回廊は開かれた
タッチパネルには京子と裕太が映っていた。
それは一年前、二人の高校大学入学祝いにと計画されたヨーロッパ旅行中の金三原家の姿。
映像は一年前の地球の映像だった。
つまり、彼らが魔界へ転移する瞬間より前にワームホールが繋がった。
確かに次元回廊の開く先は裕太の予想通りずれてしまった。
場所は完全に一致したが、時間はなんと僅かに過去へ繋がってしまっていたのだ。
「ぎゃあーーーー!!!
ま、間違いないわっ!
ここよ、ここが地球よ、地球のスイスのジュネーブよおっ!
あああ、母さんが、父さんがああ、裕太だって、まだあんな情けなくって、人間のままで、あたしったら、あんな似合わない髪にしちゃってて……。
地球が、地球なんだ……あ、あれ?」
感動の余り涙す京子
映像の中、段々と歩いてくる金三原家の面々。
先を歩いていた父母がビーコンの存在に気付き、近寄ってくる。
京子達にもその映像は映っていた。
不思議そうな顔で覗きこんでくる男の顔が大映しになっているが、彼女が見ているのは父の寂しく広がってしまった額ではない。
その背後、両親と姉弟の間に発生した黒い穴だ。
「ああーーーーーーーーーーー!!」
京子の絶叫と共に、黒い穴は姉弟を掃除機の如く吸い込んでしまった。
つまり、この瞬間に京子と裕太は一年前の魔界へ転移した。
呆気に取られた上に耳元で生じる絶叫に仰天していたルヴァンだが、彼は当初の目的を忘れてはいない。
すぐに京子の腕を握り立ち上がる。
「行きなさい」
「え、あ、でも……」
「時間がない、行くのです!」
ルヴァンはタッチパネルの操作を左右のイーディス達に任せ、京子を引っ張って外へ出る。
テントの外は、既に轟音に包まれていた。
天空にはひっきりなしに爆発音が生じ、落下する子弾を追う飛翔機が急降下と急上昇を繰り返す。
ジュネヴラの向こう、遙か彼方では、魔王が巨大な翼を広げているのが分かる。間違いなく群がる勇者と戦っている。
そんな中で、結界は形成されていた。
フェティダとデンホルムを始めとした魔力に長けた者達が、魔力炉の子供達が、火の粉が振るなかで京子を送り出すための結界を維持し続けていた。
その光景に、京子はへたりこんでしまう。
顔を左右に振り、ルヴァンに縋り付いて泣き出した。
「だ、駄目……やっぱり、駄目よ!
みんな逃げて! こんなことで魔力を使わないでえ!
あたしはもういいから、帰らなくて良いから!
いえ、あたしも戦う、みんなと一緒に戦うから!
魔王にでも魔女にでも何にでもなるから、お願い、逃げてえ!」
「駄目よ、貴女は帰るの」
立ち上がったフェティダは京子の傍にきて、手を差し伸べる。
涙を流す京子は、姫に引かれて再び立ち上がる。
大荷物を背負ったままの京子は、足がよろめいてしまう。
「それがユータさんの、夫の望みなの。
貴女がいると、彼は全力で戦えないの。後ろが気になってしょうがないわ。
そして、これは彼が私達のために命を賭けてくれるための約束。私達魔王一族は、約束を守る。
だから、行きなさい」
「急ぎましょう。
すぐに結界を閉じ、気圧を上げます。」
嗚咽と共に涙を流す京子を、ルヴァンが結界の中心へ押していくかのように導く。
フェティダはデンホルムをはじめとした魔導師達が陣取る魔法陣の最外縁に戻る。
ルヴァンは魔法陣の内側、魔力供給をする魔力炉の子供達五十六人が作る円陣の中を歩く。
いまだにウェディングドレスのままのシルヴァーナは、目尻に涙を浮かべて手を振った。
「さよなら、キョーコ姉ちゃん。
義理のとーちゃんかーちゃんには、旦那はあたしが幸せにしてやってる、て伝えてくれよな」
もはや嗚咽でまともに応えることも出来ない京子は、ただ頷くばかり。
そしてようやくルヴァンと京子は魔法陣中心近くに来た。
目の前には、最内円。重力魔法によって黒い穴が形作られる魔法陣中心。
だが、京子の帰還など短距離弾道マジックアローの知ったことではなかった。
むしろ魔法の矢は、巨大な魔力源を見つけたから標的に選んだのかもしれない。
一本の巨大な矢が天空から振ってきていたのだ。
実験場へ向けて、真っ直ぐに。
それに気付いたのは裕太。
彼は飛来する巨大な矢を撃ち落とし続けていたが、それでも広範囲の空域に広がった子弾全てを破壊するのは至難の業。
そして一つが彼の迎撃線を越えてしまった。
よりにもよって、マジックアロー本体が。
「しまったっ!」
叫んだ瞬間、子弾がばらまかれた。
もはや地上までの距離もない。全てを迎撃するには時間がない。
実験場に直撃する爆弾だけを破壊したいが、どれが直撃軌道かなど瞬時には分からない。
そして爆弾の性能は高い。一発が近くに落ちただけで、実験場に被害が及ぶ。
「……だったらぁ!」
急降下。
すれ違い様に子弾を幾つか破壊する。
一気に地上へ急降下した彼は、発着場のすぐ上に滞空した。
「ナニしてんだっ!?
