青い翼
ルテティア上空3000ヤード(2700m)。
魔法を使えぬ地球人のはずの裕太は、暴走させた魔力を身にまとっている。
かつて魔王がそうしたように、魔力を実体化させた衣で全身を覆う。
背中に広げる巨大な翼は四枚。
目の部分にはV字の切れ目から光を放つ。
その力は、皇国飛行戦艦隊レジーア・マリーナ旗艦、巨大戦艦『インペロ』を、たった一人で撃沈した。
勇者七体を仕留めた。
まさに彼がかつて望んだ、力に満ちたヒーローの姿。
神に選ばれたり、悪魔と契約したり、激しい修行をしたり、宇宙人に改造されて人外の力を得た、世界の命運を賭けて戦う主人公。
彼が望んだ姿、のはずだった。
「ふざけ、やがって……」
地上を見る。
上空2700mからでもはっきりと分かる、あまりに巨大なクレーター。
全てが消し飛ばされ、地平線まで続く荒野。
「ふざけやがって、ふざけやがって、ふざけやがって!」
憎悪が、絶望が、憤怒が、あらゆる負の感情が身を焦がす。
肉体の抗魔結界ですらも消しきれなかった魔力が溢れ出す。
魔力が、尽きない。
あれほどの戦いをしていながら、いまだ魔力が尽きない。
むしろ加速度的に増加していく。
神にも等しい力を手に入れた。
「こんな、こんなもの、要るか!
返せ、リィンを、みんなを返せえぇっ!!
返して、くれ……何にも要らないから、平凡な、地味な人生で良いんだよお。
神にならなくていい、ヒーローも主人公も要らないから……。
返して、くれ……!」
その手には、何も残らなかった。
激情が生み出した魔力だけが全身を包む。
彼に残されたものは、それだけ。
翼がさらに広がる。
体を包み込むように展開する。
そこに強力な光が当たった。
戦艦からの砲撃。
魔力式高出力レーザーによる攻撃、それも一つや二つではない。
残った戦艦全ての、全光学兵器砲門による一斉砲撃。
魔力の翼が盾となり、砲撃を受け止め続ける。
銃からのレーザー程度なら分解して反射したが、さすがに全砲門ともなると弾ききることが出来ない。
翼が焼かれ、蒸発していく。
そして、焼き尽くされた。
「これならどうだ!?」
避難した空母の艦橋で、リナルドが窓に駆け寄る。
全艦からの一斉砲火、計算上はルテティアの魔王であっても耐えられない威力。
ならばヤツも蒸発したはず、そう期待して。
「目標、き、消えました!」
艦載機管制室兼空母艦橋、その操作盤の一つを操作していた女性兵士が叫ぶ。
その報告にリナルドも、後ろに駆け寄っていた参謀長も拳を握る。
「よし、やったか!」
「ち……違います!
目標の表示が消えて、代わりに別の表示が現れました!」
「な、なんだと、何だそれは!?」
「Persoです!」
喪失(Perso)。
ベウルの艦内侵入を許す原因になった異常現象。
あらゆる魔力レーダー連動式兵器を無効化し、障壁を無視する存在。
そのPersoが表示された座標には、小さな人型が浮いていた。
翼を一枚減らした裕太。
残りの翼も極めて小さくたたみ、体にピッタリと貼り付けている。
つまり、砲撃からの盾、かつ囮として魔力の翼を一枚残し、残りは自分の抗魔結界の中に隠して移動したのだ。
彼はベウルの戦いから、皇国艦隊のレーダーはこの程度で無効化出来ることは気付いていた。
腕を組み、艦隊を前に堂々たる姿を晒す。
その声は新たなる魔王の名に恥じぬ、憎しみと怒りに満ちたものだった。
――滅びよ、人間共。
我が妻と子への供物として、我が悲しみを癒す慰み物として、死ね!
艦載機が、サエッタもスパルビエロも編隊を組んだまま急降下。急加速して魔王へ襲いかかる。
各艦の銃座と砲台はレーダーに頼らず、視認で砲撃を加えようとする。
新たな魔王は宙を蹴る。
襲い来る敵艦載機サエッタの群を迎え撃つ。
暗澹たる歓喜と共に。
戦いは、続いた。
サエッタの電撃が駆け巡る。
スパルビエロの銃座もレーザーを撒き散らす。
戦艦は散弾を放ち、各銃座は狂ったように攻撃を続ける。
障壁を無視するPersoゆえ、もはや障壁を完全に解除しての全砲門無制約射撃。捨て身の攻撃。
だが、それでも新たなる魔王を倒せなかった。
伸縮自在な触手が接近する機体を切り裂く。
たまにレーダーに捕らえて射出されたアスピーデは、瞬時に魔力の羽と触手を収納されて見失い、さ迷ったあげくに同士討ちになったり墜落する。
あまりの飛翔速度に肉眼で追うことも出来ず砲は当たらない。
当たり前のように艦橋に肉薄され、触手が窓の強化ガラスも操作盤も人間もまとめて切り裂く。
ついに二隻目の戦艦が制御を失って降下し始めた。
地上に激突し、へし折れ、爆発。
再び大地が揺れ、爆炎が舞い上がる。
あまりにも、あまりにも絶対的な力。
空母の艦橋に飛び込んだ参謀長が局長へ向けて叫ぶ。
「Persoをそのまま標的として認識させれないのか!?」
「だ、ダメです!
