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政戦両略

 次の皇位をナプレ大公家に譲れ。

 大公は笑顔で、フォルノーヴォ家からの禅譲を要求する。

 対する皇帝は、あくまで無表情。


「そうすることで、フォルノーヴォ家が皇位に連綿とせず、皇帝は皇国を私物化するものではない、という先例を示すことにもなろうからな」

《左様、ご理解頂けたようですな》


 皇帝自身の口からも飛び出した、ナプレ大公家への皇位譲渡の意義。

 その言葉にベッド上の醜い肉塊も目を細める。

 が、皇帝は無表情で視線も熱を持たぬままだ。


「しかし、南部の発展が北に及ばないのは、前ナプレ王が破壊と殺戮の限りを尽くしたのが大元の原因だと言うことも、忘れてはおらぬだろう?」

《もちろん。

 だからこそ父上は自らの不明を恥じ、陛下へ皇位を譲ったのです。

 陛下は父上の遺志を受け継ぎ、よく南を治めて下さいました》

「ならば、南の復興が道半ばのままナプレへ皇位を戻せば、その遺志に反することにもなろう。

 ナプレ大公家が前王の同じ轍を踏まぬことを示してもらわねば、民草も不安に押し潰されよう」

《心配ご無用。

 我らナプレ大公家は神の恩寵を得たがごとし。

 必ずや皇国をさらなる繁栄に導こうぞ》

「そうか、それは頼もしい」

《お褒めに預かり光栄に存じます》

「ところでクラウディアはどうしている?」


 いきなり、素知らぬ顔で話を変えた皇帝。

 その口調も変わらず威厳を保ち、むしろ丁寧なものだ。

 大公も笑顔を維持し続ける。


「しばらく顔を見ぬから心配で夜も寝られぬ」

《妹は夫の身を案じる余り、床に伏せっております。

 痛ましいことです。

 シルヴァーナ、などという居もしない隠し子など吹聴されて、妹の心は掻き乱されるばかりで》

「まったくだな。

 魔族の讒言などに耳を貸し心を乱されるとは、ナプレまでは神の恩寵も届かなんだかな?」

《新魔王の呪詛が強すぎたのでしょう。

 いずれ家臣達を連れて大聖堂へ礼拝に行くとしましょう》

「うむ。

 聖シモン八世も歓待することだろう」


 毒を含んだ針が飛び交うがごとし。

 批判には反論が、嫌味には皮肉が返される。

 表情を全く変えないまま、口調は丁寧なまま。

 だが、さすがに不毛な会話に嫌気がさしたのか、大公は《魔王と言えば……》と話題を変えた。


《次の魔王討伐はいつかと、将達も兵共も心はやっておるよ。

 いかがかな? 夏には東を攻めぬか》

「夏に、だと?」

《うむ

 民草の動揺を収めるためでもある。

 薄汚い魔族共を討ち滅ぼす様を見れば、魔王の讒言に耳を貸すなど愚かなことと民草も気付こうて》


 魔界と魔力炉の噂に動揺が広がる民衆。

 民の不満と不安から目を逸らし、緩みつつある統制を締め直すには、対外的脅威を演出するのが一番。

 魔界という脅威をでっち上げてきた皇国、ならば今回もそれを行うに皇帝も躊躇いはない、はずだった。

 ただ皇帝は、今は機にあらず、と考えていた。


「何を言っておるのだ?

