Chaff(チャフ)
自爆したマジックアローは、炎を生み出さなかった。
煙もほとんど無い。
代わりに何か白い羽のようなものを空に拡散させる。
索敵機能を一部停止したレーダーの間隙を突き、接近し続けるミーティア編隊。
その中から更に数発、同タイプのマジックアローが射出された。
既にレーダーの索敵範囲に入っているであろう新型飛翔隊は、だが、艦隊からの攻撃を受けなかった。
艦隊は全く攻撃できない。レーダー連動式自動追尾であるがゆえに、砲塔は機能停止に陥ったのだ。
代わりに慌てて障壁を張り、防御を固める。
障壁に接近する魔法の矢の群は、やはり自爆した。
そのたびに白い羽のようなものが広がり、今や艦隊の周辺全てを漂うほどになっている。
その羽の一つが、艦を覆う障壁に触れた。
羽は、通り抜けた。
モンペリエでは投げ返された砲弾や鉄柱や岩を受け止め、『嘆きの矢』による爆発からも艦を守った障壁が、まるで何も無いかのごとし。
舞い落ちる羽は障壁を無視し、艦の周囲を漂う。
その光景は、まるで艦隊が白い花吹雪に包まれていくかのよう。
「しょ、障壁が消える……」
絶句するガストーネ。
その見開かれた目は横へ、隣に立つ副官へ縋るように向けられる。
副官は、呻くように呟いた。
「こ、これほどの量の抗魔結界物質が……あったなどと……しかもばらまくなんて!」
「ちぃっ! おい、魔力炉を放出しろ! 焼き尽くしてやれ!」
「む……無理です、もう手遅れです!」
「なに、どういうこった!?」
「あの『嘆きの矢』も、魔力波の一種なんです。レーダーと同じです!
だらか、レーダーが使えないなら、『矢』も使えません!」
「何だとおっ!?」
絶叫。
皇国艦隊は最終兵器を封じられた。
最終兵器が、最終兵器では無くなった。
即ち、魔王軍を駆逐する手段を失ったのだ。
その事実は酒で曇ったガストーネの脳でも理解出来た。
アルコールで赤く染まっていた顔が、見る見るうちに青ざめていく。
「な、お、おい!
一体どうすんだ!? どうするつもりだ!」
「どうも何も、迎撃するしかありません!
か、各砲塔は自動照準解除! 手動で撃て、撃ちまくれ!」
副官は、ガストーネの責任転嫁に不平や文句は言わない。
艦隊の実質的司令官は自分であり、ガストーネは飾りと承知していたから。
副官は手動での迎撃司令を出す。
各兵士達は大慌てで砲塔の把握桿を握り照準を睨む。
艦の銃座が、砲台が火を噴いた。
狂ったかのように光を、弾を放つ。
だがそれらは、ほとんどデタラメな砲撃。
急速に降下飛来するミーティアには当たらない。レーダーからの情報に従った自動照準とは比べようもない、目測頼りのいい加減な砲撃。
各機は軽やかに機体を捻り、旋回し、易々と攻撃をかわしていく。
ミーティアの機銃が火を噴く。
銃弾が鉛の雨となって艦隊へ降り注ぐ。
排出された薬莢がバラバラと空に撒き散らされる。
弾丸も着弾した。
機銃弾が各艦の装甲を傷つける。
幾つかの銃座や砲台が潰され、火を噴く。
障壁が効果を失い、防御能力を無くしているのだ。
羽吹雪が舞う中、ミーティアの中では比較的大柄で速度の遅い機体が、砲撃を縫って艦に接近する。
艦に肉薄した機体の腹から、今度はパラパラと丸い物体が落とされた。
それらは甲板に落ちると、爆炎を巻き上げる。
爆弾の炸裂。それも連続して、無数に。
セドルン要塞。
映像を見る地下司令室の者達は、絶句。
戦艦の障壁が全く無視されている。
レーダー連動式自動照準砲撃が機能しない。
魔力炉を放出し『嘆きの矢』で魔王軍を一方的に蹂躙するはずが、逆に一方的に総攻撃を受けている。
早くも艦載機は全て撃墜され、各艦はミーティアの銃撃と爆撃で砲塔も銃座も撃ち減らされてしまった。対空砲火の弾幕は威力を着々と減じている。
そこへ新たな空戦力が殺到する。白い翼を広げた第十一子ハルピュイ率いる鳥人達と、黒い翼を広げたサキュバス達。そして竜騎兵団。
亜音速飛行するミーティアにも劣らぬ速度と高機動で砲撃を軽々と避けるハルピュイと、彼女に率いられた魔族達が、続々と艦へ取り付いていく。
甲板で一際大きな爆発が上がる。
画像は爆発を拡大する。そこには疾走する鞭のようなものが僅かに映っている。
砲弾に迎撃されることなく旗艦甲板へ取り付いた、裕太。
彼が甲板や装甲を切り裂いたのだ。
今や旗艦『ドゥイリオ』は、兵員を満載した通常の飛空挺にすら取り付かれ、裕太が破壊した銃座や非常ハッチから侵入され続けている。
他の艦も、着々と銃弾と爆弾で傷ついていく。
美しいまでに羽吹雪に覆われた空、散りゆく人間の兵士達の命。
一方的な皇国の敗北。
その有り得ない様に誰も言葉が出てこない。
トゥーン以外は。
「ぎゃーっはっはっはっはっ!
