魔王
ルヴァンさんは翻訳機を作ってくれた。
それによると、この魔力式コンピューターの名前はAnkh。アンクと読むらしい。
このアンクって水晶玉、凄まじい性能のコンピューターだ。
こんな高速で異国の言語を解析してしまうなんて。
もちろん急いで作り上げたモノだから、その性能はお世辞にも高くない。
ネット上の無料翻訳ソフトと同じかそれ以下の、不自然極まりない文章が並べられてしまう。
日本語データは今も入力真っ最中。単語量が全く足りない。
おまけによく考えたら、ガイドブックや辞書に載ってるのは日本語だけじゃない。英語とイタリア語と、スイスの後に向かうはずだったフランス語も、ごちゃ混ぜになってる。
これじゃ、完璧に会話できるようになるのは時間がかかるかも。
それでも姉ちゃんの目は希望にキラキラと輝いてる。
「やったわ、やったわよユータ!
さあ、あんた何かしゃべりなさいよ!
あたしはPCのデータどんどん出してくから!」
姉ちゃんの指はキーボードを叩きタッチパネルをなで続ける。
隣に指示を出してくれるエルフの人が立ってるけど、もうその指示も聞かずに使えそうなソフトをどんどん稼働させてく。
と思ったら、慌てて席を離れて荷物の中からUSBケーブルを取り出して来た。
「あーもー、まどろっこしくてやってらんないわ!
もうケーブルで直接データを流し込んでよ!」
言いながらもノートPC横にケーブルを接続し、反対側をエルフさんに突きつける。
突きつけられたローブ姿のエルフさんは、その剣幕に圧倒されつつもキョトンとしてる。
姉ちゃんのセリフも翻訳されてるらしく、水晶玉と姉を交互に見る。
ルヴァンさんも同じく視線を往復させる。
少し首をひねってから、タッチパネルを叩いた。
瞬時に文章がアンクに表示される。
『それは何ですか?
けーぶる、わかりません』
USBケーブルを握る姉ちゃんはガクッと肩を落とす。
でもすぐに立ち直ってカメラを手に取り、まだデータをPCに入れてないSDカードをカメラに差し込んで、ケーブルと接続した。
もちろんカードリーダーほどの速度じゃないけど、即座にカメラのデータがPCへ流れ込んでいき、高速で写真と動画のデータが切り替わる。
その様子をルヴァンさんの方へ見せつける。
「これよ、コレ!
手で入力なんかしてないで、直接そのコンピューターに流し込みなさいよ!」
「あー、ええと……出来るのかな?」
確かにそれが出来れば話は速い。
けど、あの水晶玉にはPCみたいなポートがあるようには見えないんだよな。
いきなりPCと繋げるのも恐いし。
僕は一番最初に彼らに見せたSDカード、まだあんまりデータ入ってないしPCに取り込み済みのヤツを手にする。
それをSDカードリーダーに差し込んで、隣のエルフさんに手渡してみた。
エルフさんも一瞬考え込み、ルヴァンさんの指示を仰ぐ。
答えは「実行せよ」だったようで、一言の返答を得たローブ姿のエルフさんが、すぐに水晶玉へ駆け寄った。
そして他のガイドブックと同じく、水晶表面から出る光にかざしてみる。
一層強く輝く水晶玉。
一際大きく響き渡るトゥーンさんのうめき声……本当に大丈夫かな、あの人……。
玉の中に無秩序な光が散乱し混じり合う。
ボンッ!
爆発音。
カードが煙を噴いた。
何がまずかったか知らないけど、どうやらカードが耐えられなかったか。
いきなりPCを接続しなくて良かった。
そしてデータは全く流し込めなかったようで、ルヴァンさんの左右のエルフが首を横に振る。
被害は少なかったけど、僕も姉ちゃんも、周りの人達もガッカリ。
姉ちゃんは頭をバリバリと掻きむしってしまう。
「あーもーっ!
なんて中途半端なのよ!?
