核の冬
「奇跡、ですね」
闇に浮かぶルヴァンは、ただ一言呟いた。
奇跡、と。
「彼には以前、定期的にチキュウの食べ物を食べるよう促しました。
それは今も続けてくれているようですね」
ルヴァンの前には椅子に座る裕太。
今は魔力の衣をまとわず、普通に服を着ている。
紺のズボンに紺の上着。まるでダルリアダのエルフ貴族のような服。
巨大な大理石を削りだし磨き上げたテーブルを挟み、ルヴァンと裕太は向かい合う。
「ええ。
去年の秋に言われたトオり、カルシウム錠剤をたまに飲んでます」
「残量は? どのくらい残ってます?
何日ごとに服用してますか?」
「ワリと飲み忘れてしまってるので、ほとんど減ってません。
最近は……十日に一度くらいだったかも」
カルシウム錠剤。
地球から転移してきた時に所持していた、母の骨粗鬆症予防用サプリメント。
ルヴァンは以前、裕太達に定期的服用を促していた。
彼は数日から十日に一度、それを一錠飲んでいる。
その返答にルヴァンは深く頷く。
「……抗魔結界とは、個人の能力や魔法技術ではなく物質の性質です。消魔力、とでも言い変えられましょうか。
チキュウの物質で構成された彼の肉体は、それゆえに魔力を消し去る力を持ちます。
そのため、本来なら彼が魔力を持つことなど有り得ません。
しかし去年の秋の段階で、既に微量の魔力蓄積が確認されています」
円を描く巨大な大理石のテーブル。
丸いので、どこが上座ということはない。だがやはり魔王の座る場所が上座という雰囲気がある。
痩せ細り、白髪になった魔王。だが少し回復したらしく、背筋は伸ばし目にも生気が戻っている。
「でも、抗魔結界で魔力を消してしまうはずなのに、どうしてなのかな?」
しわがれた声で魔王が尋ねる。
他の席に着席する者達も、裕太本人も強い興味を示す。
「密度、です」
「密度?」
「そう、抗魔結界が効果を現すには、チキュウの物質が一定の密度を持たねばなりません。
魔力も粒子であり固有の振動数を持ちます。学会では魔力子と名付けられています。波の性質を併せ持つのです。
魔法とは魔力子を物質間で交換することで伝達されるのですよ。
ですが、チキュウの物質は魔力子を交換しません。魔力波に同調しないのです。
そのため魔力波の振動周波数を上回る密度を」
「ごめん、ルヴァン君」
申し訳なさそうに魔王が口を挟む。
「みんな時間がないし、手短に頼む」
テーブルを囲むのは魔王とその一族。
一様に、煙たそうな顔で頷く。
長く小難しい魔法理論は歓迎されていないらしい。
ルヴァンは小さく咳払い。
「失礼しました。
要は、チキュウの物質の濃度が低いのですよ。
彼の体の中にあるチキュウの物質は、カルシウムが僅かに残るのみ。
そのため、彼が生み出す魔力を全て消すには至りません。その隙間を通過する魔力があるのです。
彼はそれを利用しています」
視線を向けられた裕太は、軽く手を挙げる。
肌色の手が、シュッと黒く染まる。
魔力の衣が一瞬で、手だけを覆っていた。
他の席に座るネフェルティやオグルが「すっごいんだにゃー」「デタラメだな」と声を上げる。
「抗魔結界の密度が高すぎれば、全ての魔力が消されてしまう。
逆に低すぎれば、暴走する魔力に自らが破壊される。
彼は今、極めて危ういバランスの上で、本来なら即死するほどの暴走を、僅かに残された理性で制御しているのですよ」
説明を終えたルヴァンは席に座る。
テーブルを囲む他の者達から感嘆の声や苦しげな溜め息が漏れる。
魔王の前に席を並べるのは裕太、ルヴァン、フェティダ、ミュウ、ネフェルティ、オグル。ルテティアに集まった魔王一族。
他に長兄ラーグン、末弟トゥーン、それにハルピュイという魔王第十一子であり第六王女がいる。
ラーグンは東部防衛戦司令としてインターラーケン山脈東部、トゥーンは北部防衛戦であるセドルン要塞司令としてセドルン要塞に、ハルピュイはラーグンの下で東部防衛戦の一翼を担っている。
現状では、魔王一族の状況と魔王軍戦力は以下のようになる。
魔王。ルテティアにて地下神殿保護のため全魔力を失い戦闘不能状態。
第一子第一王子、ラーグン。東部防衛戦を担う。
