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情報戦

 インターラーケン領。

 地球ではアルプス山脈に相当する巨大山脈。

 アルプスと異なるのは、その中にクレーターが盆地となって存在していること。

 数千年前に古代文明が起こした最終戦争によって生み出された盆地は、今では妖精達の楽園となっている。

 このクレーターが出来た際に吹き飛ばされた土砂が周囲に降り積もった。そのため魔界のインターラーケン領首都ジュネヴラは地球のスイス首都ジュネーブより、平均して数百メートルほど標高が高い。

 また、山脈全体の標高も地球のアルプスより少し高くなっている。


 あまりの標高の高さから昔は立ち入りが困難を極め、長く魔界と皇国の国境となってきた。

 現在では魔界が開発した高々度飛翔機による往来が可能となっている。

 この高々度飛翔機は従来の飛翔機とは異なり、機内を与圧することで搭乗者を薄い空気と寒さから守った。

 ただ、皇国側も高々度からの侵入は予想しており、予め地対空マジックアローを配備していた。このため高々度飛翔機による侵入を試みた者達は撃墜され、皇国内に遭難することとなった。

 よって、山脈上空の往来自体は可能なのだが、魔界は再度の高々度からの侵入を試みてはいない。


 山脈を通過する別の方法として、セドルン要塞がある。

 インターラーケン浄化作戦、という名の奇襲作戦を実行した皇国軍は、アルプス山脈を貫く全長13万ヤード(120km)にも及ぶトンネル、セドルントンネルを構築した。

 だが奇襲は失敗、セドルントンネルと皇国の高い技術によって製造された兵器機材は魔界に奪われる。

 このトンネルは拡張と改造が繰り返され、今では巨大地下要塞と化している。

 皇国北部領土へ秘密裏に侵入する地下道が網の目のごとく張り巡らされ、公国領内への侵入を可能としていた。


 セドルン要塞を利用し、元皇国兵士達も魔王軍として参戦していた。

 彼らはインターラーケン奇襲作戦に失敗し捕虜となった兵士達だ。

 寛大な魔王や活気に満ちた魔界を目の当たりにし、魔界は地獄ではなく魔族も穢れたり呪われたりしていないという事実に気付いた。

 魔界と皇国の和平を、という魔王の理想に賛同し、皇国内での活動を担っていた。

 同じ人間を殺すことは酷であろうという配慮から、直接戦闘にならない活動を主としている。 

 例えば魔力炉に関する事実を広める。

 ピエトロの丘で勇者に襲われた教皇を救出する。

 そして、通信基地に細工を加えるなど。



 神聖フォルノーヴォ皇国北部、レニャーノ。

 皇国北方領の中心に位置するこの地には、北方領全域の教会に置かれるマルアハの鏡へピエトロの丘からの放送を中継する通信施設が存在した。

 教会の祭儀として行われる通信であるため、通信施設も教会が管理する。

 よって、この地の通信中継施設もレニャーノ大聖堂の中にあった。


 軍と教会は表向き不干渉との立場を貫く。そのため教会に軍が踏み入ることは、信者として祭儀に参列する以外には許されない。

 皇帝はこの名目を守るため、教会に駆けつけた軍人達は教会裏口のドアをノックするよう指示された。

 腰に軍刀を帯びた軍人の手荒くしつこいノックに答えてドアを開けたのは侍者じしゃの少年。

 よほど大慌てで飛んできたらしい少年は、汗を光らせながら軍人達を招き入れて司教のもとへと案内する。

 するとそこには騒然とした信者達と、混乱し右往左往する司教司祭達の姿があった。

 魔界からの映像はとっくに放映し終わっていた。

 皇国の国是と教会の教義と皇家の権威を打ち砕く内容が、なぜにわざわざピエトロの丘から予告も無しに放送されてきたのか、説明が不可能に過ぎて対処不能に陥っていたのだ。


 軍人達は「静粛に! 静粛に!」と大声で怒鳴り、駆け寄る司祭達を押し退けて祭壇の前に立つ。

 人々を前にし、胸元からうやうやしく取り出した紙を広げる。

 そして、高らかに読み上げた。


「臣民へ告ぐ!

 余は神聖フォルノーヴォ皇国初代皇帝アダルベルトである。

 此度は、我が愛しき子らに悲しむべき事実を告げねばならぬ。

 皇国艦隊レジーア・マリーナを率い魔王討伐と魔界浄化に向かったリナルドは、激闘の末に魔界の多くを浄化した!

 先の映像にあった荒野は、リナルドが腐臭を放つ魔界を清浄なる炎で清めた結果である!

