謀反
朝日が昇る。
インターラーケンの巨大クレーターに光が満ちる。
昨日の日没と共に終了した限定戦争。その戦火を生き残った者達。
いまだ人間も魔族も多くの屍を晒したままのインターラーケン。死者を弔う余裕が生まれるのは、かなり先になるだろう。
今は僅かな生者達が互いの無事を確かめ合うのがせいぜいだ。誰が死に、誰が生き残ったかなど確かめる余裕はない。
爆撃で大穴が空いた森林が回復するのも、いつのことか。
爆撃によって廃墟と化した駐屯地だが、セドルン要塞自体は出入り口が少々崩落したという程度。ほぼ健在だ。
生き残った者達は人間も魔族も区別無く要塞で治療と休息を受けれることになった。
なので地球からの帰還者と来訪者、そして皇帝も残存する勇者と忠兵を連れて要塞にいる。
ただ、多くの皇国兵達はやはり簡単には魔族を受け入れない。なのでジュネヴラ跡地に集結し休息を取っている。
要塞入り口の斜面には、シルヴァーナとフェティダが立っている。
新妻二人は京子から両親へ、改めて紹介をされていた。
はるばる日本から仕事も、ローンの残った家も、友人も何もかも投げ捨てて魔界へ来てくれた両親は、義理の娘達に笑顔満面。
『あらまあ、裕太ったら、あっと言う間に大人になっちゃったのねえ。
こんな素敵なお嫁さんまで手に入れて』
『うーむ、驚いたなあ。しかも二人も。
さすが我が息子』
『起きてきたら、思いっきり褒めてあげましょう。
ところで、あなた。
勢いで異次元まで来ちゃったけど、仕事やローンはどうなるのかしら?』
『……おまえ、もしかして何も知らずに来たのか?』
『まーまー、父さんも母さんも、そんな話は後にしましょ。
今は、とにかく魔界のみんなをちゃんと紹介するからさ』
平和な朝の会話をする金三原親子。
そんな彼らの背後に飛んでくる者がいた。
無事に生き残っていたマル執事長だ。
「フェティダ様!
急いで司令室へお越し下さい!」
何事かと振り返るフェティダ。
金三原夫妻も言葉は分からないが振り返る。
ハゲ頭を汗で光らせた執事長は切れ切れの息で、それでも必死に伝えた。
今回の戦争を、その犠牲者達の想いを、全て水泡に帰す事態を。
「こ、皇国で、謀反が!」
「止めるのだ!
今さら争って何になるというのだっ!?」
《皇国を捨てて魔界に走った者には関係のない話ですよ。
元皇帝陛下》
柔らかい布団に体を半ば埋めたナプレ大公は、悠々と杯に注がれたワインの香りを楽しむ。
無限の窓に映し出される醜悪な老人へ、元皇帝と呼ばれたアダルベルトが烈火の如く怒りをぶつける。
ここはセドルン要塞司令室。
さすがに魔界北部防衛の要ゆえ、設置された無限の窓の数も多い。
その一つを使ってアダルベルトはナプレ大公の暴挙を止めようと躍起になっている。
「事情は通信で伝えた通りなのだ!
誤解は解かれ、インターラーケン限定戦争は終結し、魔界と皇国は停戦を定めた。
もはや過去の過ちに拘泥すべきではない!」
ほっほっほ……、と笑いが漏れる大公。
その目には、明らかに軽蔑が込められている。
《フォルノーヴォ兄弟が過去に犯した過ちにより世界を二分する戦いが生じた。
だから貴方は命をもって償うことにした。
で……命をもって償うはずの貴方が、何故に生きているのです?》
「じ、事情が変わったのだ!
事の真相が明らかになった以上、もはや魔族と人間が争う理由はない!
余は無意味な争いを止めねばならぬ!」
《意味も理由もありますよ。
結局、魔界は各種族が相争う戦国時代に戻った、というだけのことなのです。
ならば人間は他種族と争い、勝たねばならないのですよ》
「それを止めろと言っているのだ!