第二子第二王子、ルヴァン。ダルリアダからルテティアへ援軍に駆けつける。
第三子第一王女、フェティダ。地下神殿にて健在。
第四子第二王女、ミュウ。魔王城の掩蔽壕にて生存。
第五子第三王女、ネフェルティ。新型飛翔機ミーティアで編成された飛翔隊を率いルテティアへ到着。
第六子第四王女、ティータン。西部戦線最前線にて死亡。
第七子第三王子、ベウル。『インペロ』艦内で白兵戦のすえ、死亡。
第八子第五王女、リバス。死体は未確認。だがクレーターは制御室が存在する深度まで抉っており、生存可能性は無い。
第九子第四王子、リトン。ラコナ島近海で死亡。
第十子第五王子、オグル。ルテティア地下神殿にて健在。だが空母を沈めるため最大出力での地対空レーザーを放ち、全魔力を失う。
第十一子第六王女、ハルピュイ。東部戦線の一翼を担う。
第十二子第六王子、トゥーン。セドルン要塞を担う。
既に王子王女のうち、三分の一が戦死している。魔王は生存しているが、全魔力を失っている。オグルも全魔力を失った。
ミュウはさしたる魔力を有していないため、最初から戦力扱いされていない。
半壊、という言葉すら生ぬるい苦境。
特に魔王が全魔力を失ったことは、魔王一族にとって致命的な戦力低下だ。
かつて魔王が魔力炉の子供達を引き取り、頻発する暴走を抑え込むために全魔力を失ったことがあった。
魔王城勤務を始めた京子と裕太のおかげで魔王は順調に魔力を回復させたが、皇国艦隊侵攻の時点まで魔力を回復させるには、半年以上かけている。
魔力量が膨大な分、蓄積にも時間がかかる。次の皇国侵攻までに、どれだけ魔力を回復させうるかは誰にも分からない。
また、急遽モンペリエに集中させた西部戦線の空戦力は壊滅。ルテティア防衛戦力も壊滅。
魔王軍は、全戦力の三分の一近くが消滅してしまった。
なおかつモンペリエ、ルテティアの両都市も消滅。
単純な戦力低下だけでなく、士気の低下、指揮の混乱、権威の失墜、etc。
今後の不安要素を挙げればキリがない。
それらの情報が闇の中に大きく映し出されている。
映像の横に立つエルフの魔導師が指示棒を手に解説を続けていた。
「……現状は以上です。
単純計算で、魔王軍は総戦力を半減させたことになります」
絶望的な結論。
魔王軍は厳しい状況に置かれている。
そんな中でもフェティダは前向きな、明るい要素を示した。
横の席に座る裕太を見つめながら。
「ですが、いえだからこそ、ユータ卿の存在は大きいですわね。
魔力量や魔法技術はお父様に及ばないものの、抗魔結界によりレーダーも障壁も無効化できるのは素晴らしいですわ。
何より、あの勇者を触れるだけで容易く屠ることが出来るのです」
「戦いに関しては、僕を上回るだろう」
魔王も惜しみなく裕太の戦闘力を高く評価する。
居並ぶ王子王女達も頷く。
この点に関して、異議を挟む者はいない。
ここはルテティア地下、地下神殿の一角に設置された大部屋。
仮に総司令部の機能が置かれている。
以前は『無限の窓』を通じて各要塞とも通信が出来た。だがルテティア消滅の余波で通信中継基地も破壊され、未だ回復していない。
このため飛翔機が伝令として、両防衛線だけでなく、動揺を防ぐため各魔族へも日に何度も往復している。
フェティダが前に立つエルフへ声をかけた。
「皇国艦隊壊滅について、皇国内での報道は?」
「いまだ沈黙しているそうです。
セドルン要塞破壊とモンペリエ消滅の情報を戦勝として繰り返し報道し続けている状況です。
それと移民団の募集と編成の様子も」
「皇国から何らかの接触は無いのかしら?」
「いえ、今のところは確認はされていません」
「どこまで沈黙する気からしらね。残存戦力も気になるし」
「どうでもいいですよ」
裕太が声を上げた。
無表情なまま立ち上がる。
「現状で確かなのは、ボクしか皇国と正面切って戦えない、ということです」
堂々と宣言するその顔に、何ら怯えも謙虚さも虚飾も見えない。
王族達も、あらゆる障壁を無視して戦艦を内部から破壊出来る彼の能力は承知している。
なので口を挟まず、彼の次の言葉を待つ。
「皇国に艦隊を再建するヒマなど与えません。