見たか我が秘策を!」
その光景に、一体何が起きたのか、ほとんどの者は理解出来ない。
だが京子には一つの可能性が思い当たった。
抗魔結界。地球の物質が持つ消魔力。
ベウルは裕太から献上されたマントで艦隊の障壁を無視した。
同様に、ミーティアが放ったマジックミサイルにより散布された白い羽は、全て地球の物質だった、ということ。
「……と、トゥーン領主!
あ、あれはまさか、散布された白いものは全部、もしかして!?」
「ああ。
お前らがもたらしたチキュウの物質が、羽に塗りたくられてるのさ」
「やっぱり!
あんなものを空一杯にばらまいたら、そりゃ、障壁もレーダーも動かなくなるわ!」
「その通り!」
得意満面なトゥーン王子は、チラリと後ろに控える第二王妃に視線を送る。
クレメンタインは、コホンと咳払い。
そして勝ち誇った様子で説明し始めた。
「我らはキョーコ様とユータ卿から、大量のチキュウの物質を手に入れておりましたからな。
それを極秘にラーグン閣下へ送ったのです。
閣下は配下のリザードマンの職人に命じ、ある兵器へと作り替えたのですぞ。
ユータ卿が円卓会議に示したチキュウの兵器の一つ、『チャフ』へと」
Chaff。
地球では、電波を反射する物体を空中に散布することでレーダー探知を妨害する防御兵器。
裕太は軍事的協力の一つとして、地球の兵器について知りうる限りの情報を提供した。その中にはチャフもあった。
円卓会議経由の情報と西部戦線の戦況を受け、ラーグンは地球の物質を大量のチャフへと作り替えたのだ。
そして東部戦線配備の兵器と兵士へは、チャフ対策にマスクを配ったり、術式を散布されるチャフに触れない内蔵型へ書き換えたりした。
この魔法世界で地球の物質をチャフとして散布すれば、その一帯では魔力波が使用不可となる。
よって皇国のレーダーも、障壁も、レーダー連動式兵器も使用不能となった。
ただし周辺一帯が地球の物質に汚染され、長きにわたり魔法使用が困難になるというリスクも生じる。以後、その一帯では魔法を使わないオークくらいしか暮らせない。
その話を聞いた京子は、驚きつつも疑問が生じる。
皇国艦隊四隻と、その周囲全体を覆うほどのチャフとなれば、いくらなんでも並大抵の量ではない。
京子と裕太が献上したり売却した程度の量では、とても足りないはずだ。
それに彼らの所持品には電子機器が多く、そんな貴重品を解体し潰して空に撒く、なんてするはずがない。
どこからそんな大量の地球の物質を、しかも空に撒いても構わないような物を手に入れたのか、と。
「確か、あたし達が魔界に渡した品は、多くが城の子供達のための対暴走用品にされたはずよ。
あんな、空に一気にばらまくなんて、出来るはずがないわ。
どこにあんなにあったの?」
尋ねられたクレメンタインは、少し言いにくそうに迷ってから、またも軽く咳払い。
そして大仰に語りはじめた。
大量の地球の物質の出所を。
「……厠、ですぞ」
「厠? かわやって……トイレ?
