カゼルタ宮殿
皇都ナプレ。
その三万ヤード北にあるカゼルタ宮殿。
広大な庭園に囲まれ、その各所には人工の泉や滝が配されている。
ルテティアの魔王城にも匹敵するほど巨大で壮麗な城へは幾つものアーチを描く石の水道橋も伸び、皇都ナプレへの太い街道も引かれている。
が、五階建ての宮殿自体は、四角い。
正面から遠目に見ると意外と四角くて平べったく、素っ気ない。大きめの市庁舎かのように見える。
近寄ると手の込んだ彫刻や装飾が宮殿を飾っているので、皇国の支配者が暮らすに相応しい宮殿だと気付く。
宮殿内部も色取り取りの絵画や大きく透明度の高い窓ガラスが所狭しと埋め尽くし、なるほど優美な宮殿と来訪者に思い知らせる。
この宮殿を建てた人物は、余計な塔や屋根の飾りを付けて無意味に建築費を増大させることを好まなかった。皇帝としての権威を保つため、一応は言い訳程度の大きさと内装を揃えておいただけだった。
そんな華美な装飾を嫌う人物は、華美な食事も嫌うかの如く、目の前に並べられた豪華な昼食に手を付けようとはしない。
太く四角い柱が並ぶ大食堂、そこに置かれた長い食卓には瑞々しい果実と湯気を上げるスープと香ばしいパン、そして繊細に飾られたローストビーフなどが並んでいる。
だが、それらは虚しく冷めていくばかり。
食卓に居並ぶ立派な軍服姿の者達や煌びやかに着飾った紳士淑女達、黒の僧衣に身を包む枢機卿達の、誰も食事に手を付けようとはしない。
居並ぶ面々はそろって陰鬱な顔をして俯いている。
誰も上座に座る人物の顔をまともに見ようとしない。
この場にいる誰よりも陰鬱な顔をした皇帝を前にして、食事に手を付けるなどという配慮のない行為は出来なかった。
神聖フォルノーヴォ皇国初代皇帝アダルベルト。
長い白髪を背中に垂らし、黒い瞳は目の前のパンをぼんやりと見つめている。
宝冠を戴かず、マントも背後の壁にかけ、まるで普通の老人のように見える。
皇帝の右手には太った女が座っているが、陰鬱な皇帝を前にして、外見に反して食事に手を付けようとはしていない。
齢八十にも近い皇帝アダルベルトは、いまだ健在。
背筋は伸び、足腰に衰えはなく、杖もなく確かな足取りで颯爽と歩く姿は皇国の繁栄と安定の象徴がごとき。
その老皇帝の姿にも陰りがあった。
が、それは老いからくるものではなかった。
「……捜索隊からの報告は?」
皇帝が口を開く。
その言葉に、壁際に控えていた軍服姿の一人が弾かれたように敬礼した。
胸を張り、機械的に報告を口にする。
「現在、捜索隊を放ち続けていますが、いまだリナルド皇太子殿下発見の報はありません!
ただ、魔王が生息すると思われる地、ルテティアには巨大な大穴が穿たれているのが確認されています!
そして、その中心には空母カヴールが着陸しているのが確認されています!」
おお……と声が上がる。
伏せられていた顔が上がり、幾人かが腰を浮かせる。
「その空母は、どうなっているのだ!?」「他の艦はどこにいった?」「無事なら、何故に連絡をしないのだ!」「最後の通信も意味が分からんし、もっと詳細を言え!」
周囲からの声に、軍人は報告を続ける。
その内容は、一旦は希望に顔を輝かせた人々を再び落胆させるに十分だった。
「空母カヴールに捜索隊が接近したところ、魔族の飛行兵器に攻撃を受けました!
捜索隊四小隊中、三小隊が全機撃墜され、唯一残った機も中破されています!
空母カヴールは魔族に奪われた模様!
