反応
一ヶ月後、ジュネヴラ上空、早朝。快晴。
この地の夏は短く、既に秋の気配が漂い始めている。
だが、一ヶ月間の居留地生活を終え、ようやく魔界へ本格的に足を踏み出した使節団の興奮は冷めるどころではない。
大型飛空挺に分乗し、インターラーケンクレーターを眼下に眺める地球人達は、初めて見る古代文明滅亡の証に目を奪われる。
飛空挺のうち一機では、窓から巨大爆心地跡を撮影する黒人カメラマンがいる。リポーターの方は同乗した京子へ取材を続けている。
「……これがクレーターかよぉー!
すっげー、すっげーデカさだぜよー」
どうやら日本語が上手くないらしい黒人レポーターは、それでも京子と意思疎通するために必死で彼女へ話しかけた。
京子は笑顔で取材に応じている。
「はい、前文明が滅んだ最大の原因は、このインターラーケンクレーターを生み出した爆発、と魔界側でも考えています」
「スゲースゲー!
こりゃ滅んじゃうぜー、古代ぶんめーバカだぜー」
日本語は怪しいが、カメラマンに向かって語るフランス語と英語は、非常に流暢で美しく理性的なものだった。
その日本語とのギャップに、恐らく日本の茶の間は笑いに包まれているだろう。
他の使節団の者達も、それぞれにカメラを手にして機内やクレーターの様子を撮影している。
その様子はまさに観光客の団体。
もちろん各データは所属する各国各組織で詳細に分析され、今後の魔界進出と資源開発に利用される。国によっては捏造した古文書から正体不明内容不詳の核心的利益をでっち上げて領有権主張、ということもあるかもしれない。
が、今の彼らは異界の地を旅行する観光客のノリ。無邪気に写真と動画を撮り続けている。
黒人リポーターの怪しい日本語混じりな実況も続く。
そんな中、大林は京子に話しかけた。
「ジュネヴラ周囲の発電施設は順調なようだねえ」
「ええ、太陽光パネルも水力風力発電も、順調に稼働してます。
皆さんの持参された機器くらいは動かせますよ」
「いやあ、助かるな。
君のお父上には感謝するばかりだ」
「いえいえ、父はそんな大したことはしてませんわ」
そうはいいつつも誇らしげな京子が窓を見下ろす。
ジュネヴラ郊外、麓へと流れる河には幾つもの水車が小さく見える。
また丘の上には白い風車が風を受けて回り続けている。南側斜面には鏡のように輝く平らな板が並んでいる。
これらは地球から提供された発電施設。
設置したのは某家電メーカーで勤務していた技術者、金三原氏。
ジュネヴラへやってきた彼は、ドワーフ技術者とオーク労働者の協力を得て、地球から提供された発電施設の設置に尽力した。
その電力で稼働した各種観測機器から得られたデータはCERN経由で地球全土に送られ、日々新発見と新技術開発へ繋げられている。
大林も同じ日本人として誇らしくのは自然なこと。そんな満足げな顔を、ジュネヴラから京子へ戻した。
「ところで、弟さんはジュネヴラには来ていないのかな?」
「ええ。来てませんよ。
知っての通り弟は無限暴走状態を脱したので、大方の魔力を失いましたから。
もう表舞台には出ない予定です」
当然のように素っ気なく裕太の不在を答える京子。
だが大林の方は少し残念そうだ。
「いやあ、そこが少し分からないんだ。
長きにわたる大戦を終結に導いた英雄が、この重要な式典に出席しないなんて。彼が列席しなかったら、式典も主役を欠くような状態でしょうに。
魔力を失ったとはいえ、名声と人望は今も確かですよ。
日本でも彼の姿を見たいという要望が凄まじくてね。帰郷を切望する声も大きいですよ」
「あら、日本に帰ったら大量殺人犯で裁かれるじゃないですか。私なんかCERN襲撃犯の主犯格テロリストですよ。
良い英雄とは死んだ英雄、という言葉もありますし」
またも当然のように、今度は痛烈な皮肉を返す。
日本は法治国家で反戦国家。銃弾と魔法が飛び交う最前線で戦い抜き死体の山を築いた裕太を英雄として迎え入れるのは国是と法に反するはず。
正当防衛や緊急避難など通じない。命乞いをするガストーネも笑顔で真っ二つにしたのだから。
それに英雄というのは既存支配者層からすれば、自分達の地位を脅かす新進気鋭のライバルという意味。
もっとも、首席大使を任じられる魔界駐在大使ともなれば、海千山千の外交舞台を乗り越えた外務省のエリート。この程度のことを軽く流せないはずもない。
実際、大林はにっこりと微笑んだ。
「その点はご安心を。
地球の全法規は魔界に及ばないこと、安全保障理事会で来月にも採決されることが決まっています。
総会でも来年には魔界への不介入という方向で決議されるでしょう」
「国連にしては動きが速いですね」
「色々と利権が絡んでますから。
どの国も魔王陛下の不興を買いたくないんですよ。そして魔王一族に太いパイプを持つ弟さんにも、ね」
「日本ではどうです?」
「もちろん、金三原裕太さんは英雄です!