東部戦線で魔族に勝つには、『矢』を放つしかないではないか!」
『その通りですなあ。
何しろ、元皇帝陛下が主力兵器を全て使い潰してしまいましたから。
この不利を覆すにはやむを得ません』
「馬鹿な!
人間を、皇国を含めた全てが滅ぶぞ!」
《なあに、ちょっと東に集まっている魔族共を減らすだけですよ。
あとは地道に駆逐していきますから、ご安心を》
必死でナプレ大公を説き伏せようとするアダルベルト。
だが、それは無駄だと自分でも理解はしていた。既に元皇帝なのだから。
フォルノーヴォ家による統治の正当性を一切否定するに十分な事実が明らかとなったのだから。
それにアダルベルトは高齢ゆえ退位と皇位継承の準備を進めていた。皇太子たるリナルドが脱落したなら他の者を立てればよい、すぐに皇帝に就ける……という段階まで。
なら皇位はアベニン半島南部を束ねるナプレ家へ、酒と女に溺れていたがナプレ大公が後ろ盾となるガストーネへ移動するのが道理、自然な流れ。
もはやアダルベルトは、退位宣言もしていないのに事実上退位していた。そしてその言葉にナプレ大公は耳を貸さなかった。
皇国における権力構造変化の一切が、セドルン要塞司令室で明らかとされる。
駆け付けたフェティダ、シルヴァーナ、トゥーン、その他多くの魔族の前で。魔王も本来の肉体に戻った状態で、車椅子に乗って司令室にいる。
薄暗い地下司令部に置かれた複数の鏡、そのうち別の一つを元皇帝は操作する。
通信はすぐに繋がり、長い顎髭を垂らした老人の姿が現れた。パッツィ銀行頭取だ。
「パッツィの!
事の次第は聞いていたな!?」
《無論》
頭取の老人は即答する。
弛んだ目蓋を重そうに開け、顎髭を右手で撫でながら。
地味で控えめな頭取は、こんな時でも余計な言葉を連ねない。
「ならば予定通りに。
余の言葉に従わぬ者から金を引き上げろ」
《……残念ながら、それはもはや、叶いませぬ》
その言葉に愕然とし、明らかに動揺する元皇帝。
魔王が弟だったと判明したときに匹敵する衝撃に打ち拉がれている。
パッツィ銀行頭取はフォルノーヴォ王国の時代から、アダルベルトが若かりし頃から彼を支え続けた存在。それは資金面に限った話ではない。
最大の忠臣に、唯一無二の友に背かれたのだ。
「な、何!?
何故だ、まさか、今さら余を裏切る気か!?」
《いいえ。
私は僭越ながらこの六十年、陛下の第一の臣下であり、一心同体と思ってきました。陛下と生死を共にする所存です。
それは今も変わりません》
「ならば、何故だ!?」
《それは、陛下と一心同体であるがゆえです。
陛下が退位すれば私も引退なのです》
《そういうことですよ》
いきなりパッツィ銀行頭取の横から声が割り込んだ。
しずしずと姿を現したのは、頭取と同じく地味で真面目そうな初老の男。
顔立ちも雰囲気も頭取と良く似ていた。
《父上は、あまりに元陛下と近しいのですよ。
元陛下と近しいがゆえに、今の地位を築けたのです。
そのため、元陛下が失脚すれば父上も引退せざるを得なくなったのです》
《そうなのです。
以後、パッツィ銀行は息子が引き継ぐことになります。こうせねば当行自体が破綻するのです。
故に約束を守る力も失われてしまいました》
継承されたのは皇位だけではなかった。
アダルベルトに近しい者も等しく後ろ盾を失い、失脚してしまうのだ。
当然の事態ではある。それに思い至らなかったアダルベルトの方が浅はかと言える。
事を理解した老人は、悔しさで歯噛みし肩を震わせる。
だが冷静さだけは失われなかった。
「……そうか、やむを得ぬ」