また、その周辺には破壊された残艦艇が墜落していたとの目撃証言があります!」
「なんですってぇっ!?」
皇帝の右から女の声が響く。
それは醜く太った体を、一際豪奢に飾り立てた女。
真っ赤なドレスは目に毒々しく、分厚い化粧は白粉がパラパラと落ちるかのよう。
首も耳も指も色取り取りの宝玉で飾っている。どうみても魔法を使うためでなく装飾のためだ。
若い頃は醜いと言うほどの容姿ではなかったと思えるのだが、今はたるんだ肉の塊にしか見えない。
その絶叫は、あまりにも耳障りな、ヒステリックな叫び。
「それでは殿下は、リナルドはどうなったとっ!?」
その問いにも、報告者は自信を持って答える。
その内容とは裏腹に。
「不明であります!
ですが、艦艇の残骸は約四隻分存在した、との報告でありますから、生存者は考えられません!」
「そ、そんな……夫が、皇太子殿下が……。
貴様! そ、そのような恥知らずな報告を、よくも抜け抜けとぉ!?」
「よさぬか、クラウディア」
「し、しかし陛下!
夫が、次期皇帝が……こ、このような……」
「皇家は皇国のために身を捧げるのが定め。
あやつは魔族と戦い、立派に討ち果てたのだ」
沈痛な言葉だった。
腹の底から響くような、怒りと悲しみを押し殺しての、感情を押し潰した言葉。
そして単に報告しただけの軍人を責めることもない。
クラウディアは理路整然かつ冷徹な、あくまで理性的な皇帝に反論出来ない。
顔を歪めて白粉をボロボロと落とし、涙でハンカチを濡らす。
ずしん、と音を立てて座った椅子はギシギシと着席者に負けぬ嘆きの音をたてる。
大食堂の各所からも呻き声、悲鳴、テーブルを叩く打撃音が響く。
まさか全滅とは……、殿下は魔王と刺し違えられたか、お労わしや、そういったリナルドと艦隊の喪失を悼む声が湧く。
同時に、戦果は大きいが損害も大きすぎる、多くの高貴なる血が流された、魔族共の巣窟二つに眷属三匹と皇国艦隊が引き替えか、本日の祭儀では臣民へ……、そんな軍事的政治的な話も囁かれる。
すすり泣く声も多い。艦隊には多くの貴族階級出身者もいたので、家族の誰かを失ったのだろう。
ひとしきり家臣達の涙混じりな言葉に耳を傾けていた皇帝は、厳かに言葉を発する。
とたんに家臣達は口を閉ざした。
「リナルドの、いや、我らの家族の冥福を祈ろう」
その言葉に、黒の僧衣をまとった枢機卿の一人が立ち上がる。
胸に手を組み目を閉ざすと、給仕する侍女達も含めた室内の全員が同じく手を組んで目を閉ざした。
「神と皇帝陛下に祝福されしリナルド=フォルノーヴォ皇太子殿下よ。殿下に率いられし臣民達よ。
今、その御霊は天への階段を踏みしめ……」
祈りの詞が続く。
皇国国教会が統治のためにでっち上げられた偽りの神を奉ると承知している皇国支配者達だが、少なくとも死者となったリナルド皇太子と兵士達へ唾することはなかった。
皆、祈りを捧げる。
しばしの祈りの時が過ぎた後、皇帝は改めて枢機卿へ尋ねた。
「本日の祭儀はどうなっている?」
「はい、臣民は全て教会へ集まるよう命じてあります。
既にマルアハの鏡にて祭儀は始まっている頃でしょう。
放送の最初に、リナルド皇太子は魔族本拠にて魔王一族と勇猛果敢に戦い、刺し違えて崩御されたものとして報じられます。
ですが同時に艦隊再建が順調であることも報じます。特に陛下専用艦となる『ドゥイリオ』の発進式は」
「へ、陛下ぁっ!」
突如、大食堂に駆け込んだ者がいた。
大声で皇帝を呼んだのは枢機卿の一人らしく僧衣をまとっている。