上手くイきそうなのか?」
「任せなさい!」
ルヴァンが自信を持って答える。
だが裕太の方は焦っていた。
先ほど追い抜いた爆弾の残りが、もうすぐ雨あられと降り注ぐからだ。
しかも見れば、子弾の雨の向こう側に新たなマジックアローが見える。
やはり魔力追尾式だったのだろう。実験場の巨大な魔力が探知されてしまっていたのだ。
「姉ちゃん、イってっ!」
「駄目なの、行けないのよ!
あたしも戦う! ゴメン、裕太、いつも何でも押しつけてゴメン!
今度はあたしも戦うから、帰るのやめるから!」
「うるさいっ!
さっさとイけえっ!」
裕太の触手の一本が、振ってきた最初の子弾を捕まえる。
そのままの勢いを使って回転、空へ投げ返した。
降り注ぐ破片か何かに衝突したらしいそれは、周囲の子弾を巻き込んで大爆発を起こす。
そして地上へ弾幕となって降り注ぐ高速の破片を、裕太が翼を広げて受け止める。
「イけったら、イけえーっ!」
絶叫。
その声に反応したのは、テント内でアンクを操作するエルフ達。
アンクが稼働し、巨大な結界が張られ、重力魔法が発動し始める。
だが空からは新たな爆弾が、さらに大量に降り注ぎつつある。
「こなくそぉっ!」
急旋回と急加速を繰り返し、縦横無尽に触手を疾走させ、次々と子弾を破壊する。
だがあまりに数が多く、何より至近距離過ぎた。
連鎖した爆風に彼自身が吹き飛ばされ、一瞬意識を失い、地上へ落下してしまう。
「ユータさんっ!」
叫んだのはフェティダ。
魔法陣を抜けて駆け出し、膨大な魔力で肉体を強化し、地上へ叩きつけられんとする夫の元へ走る。
両手と口からは瞬時に魔法が組み上げられる。
「風よっ!」
突風が吹き荒れた。
地上近くに生まれた高圧大気のクッションが、優しく夫を受け止める。
空中で意識を取り戻し、魔法陣から少し離れた場所に下りた裕太を、フェティダが強く抱き締めた。
「ユータさん! 無事ですかっ!?」
「……だ、大丈夫、だいじょ、うおぉを!?」
子弾が落ちてきていた。
結界真上に。
まだ姉とルヴァンも、子供達も、各種族の技師魔導師達もいる魔法陣めがけて。
そして結界中心には新たな黒い穴。
触手が、飛んだ。
結界周囲へ全ての触手は伸び、広がる。
巨大な結界を幾重にも薄く包んでいく。
そこへ子弾が着弾した。
爆。
爆炎が周囲の全てをなぎ倒す。
テントもレーダーも吹き飛ばす。
中でアンクを操作していたエルフの助手達にも爆風が襲いかかる。
爆風は、止んだ。
パラパラと小さな破片や火の粉が振ってくる。
結界を包む魔力の膜にも。
魔力の膜は、破れてはいなかった。
上部が大きく歪み、へこんでしまっているが、それでも中にいる者達の頭に当たるような高さになっていない。
爆弾の直撃は避けれたようだ。
テントがあった場所には、アンクがあった。
エルフの助手達は吹き飛ばされて姿が見えない。あの爆発では、恐らく助からなかったろう。
と思いきや、アンクが鎮座する台座の後ろから情けない声が上がった。
「……ふぅへえぇえ~……し、死ぬかと思ったですよお~」
イーディスが四つん這いで、ホコリまみれになりながら出てきた。もう一人の助手も一緒に。
どうやらアンクと台座の影に隠れたお陰で被害を免れたようだ。
そのアンクはといえば、淡い光に包まれたまま何の被害もない。
かつて『インペロ』でアンクが裕太の攻撃を凌ぎきったように、魔力供給さえあれば自動で自己の安全を守る機能があるらしい。
だが、その光もほどなくして消えた。魔力供給が絶たれたのだ。
今は台座の幾つかのランプが、ほのかに何度か点滅するのみ。
そして助手二人以外に動く者はいなかった。
「……大丈夫ですか?」
「う、うん、なんとか……フェティダ姫は?」
「大丈夫ですよ。
それと、もう姫なんて他人行儀な呼び方は止めて下さい」
「あ、んと、それじゃフェティダ……立てる?」
