の言葉でしゃべってる。
通りすがりで少し会話して別れた後、その人と何語で話をしてたのか分からないけど話の内容だけ覚えてる、ということもあった。
日本語や英語で話すわけはないから、間違いなく魔界語のハズ。でも、今さっき自分で口にしてたのに、それが魔界語だったという意識が残ってない。
だんだんと脳が、魔界の言葉を日本語並みに普通に理解するようになったらしい。
おかげでパオラさんとか通訳の人を挟む必要も少なくなった。
なんて思ってたら、そのパオラさんがトゥーンさんの横から顔を出してくれた。
綺麗な長い銀髪で、ソバカスのある女の子。夜着のまま、満面の笑みでこっちへ手を振ってくれてる。
僕も釣られて笑顔で手を振る。
ふと、隣から妙なオーラを感じてしまう。
見れば、隣の姉ちゃんが顔を赤くしてそっぽを向いてる。
なんだろう、礼儀とかうるさい姉ちゃんが挨拶を返さないなんて、珍しい。
「ちょっと姉ちゃん、どうしたの?
朝の挨拶を無視するなんて、失礼だよ」
「わ、分かってるわよ!
まったく、あんたはお子様なんだから……」
「何だよ、それ?」
僕の問いかけは無視して、顔を赤くした姉ちゃんもパオラさんへ挨拶を返す。
同じく礼儀正しく挨拶を返してくれたパオラさんは、トゥーンさんと一緒に窓の奥へ引っ込んだ。
ちょっと気になったので、今のはどういう意味か聞いてみる。
「姉ちゃん、なんだよお子様って。
今、なんかあったの?」
その質問に、聞かれた姉は本当にバカを見る目を返してくる。
うわー、相変わらずムカツク姉だ。
肩をすくめてヤレヤレって感じで、もったいぶって教えてくれた。
「あのねえ、あんた……。
男と女が、どうしてこんな早朝に、同じ窓から、寝間着のままだと思うの?」
「え……?」
早朝に、寝間着で、同じ窓。
ということは、暗いウチから、同じ部屋で、男女が……えええええっ!?
も、もしかして、アレか、アレなのかー!?
絶句した僕に、またもバカにしたような呆れた溜め息。
いやだって、でも、ほら、えとあの……!?
「いや、でも待ってよ!
あの二人って、どうみても、日本で言うなら、まだ中学生くらいで、それが、そんなエッチな……しかも堂々と!?」
「日本でも昔は一五歳で成人扱いよ。
江戸時代では、二十歳過ぎて独身だったら行き後れの大年増呼ばわりされてたわ」
「あ、え、でも、なんか犯罪っぽい……」
「地球では、ね。
でも、ここの刑法なんてしらないわ。
というか、あんた、大事なことを忘れてない?」
「え、大事って、何?」
「あの人達、多分だけど、人間じゃないわよ。
ホモサピエンスじゃないのに、人類の常識当てはめて、どうすんの?
彼らの寿命とか、成長したらどうなるか、すら知らないのに」
「あ……そうか。
子供みたいに見えるだけで、実はもうとっくに大人かもしれないんだ」
「そーゆーこと。
てゆっか、王族のやることに余計な口出しして、首チョンパなんてゴメンだわね」
非常にサバサバした、さっぱりした姉ちゃんの態度。
そして、この魔界にすっかり順応してる。何を見ても驚かず、「へー、そうなんだ」と納得して受け入れてる。
最初の頃は、絶対にパラレルワールドとか魔法とか受け入れまいと必死になってたのに。
うーむ、たくましい姉だ。
僕が女だったら、この男らしさに惚れたかも。
ボカッ!
なんだか知らないけど急に殴られた。
「な、なにすんだよ!」
「あんた、今、失礼なことを考えたでしょ?」
「な、何故分かる!?」
ボカボカッ!
