消えた
ゴロゴロという車輪が回る音と共に、ベッドが押されていく。
艦橋に向かっているらしい通路は、艦内ゆえ狭く天井も低い。
人間三人が横に並べばもう一杯、という程度の広さの場所がせいぜい。横道なら人一人がやっとだ。
ガラスの中でベッドに縛られた裕太へ好奇の目を向けつつも、忙しげに往来する作業員や白衣の者達。
エレベーター、というよりは簡単な手すりのついたリフトで上の階に上がっていく。
周囲の音は全て黄色の宝玉から響いてくる。通信機能は働いたままだ。
横で付き添っている局長に尋ねてみた。
「モンペリエの戦いから、何日タちました?」
《六日ですね》
「六日って、そんなに……」
《ええ。
駐屯地に戻って、補給と補修を大急ぎ。
まったく、魔族も無駄な抵抗をしてくれたものだね》
「何が無駄だって?」
《無駄だよ。
どうせ滅ぼされるんだから、素直に滅ぼされてくれればいいのに》
「無駄なんかじゃない!
あんた達がオロかなだけだ!」
叫ぶと共に、ベッドを囲んでいる部下達の目つきが険しくなる。
一人の若い部下が軽くガラスを叩こうかと拳を振り上げたが、局長はそれを制した。
あくまで落ち着いて対応する。
《分かりませんねえ。
人間なのに、何故にそこまで魔界に肩入れするのか。
何か皇国に恨みでも?》
「別に恨みはない。
ボクは皇国なんか知らないし、どうでもいい。
魔界にスんでるから魔界がホロんだら困る、それだけだよ」
《なるほど! それは分かりやすい理由ですね》
「同じように、魔界のみんなは魔界でシズかに暮らしてるだけだ。
それをナンだ! ナニが正義だ、ナニが神だ!
魔力炉の子供達だって、魔王陛下が必死でタスけたんだぞ!」
心が折れていた裕太だが、皇国の悪行を思い出すほどに怒りが湧いてくる。
縛られガラスに入れられたままでも口だけは自由なだけに、手足の分まで舌を動かすかのよう。
怒鳴り散らす彼に、通りすがりの兵士達が「汚れた魔族め」「魔界の瘴気に当てられて気が触れたか」など罵声を浴びせていく。
が、当の局長は涼しい顔をしたままだ。
《その辺は、立場の相違や利益の不一致というものです。
ま、技術屋の私より彼らの方がその辺の話はしやすいでしょう。
だから後は艦橋で話して下さい》
そういうと、一行は大きく頑丈な鉄の扉前に到着した。
扉を守る左右の兵士が所長の指示を受け、扉を開放する。
そこにはレジーア・マリーナ旗艦『インペロ』の艦橋が広がっていた。
艦橋の壁際に置かれたベッド。
局長は艦橋の中央に立つ女に声をかけた。
《参謀長、お連れしました》
《うむ、ありがとう。
何かあったときのため、局長も控えていて欲しいぞ》
《承知しました。
まあ、そこら辺で座ってますので》
参謀長と呼ばれた女と局長とのやりとりが聞こえていたが、それは彼の耳には入っていない。
それよりさらに重要な、重大なものが目の前にあったからだ。
艦橋の窓から地上が見えていたから。
ルテティア。
忘れもしない、彼が第二の故郷と心に決めた第一魔王直轄都市。
初めて街を目にしたのは、ジュネヴラから大型飛翔機に乗ってル・グラン・トリアノンへ向かったとき。
その時と同じ街並みが、遙か彼方に見えていた。
天井近くの大型画面には、望遠拡大された街の映像が映し出されている。
無数の飛翔機が空を埋め尽くさんと離陸している。
ルテティアの第五防衛陣も発動し、街の街路や幾つもの尖塔が淡い光を放っている。
まだ障壁こそ張られていないが、全てはモンペリエの時と同じだ。
そう、モンペリエと同じ。
皇国軍飛行艦隊も同じ。
全てが同じ。
違うのは、西部戦線唯一の生存者である裕太が、囚われの身であること。
つまり、皇国軍の最終兵器に関する情報はルテティアへ伝わっていない。
だから皇国の砲撃を防御しようと、第五防衛陣を発動させてしまっている。
それこそが皇国にとって最強の武器となることに、魔界側は火のついた爆弾を背負って戦おうとしていることに、全く気付かずに。
「や、やめろ! やめてくれっ!!
