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謀(はかりごと)は密(みつ)なるをもって良しとす?

 両脇を抱えられて引きずられるクラウディア。

 ヒステリックな悲鳴を上げ続ける狂乱豚に誰も、言葉も目もくれようとはしない。

 皇太子の妃を蹴り飛ばした皇帝は、彼女に引き倒されていた侍女頭の傍らに膝を付いている。


「大丈夫か?」

「は、はい……陛下御自らのお気遣い、光栄に存じます」

「気にするな」


 皇帝の恩情は皇太子妃ではなく侍女頭へと向けられた。

 侍女頭を助け起こし、侍従などの側近達を集め円陣を組む。

 乱れた髪を直す侍女頭へ改めて話しかける。


「クラウディアの処遇だが」

 途端に侍女頭は青ざめ床に跪く。


「どうぞクラウディア様をお許し下さい!

 こ、今回のことは、その、わ、私の独断で御座います!

 全ての責は私一人に!

 で、ですから、その、ほ、他の者には……」


 狂乱豚といえど皇太子妃、そして自分はその侍女頭。

 両者の運命は共同体。いや、クラウディアが破滅すればナプレ公国全体に類が及ぶ。

 自分の頭を掴んで引きずり倒し責をなすりつけようとした相手を、必死に擁護弁護する。

 が、皇帝の視線は冷たくなっていく。


「余に偽りを語るか?」

「……も、申し訳御座いません!」

「心配するな。

 罪無き者を責めはせんよ。

 だが偽りを語ることは新たな罪と心得よ」

「ぎ、御意」


 かくして侍女頭は語った。

 リナルドの寵愛を受ける愛人と娘に嫉妬し、娼館を襲わせ皆殺しを謀り、生き延び孤児院に隠れた娘を捕らえて魔力炉に送り込んだ、と。

 これらの事実は隠蔽された。クラウディアとナプレ公国からの圧力で。

 皇帝をはじめとした側近達は、そろって深い溜め息をついて顔を覆う。


「リナルドめ……何故に余に相談せぬのか」


 深い深い溜め息をつく皇帝。

 ボナンノ副参謀長は、非常に言いにくそうにしながら説明する。


「その……恐れながら。

 陛下と同じく、リナルド殿下は何も知りませぬ」

「なんだと?」


 じろり、という音がしそうな視線が周囲から副参謀長へ向けられる。

 冷や汗をかくボナンノだが、それでも怯まず説明を続ける。


「クラウディア様の娼館襲撃については、参謀本部でも把握しておりました。

 ですが、なにしろ娼館の平民出に過ぎぬ娼婦でございますから。

 いかな皇太子殿下が目をかけておいでとはいえ、公国との余計な確執を生んでまで襲撃を阻止する価値は無しと判断しました」

「その件は報告を受けた。そこから先は?」

「追加報告通り、ちゃんと兵を向かわせ、シルヴァーナ姫のみですが秘密裏に救出しました。

 盗賊団の襲撃で娼館は姫も含めて全滅と隠蔽した後、孤児院へ隠したのです。

 姫救出の件は極秘裏にアレッシア参謀長から殿下へ伝えてあります」

「その後は?」

「機密扱いです。

 こちらにも火災で孤児院が焼け落ち、シルヴァーナ姫も巻き込まれた、としか報告は来ておりません」

「魔力炉に入れられたということは、工廠……工廠長か」

「恐らく。

 参謀本部といえど、工廠のことは分かりかねます」


 どこから嗅ぎつけたか、シルヴァーナの生存を知ったクラウディアは工廠長を使って始末を謀ったのだろう。

 工廠も参謀本部も軍事機密の塊。ゆえに指揮も情報も全く別。

 参謀本部の政治的配慮を、工廠は全く知らなかったのだ。

 軍組織特有の縦割りが起こす弊害。


 再び溜め息をつく皇帝。

 だが工廠長を責める言葉は口にしない。

 次期皇帝として立太子の儀も済ませたリナルドの妃たるクラウディア。その妃へ媚を売るなという方が無理だから。

 しかも皇帝直系の姫とはいえ、所詮は平民。めかけの娘。

 名も無き妾の子など皇国内にいくらでもいる。貴族の子弟の中で娼館に通ったことがないものが何人いるか? 愛人がいないと言えるか?