破壊の魔人、悲劇の闘神、ドラマティックな恋物語の主人公、言葉も通じない異国で頂点へ駆け上ったサクセスストーリー……小説や漫画、映画化で金三原一家の口座に振り込まれ続けるロイヤリティーの額、羨ましい限りです。
法的には、もちろん異次元に日本の刑法も何も通じないことが閣議でも最高裁でも確認されています。
ですから裕太さんが殺人その他で逮捕されることは無いことを保証します。もちろん貴女も、緊急避難として不起訴という方向です」
「ありがとうございます。
その政治方針が明文を持って諸外国へ発信され、世論が維持され続けることを期待しますわ」
かくして、戦争を捨て殺人を許さないはずの日本国に、他国の戦争に介入した裕太は大手を振って帰国出来ることが確約された。間違いなく地球で重犯罪を犯した日本人の京子についても。
よって、「奴は異世界人の手先だ!」「侵略者に騙されるな!」「危険生物を駆除しろ!」「犯罪者に裁きを!」「ロリコン爆発しろ!」との叫びは公的には無視される。
ちなみにルヴァンやデンホルムなどもCERN襲撃については、先に述べられた法理論によって罪を問われない。
即ち、「地球の法の一切は地球人を前提としている。異次元在住の人間以外の生物を対象として成立していない」という、当たり前といえば当たり前な理由。
だから政治の場においては、最初から一切の法適用への努力は放棄された。
ただ、同様の法理論を持って、彼らに法的保護を与えることは出来ない。なのでまとめて政治的根拠で保護している。
もちろん、そんなものは政治的軍事的状況次第で簡単にひっくり返されることなど、彼女は百も承知。
現在は魔界側からしか次元回廊を開けないが、今後は分からない。政治情勢もどう変わるか。魔界のある種族が地球のどこかの国と密約を交わす……その程度は国際政治では日常茶飯事。
その時に金三原一家への扱いがどう変わるかも、考えなければならない。なにより裕太の扱いを。
だから明文と世論操作への尽力を要求した。
そして大林は、日本外交では珍しく玉虫色の言い回しはしなかった。
「その件については最大限の努力をすると約束出来ます。必ず実現しましょう」
「ありがとうございます」
「諸外国やテロリストの介入は全力を持って排除しますので、ご安心を。
ですので安心してビーコンを送って下さい」
「その点については、この場での返答は難しいですね」
京子の気のない返答に、大林は僅かに眉をしかめた。
「まだ何かご不満な点がありますか?