情報技術を舐めてんじゃないわ!」
「姉ちゃん、そこまでは無理だよ……」
「あんた、諦め早過ぎ!」
「といっても、どう見てもあの水晶玉にはポートも端子もなんにもついてないよ。
OSもウィンドウズですらなさそうだし」
「ぐぬぬぅ~」
歯ぎしりする姉ちゃん。
役立たずめ、とでも言いたげな眼光を水晶玉に投げつけ、再びイスに座る。
プンプン怒りながら、再びPCにデータを表示して、周りの人や鏡の向こうの人や水晶玉にも示す。
手間はかかっても、手作業しかなさそうだ。
PCの方は姉ちゃんに任せて、僕は水晶玉に向かう。
表示される日本語は加速度的に自然なものへと進歩していった。
まだ読みにくいけど、こうやって情報を流し続ければ自然な会話が出来るようになるだろう。
水晶玉のおかげで、とても多くの事実が分かった。
まず、この国の名前だ。
最初に表示された国名は、DemonWorld……悪魔の国って、いやそりゃないだろうと何度か聞き直したら、最終的にMagicWorldという名前に翻訳された。
直訳すると、どっちにしても、魔界。
なんでこんな表記がされたのか聞きたいけど、つかそれ国名じゃねーじゃんと突っ込みたいけど、他に表現の仕方が無かったらしい。
驚くべきコトに、王と呼ぶべき人物が治める巨大な国家でありながら、国名を表す正式な名前が存在していなかったんだ。
理由について尋ねてはみたけど、情報量が少ないうえに翻訳が不十分で、よく理解出来ない。
まだ入力された単語量が少ない中で、必死に適当な単語をつなぎ合わせたようだ。
それによると、この国は数十年前に出来た新しい国で、それも一つの国として強くまとまってるわけじゃなく、小さな国や色んな種族が今の王様を慕って寄り集まっただけのものなんだそうだ。
だからしっかりした国として存在しているわけじゃないんだって。
王様も細かいことや堅苦しいのが嫌いで、面倒くさいから決めなかったと。
で、その王様というのが、鏡の向こうにいる青髪青ヒゲのエプロンおじさん。
顔にシワは多いけど、体はガッチリしてる。顔の彫りが深い。そして優しそうな目と穏やかな笑い声が印象深い。
でも名前がDemon……いや悪魔ってあんた。
やっぱり何度も何度も聞き返して、ようやく落ち着いたのがMagicKing。
どっちにしても悪魔とか魔王って、なんだよそれ。
「魔王って……なによそれ。
あの、エプロン姿で子育てしてるオジサンが?」
「……ありえないよねえ~。
王冠も何も着けてないのはともかくとして、なんで王様だか魔王さんが保父さんしてるんだ?」
ここが異世界とかパラレルワールドとかを差し引いても有り得ない。
でも、いくら聞き直しても表示は変わらない。
絶大な魔力で並み居る有力種族を平伏させ、指一本で天変地異を起こし、その力は神にも匹敵するとかなんとか説明が続く。
アンタ、どうみてもただの外人なオッサンでしょうが。つかそれ、個人の名前じゃないでしょ。
その魔王様が、巨大な王国を支配し神にも並ぶ男が、なんで子供に髪を引っ張られながら会議に出てるんですか?
保父さんだとしか思えませんけど。
PCを操作してる姉ちゃんも呆れ顔。
「あれが、魔王様って……どういう翻訳してるのよ、あの水晶玉」
「まだ作りたてのソフトだから、上手く翻訳出来ないんだろうね」
「つか、本当の名前は何なの?」
僕も、んな数十年前のRPGゲームでしかお目にかかれないような、やられキャラっぽいあだ名を聞きたい訳じゃない。
まだバグも多い通訳ソフトとガイドブックの辞書を介し、通称魔王様のちゃんとした名前を聞いてみた。
でも、何度聞いても『MagicKing』『Demon』という以外の答えが返ってこない。
王様本人がそう名乗ってるからそうなんだ、それに巨大な魔力を持つのでピッタリの名前だ。古い言い伝えにある魔王は悪逆非道の悪者だったが、桁外れの魔力からいって魔王の名が相応しい、という理由。
よく見ると鏡に映っている王様の背景、石造りの城らしいんだけど、ボロボロだ。
カーテンはビリビリに破かれ、石の壁は落書きだらけで、窓ガラスがひび割れたり穴が空いてたり。
どういう王様なんだろう……?
