新生活
清々しい、とはほど遠い気分の朝。
主な会議は昨日で終了、アンクはしばらく動かせないって。
理由は、もう魔力を供給出来る人がいないから。
姉と二人、こうして元気なく水路横でシャカシャカ歯磨き。
昨日はルヴァンさんから、非常に不自然な日本語ではあったけど、それでも僕らに分かる言葉で簡単な説明を受けた。
彼ら王族の四人は、実験のために集まってたんだそうだ。
その実験というのは、どうも日本語にない言葉ばかりで説明が難しそうだったけど、アンクとRadar、そして魔法の試験だったらしい。
Radar、レーダーと聞こえた。それは広場に建ってるやぐらの上に乗せられた、丸い大きな石。その機能は、地球で言うレーダーと似たものらしい。ただ、探知するのは魔法の力。
これらを動かすには非常に強い魔法の力が必要で、王族くらいしか扱えないんだってさ。
「……ったく、中途半端な技術力ったらありゃしないわ!」
うがいした水と一緒に愚痴も吐いた姉。
僕も賛成だ。あんな高性能なコンピューターを作る技術力がありながら、エネルギー供給は人力だなんて。
しかも支配者である魔王の一族を一人、丸一日拷問にかけるような機械を作るって。
何を考えてるのか分からない。
「まったくだね。
あんなの作ってる暇があったら、発電でもすればいいのに」
「まったくよっ!
お湯も出ないって、ホント、どういうことなのよっ!」
バシャバシャと川の水で顔を洗う僕達。
今はここも夏だしアルプス山脈、いや、ここの言葉でインターラーケン山脈からの雪解け水はとても澄んでて冷たいから助かってる。
でも、冬になったら間違いなく、辛い。
ちなみにこのジュネブラ。水路が縦横無尽に走ってて、レマンヌス湖や山からの水が自由に使える。
特に山からひかれた水はそのまま飲めるほど綺麗。それが石造りの水道橋を通り、街の中心に幾つかある石造りの建物の壁や、噴水みたいな水飲み場から出ていた。
何度も飲んだけど、腹を壊すことはなかった。
この街では飲料水と、洗濯とかに使う生活用水がキッチリ分けられてる。だからといって飲料水以外の水が汚いわけでもない。十分飲める。日本の水道みたいな塩素臭さがない分、こっちが上かも。
そして排泄物と生ゴミは全て町はずれの数カ所に集められてた。肥料にするんだろう。
それはともかく、頭が痛くなるような姉のワガママが続く。
「とにかく!
あたしは今日、絶対にお風呂に入るんだからね!
あんた、協力しなさいよ」
「協力……するのはいいけど、それは全部僕に押しつける、という意味だね?」
「あらあら、そんなワケないでしょ?
ただ、力仕事は男の役目、というだけよ」
じゃあ力仕事以外はやるのか、と聞きたい。
いや、聞くまでもない。この姉が家事とか面倒事を自分からやろうなんてしたことがあったか?
働かないけど文句は三人前、都合の悪いことは知らんぷり。それが我が姉。
こいつが自分からやったことって、化粧とファッションと家を散らかすことだけじゃないか。
僕は物心がついたときには、既に諦めの境地だった気がする。
それはともかく、昨日のルヴァンさんの話。
オグルさんは、僕らが来る以前に実験で魔力を吸われ済みだった。
ルヴァンさんは実験の総指揮をしてるので、自分が魔力を吸われてたら指揮出来ないから魔力供給役になれない。
そして、各自が王族としての仕事を持ってる。これ以上の魔力消費は職務に支障が出る、というわけ。
だから今日はアンクは動かせない。僕らの取り調べもしばらくお休み。あと、荷物は自由に使って良いって。
ようやく尾根から顔を出した朝日を背にしてテントに戻る。でも戻る間も姉の決意を聞かされる。
「それと、そろそろ洗濯もしないと。
ここって洗濯場はあるけど、洗剤はどうしてるのかしら?
というか、あんな冷たい水で手洗いしてたら、肌がボロボロになっちゃうわ」
「ん~、洗濯機はないねえ。
頼んだらやってくれるかな?」
「バカ言わないで!
あたしの下着をあんな石の上でゴシゴシ洗われたら、ボロボロになっちゃうじゃないの!
しょうがないけど、自分でやるしかないわ」
おお、珍しい。
この姉が自分から働くという類の発言をするなんて……ああ、当然か。僕に洗濯をさせるとしたら、僕が姉ちゃんの女性下着を洗うことになるんだから。
絶対触らせないな、よしよし。
「そうだね、頑張ってね」
厄介ごとが一つ減ったと安心しつつ、何の気無しに言ってみた。
そしたら、もの凄い目つきで睨まれた。
「あんたも、やるのよ」
「な、なんで僕まで!?」
「あんた、くっさいの。
もう汗臭いったらありゃしないの!
ここに来てから着替えてないでしょ!?」
言われて気がついた。
そういえば、あまりの事態に着替えも風呂も忘れてた。
慌てて自分の体の臭いを嗅いでみれば……をおおをを!?
