手紙
「皇国からのテガミ……だってえ?」
薄暗い部屋の中、今や新魔王として名高い裕太の素っ頓狂な声が反響する。
地下の薄暗い部屋、ランタンの下に照らされているのはテーブルに置かれた文。
皇国の紋章で封蝋された羊皮紙は数枚。確実に届くよう、かつ偽造を防ぐため、複数の経路を通って送られた同一内容の手紙だ。
広げられた紙面の文面は一字一句同じ。
うち一枚を取り上げた裕太は、眉間にしわを寄せて読むのを諦めた。
「ダメだ、読めない。
これ魔界語じゃないね」
「皇国の神聖言語、おめーが以前に話してた『イタリア語』ってヤツに近いかな」
テーブルの前に座るのはトゥーン。
黒いコートとシャツとズボン、手袋も黒。見事に黒ずくめ。
王子の衣装は全て黒い。暗がりで目立たないように、汚れが目立たないように、という実際的理由以上に、単に黒が好みなのだろう。
別の一枚を、トゥーンの横に立つメイド姿のパオラが手に取った。
「ん~っと、だなやあ……。
余は神聖フォルノーヴォ皇国初代皇帝アダルベルトである。
このたびは新魔王イェーダと魔女フェティダ、及び名も種も知らぬシルヴァーナとの婚儀を」
「えっと、すいませんパオラ様。
この文面はナガいので、内容だけオシえて下さい」
「だなや。
んでもぉ、ユータ様ぁ。今はわだすらの他にいねっし、様だなんてつけてくんなくてもえーでよお」
「え、あ、そうですか?」
「ああ。
俺もかたっくるしいのはきれーだからな。
おめーも晴れて俺たち魔王家の一員、義理の兄ってことになったんだし。
ざっくばらんにやってくれや」
「んー、それでいいなら、それで」
パオラは手短に文の内容を説明した。
――皇国は過去の怨恨と流した血を忘れない、必ず魔族の血で贖わせる。
だが今後、世界を文字通りに平らにしてまで魔族を抹殺することは、皇国としても本意ではない。
ジュネヴラで行われる新魔王イェータの結婚式には、皇帝自ら参列する。
その折に新旧両魔王と会見し、世界の進路を定めたい――
「これは……!?」
「ああ、驚いただろう?
まさか、あの皇帝が五十年の沈黙を破ってくるとは思わなかったぜ」
「驚いたべよぉ!
こんれで戦が終われば、やっと魔界と皇国も平和になるべやぁ」
「新魔王イェータって……まあ、呼びにくい名前だからだろうけど」
無邪気に平和の訪れと喜ぶパオラと、微妙な表情の裕太。
ここはセドルン要塞内部。魔界側出入り口にほど近い一室。
さほど広くないし薄暗い部屋の中に、トゥーン・パオラ・裕太の三名のみ。
お付きの者は部屋の外に控えている。
文面の内容は読めないが、裕太は幾度も手紙を見直している。
「どこかのギゾウ文書、ということは?」
「それはないだろうよ。
実は、皇国に潜伏していたトリニティ軍の連中、あっと、インターラーケン奇襲作戦をしてた軍隊の名前なんだがな、そいつらが皇国に掴まったんだ。
拷問で全て吐かされて殺されるかと思ったら、それを手渡されてオルタ近くで解放されたのさ。
魔界に逃げた裏切り者を、わざわざ無傷で逃がすとなれば、相当に上のヤツが関わってねーと無理だ」
「どこかの大公か領主が独断で、とかは?」
「それもねえよ。
皇国各地の大公領で掴まった連中が、同じ文面の文を持たされて逃がされた。
全ての公国領で同じ文、となると皇帝からの本物の文書とみて間違いねえ」
「後をつけられたかな」
「もちろん追跡はついてきてたぜ。
だから特別に罠がたっぷりな出入り口を通らせたんだが、今になっても突入や爆撃はない」
「すると、ホンモノの文書か……皇帝からの」
「ああ。
お前の結婚や対アンク情報戦、相当の効果があったぜ。
まさか皇帝を釣り上げるたぁな」
「んだべな!
