皇家と公家
「では、パッツィから金を借りねばならぬ、と申すのか?」
「はい……。
今期の寄付寄進の減りはいかんともしがたく。秋の支払いにだけでも間に合わせませんと」
昇り行く太陽に照らされた皇国の朝。
木々がまばらに生える小高い丘を歩く三人の男。二人の老人と、一人の初老の男。
横に並ぶ皇帝と、教皇。そして長い顎髭を垂らした老人が後ろをついていく。
よく整備された静かな朝の散策路、先を歩く二人は教会の窮状について語っている。
道の左右には一定距離を置いて寡黙な兵達が起立し、目立たぬ林の奥には衛兵隊が警備を続けている。
皇帝は無表情を維持しているが、それでも驚きを隠し切れていない。
「だが、教会が銀行から金を借りる、というのはな……」
教皇は後ろの黒い帽子を被った老人を肩越しに見る。
つかず離れずな距離を歩く老人は、ほんの僅かに会釈した。
口からもれる声は控えめだ。
「我がパッツィ銀行としては異存ありません」
「お前はそうだろうが、な。
万一焦げ付いた場合、どうやって回収する気だ?
教会と銀行の衝突など、考えたくもない」
「ご安心下さい。
利率も期日も勉強させていただきます。
また、万一の場合には、頭取として責任持って目立たぬ方策を講じましょう」
「……そうしてくれ」
一抹の不安を感じつつも、パッツィ銀行頭取の配慮を信頼することにした。
はたして寄付寄進が回復するのか、回復しなかった場合には教会財産が銀行に差し押さえられるという前代未聞の事態になりかねない。
そうなったら狂信的信徒が銀行を襲う、銀行から助けを請われた大公諸侯との衝突に発展する、等の不安が脳裏をよぎる。
少なくとも教会への信頼が揺らぐことに疑いはない。
その疑いといえば、と皇帝は思い巡らす。
寄付寄進の減少は何によるものか、と。
「民は信仰を忘れたというのか?」
「いえ、むしろ確かな信仰ゆえです。
件の映像乗っ取り以降、シルヴァーナ姫と魔力炉をきちんと説明せよ、と各地の聖堂へ押しかけているのですよ。説明がなされるまで寄付をせぬぞ、と。
司教達も信徒達からの問いに答えれず、日々の説法もおぼつかず、このように心みだれた有り様では信徒から寄進を受けるに忍びない、と」
「ふむ……やはり臣民からの問いは減らぬか」
小さく溜め息をついた皇帝。教皇も同じく僅かに息を吐く。
そのとき、彼らの前から侍従長に率いられた従僕達と枢機卿達が駆けてくる。
慌ただしく皇帝と教皇に跪いた者達を、二人はすぐに立たせる。
臣下や信徒としての礼は型通りにだけとらせ、報告を最優先とさせた。
先頭にいる執事長と枢機卿は目配せする。どちらが報告をするか迷っているらしい。
皇帝の「申せ」という言葉に、執事長が直立して口を開く。
前代未聞の、皇国支配者二人を動揺させるに十分な報告を。
「ご報告致します。
本日明朝、ヴェネト駅へ走行中の魔道車が司教率いる臣民達に襲撃されました」
その報告に教皇も皇帝もパッツィ銀行頭取も目をむく。
「な、何!?」「どういうことですか?」
「線路を丸太で封鎖し、停車した魔道車を取り囲んで魔力炉の中を改めさせよ、と要求したのです」
侍従長の口調は落ち着いていたが、内容はとても落ち着いたものではなかった。
東部戦線への物資と兵員を輸送していた軍用魔道車がヴェネト駅向かう最中、運転手は森の中で倒木に線路を塞がれているのに気がついた。
慌てて急停車したところ、それは倒木ではなく切り倒された丸太が故意に横たえられたものだった。
どういうことかと訝しむ間もなく、森から農具や剣を手に飛び出してきた民が、先頭の魔道車を取り囲んだ。
何だどうしたと後ろの車列から兵達も下りてきて、殺気立った民と睨み合いになる。
群衆の中から進み出てきたのはヴェネト駅近くの教会を預かる司教。
兵を率いる士官の前に進み出た司教曰く、魔道車が神の御心に反した悪鬼の諸作でないと誓えるなら中を改めさせよ、と。
軍事機密と輸送作戦行動中を盾に司教の要求を一蹴し解散を命じる士官、神と信仰を盾に一般兵士へも魔道車確認へ協力を命じる司教。
両者とも一歩も引く様子はない。
銃を構えてはいるが同じ臣民へ発砲するなど想像外の下級兵士。
睨み合いと押し問答が続き、緊張感が増していく。
その時、群衆の中から一本の矢が飛んだ。
これを受けて負傷した兵の指が、勢い引き金をひいてしまった。
暴発した銃に撃たれ民が数人、悲鳴を上げて倒れる。
信徒は暴徒と化した。
兵士も民も同じ神への祈りを叫びながら殺し合う。
結果、やはり武器と鍛錬の差は大きかった。後には民の死体と、愕然呆然として打ち拉がれた兵士達が残った。
「……兵達には箝口令を敷き、ウーディネ基地へ送りました。
ですが動揺は凄まじく、士気の低下は避けられないと」
言葉を失う皇帝。
教皇は隣にいる枢機卿へと問いかける。
「それで、その司教はどうなったのですか!?