 そして、魔王を討ち果たすべく魔族の巣窟へ突撃した!」


 途端に、先ほど以上の騒然とした空気が聖堂を満たす。

 魔王を倒したのか、なんと素晴らしい、あれ……でもリナルド殿下って映ってたな、なんか愛人の娘がどうとかって……という疑問の声も上がる。

 祭壇をバンバン叩いて民を静かにさせた軍人は、胸を張って続きを読み上げた。


「だが!

 悪辣なる魔王はリナルドの聖なる刃を逃れ、全ての力を失いつつも地獄の底へ舞い戻ることを免れたものである!

 天界への階段を登らんとしていたリナルドを邪法により地上へ呼び戻した!

 先の映像のリナルドは、もはや皇太子としてのリナルドではない!

 皇子としての全てを奪われ穢され、魔王の傀儡くぐつと成り果てた憐れな遺骸に過ぎない!」


 その発表に悲鳴が上がる。

 男達は怒声をあげ、女達は気絶し、老人は祈りの詞を上げ、子供達は泣き叫ぶ。

 なんということだ、それであんな無様な姿を晒していたのか、しかもあんなにも戒めを受けて、おいたわしや、という声が聞こえてくる。

 軍人は、もはや人々の悲嘆の声を止めようとはせず、より大きな声を張り上げた。


「皇太子としての矜持も知性も奪われたが、それでも残された聖なる力をもって自害を試みた!

 だがそれすらも魔王に阻止され、かような戒めを受け、心狂わされたものである!

 臣民達よ!

 余は臣民へ命じるものである!

 憐れなる我が皇子に安らぎを与えたもう!

 おぞましき魔族に死をあたえたもう!

 新たなる戦いは間近に……」


 そんな感動的演説をしている祭壇の上方、マルアハの鏡のさらに上。

 クーポラ(ドーム状の天蓋)横にある教会最上階に、残りの軍人達と司教達の姿がある。

 各種操作盤を操り、宝玉を調べていた軍人は、そのうち一つの宝玉を取り外して拡大鏡で観察する。

 そして驚きに満ちた声で叫んだ。


「これは……工廠のものじゃない。

 すり替えられている!」


 その言葉に司教達は仰天する。

 宝玉がすり替えられた事態について、責任の所在を明らかにしようとする。


「いったい、いつの間に!?

 誰の仕業だ!」

「いえ、夜中は誰もいないのですから、誰でもすり替えれると思います」 

「な、なぜ誰もいないんだ!?

 こんな重要な場所なのに!」

「なぜも何も、いままで教会に忍び込んでマルアハの鏡を触ろうとした不届き者、というか変わり者なんていなかったからでしょう。

 普通は金目の物を盗むでしょうから、そういうものは大事に地下倉庫へ仕舞ってありますが」

「まさか、通信中継機を狙うなんて……つまり、この地に魔族がいるということじゃないか!」



 そんな大騒ぎの教会を、遠くから眺める者達がいる。

 山の上に身を隠す彼らは、みるからに屈強な肉体を地味な服装で隠している。

 目に当てた望遠鏡で、街の中心にある教会を視界に収めていた。


「上手く行ったか?」

「さあな。

 夜に酒場で確かめるとしようか」

「ふふん、一般の臣民は適当な嘘八百で誤魔化せるだろうが、捕虜の娘達を見た金持ち連中はどうかな?」

「特に皇位継承権を持つ奴らがどうするか……ひひひ、楽しみだぜ」


 極上のいたずらを成功させた悪ガキのように、人の悪い笑みを浮かべる元皇国兵達。

 彼らは望遠鏡を手早く収め、山の奥へと消えていった。





 場所は戻ってインターラーケン山脈地下セドルン要塞。

 網の目の如く掘り抜かれた地下空間の一室、薄暗いライトの下にトゥーンの姿があった。

 その右にはクレメンタイン妃が立ち、左にはリア妃が妖精の羽を輝かせながら浮いている。

 トゥーンが手にしているのは紙の束。その内容を食い入るように読んでいる王子と妃達。

 読み終えた彼は、立ち上がって両手を握りしめた。


「……上手く行ったぜ!」

「大成功だわぁ!