きっと、ようやく皇帝陛下も間違いに気付いて下さっただよお!」
素直に明るい未来の到来を信じているパオラ。
だがトゥーンは渋い顔だ。
裕太はといえば、目に殺気が宿っている。
感情を無理に押し殺した低い声が漏れ出てくる。
「……これ、信じます?」
「……何を、だ?」
裕太からの問いに、トゥーンも押し殺した声で答える。
両者の剣呑とした空気に、天真爛漫なパオラの笑みも消えていく。
不安げな顔へと変わる第三妃は気にせず、夫たる魔王末子は質問を続ける。
「どういう意味でだ?
本当に皇帝が来るか、偽物が自爆目的で来るか、てところか?」
「高齢で死期のチカい皇帝が、魔王を道連れにする、ということも」
「そ、そったらひでーこと……」
皇帝を信じる言葉を口にしようとしたパオラだが、その声は尻すぼみに消えていく。
これまでの皇帝の所業を見れば、人の命など路傍の石程度にしか考えないと見て間違いない。
人の命も資源の一つ、無意味な延命長命は金の無駄遣い、と冷徹に思考し続けた。
皇帝が単なる資源とみなす人の命、その中に皇帝自身の命も入っていたとしても不思議は無い。
それら全てを踏まえた上で、トゥーンは考えを語った。
「オヤジ、この申し出を受けるだろうな」
「……でしょうね。
陛下なら、これを和平の足がかりとするでしょう」
「で、何故この話をおめーに一番で、セドルンにまで呼びつけてしたか、という話になるわけだが」
「陛下の許しもなく皇帝を殺すな、と?」
「むしろ、おめーが皇帝を殺すことこそ、連中の策だろうよ」
厳しい顔で睨み合う新魔王と第十二子。
だがパオラはキョトンとしている。
「へ……?
皇帝がユータさに殺されるのが策って、そらどーゆーこった?」
キョトンとするパオラ。
裕太は目を閉じ、皇国が取りうる策を説明する。
「皇国は、今回の政略結婚と広められた真実で浮き足ダっています。
変わらず魔族掃討をサケぶ主戦派と、『核の冬』をオソれて全面衝突を回避しようとする慎重派、つまり皇帝派でワカれてます。
おまけに皇位継承もあり、貴族は分裂しかけてます。
でも民に人気のある皇帝が殺されれば、その自己犠牲は感動をヨんで、魔族を討つべくフタタび国が一つにまとまるでしょう」
「具体的に言うと、皇帝が指名した候補……えーっと、名前はアメデーオつったかな。そいつに皇位継承を固めれるわけだ」
「固められねば、皇帝が死んで皇帝派は力を失い主戦派の推す候補に固まります。いずれにせよ国は割れません。皇帝にとっては次善のサクでしょう。
さらにイうなら、両軍の全面衝突を回避するためです。
もしボクと魔王陛下を討つことがデキれば、『矢』を無駄に撃たなくてスむんです。
そのためならシにかけた皇帝の命など、安いモノでしょう」
あまりにも冷然と、淡々と皇国の策を語る裕太とトゥーン。
ほんの二年前まで皇国の片田舎で修道女をしていた羊飼いの娘としては、あまりにも生々しく毒々しい政略戦略。
思わず顔が引きつっている。
「つ、つまり、だなやあ……。
皇帝陛下が魔界でお亡くなりになると、臣民はこぞって怒って魔界の戦いに向けて一つにまとまる……つーことだか?」
そーゆーこった、と夫は頷く。
「皇国じゃあ、皇帝の死を感動的かつ魔王を悪役に仕立て上げる筋書きと演出を準備中だろうぜ。
ユータとオヤジを始末するのは、ついでだな。
駄目で元々、殺れればもうけ、同じ死ぬなら死に花咲かせるか……てわけだ」
「そうと知っていても、魔王陛下は会談にオウじるでしょうね。
恐らく、これが陛下に出来る最期の戦いとなるでしょうから」
そういうと、裕太の顔が暗く沈む。
同じくトゥーンとパオラも沈痛な面持ちとなる。
沈んだ空気が薄暗い室内に淀む。
パオラは、おずおずと尋ねた。
「魔王様は、やっぱ……具合、悪いだか?」
悲しげに、苦しげに頷く裕太。
トゥーンも大きな溜め息と共にテーブルに肘をついた。
「いくらオヤジでも、ルテティアを消し飛ばす攻撃を凌ぐのはきつかったろうよ」
「あの、トゥーンさん。
次の魔王の件は?」
魔王継承、その話題が出た途端にトゥーンの表情はさらに苦々しげになる。
「け……!
