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 春も終わり、夏へ入ろうという頃。

 京子と裕太が魔界に転移して一年が経とうとしている。

 モンペリエ・ルテティア両爆撃と消失により成層圏まで巻き上がった粉塵は、どうにか大方が地表へ落下した。

 一時的に低下した日照量は回復し、生命は夏の太陽を無事に謳歌できている。

 農作物の減産は多少あるが、飢饉が発生するほどではなかった。

 木々の緑は濃さを増し、日差しは大地を熱して水を雲に変え、雨となって大地を潤し続けている。

 幸運なことに、まだ裕太の懸念した破滅的環境破壊は起きていなかった。

 世界は命に満ちあふれている。


 偶発的ワームホール発生から一年弱。

 春にモンペリエとルテティアが消滅し、魔王軍が半壊してからは数ヶ月。

 状況は大きく変わった。





 インターラーケン山脈南側斜面、神聖フォルノーヴォ皇国領内。

 元々のセドルントンネル皇国側入り口があった山間の地は、名をオルタという。

 それより遙かに山奥、もはや名も無き山林のさらに奥、ほとんど崖という斜面の中程に一本の滝があった。

 別にそれは滝ではなく、本当は新たに作られたセドルン要塞皇国側出入り口。

 しかし今は滝。

 出入り口から大量に流れ出す水が滝となり、崖を削る急流となって斜面を下る。

 多くの人間達を巻き込んで。


「……ぶぐぅおっ! ごぶぁあっ!」「ち、畜生! また最初からかよお!」「うぅおおぅ、ざ、ざっぶい……」「出れたのは……たったこんだけか」「ほぼ全滅だな」


 ずぶ濡れになった男達は、斜面に倒れる仲間達を助け起こし数を数える。

 だが死体となって流れてきた者、出入り口から吐き出されたときに岩に叩きつけられて重傷を負った者、溺れかけて意識を失った者、行方不明者……無事な者は数えるほどしかいない。

 要塞出入り口から大量の水と一緒に吐き出されたのは、皇国軍陸軍兵士。

 セドルン要塞攻略のため突入した彼らは、トンネル内で散々に痛めつけられた挙げ句に、要塞奥の貯水槽から解放された地下水と一緒に外へ放り出されたのだ。

 散々な目に遭った彼らは、フラフラになりながらも仲間を助け起こすのに必死だ。

 だから、彼らと一緒に流れてきたものに気付かなかった。

 時限式の爆弾に。


  ドドドドドンッ!


 斜面一面で爆発が生じる。

 爆弾に含まれていた鉄片が高速で四方八方に飛び散る。

 こうして僅かに無事だった者も死傷者の仲間入りをし、突入部隊は完全に全滅。

 その様子は崖の脇、斜面から突き出した大岩の上に張られた天幕からも見えている。

 双眼鏡を目に当てていた恰幅の良い軍人は、肩章と胸の勲章を震わせながら声を張り上げる。

 腰の軍刀と共にジャラジャラと音を立てる。


「お……おのれ、またしても!」


 腹いせに双眼鏡を岩肌に叩きつける。

 その後ろにいる部下二人も肩を落とす。


「これで第二十七次突入隊も全滅です」

「将軍、これ以上は被害が大きすぎます。

 作戦の変更を」

「ぃやかましいわっ!

 臆病風に吹かれたか!?」


 こめかみに血管を浮かべて背後の部下を怒鳴りつける将軍。

 地団駄を踏み、腕を振り回し、腹の脂肪を震わせる。


「皇国のため戦うに命を惜しむかぁ!」

「い、命は惜しみません。

 ですがこのままでは無為に兵士を失うばかり」

「もっと効果的な作戦を立てるべきと」

「黙れっ!

 穢れた背教徒共が!」


 将軍は軍刀を抜き放ち、切っ先を背後の部下へと向ける。

 向けられた者達は顔を引きつらせ、幾筋もの汗を流す。


「皇帝陛下は寛大にも、貴様らバルトロメイ家ゆかりの者が皇家と皇国への忠義を示す機会を与えて下さったというのに、それに異を唱えるか!?」

「べ、別に異を唱えるわけでは」

「ただ作戦はもっと効率的に」

「口を開くな! 恥知らず共め。

 やはり命惜しさに魔族へ尻尾を振る主に仕える者は、同じく賤しい臆病者揃いだな。

 もしや、トンネルの奥で魔物共に平伏しているのではあるまいな?

