初代教皇
「……陛下」
「分かっている。
余の不明が招いたことだ。
何も言うな」
聖シモーネ大聖堂の一番上には大きな丸い天蓋、クーポラ(Cupola)がある。
大きく丸いドーム状のそれは、内部から細い螺旋階段を登っていくことでドーム周囲の展望台を兼ねた通路に出る。
簡単ながらしっかりした手すりがついた通路に出ると、ピエトロの丘に築かれた大聖堂からの眺望が全周囲に楽しめる。
広々とした下界に広がる整った町並み、その各所から飛び出る各教会の鐘楼や尖塔、風に乗って聞こえる人々の喧噪が目にも耳にも心地よい。
特に大聖堂前のコロネードに囲まれた円形広場と、それに続く真っ直ぐな大通りは、幾何学的で美しい。
夏を前にした太陽が眩しいクーポラには、町並みを眺める皇帝と、その後ろから声をかける教皇が居た。
「いえ、言わせて下さい」
「何をだ?」
「命を軽んじてはいけません」
「悪い冗談だ」
教皇の言葉に、皇帝は悪い冗談だと聞き流す。
皇帝の口角は僅かに釣り上がり、皮肉な笑みを浮かべた。
手すりに手を置き、町並みを眺めながら己の生き方を語る。
「余は、多くの無辜の民を殺した。
各地の孤児院から出来の悪い童を集めて魔力炉とした。
施療院から死病に冒された者、監獄から死刑囚、路傍から薬に溺れた者、これらを集め魔族の要塞に突撃させ間引いてきた。
魔族の襲撃を装い街を襲わせたこともある。
その余が命を軽んじていないとでも言うつもりか?」
その言葉通り、皇帝は多くの民を殺した。
皇国に不要とされた者、死を免れぬとされた者は、骨の髄まで利用してから容赦なく殺した。
だが教皇は、民の生活に安らぎを与えることを使命とする教会の長は、皇帝の告解を受け入れ業深き行いを肯定する。
「樹を剪定するに、枝葉が痛い思いをするからと鋏を入れぬわけにはいきません。
陛下は狭く貧しいアベニン半島にありながら、皇国という大樹を立派に育て上げたのです」
「庭師としてなら一流か」
「皇帝として比類無き功績を上げられました」
それもまた事実。
皇帝が冷徹に築き上げた死者の上に、皇国の繁栄と臣民の安寧は成り立っている。
しかも臣民は皇国の闇など知らず、ただ無邪気に繁栄を謳歌することが出来ている。
臣民を選別し間引くことで人口の爆発的増加を防ぎ、狭い国土に人が溢れ飢餓が蔓延することを防いだ。
監獄・施療院・救貧院・孤児院への予算を削減し、財政の健全性を維持し続けた。
古代文明を復活させ数々の技術革新を起こした。
皇国全ての悪と闇を皇帝アダルベルト一人が背負ってきたのだ。
「全ては陛下の功績です。
皇帝は民に愛されております。民は皇帝の治世で得た繁栄に感謝しております。
その死には皆が涙しましょう」
「人は必ず死ぬ。
生きとし生ける者、全て必ず死ぬ。
死を厭うべからず、死は終わりにあらず、死は生の礎とならん……お前が語るべき言葉であろうが」
「教皇の職務としては、そうですね」
皇帝の右に立つ教皇。
日差しは熱いが風は涼しく心地よい。
頬を撫でる風の感触を楽しみながら、教皇の言葉は続く。
「だからと、かような作戦を立てるなど、陛下の半身たる拙僧には酷ですよ」
「余の命とて、いつかは尽きる。
この年だからな、その日は近い。
皇国に全てを捧げてこそ、余の生き様に相応しい」
「陛下……」
皇帝は、ゆったりと街を眺める。
五十年、人生の大半を賭けて築き上げた皇国の集大成と言って良いピエトロの丘。
彼そのもの、とすら言えるかもしれない。
アダルベルトは多くの民に死を与えた。だがその数十倍、数百倍の民を生かした。
国を背負う皇帝として、人としての心を押し殺してきたのだ。
果たして皇国の臣民の中に、皇帝を責める資格のある者がいるのだろうか?
皇帝の所業を責めるなら、そんな所業から生まれた皇国から去ることが必要だ。
それができるか?
病に冒されて医者も薬も無く死んでもよい、干魃で飢えて死ぬを良しとする、獣や夜盗に襲われて殺されるも本望……棺桶に片足を突っ込んだ生活ができるか?