Persoは『認識不能』という意味なんですよ!」
「おかしいぞ!?
ヤツは魔力を身にまとって戦っているんだぞ! 魔力そのものは探知できているはずだ!
なぜそれを優先的に認識できないんだっ!」
「モンペリエでも説明したじゃないですか!
あのPersoという異常情報が通常情報に優先されてしまう、と。しかも高速でPersoと高魔力反応が切り替わるため、同一の存在として認識できないと……!
そんなレーダー連動式兵装管制機構の根幹部分を変更するのは、ここでは無理です! もう工廠でアンクをいじるしか!」
参謀長と局長の怒鳴りあいをよそに、皇太子は必死に指揮を執り続ける。
全艦載機と各艦へ命令怒声叱咤罵声を浴びせ続ける。
「くっそおっ!
ヤツは一匹だけだぞ!? なぜ潰せない、なぜ魔力が切れないんだ!?」
魔力が切れないのは、彼を無限暴走に陥らせた彼ら自身のせい。だが、そんなことはもはや念頭にない。
兵士の一人が腕を振り回し汗を飛び散らす皇太子へ近寄る。
「閣下、皇都へ救援要請をいたしましょう!」
「馬鹿者!」
途端にリナルドは兵士を頭から怒鳴りつける。
「そんなことをしたら、俺の無能を宣伝するようなものではないか!」
「で、ですが!
旗艦『インペロ』墜落の件を隠し通すのは、既に不可能かと」
「第一、皇都からの救援なんか、間に合うか!
そんなことをしている暇があったらヤツを倒せ!
その後で全てまとめて報告する!」
皇太子は窮地と敗北を知られる恥辱を受け入れられず、報告を後回しとした。
新たなる魔王と名乗りを挙げた存在を倒すべく、声を張り上げる。
その目の前で、また一機のサエッタが操縦者ごと真っ二つにされて爆発した。
裕太の戦いぶりは魔王の名に恥じぬものだった。
事実として、モンペリエ後に補給したのであろう百機近いサエッタとスパルビエロの半数を撃墜し、既に二艦の戦艦を墜落させた。
今は、もう一隻の戦艦の正副両艦橋を潰し終えている。
空母の艦橋では、リナルドも参謀長も局長も、悲鳴すら枯れ果て言葉を失っている。
だが、やはり一人。
限界はあった。
魔力が尽きなくても、例え魔力でサポートしているとしても、肉体に限界がある。
体力はいずれ尽きる。
その時は突然訪れた。
彼が三隻目の戦艦を撃墜し、残るは空母二隻となったとき、視界が歪んだ。
疲労で意識が一瞬途切れてしまった。
その瞬間、大砲から撃たれた砲弾の一個が翼に当たる。
弾一個に破られる翼ではなかったが、反動で体は吹き飛ばされる。
そこへ一機のサエッタが偶然衝突した。
電撃で体が痺れて動けず、意識も朧気となり、魔力の翼が収納出来ない。衝突したサエッタの方も爆発し墜落していく。
空母の正面を自由落下していく。
それはリナルドが乗り込んでいない方の空母。
既に裕太の触手により装甲は切り刻まれていたが、まだ撃墜はされていないし武装も生きている。
全砲座が魔力の翼を標的として認識し、一斉に銃口を向けた。
その光景はV字のスリットの下、裕太の視界の端に映っている。
だが体が動かない。
もう動く気力も残っていなかった。
翼を維持する魔力が足りず、青黒い翼は徐々に欠け、千切れ、消えていく。
顔を覆う魔力の衣も、既に半分が剥がれていた。
もうすぐ死ぬ。
この攻撃なら死体も残らない。
それでいい、と彼は思った。
この世に未練はない。
リィンの、みんなのいない未来なんか、要らない。
これだけ頑張ったんだ、もう休んで良いよね。
彼は目を閉じる。
重力に身を任せる。
満足感と虚無感という相反する想いを胸に、その時を待った。
光。
余りにも巨大な光の柱が空を貫く。
それは裕太を狙う空母から伸びる光。
だが、それは裕太を狙ったものではなかった。
狙われたのは、空母の方。
狙ったのは、光を放ったのは、地上。
クレーター中心。
空母の装甲は、光を止められなかった。
既に粉塵は大方が風に飛ばされ、裕太が光を攻撃に使わなかったこともあり、皇国軍は煙幕弾を射出していなかった。
しかも装甲は裕太の触手で切り刻まれ、対光学兵器表面処理は効果を失っている。
よって、空母は極大地対空レーザーの直撃を受けてしまった。
装甲が灼熱し、金属が沸騰する。
胴体が貫かれ、内部まで光が襲いかかる。
武器庫の隔壁すらも、焼かれる。