トイレに地球の物質が、なんであるの?」
ごほごほとわざとらしい咳払いで誤魔化すクレメンタイン。
その横から、ニヒヒ~、と意地悪な笑みを浮かべたリア妃が口を寄せてくる。
「あんた達の、ンコよぉ~」
「……なっ!?」
顔を真っ赤にし、硬直したまま絶句する京子。
リア妃は構わず、楽しそうに説明を続ける。
「あんた達のンコもオシッコもぉ、チキュウの物なのよねぇー。
だから抗魔結界もぉ、同じく持ってたワケぇ。
厠の肥だめからぁ、あんた達のンコをかき集めてぇ、ラーグン閣下に売りつけたわけなのよぉ~。
悪く思わないでねぇ~」
固まったまま、何も答えられない京子。
他の者も顔を引きつらせ、東部戦線の映像に顔を向ける。
そこには、相変わらずチャフに包まれたまま煙を上げ、高度を下げ始めた艦隊の姿があった。
「つ、つまり……あの、空一杯にマかれたのは、全部……」
「んだべさあ」
恥ずかしげに頭をポリポリ掻くパオラ妃。
田舎暮らしのパオラ妃とは言え、さすがに言いにく過ぎる話のようだ。
ソバカスの頬を赤く染めながら弁解してくる。
「いんやあ~、悪くおもわねえでくんろ。
なにせインターラーケンの懐具合は厳しくてえ、どうにかなんねえかって皆も困ってたべな。
そすたら、クレメンさがものは試すって調べてみたらば、肥だめがどえれえことになってたでなあ。
あの、おめたつもンコなんて、いらねーだろし。
でんもルヴァン様からはチキュウの品は勝手に売っちゃなんねってきつく言われてたしよお。
まあ、あれだ、終わりよければ全て良し、だべ!」
皇国技術の粋を結集して建造された飛行船艦隊は、京子と裕太のウンコに撒けた、いや負けた。
まさかこんなことで東部戦線での勝敗が決するなど、誰が考えようか。
だが東部戦線の皇国艦隊にとっては、窮地に立たされている事実に変わりない。
「ち、畜生!
一体、どうなってやがんだ!?」
警報音と衝撃音が鳴り響く旗艦『ドゥイリオ』艦橋で、ガストーネが叫ぶ。
隣の副官は必死で白兵戦での応戦を指示するが、その返答は皇国軍にとり破滅を示すものばかりだ。
「だ、第四隔壁までも破られました! 魔族の進撃を止められません!」
「前線の陸戦隊が、重装歩兵の鎧が、突如機能を停止! 抗魔結界に術式を消されて起動できないと!」
「全魔力炉出力低下中!
これは……まさか!? 換気口です! 換気口から取り込まれた大気に、粉末状の抗魔結界物質が含まれてえっ!」
「高度低下! 上昇不能! このままでは墜落します!」
「き、緊急着陸態勢に! 急げ!」
副官が言葉を失う。
ガストーネも、他の者も、誰も彼もが言葉を失う。
圧倒的技術力と軍事力で魔族を駆逐するはずが、皇国へ凱旋するはずが、逆に全滅が目前に迫っている。
よろめき、司令官席に背を付いてしまった副官。
そこへ主から囁き声がかけられた。
「……おい」
全身の力を失った副官は、生気を失った目で振り返る。
「脱出艇を準備しろ」
「し、承知致しました……」
「それとお前、俺と服を交換しろ」
「ふ……服を?」
「影武者として後を指揮して、最後に艦を自爆させろ」
「……なっ!?」
瞬間、副官の目に生気が戻る。
死を恐れ生を求める生物の本能に突き動かされる。
ガストーネも副官も、迫り来る魔族を巻き込んで自爆するとか、潔く自決するとかは全く頭になかった。
「何を仰られますか!? 私を、部下を見捨てていくおつもりですか!?」
「俺が、皇帝が死んだら皇国は終わりだろうが!
皇国のため皇帝のために死ね! 身を捧げろ!」
「い、いい嫌です! 私も逃げます!」
「……ふーん、良いことをキいたなあ」
緊張感の無い声が響いた。
決して大声ではないはずなのに、全員の耳に届いた。
艦橋で絶叫し絶望に打ち拉がれた人々が、声の方向を見る。
出入り口の方を。
そこには、扉は無かったはずだ。
重厚な隔壁で閉ざされていたはずの入り口が、開いている。
一部分だけ。
まるで勝手口でもあったかのように、四角い穴がぽっかりと開いていた。
そこに、若い男の影。
彼はまるでドアのごとく、隔壁の鉄板を開いていた。
それは、ご丁寧にも音を立てず綺麗に切り裂いた隔壁の一部。
ごとんっ。
今頃になって開けられた鉄板が床に倒れ、鈍い金属音を響かせる。
「部下をミスてて身代わりにまでして、ジブンだけ助かる気だったんだねえ。
ザンネンだけど嬉しいなあ」
「な、何だお前は!?」
ガストーネの叫びに、彼は紳士然とした態度で応える。
右手を胸に当て、深々と頭を下げたのだ。
「新魔王の、カナミハラ=ユータです。
初めまして。
新皇帝のガストーネ様におかれましては、ご機嫌ウルワしゅう」
次回、第三十二章第五話
『責』
2012年6月19日00:00投稿予定