さらに殴られた。
なんでこんなに勘が良いんだよ、まったく。
日が昇り、雲一つ無い青空が広がる。
そして街が本格的に起き出す。
森で暮らす多くの妖精達が街へ出勤、各自の羽で軽やかに飛んでくる。
トカゲ人間のリザードマン達は、湖で獲ってきた魚が満載されたカゴを荷車に載せて運んでる。
緑色でデコボコのコブだらけな小人、ゴブリンと呼ばれる種族が店を開ける。あれは銀行や金融業みたいな仕事をしてるんだって。
ブタ頭のオークさん達が背負子で担いできた野菜を広場の隅に山積みする。市場はちゃんとあるんだけど、広場でも露店が開かれる。
他にも巨人の人達が丸太や岩を運んだり、犬頭のワーウルフ族は森へ狩りに出かけたり、猫頭のワーキャット達は……何をしてるのかよくわからない。街のあちこちで昼寝してるような遊んでるような。
特に盛んなのは、街道を通る人々向けの宿屋と酒場かな。行商人とか運送業者とか、種族は様々だけど男がほとんど。とにかく酒と食べ物の消費が凄い。
本屋とか仕立屋とか、普通のお店はまだ見つけてない。どっかにあるけど目立たないのか、まだ新しい街だから開店してないのか、それとも行商の形式でやってるのか。
飛行船、この世界では飛空挺と呼ばれてるけど、その発着も町はずれで定期的に行われてる。
王族の四人も動き出す。
庁舎の一階にある部屋から白いマントをまとったルヴァンさんが、沢山のエルフを引き連れて出てくる。
その隣にある迎賓館兼集会場として建てられた建物からは、フェティダさんがドワーフ達を、オグルさんがゴブリン達を連れて出てきた。
黒地に赤が各所に配されたスーツ姿みたいなフェティダさんはドワーフ族を、藍色のローブをすっぽり被ったオグルさんはゴブリン達を支配しているそうだ。
このお二方は、あんまり外を出歩いている姿は見ていない。 普段は通信用の大鏡、『無限の窓』という名前の通信回線を使って、領地との連絡と指示をしているそうだ。
で、アンクの実験のため魔力を溜め終えた王族二人も、結構イヤそうな顔はしてるけど、テントの方へ向かってくる。
「んじゃ、ビシッとなさいよ」
「わーってるよ」
僕らは広場に設営されたテント村の前で、姉ちゃんと並んで王族四人をお出迎え。
他の妖精やエルフ、ワーウルフ族をはじめとした兵士達と一緒に整列する。
広場で露店を開いてたオークや、通りすがりの巨人も深々と礼をする。
そして兵隊さん達にならって、僕らも慣れない敬礼をする。
彼らには地球の技術力獲得と知的好奇心という目的・欲望があるが、同じくこっちも地球へ帰るための手がかりが欲しくてしょうがない。
無礼討ちなんてされないと思うけど、それでも最大限の協力を得るため、失礼のないよう気をつけよう。
ふと、日が陰った。
さっきまで快晴だったけど雲が出てきたかな、と思って気にしなかった。
でも、なんかおかしい。周囲がざわつき始めてる。
チラリと周囲を見ると、ワーキャット達が空を見上げたり指さしたりしてる。
なんだろう、と指さす先を見上げると、飛空挺が飛んでいた。
「飛空挺か。珍しくもないだろうに、どうしたんだろう?」
「あら、ユータ……あの船、変じゃない?」
「変?」
姉ちゃんに言われて船をよく見てみる。
なんの変哲もない飛空挺、と最初は思った。
だけど、確かに変だ。
何が変なのか、最初は分からなかった。でも、その違和感の正体はすぐに分かった。
その飛空挺は、とても巨大で、そして妙だった。
といっても、巨大なのは妙じゃない。
時々見かける大型武装飛空挺だ。時折町はずれに着陸したり街の横を飛んだりしているのを見かける。
妙なのは、飛び方だ。
その飛空挺は、船首を街へ向けていた。
本来、飛空挺が街へ船首を向けることはない。
発着場から離着陸するにしても、ジュネヴラを素通りするにしても、絶対に船首を街に向けないし、街の真上は通らない。
別にデンホルムさん達から説明を受けたワケじゃないんだけど、理由は想像できる。うっかり街へ墜落したら大変だからだ。
実際、この二週間で街の上空を通る船は見なかった。
けど、その飛空挺は明らかに街へ向かってきてる。
突然の突風で流されてきてるわけでもない。船首自体をこちらに、街に向けている。 いや、街に向けてるだけならまだいい。
その船首は街の、それも広場へ向けている。つまり、機首が下がってる。
街へ向けて、機首を下げてるって……え?
「ね、姉ちゃん……あの船、まさか街へ向けて高度を下げてるんじゃ……」
「と、言うか……あれって、まさか、広場へ着陸する気って感じが……?」
言ってる間にも飛空挺の姿はどんどん近づいてくる。
もともと巨大な武装飛空挺だけど、今はその大きさがハッキリわかるくらいまで近づいて来てる。
いや、その速度もどんどん上がってきてる。高度を下げてるとか広場へ着陸する気とか、そんな言葉は合わない。
あれは、間違いなく、まさか!?
「つ、墜落ぅ!?」
王族四人も、兵士達も、妖精達も空を指さし大声や悲鳴を上げる。
騒然とする広場へ向けて、巨大武装飛空挺がグングン落下してきていた。
次回、第五章第三話
『自壊』
2011年4月11日01:00投稿予定