 第一、皇帝の血を引く者は多いのだ。その全てが間近に迫った皇位継承に目の色を変えている。これ以上皇位継承権者を増やしても混乱が増すだけ。

 いや、その存在を明らかにすればクラウディアだけでなく他の継承権者からも暗殺されかねない。

 ゆえに死亡を偽装し全てを隠蔽しようと試みた参謀本部の判断は、皇帝やリナルドの直系の血筋を守ろうとしたことになる。

 成功していれば賞賛に値したろう。

 工廠長にしても、シルヴァーナの出生を知っていたとは思えない。いや、先の映像を見て何の反応もしないところを見ると、名前や顔すら知らなかったのだろう。単にクラウディアに頼まれた、というだけか。

 それら全てが理解出来るから、誰も感情的に責めることは出来ないから、ただ溜め息をつくのみ。

 そんな苦悩深き皇帝へ、侍従長の老人が囁くように語りかける。


「陛下、リナルド殿下を捕らえられた今、ナプレ公国との確執は避けねばなりません。

 もはや殿下を次期皇帝になし得ぬ以上、他の姫様達が」

「……分かっている。

 狂乱豚の出来損ないなど押し立てるとは思わぬが、誰の後ろに立つやら」

「いっそ出来損ないを……失礼、ガストーネ様を推して、その後ろから操ることも」

「あり得るな。

 となると狂乱豚は……」

「……事は謎が多う御座います。

 また、ここはナプレ公国に接しておりますので、すぐ大公の耳に入りましょう。

 処するには時期尚早かと」

「そうだな。

 取り敢えず、病に伏せていることにして隠しておけ」

「御意」


 皇帝と侍従長の視線が横にずれる。

 その先にいた侍女頭は、恐縮して平伏し、主を追って礼拝堂を後にした。

 次に皇帝の目は副参謀長へ戻る。


「……参謀本部はシルヴァーナの件を把握仕切れていなかったことになるな」

「返す言葉も御座いません」

「いや、お前達の力が足らぬとは言えぬ。

 それにクラウディアの度重なる暴走を余が知れば、皇家とナプレ公国の確執は決定的になったやもしれん。めかけの孫娘一人とは比べられぬ。

 国を割ることを防ぐことを優先せねば」

「厚き温情に感謝致します」

はかりごとは密なるをもって良しとする。お前達を責めはせぬ。

 だが、もはや明らかとされてしまった。

 今より全てを調査し報告せよ」

「承知致しました」


 副参謀長も深々と礼をして礼拝堂を後にした。

 結局、皇帝はクラウディアが責を侍女頭に押しつけようとした事に激怒し足蹴にした以外、シルヴァーナの件について誰も責を問わなかった。

 これほどの大失態が、皇国を危機に陥れたにもかかわらず。

 むしろ楽しげな様子で、いまだに結婚式の様子を映し出す鏡を見上げている。


「……それにしても、魔族と人間族の結婚式……それもシルヴァーナと魔王の娘との結婚式と来るとはな……む?

 魔王、と魔王の娘?」

「陛下、あの魔王……違いますぞ!」


 侍従長が叫んだ通り、新郎たる魔王として紹介された人物は、彼らが知る魔王ではなかった。

 若かりし頃より皇帝が戦い続けた魔王は、外見としては既に老人の人間。

 だが今、鏡に魔王と紹介されたのは、極めて若い人間族の男性にしか見えない。十代後半で黒目黒髪、どうみてもパラティーノの民の若者。

 そういえば、鏡の中で娘達が「新たなる魔王」と紹介していた。


「何だ、あいつは?

 新しい魔王だと……では、魔王が代替わりしたというのか!?」

「新魔王ですと? て、あ!

 陛下! あの若者、ルテティア攻略前に報告のあった、例の!」

「なに……なんと!?

 あいつは! パリシイ島で勇者と戦ったという奴だ! 

 一切の魔力を消すという魔族……まさか、あれが新魔王だったと言うのか!?」

「艦隊より送られてきた、失敗作のベウルがまとっていたという布……あんな性質を持った生物がいるのかと思っていましたが……。

 まさかそれが魔王とは……」


 皇国艦隊が裕太を回収したとき、その報告とベウルが着用していたマントの断片が皇国に送られている。

 いまだ研究を始めたばかりの皇国では、抗魔結界によってあらゆる探知系魔法まで消される地球の物質の調査は、全く進んでいない。

 それでも裕太の顔だけは報告により見知っていた。

 彼と握手する老人の顔にいたっては、数十年も剣を交えた敵ゆえよく知っていた。


「あ……見て下さい!