 いや、でなくては神の加護を受け精強を誇る皇国兵ともあろうものが、こうも惨めに敗北を重ねることなどありはしまい!」


 将軍の言葉に部下達は口を閉ざす。

 固く唇を真一文字に結び、将軍の罵声を浴び続ける。

 もはや反論の一切も無駄と悟り、ただ将軍の良く動く舌を睨み続ける。

 いつまでも続くかと思えた将軍の罵声も、ようやく終わりとなった。


「分かったな!?

 お前らに転進などという文字はない。ただ前進せよ。魔族と戦って死ね。最後の一兵までだ!

 それこそが皇国と皇家への忠義を示す唯一の手段と知れっ!」

「……承知しました」

「それでは、我らも突撃部隊に加わり先陣を切りたいと思います」

「よし、良く言った!

 立派に戦って死ね。それでこそ汚名を返上できるというものだ!」


 そういうわけで、バルトロメイ家ゆかりの士官であったため捨て駒にされるという不遇の地位にあった士官達は天幕を離れ前線の部隊へと向かう。

 足場の悪い斜面を歩きながら、二人は大岩の上に張られた天幕を肩越しに見上げた。


「……死んでこい、だとさ。

 皇国のために、ねえ」

「自分の手柄のためだろ。

 こんな寒くて息苦しい山奥から、さっさと逃げ出したいのはお前だろうが」


 二人の天幕を見上げる視線は冷たい。

 その足取りも、足場の悪さという以上に重く遅い。


「聞いたか? 魔力炉の噂」

「ああ、どうやらマジらしいな。

 魔力炉がレニャーノ近くで橋から落ちて壊れたとき、本当に中から子供が見つかったらしいぞ」

「その後だけどな、すぐに軍が駆けつけて周囲を封鎖したはいいが、そいつらまとめて子供の暴走に巻き込まれて死んだそうだ」

「ホントかよ!?」


 思わず声を上げてしまった士官は、慌てて口を塞ぎ周囲を見る。

 天幕と前線の部隊との間には何人かの見張りの兵士が立ってはいるが、今は近くには見えない。

 そのまま足を止め声を潜めて話し込む。


「となると……シルヴァーナ姫の噂も本当か」

「あれか?