け、剣道部の防具みたいな刺激臭がぁ!?
「やべ、ホントに着替えないと。
あれ、すると姉ちゃんは着替えてたの?」
「あったりまえでしょ!」
気付かなかった、いつの間に。
相変わらず、そういうことだけはしっかりしてる。
あー、でも洗濯石けんかぁ。旅行用の小分けパックが残り少ないな。
となると、この世界の石けんが必要になるわけだけど。
「ここの人達、どんな石けん使ってるのかな?」
「やっぱり自然素材のオリーブ石けんとかかしら?
それに歯磨きとか、化粧品とか……ていうか、あんた、どんだけこの世界にいると考えてるのよ?」
「……いつまでかなぁ」
「……いつまでかしらねぇ」
姉弟そろって肩ガックリ。
帰る当ては今のところ、無い。
ルヴァンさんが言ってた実験の話だけが頼りだけど、結局言葉が大して通じないから今以上の話ができない。
説明だけでもかなり長引きそうな予感。
はぁ……マンガやアニメだったら、こういう日常生活はすっとばして、ひたすらバトルとラブコメやってくれるんだけろうど。
つか、ご都合主義で現地の言葉も話せるようになってるとか、同じ言葉を使ってるんだろうな。でないと話が進まないから。
現実は厳しい。
テントに戻ってくると、ルヴァンさんも部下のエルフや妖精とかを引き連れて、どこからか歩いてきていた。
方向から言うと、街の中心にある一番大きな石造りの建物。お城とか中央官庁とか言いたいが、大きさは大したもんじゃない。やっぱ開発が始まったばかりだけある。
確かインターラーケンの領主はトゥーンさんで、他の三人は実験のために集まってきただけだったはず。なら建物の一つを臨時の宿舎に使ってるんだろう。
もう朝の定番になったイタリア語の挨拶を交換。
ルヴァンさんは、クセらしい黒メガネをクイと直す動作をしながら、まだ下手な日本語を使ってくれた。
「オハヨウ、ゴイマェス、デースゥ。
キョー、ハ、カィギ、デキマセーン。マリョク、タァリマセン。
アナッタチ、ワレレラノ、オキャークサンマ、アツカイマ」
昨日話した通り、魔力不足でアンクを動かせず会議が開けない、ということ。
それと、僕らを客として扱ってくれる、ということらしい。
よかった。どうやら不審者でも敵でもないと分かってくれたんだ。隣の、じゃなくて僕の後ろに隠れてる姉ちゃんもホッと安心してる。
黒メガネをクイクイと直し、何度も咳払いをしてしゃべりにくそうにしつつ、話を続けるルヴァンさん。
「キミラ、イエー……カエリテェ?」
「も、もちろんですっ! 帰りたいです、つか帰してお願い!」
僕が答えるより早く、背中から姉の魂の叫びが飛ぶ。
帰りたいか尋ねるって事は、その当てがあるってことなのか?
僕も期待に目を光らせてルヴァンさんの次の言葉を待つ。
「デンモー、キミランィエ、コキョー、チキュー、ナンカ、ワカラヘン。
ナンデ、ココ、キテンカン、ワッカラァン。
キミィラノォ、パ、パソコン? モチモン、トカ、ソノナカ、ヒント、アリソウ。ワタシラノ、ジッケーン、カンケ、アリソ。
デデモデモ、コトバ、ワッカラァン。パソコン、ワッカンネー」
非常に聞き取りにくい、発音も何もかもメチャクチャだけど、とにかく内容は分かった。
家がどこなのか、地球とは何なのかが分からない。転移した理由も分からない。パソコンのデータとか彼らの実験との関係にヒントがありそうだけど、日本語が分からなくて読めない。
結局、その結論か……予想通りではあったけど、二人して落胆の溜め息。
「これ以上は、アンクが使えるようになるか、ルヴァンさんが日本語を完全に使えるようになるか、だね」
「もう一つ、あるわ」
「もう一つって?」
「彼らの言葉を習う」
「ぐげっ」
こ、この人達の言葉を習うって、そんな無茶な!