息を切らせ、礼儀もなにも忘れたかのように皇帝へ駆け寄ろうとして、部屋の隅に控えていた兵士達に止められた。
が、皇帝は警護の兵を下がらせ、目の前に枢機卿を呼んだ。
肩で息をしつつも跪いた枢機卿は、大声で報告する。
「ま、マルアハの鏡がっ!」
「鏡が、どうしたか?」
「祭儀を、鏡が、殿下の……っ!」
息が切れた上に動揺し過ぎて、言葉が文章となって出てこない。
何事かと不審に思った皇帝は立ち上がり、リナルドの冥福を祈った枢機卿へと視線をずらす。
「今、祭儀が始まっていたな?」
「はい。
礼拝堂にてご覧になることができます」
「行こう」
言うが早いか皇帝は立ち上がり、早足で大食堂を後にする。
クラウディアも、残りの者達も慌てて皇帝の後に続く。
カゼルタ宮殿の一階隅にある礼拝堂。
巨大な宮殿に相応しく、もはや大聖堂かというほどの空間を有し、祭壇も壁も繊細で神秘的な彫刻と絵画が埋め尽くしている。
そして礼拝堂正面の壁の上、天井近くにはマルアハの鏡があった。
宮殿やピエトロの丘からの放送を定期的に受信する機能を持つ鏡は、今も映像を自動で受信し映し出している。
それは普段なら祭儀を、皇国の公式発表やアンクの演算から弾き出された預言という名の天気予報や国土開発計画等を発表する。
そして今も放映をしていた。
ただし、それは皇国の公式発表でもアンクの天気予報でもなかった。
映し出されていたのは、男。
涙を流す白髪交じりな無精ヒゲ。
《しるう゛ぁーなあ~。
父は許さんぞぉ~、そんな化け物との婚儀など認めぬぞぉ~。
考え直せえ~》
リナルド。
神聖フォルノーヴォ皇国皇太子、次期皇帝と目されたリナルド=フォルノーヴォ。
皇国の希望の化身と謳われた皇太子の、見苦しい顔の大映し。
魔王と刺し違え、天への階段を昇っている最中のはずが、何故かマルアハの鏡に映っていた。
皇帝は、息を呑んで絶句する。
映像は、だんだんとリナルドの顔から離れる。
すると彼の体全体が映し出された。
立派だった軍服は埃で薄汚れてシワだらけ、おまけに縄で全身を縛られ頭に銃口を突き付けられている。
有り得ない有り様にクラウディアも、礼拝堂へ駆け込んできた全員が唖然呆然と立ちすくむ。
皇太子の生存を喜ぶべきということも頭から吹き飛んでいる。
そもそも、リナルドが何を言ってるのか分からない。
魔界へ進撃し魔王を討ち果たさんとしていた艦隊司令官が、何故に結婚を認めないとか叫んでいるのか。
しかも大泣きしながら「止めろぉ~、お前なんかに娘はやらんぞぉ~」とか叫ぶ姿、どうみても本気。結婚式で定番な父親の姿。頭に突き付けられた銃口と全身を縛る縄がなければ。
もちろん魔界にリナルドの娘が、皇女がいるはずがない。艦隊に参加した皇家ゆかりの者はリナルドだけではないが、皇女はいない。
艦隊発進前後に消息不明となった皇家の者もいないので、密航という話もないはず。
というか、リナルドに娘はいない。
少なくとも公にはいない。
ここで映像が揺れた。
撮影機材が方向を変え、別の方向を映し出した。
そこには荒れ果てた荒野の中、三人の修道服を着た女性がいた。ボロボロかのように服の各所から素肌が覗いていたが、それは古くて破れたわけではないようだ。
綺麗に入れられたスリットから、腰やヘソやらが覗いて、とても扇情的。裾も短く膝上まで露わにし、瑞々しい若さゆえの引き締まった美脚を見せつける。
三人は各自にリュート、携帯オルガン、ハープを手にしていた。
釣り目の中に琥珀色の瞳が光る女性は、輝く栗毛を振り乱しながらリュートをかき鳴らす。
《いっえーいっ!