 先の戦で艦隊とリナルドを失ったというのに、もう次の戦などと」

《既に新造艦は四隻全て発進式を終えたと聞いておりますが》


 皇帝は正直、大公の相手に嫌気がさしてきた。

 新造艦の発進式は本来、国威発揚の意味も込めて大々的に行われるのが良いだろう。

 だが民を煽りすぎれば、今度は増長して力を過信し、意味もなく戦乱を求めて暴発してしまう。

 力を貯めるには隠れて牙を研ぐが一番と思い、新造艦については発表をしていない。

 それに対魔王用兵器である『嘆きの矢』を手にしたのだ。その存在を知らぬ魔界では都市そのものを魔法陣化させるという失態も演じていた。

 つまり焦る必要など無い。

 ゆっくりと策を練り、新魔王と抗魔結界について研究を進め、次の戦で抗魔結界がいかに使われるかを考察し、対策を講じてから進軍すればいいのだ。

 だから新造艦の発進式は秘密裏に行わせた。

 現状では国威発揚をしたくなかった。

 だが一隻完成させるのに必要な人、物、金の量を考えれば、秘密にするにも限度はある。それが艦隊を形成させるほどなら、なおさら。

 よってナプレ大公は知っていた。そして予想通り、力を過信して早期進軍を口にしてきた。


「新造艦は、確かに全て完成しておるよ。これで余が計画した九隻は全て完成した。

 だが、いまだ試運転を兼ねた演習を繰り返しておる。

 実戦投入には早い」


 ほっほっほ……、と大公は笑う。

 声を上げて笑うたびに服の腹が波打って揺れるさまは、不気味の一言に尽きる。

 部屋の隅に侍らせている侍女の一人が優雅にベッドの傍らへ進み、大公へワイングラスを差し出した。

 くいっと軽く飲み干した大公は、唇を赤く光らせながら主戦論を唱える。


《慎重も過ぎれば臆病とのそしりを受けましょう。

 先の戦、確かに艦隊とリナルド殿下を失いはしました。

 が、『嘆きの矢』による魔族掃討と魔界浄化、なにより魔王の魔力を全て失わせるという戦果は揺るぎなきものです》

「戦果は結構だが損失も大きいのだ。

 リナルドから送られた謎の物質の解明も進んでいない。ヴォーバン要塞跡地を越えての移民団編成も済んでおらぬというのに。

 現状では時期尚早と説明したであろう」

《ほっほっほ……!

 何を言われますかな、陛下ほどの方が。

 解明など不要、艦隊の練度も『矢』を撃つことのみに絞ればよいのです。

 魔王が力を失った今こそが好機、回復の間を与えてはなりません》

「その言にも理はあると認めるがな」

《恐縮です》

「しかし、無意味に民を煽るでないわ。

 それに、『矢』を多用した場合の弊害もあるのだ」

《ああ、魔族が残した伝言にあった、『カークノーフ』とかいう屁理屈ですか。

 魔物の讒言に耳を貸すなと仰られたのは陛下ご自身でしょうに》

「その内容については参謀本部で解析させた。

 また、『始まりのアンク』内に残された記録も調べ上げた。

 結果、全てが正しいと示されたのだ」


 初めて皇帝の無表情が崩れた。

 苦々しげに口を歪める。


 ルヴァンが祭儀をハッキングしたとき、大聖堂内の情報の中に『核の冬』に関する情報も残しておいたのだ。

 この情報を見た参謀本部は、古代文明の情報を改めて調べ上げた。技術面や資源面だけでなく、歴史的環境的側面から過去の遺物を再調査した。

 そして暴かれた古代文明滅亡の真実。

 皇帝は、自分達が火薬庫の横で火遊びをしていたことに気付かされた。

 だからこそ皇帝は無意味な進撃を慎み、『矢』を使わぬ正攻法での演習をわざわざ繰り返している。

 新鋭艦が続々と完成しているのに遅々として魔界へ進軍しないのは、そのような理由があった。


 京子と裕太、地球人の姉弟が魔界に示した異界の知恵の数々。その一つである「核の冬」は皇国にまで渡り、世界の破滅を防ぐことに一役買っている。

 そんな敵味方両指導者の配慮と苦労を、大公は一笑に付した。

 人の耳には賢者の諫言かんげんこそ届かぬもの。耳に聞こえの良い詐欺師の甘言かんげんこそが聞こえるものだ。


《なら、世界が滅びない程度にだけ使えば良いのですよ。

 たまに当たるからといって牡蠣を食わぬ、落馬が恐いからと馬に乗らぬ、そんなことができるはずもない》

「愚かな……!

 新魔王の力も謎なままだというのに、このまま侵攻しては泥沼の乱戦の中で『矢』を乱射することになるではないか!」

《それなら勇者をつぎ込めば良いではないですか》

「勇者と軽々しく言うが、一体作り動かすのにどれほどの手間とアンクと魔力が必要と思っておる?」

《それも今の皇国では、さしたる手間ではありますまい》

「またパッツィ家から金を借りる気か?

 このままでは財政が破綻する」

《戦に勝てば、どうということはありますまい。

 といいますか、皇国は借金をしておらぬではないですか》

「当然だ。

 艦隊建造費も早々に返した。

 余の若かりし頃の苦労を知らぬわけもあるまいが」

《存じてはおります。

 ですが、多少はあえて金を借りて市中に回さねば、経済が成り立ちませぬよ。

 勝利は確かだというのに、何を迷っておいでか?

