魔力供給源
セドルン要塞。
元はインターラーケンを攻略するために皇国が掘り抜いたトンネル。セドルントンネルと呼ばれた。
皇国北部のオルタから魔界のインターラーケン領旧都まで。直線距離にして13万ヤード(120km)にもなる。
地球で言うならイタリアのミラノの北にある湖から、スイス首都ベルンの南まで。
地上への通風口が各所に伸び、内部には登山鉄道が延々と敷かれていた。
インターラーケン奇襲作戦はトゥーン王子により阻止され、セドルントンネルは魔界が占拠した。掘削用機材も奪取。
皇国側にあった元の出口は爆破し封鎖。同時にトンネルを拡張、支線を増やし、罠と警報をこれでもかと設置。
しかも多くの支線は天井が極めて低く、幅も狭く、小柄な妖精・ゴブリン・オークくらいしか通れない。
もし人間が無理に要塞へ侵入すれば、その場で詰まって動けなくなる。
では爆撃する、ガスを流し込む、爆弾で爆破する、新たなトンネルを掘るなどしたらどうなるか。
答えは、無駄。
巨大な山脈の分厚い岩盤に阻まれて爆撃は届かない。
支線を抜いてすら全長120km、その全体にくまなくガスを充満させるなど出来るはずがない。そのための換気用の穴が通気口だ。
穴を掘り爆弾で爆破しようにも、労多くして益は乏しい。トンネル本体を吹き飛ばすのは、山脈ごと吹き飛ばすということ。
そもそも、山脈に新たな穴を空けようとしたら、必ずトンネル内の魔族が察知する。逆に穴を掘り返されて襲撃されるか、爆弾で吹き飛ばされるか。
ならば『嘆きの矢』で全てを消し飛ばすか。
もちろん、ほぼ不可能。
山脈内の巨大クレーターが何によって生まれたのか、今となっては知るよしもない。
だが相応に巨大な魔力源が必要なのは間違いない。そして魔力源へ向けて『矢』を放つ。
山脈内部に『矢』を放つには、空からは届かないのだから、セドルン要塞内に照射装置を持ち込むことになる。それをするには、セドルン要塞を攻略する必要がある。攻略完了した後でしか内部から破壊出来ないから、意味がない。
空から地道に魔力炉を射出し爆撃するか。……山脈を抉るまでやるなど、どれほどの魔力炉が必要か。
結局、『嘆きの矢』でも何でも攻略は不可能に等しい。
このような地下要塞は地球にも多数存在した。
実戦で使われた例として、ベトナム戦争時に構築されたクチの地下要塞がある。
ホーチミン市(当時はサイゴン)北西40kmにあるクチ地下要塞は、全長200km。極めて狭く数多の罠が仕掛けられた。
南ベトナムを支援する米軍は、本拠地たるサイゴンの間近にあるにも関わらず、どうやってもクチを攻略出来なかった。
枯れ葉剤、ナパーム弾、要塞内部へ突撃隊を送り込む、火炎放射器や毒ガスまで流し込んだが、効果は無かった。
ちなみに突撃部隊はトンネル・ラットと呼ばれた。彼らは懐中電灯と拳銃と銃剣を手にトンネルへ入ったはいいが、狭い坑道内で発砲したら、反響音で自分の鼓膜が破れる有り様。
真っ暗で、天井には蜘蛛の群が這い回り、いつ崩落するかも分からない。
防御する側(南ベトナム解放民族戦線)にしてみれば、埋められたり攻略されたりしたら、その分を新たに掘るだけ。
防御側が圧倒的に有利。
魔界側はクチ地下要塞を知っているはずもないが、セドルントンネルの要塞化が戦略上も戦術上も極めて有効なのは分かっていた。
なにしろ、山脈の南側出口があった斜面が皇国領なのだから。
かくしてセドルン要塞は構築された。
通信設備と武器糧食の備蓄は充実。120kmの鉄道で移動も速やか。長さはそのまま広さに繋がり、やろうと思いさえすれば魔王軍の大半を収容することも可能。
『……皇国北部でゲリラ活動をして、ヤツらをナヤませるわけさ。
細々とした小部隊に、いちいち大砲や戦艦を引っ張ってきたり出来ないからね。
ヤツらは『矢』を撃つができないから、世界の破滅も防げるよ。
じわじわと皇国の力をそぎ落とすんだ』
『そう……』
掩蔽壕周囲に建てられつつあるバラックを眺めながら、弟は日本語で魔王軍の戦略を説明する。
だが、それを聞かされる姉は心ここにあらず、という感じだ。
魔王城跡地。
元々城にいた人間族と魔族、そして順次送られてくる捕虜を加えて、魔界の人間居住区という風だ。
ただ、捕虜が増えてくると捕虜収容所の空気が増してくるだろう。
周囲は完全な荒野と化してしまったので、食料生産は不能。魔族からの食料提供無しに生き延びれない。井戸も掘りなおさなくてはならない。
皇国から遠く離れているうえに魔族支配地域に囲まれていて逃亡は出来ない。
唯一残った空母は艦橋を破壊され、魔力炉も失い、あらゆる武装は解除され、飛行も自爆も出来ない。そもそも研究のため技師や導師が常に艦内にいる。
皇国兵士達は、自分達が生み出した荒野の中に閉じ込められてしまった。