ルテティアを、みんなを、リィンを助けてっ!!」
力の限りに叫ぶ。
その声は機械を通して艦橋内にも響いている。
参謀長と呼ばれた女は、ツカツカと軍靴を鳴らしてベッド横へ歩いてきた。
《こちらの声は聞こえるかな?》
「聞こえる、聞こえてるからっ!
何でもする! なんでも喋るから! ルテティアを見逃してくれ!
頼む! お願いします!!」
動けないまま、ガラスの向こうから見下ろしてくる軍服の女へ必死に懇願する裕太。
冷たい目のまま、参謀長は淡々と話を続ける。
《そうか、何でも喋るか》
「しゃ、しゃべる! だからルテティアを助けて!
魔族はとても役に立つんだ! 皆殺しになんかしたら大損だぞ!
魔王陛下とだって話をトオしてみせる! 皇国に降伏するよう説得する!
だからウたないでくれ! 頼む!」
《ふむ、なかなか素直でよろしいぞ。物わかりも良い。
だが少し勘違いがあるな》
「か、勘違い!? 何を勘違いしてるって!?」
《お前は我らに何かを頼める立場にない》
淡々と宣告する参謀長。
あまりの言葉に裕太は絶句し、言葉になりそこなった息が口から漏れる。
彼の愕然とした姿など気にもとめず、参謀長は一方的に話を続けた。
《そして魔族の降伏は必要ない。
魔王と魔王軍に関する情報も、既に必要ない。
滅ぼすからだ》
「そ、そんなことが、許されるもんか!」
《許してもらわなくても良いぞ。
こっちで勝手にやる》
「だ、だだ、だったら! ボクにナンの用だってんだ!?
情報も協力もナニも要らないって言うなら、さっさと殺せ!」
息を切らせるほどに喚き散らす裕太。
殺せ、と叫んだ言葉に嘘偽りは無かった。
愛するリィンを、尊敬する魔王を、守ると誓った魔界を守れない絶望に比べれば、今すぐ死ぬ方が遙かにましに思えたから。
だが参謀長は、死を求める意思すら無視した。
《死んでもらっては困るぞ。
お前にはこれから皇国のために役に立ってもらわねばならないのだからな》
「や、役に?
ボクに何をしろってんだ!?」
《恐らくは、魔界で行っていたことと違いは無いはず。
魔法が通らない体質の秘密を解き明かすため研究材料になってもらう。
それと、その体質を生かして、普通の人間では出来ない作業もしてもらおうか》
「ふざけるなっ!
そんなの絶対にやるもんか!
魔界のみんなを助けろ! そうでない限り、絶対に協力しない!」
《まあ、そう言うと思ったから艦橋に連れてきたのですぞ》
《アレッシア、そいつを静かにさせろ。
今、いいところなのだ》
名前を呼ばれた参謀長が振り返る。
その視線の向く方へ裕太の目も向けられる。
艦橋中央の指揮官席に座る男の方へ。
男は小太りで、白髪交じりの黒髪。肩章の模様は複雑かつ派手な飾りがついている。
肩越しに視線を向けるが、その目は黒い。髪も元が黒いことからパラティーノの民だと分かる。
皇帝はパラティーノの出自で、指揮官席であろう席に座る者も同じ出自と見られる。そして参謀長と呼ばれる女を気安く名前で呼ぶ。
アダルベルト皇帝と近い人物であることは、容易く想像がついた。そしてそんな人物について、裕太は一人しか思い当たらない。
そして、その顔も見知ったものだった。皇国情報では欠かせないから。
「もしや……リナルド皇太子?」
《ほう、よく知っていたな》
「皇国の情報はヒトトオり知ってますよ。
マルアハの鏡も見てますから」
《結構、話が早くて助かる。
では静かに話しろ。今、大事なところなのだからな》
「ま、待って!