日本政府としては金三原ご家族の帰還に最大限の配慮をすることは閣議決定をもって決定済みです」
「あの、こう言っては失礼とは思いますが、来年の総理も同じ決定をしてくれるんでしょうか?」
今度は露骨に眉をしかめた。
日本国総理は相変わらず低支持率。
今の政権の意見が来年まで続く保証はない。だから諸外国から日本の総理や政権は話し相手にならないと軽んじられている。
それは大林も承知していること。だが、こんな自分より遥かに年下の女性にまで面と向かって指摘されれば、高級官僚としてのプライドも傷つく。
それでも、金三原一家が官邸を訪れ総理と握手するだけで政権与党の支持率が回復することは疑いない。
ビーコンを入手して魔界進出の足がかりとし、利権を引き出して与党の地位を確かなものに、もちろん管轄は外務省、外郭団体を山ほど作って予算と美味しい天下り先ゲット……という野望が見え見えすぎるのも自覚している。
別に大林個人のせいではないのだが、地位と職務上、これらの利益を代理で獲得する立場なのが辛いところ。
なので、この程度の指摘も予想している。対応策も。
大林は必死に作り笑顔を維持した。
「その点もご安心を。
各党代表も同意見です。どの党が政権を取ろうとも、この政治方針は当面変わりません」
「では、当面は信頼します」
「それではビーコン送付の件をお願いします。
代金は日本政府持ちですので、この点もご安心を」
「気前がいいですね」
「理由はご存じでしょう?」
主席大使のにっこりとした笑いに、地球省副大臣もにっこりと笑顔で答える。
両者にとり、言うまでもない理由だから。
ビーコンの存在は地球では大問題。
現在地球上には三個のビーコンが存在し、全てはCERNで管理されている。
あまりに利害が絡みすぎて他国へ動かせない。
ビーコンは次元回廊出入り口となる。なので回廊が開かれた国は、世界の命運を握る鍵を手にするに等しい。
魔王ラーグンは、ルヴァン達が魔界へ確実に帰還し大使達が往復するに必要最小限しか転移させなかった。
ビーコンは最大級の交渉材料なのだから簡単には渡さない。
CERN は欧州の20国により運営される。日本・ロシア・トルコ・ユネスコ・米国などはオブザーバー。それらの国から理事などの政治的活動人員を受け入れていない。
だからその20国はビーコンも共同管理し、絶対に他国へ引き渡さない。
その20国内でも利害対立はあるが、少なくともアメリカ・中国・ロシアからの「ビーコンを寄こせ」という圧力に頑として抵抗している。
ならば理事を押し込める運営に携わろうという政治駆け引きが激しい。
では、裕太が日本へ帰る場合は?
この場合、裕太が妻フェティダにビーコン作成を頼む。つまり裕太の個人所有。
送り先は日本、金三原家。自分の家。
ラーグンも魔界全体も裕太には大変な恩がある。裕太が望むなら、政治的問題があるにしても、拒否や妨害はしないだろう。
弱腰で有名な日本政府といえど、ビーコン入手は他国への配慮こそすれ諦める理由は無い。堂々と大手を振ってビーコンを日本へ持ち帰ることができる大義名分なのだし。
他国が渇望する次元回廊を入手出来る。
なので彼女は日本政府の言質を取れたし、高額な制作費用を日本もちとすることすら出来るのだ。
大林は胸を張って宣言する。
「正直に申しますが、次元回廊獲得は日本政府からの至上命令です。
あらゆる困難を排し、他国の干渉も宗教テロも跳ね返す意気込みです」
「それはアメリカからの干渉も含めて、ですか?」
「もちろんです。
これは日米同盟の範囲外ですからね。
アメリカも日本経由で回廊を使用できるくらいは考えているでしょうが」
「どちらかというと中東が気になるんですが。
石油を人質にされたら困るでしょう?」
「ロシアから買ってでも、メタンハイドレートを開発してでも、宗教的干渉を排します」
「期待しますわ」
礼を言う彼女の作り笑い、だが精彩を欠く。
金三原家の面々が帰国するために必要な条件は厳しいから。
彼女が日本の政治姿勢や世論、諸外国に気を遣うのは理由がある。
それは弟が、神を名乗り神に等しい力を振るったためだ。
裕太は破壊神を自称し、実際に魔神と言うべき力をもって、一つの世界の命運を変えた。
素直に「勇者だ!」「破壊の天使だ!」「かっこいー!」なんて言えるのは子供と、神を信じていない者。
信仰を胸に抱く者は、違う。
地球の各宗教団体の反応は千差万別。「神の祝福を受けた聖者」と祭り上げるヨーロッパの神の代理人、「神の名を騙る悪魔」として異端認定する中東の神学者、勝手に崇拝する精神科の患者、意味不明な理屈で死刑判決を下すネットの論客、etc。
科学に押されて衰退著しい宗教界が、神と魔法の存在する世界を見た。
これに飛びつかないわけはない。