ヴェネトの市民達は!?」
「神父は、神の御許へ。
そして市民達は……」
「市民達は、どうしたのです?」
「ヴェネト教会に集まり、司祭達と共に司教を追悼しております。
かの司教は民の信が厚く、司教を殺害した軍への反感は著しいものと。
もしかしたら、このまま教会で立て籠もるやも」
軍を率いるは皇帝。
教会を率いるは教皇。
両者は対等ではなく皇帝が上に立つものの、今の両者は肩を並べて朝の散策をする仲でもある。
教皇は職務として、立身出世の結果として今の地位を獲得したのだが、さりとて個人的に皇帝が嫌いなわけではない。
むしろ、聖職者より揺るぎなき魂を持ち節制に努める皇帝を尊敬している。
だが両者の足下では、国家の屋台骨を揺るがす衝突が起きていたのだ。
教皇と皇帝は目配せする。
「次の祭儀では陛下にもお言葉を戴きたく」
「よかろう。
ヴェネトの大公へは余から勅令を下す。
軍へも民への発砲を厳に慎むよう命じるとしよう。
各修道会の騎士団は教区の警邏を厚くするように」
「御意」
二人の後ろに控えていたパッツィ銀行頭取も、二人の間に言葉を割り込ませる。
「ヴェネト支店から商会と組合に声をかけましょう。
仕事に戻らねば融資を引き上げる、とでも言えば頭も冷えるでしょう」
「そうしてくれ。
やれやれ、民も浮き足立っている。
どうにかせねばな」
皇帝と教皇と頭取は臣下達を連れて早足に丘を下る。
この地の名はピエトロの丘。昔の名前はロムルス。
教会総本山たる聖シモーネ大聖堂の裏手には、歴代教皇が朝の散策をするためだけに作られた庭園が存在する。
そこでの散策を終え、三人は大聖堂へと急いだ。
その庭園を出れば、既に侍女達が主の戻るのを待っている。
「陛下。
ナプレ公国より大公閣下からの緊急通信が入っておりますが」
侍女からの報告に、皇帝は僅かに眉間にシワを寄せる。
《では、どうあってもガストーネを推せぬ、と言われるか?》
「そういう話は、皇子の酒が抜けてからにして頂こうか」
《ご安心召されよ。
孫には良い医者をつけておいた。
今後は健やかとなり、政務を滞りなく進めるだろう》
政務を進めるのはお前だろうが、と言い放つのを皇帝はこらえた。
目の前に置かれた大鏡には、天蓋を薄いレースに覆われ綿のように柔らかな毛布に体を横たえる太った老人の姿がある。
ナプレ公国を治める大公の体は無様に横に広がり、皮膚は脂ぎっている。たるんだ目蓋の下からは濁った目が僅かにのぞく。
もはやベッドからもろくに起きあがれない身でありながら、皇国を我が物にせんとする野心に僅かの衰えもみせない。
そんな大公の老害を絵に描いたような姿に、大公よりも高齢であるはずの皇帝が嫌悪感を抱いてしまう。
「いずれにせよ、余はアメデーオへ、次男へ皇位を譲る意思に変わりない。順位としては孫より先に子であろう?