飛行戦艦乗組員は、ほぼ全員が士官級。皇国の貴族階級や特権階級によって構成されていた。そのため、非常に自尊心と愛国心が高い。
虜囚の辱めに耐えきれず自死したり、武具を全て奪われたにもかかわらず最期の反抗を試みる者が相次いだ。魔族と口をきくことすら拒む者も。
そんな彼らは、次々と魔王城跡地へ送られた。
捕虜達の役目は、荒野を豊穣の地へと蘇らせること。そして新たに救出された魔力炉の子供達の世話。
次々と暴走を起こす子供達を救うこと。
岩と倒木と赤茶けた大地は、いくら耕しても小麦畑になる日は遙か遠い。森や泉などいつになれば再生出来るか。
自分達の爆撃で生み出した不毛の大地の中、自分達が兵器として利用し殺そうとした子供達が、自分達の目の前で苦しみもがいて死の淵にある。
自尊心と愛国心に満ちあふれ、貧しく愚かで薄汚い平民達を正しく導き、呪われた魔族を打ち倒して人間の楽園を築く……そう信じて疑わない者達に、もう一つの現実を見せつけた。
そもそも暴走する子供達を前に恐れて立ちすくみ何も出来ない。
子供達を救えるのは、愚かで無力な平民と見下してきた一般兵士出身者で構成される元皇国兵士の保父達。
かつてインターラーケン戦役で使用された魔力炉の子供達は、今や等しく大魔導師の卵として保父達を助け成長を続けている。
神に選ばれし優れた民、と自負してきた皇国上層民出身の乗組員達。その彼らが抱く無力感を余所に、被支配者層と蔑んだ人々が八面六臂の活躍をする。
ただ搾取されるだけだったはずの下層市民が、捕虜の乗組員達より遙かに優れた活動を見せた。
その事実を最初に見せつけられたのは、リナルド。
シルヴァーナの生存に驚き、魔王の恩情に感謝し、自らの過ちを認めた皇太子。
魔力炉に改造された娘が、前向きに頑張る姿に感動すらしていた。
ドワーフの近衛兵達に混じって井戸掘りをする様に、はらはらと不安げな声をかける。
「し、シルヴァーナや……そんなことは、そこの魔族にでもやらせておけば……」
「うっせえ!
役立たずは引っ込んでろ!」
長く頑丈なパイプを地面に突き立て、術式を組み上げる皇女は、にべもない言葉を投げ返す。
足下に描かれた方陣に魔力が注ぎ込まれ、淡い光が立ち上ると共に、パイプが高速回転を始める。
凄まじい勢いで地面を穿つパイプは、中にホースが通され水が注ぎ込まれている。
ドリル状の先端で削られた土は水で流されて、パイプの中を通り地上へ排出される仕掛けだ。
地下水脈に到達するまでパイプを連結していき、パイプにそのまま組み上げ用ポンプを繋げて井戸が出来上がり。
シルヴァーナは吹き上がる土砂を頭から被り泥だらけ。だがそんなことは構わずに井戸掘りのため魔力を惜しみなく注ぎ続ける。
周りのドワーフは黙って継ぎ足し用のパイプを運んできたり、吹き上がる土砂を確かめて水源として利用可能か確かめたり。
何もせず文字通り役立たずなリナルドなど、誰も相手にしない。
他の子供達も保父達に混じって暴走を食い止めたり、バラックを建てたり、周囲の瓦礫を片付けたりと忙しい。
既に初老と呼べるであろうリナルドは、孫ほどの年の娘に冷たくあしらわれ落胆を隠せない。
アレッシアはといえば、落ち込むリナルドを健気に励ましている。
後から順次送られてきた乗組員達は、皇女がお家騒動の果てに魔力炉にされた事実を聞かされて驚愕していた。
しかも魔王によって暴走から救われ、魔族達と普通に言葉を交わし、自ら率先して潰れた井戸を掘り直している。リナルドはそんな娘の後ろでオロオロするばかり。
彼らが信じてきた常識と正義を全て否定するに十分。
おまけに皇女でありながら、自分達の誰よりも粗野で快活で現実的と来ている。
魔界の真実と皇国の虚飾を見せつけられた空母乗組員達は、反抗する気力も無くすほど打ち拉がれた。
そんな魔王城跡地の光景を眺めながら、弟は姉に言葉を投げかける。
だが姉がぼんやりしているのは変わらない。
『それで時間を稼ぎ、皇国を内部から破壊するためアンクを……て、聞いてる?』
『……うん……』
『やっぱ、地球に帰るのが難しいってのは、ショックだったよね』
『……うん……』
地球帰還を諦めきれない京子にとって、次元回廊実験計画の先延ばしは予想していたとはいえ辛い現実だ。
特に問題なのは魔力供給面。
計算上、無限暴走によって全盛時の魔王に次ぐ魔力を得た裕太ですら長時間は保たないことが判明した。
裕太は皇国艦隊を単騎で潰せる貴重な戦力。対皇国戦において直接に資することのない実験に費やすなど、魔界にとってとんでもない話だ。
魔王は姉弟との約束であることを気にして先延ばしということにしたが、今後に期待など出来るはずもない。
であれば、他から魔力供給源を確保しなければならないのだが……。
『あたし、子供達に話してみる』
『え……?