産油国の有力な宗教法学者や旧ソヴィエト圏の大票田な宗教指導者も絡むので、エネルギー政策や外交上も非常にややこしい。国内だけでも百鬼夜行の状態なのに。
金三原家の面々も、いずれは郷愁に駆られて日本へ帰郷することもあるだろう。
が、地球の大地に立ったその瞬間に銃弾が飛んで来かねない。それが裕太以外でも、どんなとばっちりが来るか分かったものではない。
銃の所持が違法で、外国人は目立ちすぎて派手な活動が出来ず、宗教的にほぼ中立な日本でなければ、とても帰国は考えられない。
ビーコンの一つを日本に移動させ、警察と自衛隊の厳重警備下で回廊を開かないと、命の保証がない。
この点は二人の間では説明するまでもないことなので、大林は端的に協力要請だけ口にした。
「それで、そのためには金三原ご家族の協力も願いたいのです。
魔界平定が成った今こそ早急にビーコンを日本へ送り、金三原一家には揃って凱旋を願いたいのですよ。そうすれば世論も政治方針もご家族に最大限の配慮が出来ます。
総理も心待ちにしていますよ」
「努力はしますわ。
私も弟も今は帰国する気はありませんが、両親が帰国する際はお願いします」
「ご姉弟の早期帰国も心待ちにしています」
金三原家の利益を最大限配慮した申し出ではある。だが彼女は作り笑いを憂いの表情に変え、小さな溜め息を付く。
「でも、それは先の話になりそうですわ。
なにしろ魔界の安定は、まだまだ道半ばなのですから」
「おや、昨年で戦争は終結したのでは?」
「それは皇国との戦争が終わった、というだけの話です」
「ああ、皇国の内戦は相変わらずですか。
アメリカからの援助物資はお役に立ちませんでしたか?」
「それは……魔王軍のことは、地球省所属の私にはわかりませんので、援助物資もどうなったか」
「ふむ、そうですか」
大林の顔にも少し憂いが浮かぶ。
個人的感情としても、日本政府の代理人としても、魔界の不安定化は不安要素だ。
皇国と魔界の戦争は、確かに昨年終結した。
だが、それはやはり新たな戦いの幕開けでしかなかった。
皇国は、初代皇帝アダルベルトと第二代皇帝ガストーネを立て続けに失った。
フォルノーヴォ家と教会の軛も消えた。
こうなれば、もはや事態は収拾がつかない。
各地の大公が勝手に第三代皇帝を擁立戴冠したり、枢機卿の一人が自分の教団を設立したり、工廠の支配権を巡って聖騎士団と衝突したり、民衆から手酷い搾取をしていた領主が革命を起こされ広場に吊されたり。
ナプレ大公家は東部戦線で艦隊と多くの兵と軍資金を、何よりガストーネを失い、権威を失墜させた。今では領内の混乱を収めるのに手一杯。
皇国は分裂し、戦国時代へ入ったのだ。
なおかつ工廠とピエトロの丘では、枢機卿団と工廠を後ろ盾とする精強な聖騎士団、政戦両略に通じた参謀本部が存在する。
再びピエトロの丘を中心に皇国再建を目指す動きに、工廠を手にして新たな皇帝にならんとする大公達。迎え撃つ参謀本部と聖騎士団。その聖騎士団と枢機卿からも変節する者は現れ、内部が揺れる。
この争いは、とどまる所を知らない。
そして政治的不安定化要素は魔界にも存在する。が、そのことに話が及ぶ前に飛空挺は着陸態勢に入った。
「おっと……もうジュネヴラに到着したようだね。
ふーむ、飛行船の旅というのも優雅で悪くなかったなあ」
「ご希望でしたら、いつでもお申し付け下さいな」
ゆったりと発着場に着陸した数隻の飛空挺は、何本かのロープを地上の杭に結びつけて固定される。
ガラリと開いた扉から降り立った使節団を、華やかな合唱と楽曲が歓迎した。
歌っているのはパリースィオールム。相変わらず澄み渡る歌声を響かせるサーラ・イラーリア・ヴィヴィアナの三人娘を中心に、胸躍る旋律が紡がれている。
降り立った使節団一行は、相変わらず黒ずくめのトゥーン領主と、同じく全身を黒一色に着飾った妃達に出迎えられた。
大林は首席大使としてトゥーンの前に進み出て、京子の通訳を挟んで礼儀正しくお辞儀する。
「お初にお目に掛かります、トゥーン閣下。
このたびは閣下自らの出迎えを受け、感激の極みに御座います」
「こちらこそ、オオバヤシ大使。
今回の一周忌記念式典への参加に、冥界のオヤジも感謝しているぜ」
「そういって頂けると嬉しいです。
我らも異世界より来訪した甲斐があったというものですよ」
そんな社交辞令を他の大使達とも交わしつつ、トゥーンと妃達はそつなく使節団の歓迎と案内をこなしていた。
先の大戦で死した多くの者達の名を刻む慰霊碑、そして初代魔王にして最初の勇者かつ初代教皇シモン=フォルノーヴォの御霊を奉る霊廟にて行われる、合同慰霊祭への案内を。
次回、エピローグ第三話
『合同慰霊祭』
2012年7月4日00:00投稿予定。