《ご理解頂けて幸いです》
「では、パッツィ銀行新頭取よ。
余の言葉に従ってはくれぬか?」
《従えません。
次期皇帝は事実上ガストーネ様と決していますので、ナプレ公国の意に背く行為はなせません》
「そう……か」
《それに、新頭取としては皇国の財政と経済政策に以前から申し上げたい事がありまして。
簡単に述べますと、皇国にもっと金を借りて欲しいのですよ。
その点でフォルノーヴォ家は銀行にとり上客ではありませんでした。
あえて必要以上の融資を求め、市井に金を回し経済を潤わすナプレ大公を推さざるを得ないのです》
「それは崖へ転がる車輪と同じだというに。
いずれは破綻するぞ」
《そこも先代との意見の相違点です。
今後の皇国は領土も人口も拡大の一途を辿りますので、ご安心を》
「それでもいつかは破綻する。しょせん世界は有限なのだからな。
それが早いか遅いかの差でしかない」
《何百年、何千年も先の話を今されても困りますね。
その限界を追い求めるのも人の性ですよ》
それだけ話すと、パッツィ銀行新頭取は一方的に通信を切った。
いつの間にかナプレ大公との通信も切れている。
ただの鏡に戻ったそれらは、力なくうなだれる元皇帝アダルベルトの姿を映し出していた。
それでもしばらく宝玉を操作していたが、その手も力を失いだらりと垂れる。
生気を失った老人は、自嘲を浮かべながら振り返る。
「……そういうわけだ。
もはやこの命をもって過ちを正すことも出来なくなった。
申し訳ない」
ただ首を垂れる元皇帝。
本来の姿で車椅子に乗った魔王も冷や汗を流している。
「パラティーノは、教会やフォルノーヴォ家はどうかな?
さすがに力を貸してくれるんじゃ」
「無理だ……通信が繋がらぬ。
回線が既に断たれたか、何者かの襲撃を受けたか、その両方かだ」
「しゅ、襲撃って、まさか!
だって兄さんは、少なくとも五十年近くも皇国を導いてきたのに!」
「世界を弄んだ大罪人の根城、とでも煽れば容易く群衆が押し寄せよう」
「そんな……一体誰が?」
「誰でも不思議はない。いや、内部から割れようて。
民にとっては支配者が余でもガストーネでも、ナプレ大公家でもフォルノーヴォ家でも、教会すら、どうでも良いのだからな。
良い暮らしを与えてくれるなら、やっかいごとを押しつけれるなら、誰でもよい。
それにフォルノーヴォ家と教会に全ての責を負わせれば、後の統治もやりやすかろうし。地下の工廠さえ無事なら良いのだ。
富める者への恨み妬み僻みを向ける生け贄として、ちょうど良かろう」
アダルベルトは、ナプレ大公の仕業だ、とは言わなかった。
そんな犯人捜しに意味は無いのだから。
いや、根本的な犯人は誰かと問われれば、フォルノーヴォ家の当主とその弟、さらに根源的には人間という生物が持つ性そのもの。
誰かを責めることなど出来はしない。
「……なんだとおっ!?」
その時、大声が上がった。
リアに何事か耳打ちされていたトゥーンがいきなり声を上げたのだ。
何事かと全員の注目が集まる。
要塞司令は慌てた様子で報告を語った。
「ユータの姿が、消えたってよ」
「なっ!?」
妻達が驚愕の声を、悲鳴を上げる。
金三原家の一同にも不安がのしかかる。
司令室内の全員が一つの事を予想し、それはすぐに事実だと裏打ちされた。
「皇国の謀反が伝えられてすぐに、緊急伝令用のミーティアが一機、何者かに奪われたそうだ。
それと前後してユータもベッドからいなくなったって」
次回、第三十二章第二話
『ガストーネ』
2012年6月16日00:00投稿予定