ボクがロムルスへ行き、工廠を破壊します」
「思い上がってはいけません」
ロムルスへの単騎突撃を主張する彼に異を唱えたのはルヴァン。
黒メガネをクイクイと直しながら話を続ける。
「あなたの戦闘能力は極めて高い。
こと戦いに関して言うなら、父上をも上回る切り札的存在です。
それは認めます」
「ありがとうございます」
「ですが、単身で敵陣に切り込むなどは、さすがに無駄死にです」
「いえ、もちろん皆さんの援護を求めます。
アベニン半島北部で皇国軍主力をヒきつけて下さい。
ボクは半島奥地へ潜入し、工廠を破壊して皇帝を殺します」
「気概は立派……などとは言えません。
無駄死にという言い方で理解出来ないなら、無駄足と言い換えましょう」
「ムダアシ、ですか?」
「ええ、無駄足です。
ロムルスから獲得されたであろう古代文明に関する知識、既に皇国全土へ行き渡っています。今さら工廠を破壊しても手遅れです。ほどなくして第二、第三の工廠が作られることでしょう
またロムルスの物資に関しては、いくら破壊されても問題ありません。数千年前の遺物ゆえ、最初から壊れてるでしょうから。破壊されて埋められたなら、また掘り出すだけです。
なおかつ、皇帝は聖地ロムルスか、皇都ナプレか、カゼルタ宮殿か、名も知られぬ地方都市か、いずれにいるのか分かりません」
「むぅ……た、確かに」
「加えて言うなら、皇帝を殺害しても意味がありません。皇太子を捕らえられたとて、どうということはないのです。
まだ若輩ながら、皇子がもう一人いるそうです。それに皇女達、その嫁ぎ先である有力貴族、外戚……皇帝の血筋は豊富だそうですから。
まさに『皇帝の代わりは幾らでもいる』のです」
「ぅぐ……」
「あなたを単騎で突撃させれば素晴らしい戦果をあげることは確実です。
ですが、使い捨てになどできませんよ。
あなたの代わりはいないことをお忘れ無く」
怒りに任せて威勢の良いことを言った裕太だが、あっと言う間に萎んでしまった。
肩をすくめて小さくなる。
ルヴァンは、さすがに薄暗い地下で黒メガネは不便だったか、ようやく外した。
布でレンズを拭きながら話を続ける。
「とはいえ、貴方の戦意を無為にすることなど出来ません。
先ほども説明した通り、貴方の力は薄氷の上に立つような不安定なものです。
今後も安定して戦力として数えるには不確定要素が多すぎます。
ならば、確実に戦える今を逃す手も無いでしょう」
「分かって頂けてウレしいです。
それに、『矢』を多用するとどうなるか、皇国もよく分かってないと思うのです。
だから急ぐべきです」
「ふむ、多用するとどうなるか、ですか?」
「ええ。
ルヴァン様は分かりますか?」
「問いが漠然としていますね。
軍事面、政治面、経済面、挙げれば切りがありません」
「と、すいません。
なら端的にコタえをいいます。環境面です」
「環境、ですか?」
「はい。
皇国が魔界を滅ぼせば、同時に皇国も滅びます」
「ほう……?」
「ボクの世界では『核の冬』と呼ばれました」
ルヴァンは驚いて裕太を見据える。
他の者は意味が分からないという感じで周囲を見まわしている。
かなり広い部屋の中、薄暗い中にも静かに控える部下達がいるようだが、その部下達も意味が分からず囁き合う声がする。
そんな魔族達のため、裕太は出来る限り分かりやすく説明した。
核の冬。
大規模な爆発によって舞い上がった粉塵が太陽光を遮断し、惑星の気温を一気に低下させる現象。人工氷河期。
魔界において古代文明が滅んだのは、『嘆きの矢』そのものではなく、後に続いた氷河期によると思われる。
あらゆる植物が死に絶え、農産物の生産も不可能となり、皆等しく破滅する。
生態ピラミッドの土台たる植物が死に絶えれば、上の部分は全て崩れ去る。
そのことを皇国は知っているのだろうか?
絶対に知らない。
知っていれば、モンペリエ一都市を攻略するために『矢』を三発も連続使用するはずがない。危険すぎる。
皇国は「古代文明は『矢』の撃ち合いで滅んだ」と、単純に考えているはずだ。
いや、もしかしたら『嘆きの矢』の真の威力すら知らなかったのではないか?