爆発が空母艦内で連鎖する。
急速に浮力を失い、高度を落としていく。
放物線を描いて落下する新魔王、裕太へ攻撃することもできずに。
有り得ない方向からの、有り得ない攻撃。
生存者ゼロ、しかも爆心地から空母を撃墜する、極大地対空レーザー。
そんな攻撃が、存在が、あるはずがない。
彼は地上を見下ろす。
ついに最後の一隻となった空母の、リナルド皇太子以下全ての人間達も、地上を見下ろす。
艦載機を操る全ての兵士も、同じく。
巨大なクレーターには魔法陣が描かれている。
真円を描くクレーターの縁は、そのまま魔法陣に利用されていた。
その陣は裕太にも見覚えがあった。
モンペリエでも見た『増幅』の魔法陣。
中心には、小さな小さな丸い物体。
だが今の裕太には見える。魔力で生まれたV字のスリットが、通過する光を拡大したから。
小柄で、丸っこくて、黒いローブを降ろしデコボコで中途半端に禿げた頭部を外気に晒す姿。
それが誰なのか、裕太はよく知っていた。
目を見開き、『増幅』の陣で極大化されたレーザーを放ったのは、ブルークゼーレ銀行頭取。
オグル王子。
「そんな……まさか!? 頭取! オグル王子!
生きて、生きていた!?」
まさに幽霊を見る思いで、何度もその姿を確かめる。
この魔法世界で幽霊話は聞いたことはないが、少なくとも足はある。
オグルを中心とした魔法陣の周囲で『増幅』の陣を形成している者達が、幾重にも円陣を組んでいる。
その中には見知った顔も多い。ルテティアの各街区領主や、ドワーフの親方達や、金髪の女性。
フェティダ王女。
「生きてた……そんな、バカな……生きてた!
みんな生きてたんだ!」
奇跡。
まさに、奇跡。
虫一匹生き残れないはずのルテティア。しかもその爆心地に、仲間がいる。
信じられない光景に涙が流れる。
空に雫が飛び散る。
にゃーっはっはっはっはっはっ!
聞き慣れた笑い声が、上空からも響いてきた。
西へ傾いた太陽の方から。
まるで黒点のような小さな点が、太陽の中にある。
点は音もなく徐々に大きくなる。
すれ違うのは、一瞬。
急降下と共に爆発的大音響を、いや衝撃波を撒き散らしたのは、魔王軍の飛翔機による急降下攻撃。
それも一機や二機ではない、大編隊が一気に空域全体で急降下での奇襲をしかけたのだ。
地上近くで機体を起こし、再び急上昇する機体の数は、数えきれるものではない。
新型飛翔機。それは裕太達がもたらした知識と空港の映像から開発された、亜音速戦闘機。短時間なら超音速も可能。
空気抵抗を下げるため胴体部分がくびれ、後退翼を採用している。
生き残っていたサエッタが、スパルビエロが、その多くが機銃掃射の餌食となった。
各機体を守る機体表面の障壁は健在だったが、音速を越えて急降下する速度を上乗せされた弾丸は、障壁を突き破るに十分な速度と質量を与えられていた。
サエッタ、スパルビエロの残機は、大方が撃墜されるか戦闘不能なまでの損傷を受けた。
かつ、障壁を展開していなかった空母も、多くの銃座を破壊され火を噴く。装甲を貫かれて内部で爆発と火災が連鎖する。
完全な奇襲。
皇国艦隊は新たなる魔王の降臨に驚愕し、その他への注意が完全に失われていた。
ついに皇国艦隊は、空母一隻と僅かな艦載機のみにまで撃ち減らされたのだ。
再び同じ高度まで舞い上がった飛翔機の編隊。
その先頭に位置する機体が、操縦席を裕太の方へ向ける。
前席で操縦桿を握る姿は、キャノピーとヘルメット越しでも一目で誰なのか分かる。
ネフェルティ王女。
「来てくれた……ダルリアダからの援軍が、来てくれた……。
みんな、みんな生きてたんだ!」
翼が蘇る。
四枚の翼は形を整え風を捕らえる。
新たな魔力が産まれ、翼は力を取り戻した。
青黒かった翼は光を放ち、澄み渡るほどの青い輝きに包まれる。
暴走する意思が魔力を産む。
確かに我を忘れるほどの怒りと絶望は強い魔力を産んだ。
だが、同じく我を忘れる思いから今も魔力が満ちあふれている。
我を忘れるほどの、喜びと希望によって。
彼は全てを失ってはいなかった。
絶望は希望へ転じ、死の王には生が与えられた。
だが、まだ戦いは終わっていない。
次回、第二十五章『犠牲者』第一話
『帰還』
2012年4月28日00:00投稿予定