アメデーオもガストーネも同じ皇家の皇子、余の子と孫。どちらでも問題はない」
《確かに、本来ならばそうですな。
ガストーネも公国を継がせるつもりで当家に招いたのだし》
リナルドの御曹司であるガストーネはナプレ公国にいる。
皇国はリナルドが継ぐ予定だった。また、気性が荒く放蕩が改まらないため、皇帝とそりが合わなかった。そのためナプレ公国へ送られていた。
が、ガストーネはナプレに来た途端、何かのたがが外れたかのように酒と女に溺れ、身を持ち崩していた。
それでも皇子は皇子。皇位継承権は有している。しかも皇帝の直系ゆえ順位も正当性も高い。ナプレ大公が皇位継承権を優先して主張するのも筋が通らぬわけではない。
それでも、現在でも第一位の順位ではない。
本来なら、このような議論は起きないはずなのだ。本来なら。
「ならば第二皇子へ皇位を譲ることに、なんの異を唱えるか?」
《無論、リナルド皇子の件で。
あのような醜態を晒されては、フォルノーヴォ家への皇位継承へ民は不安をかきたてられよう。
また、シルヴァーナ姫が魔王の毒牙にかかり皇家が呪われたと噂する者もおりますからな》
皇帝としては、この種の大義名分に利と理を認めている。
認めてはいるが、詭弁か屁理屈に過ぎないと理解し、馬鹿馬鹿しさも承知している。
そもそもアメデーオもガストーネも同じ皇家の皇子。家の名前が変わっただけで呪いが及ぶの及ばないのと、形式と迷信にもほどがある、と。
それでも様々な布告に付される名が異なるとか、暮らす宮殿が違うとかは、その屁理屈や詭弁やでっち上げの教義で成り立つ皇国国教会では有効なのだ。理屈ではなく気分的感情的な話だ。
人は群れれば群れるほど理性ではなく感情で動く。それは皇帝が長き統治の果てに学んだ経験則。
それも道理。
人の根幹たる感情は万人に差異は少なく、一致しやすい。だが枝葉にあたる知識や理論になると、もはや枝葉末節百花繚乱。
屁理屈など、つけようと思えば何にでもどうとでも付けられる。だから百の人がいれば百の正義がある、盗人にも三分の理、などと言われるのだ。
理などという枝葉の部分ではまとまれない。感情という根幹部分で束ねねばならないのが統治の基本。
皇帝は人間が根源的に持つ異種族への警戒心や反感を利用し、それらを束ねて魔族に向けることで人間の団結を保ってきた。
だから皇帝はこの種の詭弁と屁理屈と迷信を尊重せざるをえない。
そしてそれはナプレ大公が付け入る隙となる。
「それこそ無用の心配。
皇家はピエトロの丘にて教皇より直々の祝福を得しこと、常々より民に知らしめている。
魔王の呪いごとき、容易く弾き返しておる。
なればこそ、余はいまだ健在なのだ」
《その布告、民へは届いておらぬのではありませんかな?
なればこそヴェネトの騒乱は起きたのでしょう》
無表情ながらも一瞬言葉に詰まる皇帝。
ナプレ公国はピエトロの丘より遙か南。東部戦線のヴェネトからはさらに遠い。
そこで今朝に起きた軍と信徒の衝突を既に知っていることに驚きを隠しきれない。
皇国全土を結ぶ通信回線は二種類。教会のマルアハの鏡と軍の通信。
マルアハの鏡自体は一方的に映像を流すだけだが、各教区の中心に置かれ中継基地を兼ねる聖堂なら双方向通信が可能。例えばルヴァンのハッキングではレニャーノ聖堂が利用されている。
つまりナプレ公国にも軍か教会のいずれか、あるいは両方から情報が流れている。軍と民衆の衝突という重大な情報が、皇帝と同じ速さで。
情報統制という皇帝の権力基盤の一つにナプレ公国が食い込んだ証。
皇帝が返答に窮した一瞬に、大公は言葉を滑り込ませた。
《我が父は陛下の覇気に感じ入りナプレ王の位を譲られましたが、さて、そちらの若君にまで王位を譲った覚えはなく。
また、南部諸公も北の地ばかりが工廠の恩恵を受け、南が忘れられている事に不満を唱えております》
「これは異な事を。
余が南を忘れたなどと言われるか?」
《陛下は忘れておりませぬよ。
カゼルタ宮殿をナプレの傍らに置き、年の半分を南で暮らしておいでです。
また、国土を貫く鉄道の敷設には南部諸公一同、感謝の涙を絶やしませぬ。
ですが、これで各地の商人や職人が南に来れるようになった、というのみ。ようやく思い出してもらえた、という有り様。
まだ南の我らは日々困窮にあえいでいるのです》
そう言って大公はぶくぶくと太った指でベッド脇のテーブルに置かれた果物に手を伸ばす。
山のように置かれた果実はどれも瑞々しく、見るだけで唾の出が増すほどだ。
困窮という言葉を使う者には手にすることも出来ない値で売られているだろうことは想像に難くない。
《いかがですかな?
やはり皇国の民は等しく繁栄せねばなりません。
また、北の地を治めるフォルノーヴォ家と南の地を治めるナプレ家が手を携えることを示すことで、民の心も安らぎましょう。
我が父より譲られし宝冠、再びナプレへ戻されては?》
次回、第二十九章第三話
『政戦両略』
2012年5月29日00:00投稿予定