 やりましたねぇ、トゥーン様ぁ!」


 リア妃は夫の首に抱きついてはしゃいでいる。

 クレメンタイン妃も満足げに大きく頷いた。


「国教会祭儀内容書換計画、第一段階は終了です。

 ですが、皇国も敵ながら見事。

 慌てて教会に踏み込んだり鏡を破壊したりせず、放送を終えてから内容を一部真実と認めた上で、逆に戦意高揚に利用するとは。

 おまけに容赦なく皇太子までも見捨てました。

 皇帝の冷静さと冷徹さには、いっそ感服しますな」


 クレメンタインも冷静に皇国の動きを分析し、賞賛も加える。

 エルフの妃の言葉にトゥーンも笑みを隠し真顔に戻る。


「このくらいは予想通りだ。

 さて、次からが本番だ。間者共を使って皇国全土に真実を撒き散らすぜ」

「戦いは奇をもって勝つ、です。

 セドルン要塞からも小部隊による奇襲を開始しましょう。

 奴らを山に誘い、終わり無き消耗戦に引きずり込んでやりますぞ!」

「よぉーっしぃ、やっちゃうわよぉー!」


 コンコン、と軽いノックの音。

 扉を開けて入ってきたのは、侍女の妖精を伴っているのに同じく侍女にしか見えない第三妃のパオラ。


「トゥーン様、連れてきただよー」

「おう、入れ入れ」


 相変わらずメイド服が似合うソバカスの少女は、後ろに一人の人間を伴っている。

 それは鼻の下にカイゼル髭を左右に延ばし、黒の燕尾服を着込み、足が悪いわけでもないのに手に持つ杖をコツコツと床で打ち鳴らす男。

 いかにも紳士然とした男は深々と頭を下げた。


「お久しぶりですわねえ、トゥーン様。

 ご機嫌麗しゅう御座います」

「おめーは……すっかり痩せたな、バルトロメイ」

「ええ、冬の監獄は辛かったですわ。

 これだけ痩せれば皇国に戻っても、家族すら私だと気付かないでしょうね」


 中途半端に甲高い声で、お姉口調の男。

 元皇国軍少将にしてモン・トンブ監獄の囚人だったはずのエンツォ・セレーニ=バルトロメイ。

 彼はルテティア消滅直後、魔王の命で刑の執行を中断され、ジュネヴラに召喚されていた。そして刑罰を監獄での懲役刑から労役刑へと変更された。

 差し入れは沢山受け取っていたはずだが、さすがに北の海上にある監獄での生活は辛かったのだろう。

 脂肪がそげ落ち、どちらかというと健康的に引き締まってしまった。


「良く出てこれたなあ、オヤジを殺そうとしたくせによ」

「それは言わないで下さいな。

 ちゃんとフェティダ姫婚儀に基づく恩赦を受けてますわよ。

 でも陛下は高等法院の判事達を説き伏せるのに、相当の苦労をなさったそうですわ」

「なら苦労の礼は払ってもらうぞ。

 早速行ってもらうぜ」

「ええ、任務は承知していますわ。

 故郷へ戻り、家族と元家臣達を集めて、魔界の真実と皇国の悪行を宣伝してあげますとも!」

「頼むぜ。

 反乱を起こせとまではいわねーから、無理はすんなよ。

 だが成功すれば、おめーの罪はチャラだ。

 いや、貴族への返り咲きも夢じゃねーぞ」

「任せて下さいな!

 石を投げられているだろう家族と家臣達を救うため、陛下へのご恩を返すため。

 必ず皇国に一泡吹かせて見せますわ!」


 言うが早いかバルトロメイは再度一礼し、部屋を後にする。



 セドルン要塞の兵達も動き出す。

 出撃の命を受けたゴブリン、オーク、妖精といった小柄な兵達が細い坑道をすり抜けていく。

 岩陰や倒木に隠れた小さな出入り口の扉を開き、小火器を片手に出撃していく。

 目標はヴォーバン要塞跡地横の街道を往来する皇国陸軍の小部隊。

 夜陰と木陰に隠れて進み、街道に罠を仕掛け、本隊から離れた迂闊者から順に静かに仕留めていくのだ。

 気付かれ追っ手がかかれば即座に撤退、目立たない上に人間では通れない狭い穴に逃げ込む。

 そしてすぐ別の穴から飛び出して、追っ手を背後から襲い、また坑道に逃げ込む……ヒットアンドアゥエイを延々と繰り返す。


 エルフはおろか、巨人が通れるような大型出入り口も山奥にあえて用意してある。

 もちろん山奥まで登山するだけで大変な労力を必要とし、登山してくる間にも奇襲を繰り返す。

 そんな疲弊した状態で出入り口に入れば、袋のネズミ。

 疲弊していなくても暗く奥深い通路に足を踏み入れれば全滅は決定だが。


 対皇国戦は大規模な野戦や華やかな空中戦から、山間部でのゲリラ戦と皇国内での情報戦へと移行する。

 戦いは、新たな段階へ入った。


戦いは激しさを増す、その姿も変わる。


京子と裕太の二人から生じた歴史の変化は、最初は小さなものだった。


だが今や世界の行く末を決めるほどの巨大な渦を生み出すに至った。



次回、第二十九章『ピエトロの丘』、第一話


『蝕』


2012年5月27日00:00投稿予定

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