出発
背の高い方は、長身のエルフ男性。
年は、見た感じだけど二十歳くらい。エルフの寿命とかは知らないけど、たぶん人間の二十歳とは違うだろう。
緑の長い髪がサラサラと流れてて、切れ長の目の中に光る赤い瞳が印象的。顔にゴツゴツしたところが無くて、ちょっと女性的な感じがする。
耳は髪の中からピンと高くつきだしてる。
けど、なーんかこう、見下ろしてくる視線が気になるなぁ……偉そうというか、見下した感じがする。
「Mi chiamo Denholm」
軽く頭を下げたエルフさん、イタリア語で名乗ってくれた。
デンホルムと聞こえた、デンホルムさんか。
次にメイド服を着た妖精の女の子も、フワフワのスカートの端を軽くつまんで頭を下げてくれた。
「Grüß Gott! Sieglinde」
元気よく名乗ってくれた妖精さん、でも名前が長くて聞き取りにくかった。
ジークリンデ……グリュース・ゴット・ジークリンデ……だと思う。
妖精さんを指さして、もう一度聞き直してみる。
「ぐ、ぐるーす、ゴッド、じーくりん、で……さん?」
妖精さんは黄色の瞳を見開いて驚き、次にちょっと笑った。
そして、もう一度ゆっくりと名乗ってくれた。
パッチリした大きな目が可愛い。
「Sieglinde」
ジークリンデ、だけ名乗った……あ、もしかして。
「ユータ、最初のグリュース・ゴットって、挨拶だったんじゃない?」
「みたいだね。
妖精さんはジークリンデさんで、エルフさんはデンホルムさんか」
「でもって、グリュース・ゴットが挨拶、と。
んじゃ、こっちも名乗りましょ」
僕らも金三原京子と裕太を名乗って頭を下げる。
エルフさんは澄まし顔で小さく頭を下げ返し、妖精さんは丁寧に礼をしてくれた。
妖精さんは、黒のメイド服に白いエプロン姿。
服にフリフリのフリルはついてない。やっぱ家事では邪魔なのか、そういう装飾はこの国にはないのか分からない。
さっきから背中に蝶の羽を生やして宙に浮いている、スカート姿で……下着を見られるとかは気にしない人達なのか?
綺麗な赤毛の髪は肩まであって、ちょっとクルクルと巻いてウェーブがかかってる。
ちょっと失礼かと思ったけど、蝶の羽をじっくり観察してみる……虹色に輝く、まさに蝶の羽。もちろん大きい。
大きいといっても、妖精達は小柄なのでそれに相応しいサイズだけど。
妖精の体格は大きくない。身長は、日本人の十歳かそこらくらいだ。太った人はいなくて、みんな小さくてほっそりしてる。当然か、太ったら飛べない。
でも顔立ちはしっかり大人……のような子供のような。
「ん~、姉ちゃん、この人達の年ってどれくらいかなあ?」
「さあ? あたしら人間の常識なんて通用しないし。種族が違うんだから。
ていうっか、この国の暦自体が分かんないわよ」
「え、暦?」
「だって、一年365日かどうかすら知らないでしょ。
もしかしたら暦自体が無いから年齢は分からない、とか言い出すかも」
「いや、まさか暦が無い、というのは無いでしょ。この国は数十年前に出来た、て説明があったし。
それにパラレルワールドだから、地球の常識も少しは通じるはずだよ」
「あら、気付いてないの?」
「何を?」
「あんたのリュックに着けてた高度計よ、見なかった?
ここ、標高が1000m近かったわ」
「ああ、そんな高地だったんだ。さすがスイスのパラレルワールド。
でも、それが何?」
「はぁ、アンタはチェックが甘いんだから。
ジュネーブの標高は、地球では400mくらいしかないの」
「あ……そうか」
この世界に来た時、最初にスマートフォンで現在地を確認した。
その中にはジュネーブの情報も入ってて、そのデータでは標高300~500mとあったはず。
すると、高度計が壊れてないなら、ここは地球よりさらに山深いんだな。
いや、もしかしたら山脈自体が、地球のそれよりずっと高い山が連なってるのかも。
「その可能性は大よ。
おそらく、地形とか気候に割と大きな違いがあるわ。
山は500mも違えば、山だけじゃなく周辺の気候も何もかも、全く別物よ」
「そっかあ。
あ、となると、もしかして山脈全体がアルプスより高い?
だとしたら、地殻の厚さ自体が違うせいで、星の重力バランスも地球と違うかも」
「重力バランス? なにそれ?」
「あ、えっとねー。
ほら、ベーゴマとか、独楽が回るでしょ?