英語だってロクに使えないってのに、全くワケの分からない異世界の言語を使えるようになれだなんて。
ん、ンなことしなくったって、ルヴァンさんなら僕らが彼らの言葉を使えるようになるのを待つまでもなく、日本語を完璧に喋れるようになるはず。
アンクだって時間をかければ動かせるだろうし。
が、姉ちゃんはまるでバカでも見るような白い目。
「はぁ~、あんたって、ホント世の中が分かってないわ」
「ど、どゆこと?」
肩をすくめて溜め息混じりに、ヤレヤレと説明を始める姉。
相変わらず、厄介ごとは僕に遠慮無く押しつけてくるクセに、その解説だけは偉そうだ。
「アンクは期待出来ないわ。
あの王子達の嫌がり方、見たでしょ? あんなの日本語を完全に翻訳出来るまで動かすなんて言ったら、ブチ切れられるわよ。
殺されたいの?」
「うぐ」
た、確かに。
トゥーンさんは怒ってどっかいっちゃった。こんな調子でアンクを使ってたら、魔界の王族に非常に恨まれる。
お客様扱いから一気に転落、奴隷か実験動物か、即刻処刑とか……。
彼らの好意に頼らなきゃならない以上、それだけは避けたい。
「ルヴァンさんも期待したらダメよ。
パソコンのデータの翻訳なら付き合ってくれるでしょうけど、お風呂の場所聞いたりするのにまで、この人にお願いできるわけないでしょ。
自分のことは自分で出来るようにならなきゃ」
ううむ、それも本当。
どうみてもこの人は王族の中でもトップに近い地位にある。その頭脳からすると、宰相とか何かの長官とかだろう。
そんな人を朝から晩まで引っ張り回し、「歯磨きしたいけど、歯ブラシどこ?」なんて下らないことを聞けるわけもない。
なら僕ら自身が彼らの言葉を、日常会話程度でも話せるようにならないといけないんだ。
「しかもあんたはLHCの説明も必要だから、相当高度なレベルまで喋れるようにならないといけないわよ。
がんばんなさい」
ポンと肩を叩かれ、当たり前のようにいわれ、思わず頷いた。
でも何か納得出来ないような気がして、思い返してみた……LHCの説明?
加速器の説明って、まさか、そんな高度な科学知識を僕に説明しろと!?
「ちょっちょっと待ってよ!
なんだよ加速器の説明って、僕にそんなの出来るわけないだろ!?
あれって相対性理論とか量子論の説明まで要るんだぞ! 高校生の僕が知ってるわけないじゃないか!」
「あら、あんた父さんと一緒に宇宙がどうの世界がこうのって偉そうに語ってたじゃないの」
うぐ、と言葉に詰まってしまう。
いや確かにそんな話しはしてたけど、僕もそういうの好きだけど。
あれは別に物理学が分かってて話してたわけじゃないんだってば、興味があるのと知識があるのは別だってば。
「た、確かに話してたけど、それは別に、その、知ってて言ってたんじゃないんだよ!
ちょ、ちょっとそういうの興味あるし、その、そーゆー話してると格好いいかなーと思って、その……。
だから、僕は知らないんだよ!
全然分かんないんだよ!」
「あたしも知らないし分かんないわ」
ケロリと言い放つ姉。
全く詫びれる様子も何もない。
本当に、当たり前の様に僕に押しつける気でいやがる。
そして当たり前っぽく姉の話が一方的に続く。
「あたし達には確かに加速器の説明なんて、今は分かんないわ。
でも幸い、というかこのふざけた事態の根本原因なんだろうけど、父さんの趣味ファイルがあるの。
しかも新聞記事や雑誌レベルの内容だから、かなり分かりやすく書いてあるし、あんたでも分かるでしょ?
あれを翻訳すれば、結構いいトコまで説明出来るはずね」
「無茶苦茶言うなよ!
大学生の姉ちゃんが説明すべきだろ」
「あたしがSF用語なんて分かると思う?」
「え、エスエフなんかじゃない!
れっきとした科学用語だよ、高校の物理や化学の授業で」
「高校の物理や化学で、パラレルワールドや魔法なんて習うわけないでしょ。
それについて詳しいのは、あたしじゃなくて、あんたよ」
「なっ!?」
「弟が中二病で良かったわあ。
あんたも嬉しいでしょ?
つ・い・に! 自分の無駄な知識が役に立つんだから。
カッコつけじゃなくて、本物の知識に出来る良い機会じゃない。
なので、頑張りなさい」
うわあ。
この姉、殴りたい。
マジにぶっ殺したい。
ワナワナと震える僕の後ろから、ルヴァンさんのコホンという咳払いが飛んできた。
「オラ、ニィオンゴ、マダマーダデェス。
ナニ、ハナシタ、ヨクワッカリマセェーン。
デモデェモ、ワタシタァチノ、コトゥバ、ナライタイ?
ココデ、シバラク、クラスゥ?」
どうやら今の会話は少し理解してもらえてたようだ。
姉ちゃんは素直に、僕もムカツキながらも頷く。
帰る方法が分からないなら、しばらくここでやってく他はない。
するとすぐにルヴァンさんの部下の中から、エルフの男性と妖精の女の子が前に進み出た。
「ナラ、コノフタリ、ツケマァス。
カレハ、ベンキョウ、カノジョハ、セイカツ、タンスケマンス。
ヨローン、シク」
長身のエルフ男性と妖精の小さな女の子が、ペコリと軽く礼をした。
僕らも釣られて頭を下げる。
色々と僕らのために配慮してくれる。期待されてるし、利用価値ありと判断されたんだな。
悪い話じゃない、とは思う。
しょうがない、いつまでかかるか分からないけど、ここで頑張るしかないや。
次回、第四章第二話
『出発』
2011年3月27日01:00投稿予定