もし魔力が完全に回復した魔王へ『矢』を撃ったら……星の形が変わっても不思議はないことを分かってないのだろう。
山脈が吹き飛んでインターラーケンの巨大クレーターが出来上がったように。
「……ボクの世界では、ニたような威力を持つ『核』という武器があります。
でも『核』の使用を恐れ、戦争ジタイが出来なくなりました。
使えば敵も味方もゼンメツすると分かっていたからです。
代わりに小国の小競り合いをホソボソとやって、その間に状況も色々変わり、結局、戦わずに戦争は終わりました」
腕組みしたり、目を閉じて深く考え込んだり。
太陽光遮断、生態ピラミッド、氷河期……果たしてどの程度理解してもらえたか、裕太には分からない。
以前、同じような話をオシュ副総監にも語ったが、ほとんどお伽話か笑い話同然の扱いをされた覚えがある。
いきなり理解してもらえるとは、さすがに彼も考えていなかった。文明が進んでいるはずの皇国ですら生態系と環境に関する学問があるかどうか。
だが、だからこそ事態は最悪だ。
魔界も皇国も、このままでは滅びる。
ともかく話を終え、裕太は着席した。
沈黙の中、ルヴァンの細い目が魔王へと向けられる。
他の王子王女の目も続く。
全魔力を失ったとはいえ、いまだ魔王は魔王。その言葉は魔界を動かすに足る。
魔王が方針を専守防衛から早期決戦へ変更しなければ、裕太という戦力を生かすことも世界を守ることも難しい。
目を閉じたまま皆の話を聞いていた魔王。
テーブルに両肘をつき、手を組んで低くかすれた声を発する。
「……戦争で戦って勝つのは、軍の仕事。
でも、何をもって勝利とするかは政の仕事だね」
軍人は戦場で戦う。
だが、ただ戦うだけでは延々と死者と荒野が増えるだけ。
いつかは戦いを止めねばならない。
終戦、騒乱の落としどころ、それを決めるのが政治。
皇帝は魔族完全抹殺をもって終戦とする。
リナルド皇太子はオーク族だけは食料や奴隷として生かしておくつもりだった。
では、魔界はなにをもって勝利とするか。魔王は何を目指して戦うか。
これまで魔王は冷戦を維持することに終始した。皇帝も国力増強のため、これをよしとした。
魔王と皇帝は暗黙の了解をもって拮抗状態を維持し、両世界を一時の繁栄に導いた。
しかし戦力は皇国側が技術革新により大きく秀でてしまった。
空戦力の著しい強化により要塞は無力化し、国境線という概念は意味を減じている。なにより皇国は最終兵器『嘆きの矢』を実戦配備してしまった。
もはや冷戦状態の維持は不可能。
このままでは文字通りに消滅させられてしまう。
「もう専守防衛なんて言うつもりはない。
だが皇国と正面切って戦えば、その被害は凄まじいだろうね。
次からは間違いなく『嘆きの矢』を連射してくる」
「それなら!」
立ち上がった裕太が叫ぶ。
拳を握りしめて力強く主張する。
「皇国に侵攻するんです!
自国領内なら、あんな兵器はツカえません。
内部からツブすんです!」
「……そりゃ、無理だな」
テーブルの片隅から陰気な声が湧く。
オグルの半開きな目が裕太を見据えている。
「人間は、追いつめられたら自爆ってのが定番なのは知ってっか?」
「ええ、話にはキいてます。
インペロも、まだ仲間が残ってたのにヨウシャなく自爆させましたね」
「そうだ。
奴らは追いつめられればなりふり構わず自爆する。それが皇国国教会の教えらしい。
つまり、『嘆きの矢』をところ構わずぶっ放すぞ」
「……まさか、皇国内でも?」
「やるだろうな。魔界も巻き込んで」
モンペリエもルテティアも、消えた。
周辺の農村も、森も、湖も、全部まとめて消えた。
あんな荒野が皇国と魔界全土を覆えば、魔族も人間も全滅だ。
魔王は深い深い溜め息をつく。
「魔界も皇国も、消えるよ。
そんな決定は下せない。何か別の道を探らないと」
「古代の悪夢が蘇るわけですか……」
「だからといって! このままじゃ、魔界がホロびます!」
「でも、どうすればいいのかしら……?」
「正攻法、軍事力による正面突破は難しいでしょうね」
ルヴァンは立ち上がる。
わずかな衣擦れの音と共に部屋の端へ移動していく。
薄暗いのでよく見えないが、そこには扉があるようだ。
扉の左右にはワーウルフの兵士が立っている。
「なのでチキュウを見習い、政治で行きましょう」
そういって兵士達に扉を開けさせた。
観音開きにされた扉の向こうには、椅子に座る人影がある。
その人影は、ゴロゴロという音と共に、椅子に座った状態のままで室内へ移動してきた。
それは台車に乗せられた椅子に、鎖と縄で縛り付けられた人間。
猿ぐつわをされた男。
リナルド皇太子。
次回、第二十六章第二話
『リナルド皇太子』
2012年5月8日00:00投稿予定