リナルド皇太子、どうか話をキいて下さい!」
叫んだ彼だが、その声は皇太子に届かなかった。
何故なら、ベッド脇に寄ってきた局長がガラスケースの宝玉を操作し、音量を下げてしまったから。
彼の声は徹底的に無視される。
アレッシアと呼ばれた参謀長の女は、改めて話を続けた。
いや、一方的な通告を。
《さて、話を続けるぞ。
お前がどこの誰かは知らないが、魔界で生きてきたのだから、魔界に組みするのも当然だろう。
なら皇国に力を貸したくもないだろうな》
「当たり前だっ!」
《だったら、皇国に力を貸さざるをえなくしてやろう》
「な、ナニ? 一体、ナニをする気だ!」
《簡単なことだ。
皇国以外の世界が無くなれば、もはや皇国で生きるしかない》
「な……!」
有り得ない提案。
だが裕太は理解した、理解出来てしまった。
本気だということを。
そしてそれは現実に実行されつつあることを。
二の句が継げない彼へ、さらに一方的通告がなされる。
《そこで魔界が滅ぶ様を見ているがいい。
今のお前が守るべきもの、その全てが無くなれば、皇国で新しい人生を送る気にもなれるぞ》
「な……な、なっ! や、止め、助け……!」
《リナルド閣下の恩情に感謝するが良い。
本来、魔族皆殺しとの皇帝陛下からの勅命であらせられるのだがな。
情け深き閣下は、全ての魔族を皆殺しにするつもりはない。
使えるものは生かしておく所存だ》
「だ、だったら! せめてリィンを、リィンだけでも!」
《生かしておくのは、まずはお前。
お前の体質は興味深い、皇国の躍進に資するに違いないぞ。
あとはオーク。あれは奴隷としても食料としても有益だ。皆殺しするのも、まあ、言ってしまえば数が多すぎて面倒臭い》
「よ、妖精だって役に立つんだ! 妖精は害がないんだよ! だからリィンをっ!」
《というわけで、静かに見ていろ》
音量は、消された。
周囲の音は裕太に届くが、彼の声は誰にも届かない。ただガラスの中で反響するばかり。
両手足も胴も肩も縛られ、ガラスを叩くことすら出来ない。
絶望的状況で、必死に首を動かす。
しかし出来るのは、確かに見ていることだけ。
艦隊へ向かってくる飛翔隊。
今回は最初から魔力炉が射出された。
飛翔隊が接近するのも待たず、皇太子の命が下される。
《『嘆きの矢』、照射!》
その言葉と共に、青い光が魔力炉へ放たれた。
瞬時に暴走が発生、青黒い嵐が巻き起こり、先行していた飛翔隊の一部が巻き込まれ、残りも吹き飛ばされた。
皇国が復活させた古代の最終兵器。その名称をついに知った裕太だが、そんなものは今は何の意味もない。
暴走の嵐が巻き起こす衝撃波で振動する艦内。彼にはただ祈るだけしか出来ない。第五防衛陣を、街を守る障壁を張らないでくれ、と。
だが、彼の願いは通じなかった。
神への祈りが通じることはまず無い。
魔力炉を意のままに暴走させ兵器とする皇国の力を、最終兵器の威力を知ったとき、誰でもやることは同じだろう。
障壁は張られてしまった。
それもモンペリエより遙かに巨大な街を覆う、巨大な障壁が。
皇太子は役者のごとく立ち上がり、腕を掲げ、そして振り下ろした。
歓喜と興奮に満ちた声と共に。
「やめろおーーーーーーっっっ!!!」
《撃てえっ!》
彼の叫びは、祈りは、願いは、どこにも届かなかった。
救いの神などいない。
青い光が、『嘆きの矢』が、放たれてしまった。
それは狙い違わず街を覆う極大障壁に当たる。
街を覆っていた巨大障壁が、歪んだ。
不気味に波打ち、色と形を変え、純粋な魔力が元の術式を無視する。
表面が沸騰するように泡立ち、溶けるように流れ落ち、凍り付くように固まる。
そして、爆発。
急速後退する艦隊、その旗艦『インペロ』の艦橋では、全てが映し出されていた。
大地が抉れる。
上空の雲が吹き飛ぶ。
雷が雨の如く降り注ぐ。
町並みが、石造りの建物が根こそぎ巻き上げられる。
街の上空近くにいた飛翔機は、ことごとく嵐に飲み込まれ塵と化す。
衝撃波は壁のごとく、触れる全てをなぎ倒しながら街の周囲へと広がっていく。
艦隊も激しい振動に襲われているが、吹き飛ぶ瓦礫も襲い来る雷も、戦艦が持つ障壁に遮られる。
全てを飲み込みながら急速に拡大する嵐が、大地を覆っていく。
どれほどの時が過ぎたか。