やっぱ、ラーグン兄貴で決まりだぜ。
兄弟姉妹も大方の魔族も異論はねえ」
「ああ、そうでしたか」
「けっ!
まぁったくよお~、あんないけすかねえ作り笑い野郎が魔王かと思うとよ、イヤになるぜ、ったく……」
ブツブツと文句を言うトゥーンを、パオラは「まーまー、トゥーン様は立派な領主様だでよ、魔王になんなくてもみぃんな大好きだでよ」と慰める。
次の魔王位継承について大方の所は話を聞いていたので、裕太も納得していた。
立太子の儀、なんて堅苦しいことはしていないが、現魔王崩御後は王位は長兄のラーグンに受け継がれることが決まっている。
魔王家の家族会議で先日決定した。
理由はラーグン自身の才という以上に、他に適材が居ないから。
長兄ラーグンはリザードマンを配下に置く。
リザードマンは魔界中央に巨大帝国を築いており、その軍事力も経済力も組織力も他種族に抜きんでている。
ラーグン自身も長兄として高い魔力と戦闘力を持ち、統率力も知能も魔王として全魔族を率いるに問題はない。
リザードマンは何を考えているのか分からないと言われているが、秩序だった組織力には疑いない。
次兄のルヴァンは知能と魔力量ならラーグンを凌ぐ。だが本人は学府に引きこもる質で、政治的野心はほとんどない。エルフ族自体も。むしろ、危険な魔道実験を行うために魔界を利用しかねない、とすら評されている。
長女の第三子フェティダは、知力戦闘力魔力統率力、どれも並み以上。だが秀でたものはない。ドワーフ族は頑固一徹な技術屋揃いで、他種族をまとめるのは難しい。酒癖の悪さも大きな減点。
第四子ミュウは魔力も経済力も何もないので不可。
第五子ネフェルティは、やる気無し。
第六から第九までの王子王女は戦死。
第十子オグルは、『銀行屋は表に出ねえ。裏から金で世を操るのさ』と拒む。
第十一子ハルピュイと第十二子トゥーンは、同じ理由で不可。即ち、経験・経済力・武力、その他諸々が著しく不足。
裕太はどうか?
新魔王と呼ばれるほどの魔力量と戦闘力を持ち、フェティダ姫と結婚し魔王家に婿入りした彼は?
答えは、論外。
元々の存在が非常に不安定。抗魔結界が今より弱まれば暴走で肉体が崩壊する、強ければ魔力を全て失って人並み以下。先の見えない存在。
本人も「皇国を討つことに命を捧げる」と宣言している。魔界統治に興味無し。
よって、次期魔王はラーグンに決定している。
次の戦を生き残れれば、だが。
トゥーンは魔界の地図をテーブルの上に広げる。
「さて、こうなりゃ東部戦線も気になるところだぜ。
アクインクムが落とされたら、ラーグン兄貴の魔王継承も危うくなっちまう。
そうなったら魔界はガタガタだ」
「ですね。
東部戦線の動きは?」
「相変わらずだぜ。
皇国軍はトリグラブ山を奪って大規模な陣地を作ってから、そのまま動いていねえ」
「セドルン要塞からウって出るにはハヤいか」
「ああ。
ちょこちょこと嫌がらせしちゃいるがな、まだ本格的にはしちゃいない。
やつらが東に進軍すれば、即座に要塞を出て陸路を断つ」
「西部戦線と同じ、か……。
事が起こったら、すぐにボクもセドルンから出ます」
「頼むぜ。
線路に特急便を用意しとく」
「おネガいします」
西部戦線は、皇国艦隊の襲来に対応しきれず崩壊した。
もし皇国の艦隊が再建されれば、あの悪夢が繰り返される。
だが違うのは、皇帝がジュネヴラで結婚式に出席するという申し出。
果たしてこれは政治的な変革をもたらしうるか否か……トゥーンと裕太は否定的な見解を崩していない。
だが裕太としては皇帝を殺す好機。
事は大きく動く。
次回、第二十九章第五話
『ドレス合わせ』
2012年6月1日00:00投稿予定