 ふぅむ、どうやら陛下は愛するご子息を失い、過度に戦を恐れているご様子。

 やはり陛下も年には勝てぬのですかなぁ》


 大公は、やれやれ……、というわざとらしい言葉と共に、わざとらしくこめかみに手を当てる。

 その時、皇帝のほうではボナンノ副参謀長が音もなく入室してきていた。

 皇帝は横目でボナンノの姿を確かめ、壁際に控えさせて大公との話を続ける。


「余とて年には勝てぬが、それとこれとは話が別だ。

 必勝の策と用意を重ねてすらインターラーケン浄化作戦は失敗し、次のレジーア・マリーナは全滅した」

《その辛酸の果てに、陛下は最終兵器『嘆きの矢』とを手にしました。

 これで全ての失敗作は容易く始末出来ます。結果、新たな領土を西に得たのです。

 最早、恐るべきものは何もありませぬよ》

「それは慢心に過ぎぬ。

 かの物質の謎、まだ解かれてはおらぬのだ。

 あれの前に障壁は破られ、インペロは大損害を被ったという報告を知らぬのか?」

《承知していますよ。

 かの物質なら、『矢』すらも無効とされるかもしれませんな。

 が、あんな物が大量にあるわけもなし。

 事実、ベウルという失敗作と、新魔王だけが有していましたな》

「そこまで知っていて、何故に容易くなどという言葉が出る?

 兵は拙速を聞く、という言葉を知らぬのか?」

《もちろん知っていますとも。

 長期戦で得をする者はいない、ということですな。

 そのための最終兵器と艦隊と勇者でしょうに。

 駒は揃い、機は熟したのです》


 皇帝は思わず歯ぎしりの音を響かせる。

 大公は、かつて裕太が懸念した通り、「少しなら構わない」と考えているのだ。勇者で旧型魔力炉の失敗作共を抑え、『矢』で一気に短期決戦へ持ち込む、と。

 直接に魔王一族を倒せなくても、魔力炉を放って爆撃し続ければ同じ事だ、と。

 それこそが皇帝の恐れた主戦派の暴走。

 魔界の広さと魔族の多さを忘れている。

 いや、それらを情報操作で民草に忘れさせたのが皇帝の五十年の統治だ。

 今や情報操作は、それを操作している支配者層側にすら及んでしまった。

 まさに、嘘も百回言えば自分まで信じ込む、という皮肉。

 言葉を失う皇帝の耳へ、ボナンノが口を寄せた。


「陛下、北部諸公が連名にて、早期進軍開始の要望書を参謀本部へ提出いたしました」

「何だと!?」

「南部諸公でも同様の動きが」


 驚く皇帝の姿を、大公は余裕の笑みで眺めている。

 軍か教会の情報に通じる大公、諸公の動きにも通じていないはずはない。ならこの報告も知っている。だから笑っている。

 いや、これこそが大公の策かと皇帝は疑う。

 高齢で先が無く、早期侵攻へ慎重な皇帝。次期皇帝の地位を狙う大公が暗躍し主戦派の支持とりつけたか、と。

 おまけにヴォーバン要塞を落とし、魔界の西を削って新領土とした。民は更なる新天地を、新たな戦果を求めている。


 もし皇帝が進撃を抑え込み続ければ、皇帝は民に疑われ諸公から支持を失い、国内で動揺が広がるだろう。最悪、国が割れる。

 ナプレ大公の言う通り、早期に国を一つにまとめるために民の目を外へ、魔族との戦いへ向けさせねばならない。

 だが、戦えばどうなるか。

 艦隊が魔族を討ち滅ぼせば、軍と諸公の支持を得たナプレ公国が次期皇帝の椅子を引き寄せる。破れれば皇帝とフォルノーヴォ家の責となり威信は失墜し、やはりナプレ公国が次期皇帝に近づく。

 そして『矢』は乱射され、古代文明と同じく世界が皇国もろとも滅びる。


 これらを防ぐには、皇帝自身が戦果を上げねばならない。

 諸公の支持を大公から皇帝へ、民の信頼をナプレ大公家からフォルノーヴォ家へ取り戻すために。

 なおかつ、『矢』は使わないか最小限に抑えねばならない。

 無論、大公が表に裏にそれを邪魔する。だがやり遂げねばならない。


「……やむを得まい」


 皇帝は、再び無表情となる。

 目を閉ざし、意識を集中して、再び目蓋を開ける。

 迷い無き目がボナンノを射抜く。


「諸公へ文を。

 ピエトロの丘へ集めよ。

 パッツィ銀行へも使いを出せ」


 おお……、という感嘆の声が周囲から漏れる。

 ナプレ大公へ向けて、皇帝は宣言する。


「余も覚悟を決めよう。

 魔族共と雌雄を決する時が来た」

《英断です》

「それと、大公よ。

 そこまで言う以上、公にこそ矢面に立ってもらわねばならぬぞ」

《仰せのままに。

 南部諸公の兵をことごとく東へ》

 

 大公は鏡の向こうで会心の笑みを浮かべた。


次回、第二十九章第四話


『初代教皇』


2012年5月30日00:00投稿予定

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