艦隊は、健在だった。あれほどの暴走する魔力の嵐を生み出しながら、艦隊自身は無傷だった。
大地の鳴動が止み、雨の如く降り注いでいた瓦礫も大方が落ち終え、風が粉塵を吹き飛ばしていく。
艦橋の人々は、地上の様子を映像で確認していた。
そこには、何も無かった。
地面すら大きく抉られて消えていた。代わりに巨大なクレーターが生まれた。
ルテティアの内周部も、中層部も、外周部も、スラムがあった外縁部すら消滅していたのだ。
いくつもの映像が切り替わり、その全てがルテティアの消滅を示している。
いや、画面の一つに残っているものが映った。
それは瓦礫に半ば埋まった建物の土台部分。
非常に頑丈に造られた建物だったため、またルテティア中心からはかなり離れた場所に位置していたため、その基礎部分だけが爆風に耐えて残っていた。
裕太にとっては基礎部分の形を見ただけで分かる建物。
ル・グラン・トリアノン。
魔王城は、消えた。
庭園も、離宮も、泉も、森も、発着場も、何もかもが消えていた。
魔王や姉と一緒に子供達を世話した、宮殿が。
妖精達が暮らしていた小トリアノン宮殿も。
リィンも、姉も、シルヴァーナも、デンホルム先生も、ミュウ王女も、誰も彼も、何もかもが。
魔王までも。
消えた。
リィンが、消えた。
消し飛んだ。
お腹の子供も、消えた。
二人で築くと誓った未来も。
全てが。
艦橋は、熱狂の渦に包まれている。
全ての兵士が、皇太子も参謀長も局長も一緒に、手を取り合い肩を叩き合い、勝利を心から喜んでいる。
華やかで豊かな未来の到来を祝って祝杯を挙げ、奥からは豪勢な料理が次々とワゴンに乗せられて運ばれてくる。
それは大きなブタの丸焼き料理。
早速料理にかぶりつき、舌鼓をうつ人間達を、裕太は縛られたまま、放心したまま眺めている。
艦橋内の音声だけは変わらず流れ続けている。
《立派な豚だなあ。
こんなの連れてきてたのか?》
《いや、モンペリエで捕まえたんだ。
あの近くに三匹いたんでな》
《て、お前、そりゃオークかよ! 食べて大丈夫か!?》
《それは大丈夫だぜ。
フォルノーヴォ王国の時代には、普通に食べられてたから。
レシピもウチのじーさんに聞いて、当時のものを再現したよ》
裕太の目に、豚の丸焼き料理が映る。
こんがりと焼けた豚の頭が三つ。立派な豚の頭二つに一際大きなものが一つ。
そのどれもが、右の牙が少し長い。
「……ブリュノ……アロワ、シリル……」
何の感情も籠もらない、うわごとのような言葉。
だが的確に事実を捉えていた。
料理された三匹が、裕太の従卒であるボア族親子だということを。
兵士達は、調理された頭を頭上に掲げたり投げ合ったりしながらふざけている。
《うーん、このオークの頭、持って帰れないかな?
家に飾りてえ》
《もう料理されちまったらダメだろ、あんな風に剥製にしないとな》
《そうだな。
しょうがない、帰りに適当なのを見つけて狩るとするか》
ボア族親子の頭を小脇に抱えた兵達が、艦橋の出入り口上を見上げる。
開け放たれた扉の上には、首だけの剥製が壁に飾られていた。
それは白い大きな狼の頭。
ベウルの首の剥製。
その会話を聞きつけたリナルド皇太子は、まさに無礼講という風で気安く兵士達の会話に混ざった。
《お前達、慌てなくてもよい。
本国への帰路、適当な場所で狩りを催すとしよう。
好きな魔族を好きなだけ狩り、故郷への土産とするがよい》
《おお! 感激です!
魔王の首も手に出来るやもしれないでありますな!》
《あ、それ、もしかしてルテティアに埋まってるんじゃないでしょうか?》
《っと、確かにそうでありますね。
やむを得ません、他の失敗作で我慢致します》
《うむ、よい心がけだ。
全ては早い者勝ちだぞ!》
《ははっ! 閣下のご配慮、恐悦至極であります!》
《リナルド閣下ばんざーいっ!!》
《皇国万歳! 皇帝陛下万歳!》
声が聞こえる。
裕太の妻を、まだ生まれぬ子を殺したことを祝う杯。
敬愛する魔王を殺したことを祝う宴。
姉を、友を、仲間を、師を、未来を、全てを踏みにじり、奪い、破壊した。
壊した。
壊れた。
ガギュンッ!
その音に気付いた者はいなかった。
ガラスケースの中に、青黒い霧が漂い始めていることも。
次回、第二十四章第三話
『慟哭』
2012年4月18日00:00投稿予定