 今、あの若者の手を取っている老人……あれは、魔王です!」

「何?」


 侍従長の指さす先では、新郎の裕太とシルヴァーナとフェティダを順番に抱き締めて祝福する魔王がいる。

 いまだ髪は白いままだが、笑顔には生気が満ち、どうにか自分の足で立っている。

 ある程度は回復したようだ。


「確かに、あの顔立ちは魔王。

 だが青い髪や髭が、白い……白髪?

 もしや、魔力を全て失ったな!」

「恐らく。

 リナルド殿下率いる皇国艦隊との戦いで力を使い果たしたのでしょう」

「よしっ!

 リナルド、お前の犠牲は無駄ではなかったぞ!」

「全くです!

 ですが、それにしても新魔王という若者……妙ですな。

 魔王一族の王子を僭称する失敗作共にはいなかったはずですが」

「一体……誰だ?

 何者だ?」


 皇国に政治的大打撃を与えたが、皇帝は速やかに新たな情報を読み取っていく。

 侍従長へ向き直り、新たな指示を出した。


「この映像、大聖堂のアンクに情報が全て記録されているな」

「祭儀内容を書き換えられたなら、その分は大聖堂のアンクに全てあるはずです」

「全情報を参謀本部に送れ。

 陸軍空軍の全将軍を集めよ。工廠も、教皇と枢機卿団もだ。

 この映像を細部に至るまで解析し、新たなる軍略を構築する」

「承知致しました。

 諸公への招集はいかが致しますか?」

「とりあえず北部諸公はピエトロの丘へ集めろ。南部諸公はこの宮殿へ。

 詳細はまだ伝えずとも良い。余の口から直接語ろう」

「御意」


 侍従長も指示を伝えるため、幾人かの侍女侍従を連れて礼拝堂を後にしようとする。

 だが皇帝は礼拝堂を出ようとはせず、鏡を見上げ続けている。

 その姿に侍従長は足を止める。


「陛下はいかがされますか?」

「この映像を見てから上へ行く。

 しばらくは捨て置け」

「はっ」


 侍従長と数名が礼拝堂を静かに後にし、残るのは皇帝と数名の傍仕えの中年女性と老女み。

 椅子に腰掛け、改めて落ち着いて映像を眺め続ける。

 その様子は、明らかに楽しげであった。


「ふふ……まさか、こういう手でこようとはな。

 小憎らしいことよ。

 リナルドは惜しい、シルヴァーナも快活で利発そうな娘だが、やむを得まい」


 楽しそうに笑っていた皇帝は、口を手で覆う。

 背を丸め、肩を震わせる。

 手の隙間から漏れてくるのは、確かに笑い声。

 くくく……、と押し殺した笑いだ。


「く、くくくっ! だが、甘い。

 なんとも甘いぞ……反吐が出るわ!

 相変わらずの甘さだな、魔王!

 そんなことで戦に勝てるものか!」


 もはや手の隙間から漏れる哄笑を抑え込むことも出来ず、口ではなく腹を押さえている。

 腹を抱えて爆笑する皇帝の周りで、侍女達もホホホ……、フフフッ、と楽しげに笑っている。

 鏡の中の魔族達とは異なり、目出度き婚儀を嘲笑して笑っている。

 そんな皇帝の笑いを知らず、鏡の中ではヴィヴィアナが司会進行を続けていた。


《それでは、これにてルテティア魔王城跡地における簡易人前式は終了いたします。

 魔界主催の正式な結婚式典と披露宴につきましては、後日インターラーケン領ジュネヴラにて執り行われる予定です》

《この映像を見てる皇国の人達も、参列大歓迎だぜ!

 来たいならいつでも言ってくれ。最高級の馬車で送迎してやるからな!

 リナルド皇太子殿下の第一皇女シルヴァーナ姫の門出を祝ってくれよ!》


 イラーリアも笑顔で、かつ挑発的な言葉で皇国からの参列を呼びかける。

 最後にサーラがハープを優しく爪弾く。


《それで、は、本日はこれにて放送を終了致しま、す。

 ご観覧、ありがとう、ございました》


 爽やかな歌声が鏡から流れる。

 吃音のあるしゃべり方とは裏腹に、心に染み入るような澄んだ声。

 ヴィヴィアナとイラーリア、そして多くの魔族のバックコーラスも加わり、皇国のいかなる聖歌隊も赤面し逃げ出すような歌声が響く。


 カゼルタ宮殿の礼拝堂に、皇帝の笑いと元修道女達の歌声が響き続けた。


次回、第二十八章第四話


『情報戦』


2012年5月26日00:00投稿予定

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