「もちろんよ、ユータさん」
降り積もった砂塵が盛り上がり、青黒い膜が広がる。
その中から出てきたのは裕太とフェティダ。
瞬時に魔力の皮膜を広げた彼は、妻と姉たちのいる魔法陣と自分自身を、まとめて覆って守ったのだ。
彼は皮膜を解き、自分のボディスーツへと戻していく。
だが結界を覆っていた膜が解かれたとき、彼は愕然とした。
彼だけでなくフェティダも、イーディス達までも呆然とした。
いったい何が起きたのか、すぐには分からなかった。
裕太は、開いた口が塞がらないまま、ポツリと呟く。
「……いない……」
そう、誰もいない。
結界内には誰もいなかった。
京子も、ルヴァンも、シルヴァーナも、魔力炉の子供達も、老魔導師達や技師達までもが。
一人残らず消えていた。
「そんな、ダレもいないなんて!?」
「変ですよ、死体すらないなんて……て、え?」
「あ? え……ま、まさか、そんな馬鹿なあっ!?」
裕太は、フェティダも、予想がついてしまった。
彼らがどこへ消えたのか。
地球。
北緯46度14分、東経6度3分。
スイス連邦、ジュネーブ。夏。
地下ではCERNがブラックホールすら生み出す最新の物理実験を失敗し、LHCはけたたましい警報音を鳴らしている。
だが地上はのどかな麦畑とブドウ畑で、アスファルトの道路はまさに田舎道という平和さだ。
まさに夏の真昼のアルプスという感じ。
さっきまでは。
背中に大荷物を背負った日本人の中年男女は、振り返ったままキョトンとしていた。
頭髪が寂しい男の方は、手にこぶし大の黒いガラス玉のようなもの、表面保護材の樹脂が剥がれ落ちたビーコンを持っている。
二人は周囲を見渡すが、なんら異常はない。
だが、確かに異変は生じていた。
真夏の真昼に、まるで魔法でも使ったかのように。
背後を歩く若い男女から少し目を離した間に、それは生じていた。
振り返ったままの中年女性は、首を傾げる。
「……京子、いつの間に着替えたの?」
「つか、お前、というか……どう言えば良いのか、えと、その人達は……どっから現れた?」
男は、突っ込み所が多すぎて困り果てた。
そんな男女の元へ、大荷物に潰されそうな京子は這い寄り、二人に縋り付く。
泣きじゃくりながら、それでも京子は感動を言葉にした。
「お、母さんだぁ……ホントの、本物のお母さんだあ……。
うわあぁ、こっちは父さんだあ、間違いないよ、このハゲ、間違いなくハゲオヤジだよ、屁こきハゲだ~」
「な、だ、誰が屁こきハゲだ!
つか、何で泣くんだ? 後ろの人達は、子供達は誰なんだ!? お前、髪型が突然変わってるし、あ、リュックが違うヤツじゃないか!?」
「えっと、何なの? 突然、何が起きたのよ? これ、どうなってるのよおっ!?」
わけが分からず叫ぶ金三原夫妻。
それは、そうだろう。
分かるはずがない。
振り返ったら、さっきまで息子と娘だけが歩いていたはずの田舎道に、大人数の白人達が呆然と座り込んでいる。
しかも多くが子供で、ほぼ全員が迷彩柄の戦闘服。子供なのに。
さらに訳が分からないのは、女の子が一人ウェディングドレスを着ている。しかもその上に戦闘用ベストとウェストポーチを装着している。何がどうなったら、そんなファッションセンスになるのか。
これだけ人間がいきなり増えた代わりに、裕太の姿は消えてなくなっていた。
京子の方は服装も髪も変わってしまい、日焼けで浅黒くなり、まるで別人のようだ。
これだけのことが目を離した一瞬で起きて、何が起きたか理解出来る人間が、この世にいるはずがない。
ついに地球への帰還を果たした京子。
降り注ぐ短距離弾道マジックアローの絨毯爆撃。
空を駆けめぐる魔王と勇者と飛翔機の群。
守る者も、思い残すことも無くした裕太は、最後の戦いへと赴く。
次回、第三十一章『決戦、インターラーケン』、第一話
『増援』
2012年6月8日00:00投稿予定