聞くまでもなく、多くの答えは否。
現に今、魔力炉を放棄した瞬間に、眼下の街に暮らす多くの民が飢えと寒さで死ぬ。
責めるとすれば、民を真実から遠ざけ無知にしたことを責めるべき。
民は何も知らない。無闇やたらに剣を振り回し爆弾で火遊びをする幼子と同じ状況に陥れられた。
だが、本当に民は真実を隠されたと皇帝を咎めうるか?
五十年前まで、魔族はアベニン半島にも暮らしていた。人間と魔族は啀み合い、競い合い、協力もする隣人だった。
民はアダルベルトが示した『富と引き替えに真実を手放す』ことを選んだ。かつて隣人であった魔族を地獄の悪鬼だと思いこむことにしたのだ。
皇帝アダルベルトの施策を民も貴族も歓呼と共に受け入れた。
結局は、同罪だ。
五十年間、皇国が貯めに貯めたツケが、今になって回ってきただけの話。
そうと知っているから、教皇は皇帝を責めない。
振り返って手すりに背を持たれる皇帝も、己の所業を弁解しようとはしない。
「お前との付き合いは短かったが、一番余と気が合う半身であったと思うぞ」
「半身、ですか……」
半身、と呼ばれた教皇は嬉しくも寂しげな表情を浮かべる。
皇国の至高の存在から半身と呼ばれ、一人の人間から必要とされ、嬉しく思わぬはずもない。
だが教皇は分かっていた。
自分の前任者は七人いたことを。
初代以外は、初代の代役でしかないことを。
「拙僧など、陛下の弟君の代わりにはなりません」
「気にするな。
弟の代わりなど誰にも務まらぬ。
そのことは余が一番承知している。
それに、お前は友として出会えて良かったと思っている」
「陛下……」
嬉しさに目を潤ませる教皇、皇帝も僅かに頬をほころばせた。
皇帝はクーポラを後にし、螺旋階段を下りて聖堂内へと戻る。
教皇と臣下達も後に続き、目が回るほど階段を周り下りてから、ようやく聖堂内の最上階へと降り立った。
螺旋階段入り口の前にはボナンノ以下の参謀達と軍人達、枢機卿や侍者の少年達、そしてパッツィ銀行頭取が待っていた。
その中に黒目黒髪の騎士姿の男もいる。
皇帝はカツカツと音を立てて歩き、若者の前に進んだ。
他の者は首を垂れて後ろに下がり、皇帝と騎士の間に口を挟もうとはしない。
黒目黒髪の男は、皇帝を前にしても臣下の礼を取ろうとしない。
無表情な顔で、意思を持たないかのような目で、皇帝の前に立ち続けている。
皇帝は男の非礼を咎めることなく、むしろ悲しげで切なげな目をもって若者を見つめ続けている。
そして、おもむろに声をかけた。
「シモンよ、最初の勇者よ。
これが余らの最後の戦いになるだろう。
この老いた兄と共に魔界へ赴くのだ」
「もちろんです、あにうえ。
ぼくはかみにみをささげ、こうこくのためにたたかうせんしなのだから。
ともにまものをうちはたしにまいりましょう」
それは、勇者。
全く棒読みな言葉を放ち、目に全く意思を持たない勇者。
名をシモンといい、最初の勇者だという。
シモンとは、皇帝の弟の名。
かつて皇帝が現教皇聖シモン八世に、『弟に教皇などという無理を押しつけたせい』で失ったと語った初代教皇聖下、聖シモン一世。
それが最初の勇者。
旧型魔力炉への改造に失敗し、意識を消し飛ばされた抜け殻となり、アンクによって人格も存在も都合良く操作される存在。
前教皇聖シモン七世は『アンクの開発と共に生まれた』と語っていた。
確かに初代教皇聖シモン一世の魂は失われていた。
命じられた通りに皇帝の後ろをついていく姿、その動き、あまりに正確で機械的に過ぎた。
さらにその後ろをパッツィ銀行頭取の老人も控えめについていく。
「パッツィよ、後のことは任せるぞ」
「はい、全て打ち合わせ通りに」
皇帝と頭取と最初の勇者は大聖堂の奥へと歩いていく。
多くの家臣達を引き連れて。
同じ頃、インターラーケン領首都ジュネヴラ。
京子と裕太がこの地へ転移してきて、もうすぐ一年が経とうとしている。
あの頃と同じく、盆地の端に位置する街は涼やかで爽やかな空気に包まれ、緑濃き山々は目に優しい。
町はずれにあるレマンヌス湖の水は雪解け水で澄み渡り、今日も街の魔族達に日々の水と食料を供してくれていた。
全ては、あの時と同じ。
違うものもある。
今、ジュネヴラは大荷物を抱えて麓から登ってきた避難民でごったがえしている。