 ウチの大旦那がインターラーケン浄化作戦のとき、魔力炉にされた姫を発見して救出したっていう。

 そのまま皇国に帰ったら、また狂乱豚に狙われるから、泣く泣く降伏し姫を胸に抱いて、魔王へ命と引き替えに姫の助命嘆願したって」

「だろうなあ」


 シルヴァーナの話は、既に皇国中に広まっていた。

 なにしろマルアハの鏡のハッキングにより魔力炉の名もシルヴァーナの存在も明らかとされてしまったから。

 即座に皇帝の名で「皇太子は邪術で洗脳された」と情報操作が試みられたものの、やはり完全に真実を覆い隠すのは不可能。

 さらには元皇国兵達による、魔力炉を破壊し内部の子供達を公にするという破壊活動により、魔力炉の真実も広まり始めている。

 皇家とナプレ家の確執は誰もが知る宮廷の醜聞であり火種。シルヴァーナのような隠し子が居ることに何ら不思議もない。

 人の噂も七十五日というが、この噂は消えそうにない。



 なお、バルトロメイは皇国が真実を隠蔽しようとしているのをいいことに、自分の所行について非常に美化し捏造して流布していた。

 実際には、バルトロメイはシルヴァーナの存在なんか知らなかったし、降伏し魔界に亡命したのは命が惜しかったから。

 元皇国兵の間者達は、この情報操作内容に呆れはしたが、皇国内で流布するには色々と好都合な内容。なので、そのまま流布することにした。

 あたかもエンツォ・セレーニ=バルトロメイと元皇国兵達に正義があり、姫は運命に翻弄される悲劇の皇女であり、魔界に亡命した者達こそが忠義の志士であるかのようだから。


 何も知らない皇国臣民。騙すのが容易いのは皇国にとってだけではない。

 誰しもが求める英雄像、悲劇の物語、運命に立ち向かう健気な姫、そして奇跡の大逆転。大衆が求める無邪気でお目出度い幻想物語。

 最後は「めでたしめでたし」で終わる、子供向けなほどに単純な正義を信じさせてくれるお伽話。

 今まで皇国だけが与えていた臣民への娯楽を、魔界からも与えたのだ。

 効果は覿面てきめん

 教会の語る綺麗事に飽き飽きし、皇国の厳しい締め付けに息苦しい思いをしていた人々が飛びついた。

 あっと言う間に街の辻で楽士が歌い、安酒場で大衆演劇となり、絵物語として刷り上げられた。

 もちろん官憲は必死で取り締まるが、イタチごっこでありモグラ叩き。人の口に戸は立てられない。

 皇国は情報操作という無駄な苦労のために更なる出費と苦労を強いられる。必死で否定すればするほどに真実味が増すというのに。



 というわけで、その噂は士官二人も知っていた。

 いや、バルトロメイ家ゆかりの士官ともなれば、知らぬはずがない。むしろ積極的に噂を集めて回っていた。


「噂が本当ってことは、魔界が地獄ってのも嘘だわなあ……」

「だな。

 となるとシルヴァーナ姫は魔界で魔王の幼妻やってるってわけか」

「うちの大旦那、姫様の腹心として良い生活してるんだろうよ。

 で、魔王の威を借り姫を祭り上げて皇国を自分のものに、か」

「あの大旦那様が、ねえ。

 相変わらず小器用で小回りが効く方だな」


 大旦那、と呼ぶエンツォ・セレーニ=バルトロメイの姿を思い浮かべる。

 二人はバルトロメイ家に仕える下級貴族の出で、主のコネで陸軍士官学校に入学し士官となった。

 だから当然ながら、肥満体でお姉口調な主の姿をよく知っている。

 見た目こそ気持ち悪いが、料理人達を抱える大貴族なのに料理が趣味という変わった主だったが、気配りが上手で親しみやすい方だった。

 己の職責には手を抜くことが無く、礼拝にも欠かさず参列し、忠義と信仰心に偽りがあったとは思わない。

 その主が、意味もなく皇国を裏切るか、人間を害しようとするか……と。

 この辺はかなり記憶が美化されているものの、ともかく彼らの主が悪人ではなかったことは間違いない、と覚えている。

 ゆえに、皇国と魔界、皇帝と魔王、元主と今の上司、どちらが正しいだろうかと考え込む。


「……まあ、それはそれとして、今は部隊の連中のところへ行こう」

「そうだな、それに急いだ方が良さそうだ」

「ん?