まさか、シルヴァーナ達に頼む気じゃ』
『ええ。
まあ、無駄とは思うんだけど』
『無駄、だろうね』
姉も弟も、子供達が協力してくれるとは考えていなかった。
魔力炉の子供達は、確かに強大な魔力を有している。しかも五十六人もいる。
そのうち何人かが手を貸してくれるだけで、実験の魔力不足という問題は解決できるだろう。
まだ子供、魔法技術も低い、同じ人間と相対することになる対皇国戦には狩り出せない、という事実から戦力ともされていない。
今は魔王城に閉じ込めるばかりなのだから、実験に魔力を使っても魔族達から不満は出ないかもしれない。
が、この実験が上手く行けば京子は地球に帰ってしまう。
今は自分達だけで暴走を抑え込むことが出来るとはいえ、やはり京子の抗魔結界は絶対的な力を持つ。失いたくはないだろう。
なにより、一年近くも生死を共にしたお姉さん的存在。その別れのために協力しろなど、酷な話だ。
そもそも、子供達は魔力炉にいれられ拷問を受けて魔力を吸い上げられていた。もう一度、同じ目に遭うなど受け入れるとは思えない。
『子供達に全てを話すわ。
あたしの地球に帰りたいって想い、核の冬の危険、両親が待ってること、全部話す。
もしかしたら分かってくれるかも知れない』
『そっか……僕も説得、手伝おうか?』
『いえ、いいわ。
これはあたしの問題だもの。
あんたはあんたで、やること山積みなんでしょ?』
『まあ、ねえ。
なにせ……相変わらず魔法が下手だから』
『なんでもかんでもぶった切る、確かに凄いけど。
それだけじゃねー』
裕太がまとうエルフ貴族の服、それが一瞬で青黒い魔力の衣に覆われる。
首から下を魔力の衣で包み、両の掌から黒い触手を垂らし、背中のマントも翻る。
あふれ出る魔力が実体化した、何者をも通さない絶対の鎧と全てを切り裂く鞭。
が、実はそれだけだったりする。
鞭を空へ打ち出してみる。
約10ヤードほどの長さでピンと伸び、それ以上は伸びない。
『うーん、伸ばせない。
これ以上は衣やマントを解いていかないと』
『射程が短いわねえ。
それじゃ、毎度毎度突撃になっちゃって危ないわ』
『陛下みたいに雷や風も自由に使えればなあ。
射程や戦術の多様性が無いんだよな』
『相変わらず、まともに術式は組めないの?』
『駄目だよ。
出来ないワケじゃないけど、抗魔結界に邪魔されちゃって。何度か試したんだけど、すっごく効率が悪い。
結局、魔力を体外で実体化させた武器を自分で振り回すしかないなあ』
『そこまで出来れば上出来だとは思うんだけどね。
ま、ルテティアでしっかり修行してらっしゃい。
あたしはみんなを説得してみるわ』
『だね。
何か決まったら教えて』
裕太はマントをほどいて広げ、四枚の翼へと変化させる。
その姿に姉は、感心しつつも呆れている。
『あんた、まさにマンガの主人公って姿だわねえ。アメコミのヒーローにいそうだわ。
もうちょっとオリジナリティ出しなさいよ』
『……悪かったね。
僕はあんまりクリエイター向きじゃないんだ。
破壊が専門だから』
そんな話をしながら、弟はルテティア跡地の地下神殿へ向けて飛び立った。
次回、第二十七章第四話
『フェティダ』
2012年5月20日00:00投稿予定