大都市は皇国の爆撃目標に選ばれるから、と田舎や山間部に民が逃げ出したのだ。
また、一年前はルヴァンの重力実験にフェティダ・オグル・トゥーンが協力し、結果として偶発的に地球とワームホールが繋がり、京子と裕太が転移してきた。
今回は、最初から京子と裕太が街にいる。代わりにトゥーンはいない。妃達と共に、セドルン要塞へ詰めている。
また、街の周囲で暮らす妖精達もいない。既に遙か山奥へ避難済みだ。
他にも、魔王がジュネヴラへ来ていた。
ルテティア消滅から数ヶ月、ようやくある程度の魔力は回復し、髪も髭も青さを取り戻してはいる。
それでも全盛期には比べようもない。
また、ルテティア消滅から地下神殿の市民達を守った負担は激しかったらしく、今も移動はオーク達の御輿に頼んでいた。
歩けないわけではないし、魔法で空を飛ぶことも容易い。が、足腰はかなり弱ってしまい、みだりな魔力消費も避けるよう周囲から厳しく進言さた。そのためオーク四名で担ぐ輿を用意している。
なおかつ、数多くの人間達もジュネヴラへ来ていた。
シルヴァーナ姫と裕太の婚姻を条件として、城の子供達も次元回廊実験への協力を約束した。このため五十六人の子供達もジュネヴラへ来ている。
あれから一年。子供達は成長し、魔法技術は格段に向上した。元々が桁外れだった魔力量もさらに増えている。
実験のためジュネヴラに来たのだが、子供達は避暑旅行気分。
ちなみに、空母から救出された新たな子供達は、ノエミを始めとした保父や捕虜の女性士官達と一緒に魔王城跡地に残っている。
対暴走用装備は充実し、魔王や京子・裕太がいなくても安全確実に子供達を救えるため、大きな心配はなかった。
ちなみに捕虜の多くは女性士官。艦隊司令官のリナルドや高級貴族出身の将軍達に見初めてもらうため、ごり押しで艦橋へ放り込まれた、見目麗しくうら若き淑女達。
貧民や下級貴族出身者で構成される陸軍の亡命者で構成される保父達、つまり独身野郎共は、それはそれは満面の笑みで子供達と姉弟と魔王の出立を見送った。
少しは下心を隠せ、という出立者達の呆れた顔など、ものの見事に流してしまうほど浮かれていた。
そんな中、ノエミは京子が城に来たとき以上に顔を引きつらせていたことに、裕太は気付いてしまっている。
ともかく、ジュネヴラ実験施設。
一年前と同じく設置されたアンクが置かれたテントと、レーダーを乗せる矢倉。
だが、幾つか違う点があった。
実験の危険性を考慮し、ジュネヴラから西の草原に実験場所を移した。アンクを収める巨大テントも。
即ち、京子と裕太が転移してきた場所。
再現実験であるため、ワームホールが開いた場所を実験場所として選んだ。
テントの横、草を払われた広場一杯に石畳が敷かれ、その上に何重もの巨大魔法陣が描かれている。
中心の魔法陣内の地面は、綺麗に丸く抉れている。
一重目と二重目の魔法陣の間は、石畳と地面が削られた上にさらに陣が描かれている。
二重目と三重目の間も、何度も魔法陣が壊され書き足された跡がある。
三重目の周囲には、ゴブリンやエルフやドワーフ、その他種族の老魔導師達が座禅を組んだり宙に浮いたりしながら術式を組んでいる。
さらのその外側に、人間の子供達が何十人も座っていた。城から来た魔力炉の子供達だ。
そしてそれら魔法陣の中心、抉られた土の底面には、拳大の白い球体。
ルヴァンが実験用に開発したビーコン。
テントがアンクの光に内側から照らされる。
同時に魔法陣の中心から地鳴りが起きる。抉れた地面の縁から石や土がボロボロと落ちていく。不自然に高速で。
高重力で大地が削られ、押しつけられている。
突如、黒い穴が出現した。
魔法陣中央に現れたそれは、表面の保護材を引きはがしながらビーコンを吸い込む。
ビーコンと共に周囲の地面も、中央魔法陣まで浸食しながら吸い込んでいく。
黒い穴は消滅した。
後には、さっきより大きくなった穴が残った。
石畳の上に座る老魔導師達と子供達は術式を解く。
とたんに魔法陣中心へ向けて突風が吹き、穴の中でつむじ風が巻き起こり、削れた地面をさらに削って土埃を巻き上げる。
魔法陣中心の大気が吸い込まれ気圧ゼロになったため、周囲から空気が一瞬で流れ込んだのだ。