皇国のみなさーん、見ってるかーい!?
目出度い門出に集まってくれて、あっりがっとなー!》
陽気な叫びと共に、心躍るような旋律が紡ぎ出された。
それにオルガンの鍵盤も弾けるような音を重ねる。
携帯オルガンを肩から下げた赤い髪の女性は、満面の笑顔と共に語り始めた。
《お忙しい中を教会に集まって頂き、誠にありがとうございます。
本日はフォルノーヴォ家のリナルド=フォルノーヴォ皇太子殿下がご息女シルヴァーナ様と、魔界の魔王家フェティダ姫と、新たなる魔王との結婚式をお送り致します》
柔らかなハープの旋律も歩調を合わせ、クルクルとカールする金髪を左右に揺らし、いつもは泣きそうな目のサーラが後ろを向く。
《み、見て下さい!
あの方達は、永久の契りを誓い合い、こ、このたびは目出度、く、夫婦となりま、し、た!
魔王家と、フォルノーヴォ家、は、固い絆で、結ばれたの、です!》
どもるサーラの視線の先、巨大な四角い石の前で誓いを結んでいる裕太とフェティダ
とシルヴァーナ。
裕太の頬に唇を寄せた新婦達へ、周囲から嵐のような祝福の声が浴びせられる。
対するカゼルタ宮殿礼拝堂は、凍り付いたように沈黙している。
水を打ったような静けさを破ったのは、皇帝の声。
「……これは……これは、どういうことだ!?」
答えたのは、大食堂へ報告に駆けつけた枢機卿。
ようやく呼吸を整えた彼は、改めて報告した。
「じ、実は通信が、乗っ取られたのです!」
「なんだとっ!?」
「先ほどまで、祭儀前の試験放送をしていたら、いきなり画像が切り替わって!
軍の回線で確かめたら、皇国内の全教会と聖堂で、ピエトロの丘からの映像が受信出来なくなって!」
居並ぶ人々は呆気に取られ、怒声を挙げ、なんとかしろと周囲の部下に叫ぶ。
だがその間にも鏡の中で話が進む。
鏡に大映しにされたのは、シルヴァーナの挑戦的な笑み。
《よーお、クラウディアのおばはん、見てるかー?
かーちゃんぶっ殺し、あたしを魔力炉に放り込んで、その程度でいい気になってんじゃねーよ!
こうみえても、あたしも皇家のお姫様なんでねえ。ゲスな狂乱豚なんぞに遅れをとるほどか弱くねーのさ!
な、とーちゃん》
《シルヴァーナぁ、今ならまだ間に合う……!
結婚は嘘でしたと言ってくれえ~!》
《なんだよお、娘の門出を祝ってくれねーの?
やっぱ妾の娘じゃ愛してもらえねーのかなあ》
《そんなワケあるかっ!
お前が大事だからこそ、魔王なんぞの嫁にやれるわけがなかろうが!》
《だーいじょーぶだーいじょーぶ!
見た目は貧弱だけどさ、無茶苦茶強い上に、すっごく優しいんだぜ》
《我が兵を皆殺しにしておいて! 優しいわけがあるか!》
再び、唖然。
そして沈黙。
要約すると、見事なまでに暴露された皇家の醜聞。
余りに無様で情けないリナルド皇太子の涙と鼻水。
さらには修道女姿の三人娘が感傷的な旋律に乗せて歌い出す。結婚を祝い、娘を嫁に出す父親の悲しみを歌った唄を。
嫌味なほどに小節とビブラートを効かせて。
冷たい沈黙に押し潰されそうな礼拝堂。
そんな中、人々の視線が一カ所に集中する。
夫の妾を殺し、その娘を魔力炉に放り込んだと名指しされた、通称狂乱豚。
クラウディアへ。
次回、第二十八章第二話
『クラウディア』
2012年5月23日00:00投稿予定