あれが少し欠けてたり、重りを付けたりしたら、どうなる?」
「そりゃ……独楽が揺れたり傾くわね」
「そう、その通り。
ちょっとでも重心がずれれば軸がぶれたりコマが傾いたりするよ。
それは地球とか、星でも同じ。だから、地軸の傾きも自転速度も変わってくるはず」
「なるほど、そーゆーことね。
ま、そんなことより、今はやるべき事をやりましょう」
「やるべき事って?」
「決まってるでしょ、まずは荷物の整理よ。
街中歩き回るから、必要な物を持ってくわ」
そういうと、スタスタと姉ちゃんは先にテントへ入っていった。
慌てて僕も、後ろからデンホルムさんとジークリンデさんもついてくる。
「これで、取り敢えずはよし……と」
「天気も良いし、充電には十分だね」
テント横に置かれた机の上には、ソーラー式充電器と接続されたスマートフォンとか携帯とかが並べられてる。
ここに来てから数日間、充電せずにほったらかしてたから、幾つか電池切れを起こしてた。
今後、いつアンクを使うか分からない。その時に電池切れでデータを出せません、というのは残念すぎる。
空を見上げれば、まだ朝の太陽が昇ってる最中だ。雲も少ないし、日が暮れる頃には十分充電されてるだろう。
周りには珍しげに眺めてるエルフさんとかドワーフさんとか。他の種族も、何をしてるのか気になってるだろう。
横でずっと僕らの様子を観察してたデンホルムさんに、携帯を指さしながらイタリア語会話帳を開いてみせる……う~、単語量が少なくてピッタリな言葉が見つからない。
ともかく幾つかの単語を示す。
sole:太陽、pasto:食事。
そしてpioggia:雨、oggeetto fragile:壊れ物。
他にも幾つかの単語を指し示すと、切れ長の赤い目が少し見開かれた。
長い緑髪をサラリと右手で払ってから、他のエルフやドワーフを呼んだ。何かを説明してるけど、どうやら話は通じたらしい。
これで雨で携帯が全部オシャカ、なんてのは防げるだろう、たぶん。
それより心配なのは、ソーラー式充電器を珍しげに見てる、あのエルフやドワーフの人達……勝手に分解して壊さなきゃいいけど。
自分達のウェストバッグやナップサックも確かめる。
中には辞書やガイドブック、携帯食料とかペットボトルとか。方位磁石付きの携帯用高度温度計とか、紐や鏡や防犯ブザーに望遠鏡も。
もちろんカメラは外せない。ポケットに入る小型のヤツと、ちょっと大きめで倍率高めな望遠レンズが付いたヤツの二つ。
この二つ、あえてバッテリー式じゃなくて電池式のを選んである。何故なら電池式は観光中でも外出中でも、いくらでも店で買って交換が出来るから。
世界遺産を観光中にバッテリー切れなんて、泣ける……と力説したのは父さん。昔の経験だとかどうとか。
そして電池は僕のリュックにストックを沢山詰め込んである。電池切れという事態はしばらく心配なさそうだ。
今さらだけど、無駄としか思えないほど山のような荷物を僕に持たせてくれた父さんに感謝。激重のリュックが肩に食い込んで辛かったとか、ここに迷い込んだのは父さんのせいだ、とかいうのは一時的に忘れてあげよう。
それはいいとして、街中を歩き回るだけならこれくらい必要かな、というものを選んで詰め込む。
で、高度計を見てみれば、確かに標高1000m前後だ。どうやら地球のアルプス山脈より、さらに高い山が連なってるんだろう。
服も着替えて、身だしなみを整え、取り敢えず良し。ちゃんと入浴セットも入れておいた。
「こんなモンかな~。
さて、それじゃ風呂を探そうか」
ベシッと姉ちゃんの肘が脇腹に入る。
相変わらず姉のツッコミは手加減無しで痛い。
「い、いきなり何をすんだよ!
風呂と洗濯って言ってたの姉ちゃんじゃんか!」
はあぁ~……とこめかみに指を当てて頭を振る姉。
本当にバカを見るような目で僕を見下してくる。
「あのねえ……だから、ちっとは常識ってモンを考えなさいよ。
これだからガキは世間を知らないっての」
「な、何だよ、何の事だよ」
「こういう時はまず、ここの偉い人に挨拶するのが筋ってもんでしょうが」
「偉い人?
それって、ルヴァンさんでしょ。それならさっき」
「違うわよ」
ルヴァンさんが一番偉い人じゃない?
ふと首を傾げて考えてみると、ああ、確かに。
ルヴァンさんは王族内では相当に地位が高い。けどこのインターラーケンでは部外者だった。
このインターラーケンで一番偉いのは、この地の領主。
つまり、この前アンクに魔力を吸い取られてプンプン怒ってた、トゥーンさん……。
「分かった?