 そんなに慌てなくても良いだろ。穴も兵共も逃げやしないさ。

 死に花はゆっくり咲かそうや」

「いや、そういうことじゃなくてな」


 片方の士官が足下を見る。

 つられてもう一人も足下を見る。

 そこには、小さな水の流れがあった。

 よく見れば、湧き水がそこら中から流れ出しているらしい。

 小さな流れは下流に行くほど集まり、渓流となる。土を洗い流し、岩を押すようになる。

 彼らが居る場所でも、既にかなり土が水に抉られているようだ。

 同時に、細かな振動が足下から生じている気がする。


 二人は視線を上げ、お互いを見る。

 小さく頷き、足場の悪い斜面でありながら一目散に前線の部隊へと駆け出す。

 その間にも振動は大きくなり、土がずるずると重力に引かれて斜面を下り始める。

 どうにか前線の部隊にたどり着いた二人は、兵達への挨拶や指示もそこそこに、後ろを振り返った。

 天幕が乗る大岩を。


「……なあ」

「なんだよ」

「教えてやるべきかな?」

「死を恐れちゃだめなんだろ?」

「臆病者は皇国に要らないって言ってたっけ」

「ああ、転進は許されないらしいぞ」

「それじゃしょうがないな」

「うん、しょうがない」


  ズズズ……。


 山を揺らす地震が起きた。

 それは天幕が張られた大岩が斜面から落ちる極地地震。山崩れ。

 セドルン要塞から地下水が流され続けた斜面は、すっかり土砂を削られ痩せ細っていたのだ。

 よって大岩を支えきれなくなった。


 山を揺らしながら岩が転げ落ちていく。

 まばらな樹木をなぎ倒し、谷底へ天幕もろとも真っ逆さま。

 将軍の悲鳴が聞こえたような気がしたが、多分気のせいだろうと思うことにした。



 地響きと共に大岩は谷底へ落ちた。

 士官二人は前線の部下達、士官二人と同じバルトロメイ領出身であるため死地へ赴かされた兵達を率いて、一応は捜索をする。

 だが将軍の死体は土砂に埋もれているらしく、僅かに肩章の破片が確認出来ただけだった。

 セドルン要塞突撃隊指揮官殿は名誉の戦死を遂げた、ということにして全員で敬礼と黙祷。

 で、士官二人は再び顔を向けあって溜め息。


「で、どうすっかなあ?」

「どうするって言われても……俺たちゃ麓に帰っても、また前線送りだぜ、死ぬまで。

 しかも無駄死に決定の特攻作戦だ」

「だからって、このまま山に籠もるわけにもいかねえし」

「あの……」


 その時、二人の横から兵士の一人、素朴そうな中年男がおずおずと声をかけた。

 兵士は気まずそうに、だが意を決して二人に近寄る。

 胸元から封筒を取りだし、二人に差し出す。


「なんだ、これ?」

「そのぉ……実は、ここに来る前に酒場で大旦那様から預かったんで」

「お、大旦那様から!?」「直接にかっ!?」

「へ、へえ……。

 大旦那様は、見る影もなく痩せ細られて、ちょっと見では別人かと思うほどでして。

 これをお二人に渡してくれって……」

「な、何故に今まで黙ってた!」

「へいっ! す、すんません!

 だ、だども、大旦那様は魔王に魂を売った裏切り者で背教徒だと言われてたで。

 その穢れたって大旦那様に触れたおいらも穢れたとか言われッと困っし……どうすんべかと」


 二人は兵士の言い訳は聞き流し、急いで封筒を開ける。

 そこには二人宛に書かれたバルトロメイ直筆の手紙が入っていた。

 内容は魔王誕生の事情、魔界の真実、魔力炉、シルヴァーナといった噂話が真実であるということ。そして、是非二人に直接会って話をしたい、というものだった。

 手紙の最後には連絡方法も記されている。

 二人は声を潜める。


「……どうする?」

「どうするって言われても」

「俺は……大旦那様を信じてみたい」

「そりゃ、俺も信じたいが、しかし……」

「お前に付き合えなんて言わないさ。

 でも、俺は大旦那様の口から直接聞きたいんだ。

 インターラーケンで何があったのか。今まで魔界でどうしていたのか。

 どうか、大旦那様に会うのだけは見逃してくれ!」

「……わーったよ。

 俺は兵達連れて、しばらくこの辺で生き残りを捜してるから。

 早いウチに戻ってこいよ」

「すまん!

 もし三日経っても戻らなかったら、俺のことは死んだと思って山を下りてくれ」



 こうして士官の一人は部隊を去り、残りは山崩れの生き残り捜索に戻った。

 四日後、突撃隊からの連絡が絶えたことを不審に思った麓の駐屯地から、小隊が斥候兼連絡として幾人かが登山してきた。

 だがそこには、大岩に潰された司令部と戦死した兵達の骸と墓が並んでいるだけで、生き残りは誰もいなかった。

 士官二人が率いる生き残りの前線部隊は、影も形もない。


 結局、小隊は突撃隊が山崩れに巻き込まれ、残りは戦闘で全滅したと報告した。





 さすがに軍からの脱走という極端な事例は他にないが、皇国各地で様々な事故や混乱が頻発していた。

 鉄道や橋の破壊、怪文書、最下位のアンクへの情報書換、etc。

 情報操作による民衆支配を行ってきた皇国は、同じく情報操作と事実の暴露によって内部から蝕まれていく。


次回、第二十九章第二話


『皇家と公家』


2012年5月28日00:00投稿予定

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