テントの中、巨大アンクの土台にある大型操作盤の前に座るルヴァン。
一年前と同じように、左右の助手と共に目にも止まらぬ速さでタッチパネルを叩き続けている。
城で教師役をしていたイーディス等のエルフ達始め、多くの技術者が機材を操作し術式を組み上げている。
第二王子の後ろには京子と裕太が立っている。王子と姉弟が操作盤中央を見つめている。
そこには、真っ黒で四角いものが表示されていた。
いや、よく見ると真っ黒な中に光る点が幾つも表示されている。
ルヴァンがさらに操作盤を叩く。
同時に光点が全て一方向に移動する。
すると、画面の中に眩しいほど輝く太陽が現れた。
彼らの頭上に輝く太陽とは異なる、赤く元気のない太陽。
映像を見て、姉は溜め息をついた。
「失敗……ですね」
弟も肩を落とす。
口からは映像の感想が、というより分析が語られる。
「これは、『せきしょくわいせい(赤色矮星)』ですね。
太陽より軽いせいで明るくカガヤけなかった星です」
新魔王である弟の言葉に耳を傾けながら、ルヴァンの目は画面周囲の各種表示にも向けられる。
口からは、最初は姉弟への返事が述べられていたようなのだが、だんだんと独り言へと変わっていく。
「第十七回次元回廊実験、順調です。
今回も地球のジュネーブには繋がらなかったようですね。ですが次元転移それ自体には連続三回で成功です。
しかし、この『せきしょくわいせい』なる星は興味深い。太陽より軽いと中心部の温度が上がらず明るく輝けないということですか。
この重さと明るさの相関関係が確認されたことは素晴らしい成果と言って良いでしょう。星の内部で生じる反応については未だ理解の範疇を超えていますが、今回の実験結果を調べればいずれは解明されるに違いありません。たしか『かくゆうごう』とか言いましたか、水素が反応してヘリウムになるという、錬金術と言うべき……」
第二王子の独り言は続く。
周囲のドワーフ技師や学者エルフが実験結果を食い入るように確認している。
全てのデータは即座に複製され、ダルリアダへと転送される。
それらを確認してから、裕太は改めて独り言の止まらないルヴァンに問いかけた。
「それで、今回こそはビーコンを回収出来そうですか?」
「……ということは粒子のスピン方向が、え、回収?
あ、ああ、回収ですね。ビーコンの回収は、もちろん試みますよ。
早速始めましょう」
ルヴァンの指が再び高速でパネルを叩き続ける。
外の方陣でも術者達が再び呪文詠唱を合わせ、精神を研ぎ澄ます。
光を強める魔法陣の中央に、次元回廊を開かんと術式が稼働し続ける。
魔法陣の中央に、またも黒い穴が現れた。
地面を抉り、吸い上げ、真空の宇宙空間を魔法陣内部に及ばせる。
そしてまた消えた。
何も残さずに。
テントの中でルヴァンは呟く。
「また失敗です。
ビーコンがあれば、その誘導波を辿って目的の次元に回廊を敷設出来るのは確実なんですがね。
真空の宇宙空間に結界内の大気が吸い出された勢いで、ビーコンが吹き飛ばされてしまったようです。
結界で出来うる限りの真空を形成し維持するにしても、微量の気体は残ってしまいますから。完全な真空の維持は現状では困難です。
宇宙空間ではなく、大気を保つ惑星上に通路を開かねば回収は困難かもしれません。
これでビーコンは残り三個になってしまいました」
当たり前といえば当たり前な結論に、姉弟とも肩を落とした。
だがルヴァンは頬をほころばせている。
この実験が始まって以来、常に上機嫌だ。
ルヴァンにとっては、繋がった先が地球であろうがどこであろうが、繋がるかどうかすら別にどうでもよかった。
次元回廊実験を実行する、ワームホールを開きビーコンを送って宇宙や異次元を観測出来る、それだけで素晴らしい大成功なのだ。
後ろの落胆する二人への配慮など、観測結果への知的好奇心を前に脳の隅へ追いやられている。
彼らがジュネヴラへ戻ってきて一ヶ月。
次元回廊実験は、地球にこそワームホールを繋げるに至っていないが、回数だけは重ねられていた。
そんな彼らへ、もうすぐ文が届けられる。
神聖フォルノーヴォ皇国初代皇帝アダルベルトからの文が。
次回、第二十九章第五話
『手紙』
2012年5月31日00:00投稿予定