まずはトゥーンさんに挨拶して、ご機嫌をうかがっとかないとダメよ。
この地を治めてるんだから」
「た、確かに。
うーん、まだ怒ってるかな?」
「だから挨拶に行かないといけないわ」
えーっと、確かこの地の住民は妖精達だって言ってたから、ジークリンデさんの上司にあたる人なんだよな。
なら、今度はジークリンデさんに言えばいいのか。
そう思って黄色い目の妖精さんにイタリア語辞書を指し示してみた。でもなんか首をひねって隣のエルフさんを見上げてる。
あ、この妖精さんはイタリア語は分からないんだ。
ヤレヤレという感じでデンホルムさんが一言二言説明してくれたようで、ポンと小さな手を叩いて頷いた。
仕草の一つ一つが子供みたいにちっちゃくて可愛い。オマケに笑顔も素敵。
思わず頬がデヘェ~と緩んでしまう。
と思ったら、姉ちゃんは僕の手から本をヒョイと取り上げ、デンホルムさんに何かをお願いし始めた。
大きなテントが幾つも並ぶ中央広場、その正面中央にある石造りの大きな建物。見た目は三階建て。
屋根は尖った三角形で、赤い鱗状のタイルに覆われてる。大きな屋根裏部屋みたいな所にも部屋が幾つもあるみたい。屋根裏分を足せば五階建てになるかな。
多くの民家の窓は木枠に木戸だったけど、その建物は全てガラスがはまってる。
印象としては、田舎の市庁舎という程度。彫刻も壁画もレリーフも、旗すらもない。すっげー素っ気なくて質素。
あまりに地味すぎて、それがインターラーケン領主の家だと分からなかった。
入り口前で見上げる僕らも、少々呆れ顔。
「姉ちゃん……これが、領主の城だったんだねえ」
「人の出入りが多いとは思ってたけど、良く言って市庁舎って感じだわよね。
これがインターラーケンで一番立派な建物?
なんてヘボいんだかねー」
「今まで見てきたヨーロッパの建物って尖った塔があったり、城の前には橋がかかってて、その欄干には凄い彫刻がズラリと並んでたり、とかだったよね」
「それは世界遺産クラスだからでしょうけど、少なくとも壁にはガーゴイルの飾りとかなんとかあったと思うんだけど。
これって、小さな看板が一つ掛かってるだけじゃないの」
「田舎だけあって、お金が無いのかな」
「飛行船は沢山飛んでるのに、通りには荷馬車も多いのに、全然お金が無いだなんて。 あり得るのかしら?」
そう、確かに地味すぎる。
僕らの後ろ、広場から東西に続く石畳の街道は荷物を満載した荷馬車や兵隊達がひっきりなしに往来してる。
空には町はずれの発着場から離着陸を繰り返す飛行船が、やっぱり東西へと飛んでいる。たまに違う方向へ飛んでいく飛行船もあるようだけど、基本的に東西へ飛ぶ船が多い。
この物流量からすると、相当に重要な街のはずなんだけど……なんで領主の住まいがこんな地味なんだろう?
武器を持った警備員らしき兵士も歩いてる。
大きな入り口の木製ドアは開かれっぱなしで、沢山の種族が出入りを繰り返してる。
上の階のベランダからは妖精達も出入りしてて、尖った屋根の屋根裏部屋みたいなところからはハトみたいな鳥が飛び立ったりしてる……伝書鳩かな。
一応、中央官庁なんだな。
んで、入り口の上には素っ気ない看板が一つ。文字じゃなくて、蝶の羽をかたどってる。
領民が蝶の羽を持つ妖精達だから、そのシンボルも蝶の羽、と。
数歩先に立ってるデンホルムさんと、頭の上をクルクル飛んでるジークリンデさん。
建物を見上げてる僕らを軽く振り返りながら、入り口の方へ進んでいく。
そして中に入ったところで僕らを手招きした。
「んじゃ、行きなさいよ」
当たり前の様に僕の背中を押す姉。
いや、トゥーンさんに挨拶するって言い出したの、姉ちゃんじゃんか。
なんで自分が先に進まないんだ。
そんな疑問を口にする前に、このクソ姉は疑問への回答を口にし始める。
「なーにかご不満?
こういうフォーマルな場所では、男がレディをエスコートするものでしょうが」
「誰がレディだよ?」
「説明してあげましょうか?」
「……いらない」
言い返すのも疲れるだけ、そんないつもの諦めの境地に瞬時に達してしまった。
もういいや、姉と口論しても勝てたためしがない。
んな無駄な時間と体力を浪費してる暇があったら、さっさと行こう。
姉に背中を押されながら、建物の中に入っていく。
次回、第四章第三話
『ジュネヴラ観光』
2011年3月29日01:00投稿予定