そしてこの土地、僕らがいる山はInterlaken、インターラーケンという場所。
インターラーケン山脈の中にある、ジュネブラという街。
このインターラーケン山脈は僕らの地球で言うアルプス山脈のことで、つい最近開発が始まったばかりの新領地名でもあるそうだ。
そしてなんと領主は、今も椅子に縛られて悶え苦しんでる魔王一族の一人、トゥーン王子だって!?
その話に姉ちゃんの目もギラリと光る。
「お、王子様ですって?
あの子、気品があるとは思ってたけど、まさか本物の王子様だったの!?」
「そうらしいよ。
狼の群れを軽々と追い払ったのといい、やっぱり凄い人だったんだあ」
でも今は、姉ちゃんの方が獲物を狙う狼の目をしてる。
ゴクリ、という唾が飲み込む音まで聞こえる。
露骨過ぎて、引く。
それはともかく、話を続ける。
トゥーンさんは青い髪の王様の息子。
去年の春にインターラーケン領主として、ここにやってきたそうだ。
領民は主に妖精達。でも男の妖精はほとんど山の下にある平地で出稼ぎをしているんだって。
ルヴァンさんは第二王子で次男、フェティダさんは長女、オグルさんは十番目の子供で、トゥーンさんは十二番目……凄い大家族だな。
てことは、あの王様の周りで走り回ってる子供達って、全部王様の子供?
アレ全部が王子様と王女様だっての!?
「まさか……あそこが大魔王なんてネタじゃ……ぐぅおっ!」
姉ちゃんに思いっきり肘撃ちされた。
確かにンな下ネタ言ってる場合じゃないけど、痛い。
で、マジな話。今回は、とある事情があってインターラーケンの首都ジュネヴラに兄姉三人が集まって来ていた、と。
ここ、首都だったんだ……片田舎とか口にする前に教えてもらって、助かった。
事情というのは水晶玉、アンク(Ankh)というコンピューターを動かすというもの。
「Caca!!」
バキィッ!
いきなり大声と打撃音が響いた。
声の主を見てみれば、ヘルメットを地面に投げつけたトゥーンさんがいた。
今の叫びは何なのか、とアンクを見てみれば、ご丁寧にも翻訳してくれてる。
透明なアンクの表面に輝く三文字が、美しい光に彩られてる。
『うんこ』
律儀な機械だ。
どこの世界でもコンピューターは融通が利かないらしい。
意味としては、トゥーンさんの剣幕からして『クソッタレ!』ということだろう。
激論がピタリと止まり、気まずい空気が漂う。
そんな空気を一切読まず、いい加減に力を吸われまくるのに嫌気が差して、つかムカついたトゥーンさんがドカドカとテントを出て行く。
トゥーンさんが出て行くと同時に、吸われていた魔力も尽きたらしい。アンクが光を失った。
慌てて彼の周りにいた女の人三人が追いかけていく。
うーむ、空気が死んだ。
アンクっていう名の魔力式コンピューターも機能停止。
視線はリーダー格の、魔王の一族でもこの場で一番年長のルヴァンさんに集中する。
クルリと周囲を見渡した彼は、クイッとサングラスだか黒メガネを直した。
一言、何かを口にする。
すると人々は頷いたり敬礼みたいのをしたり、フェティダさんとオグルさんはサッサとテントを出て行こうとしたり。
キョロキョロする僕と姉ちゃんをおいといて、みんな荷物を片付けたり掃除を始めたりしだした。
ルヴァンさんはアンクの台座に置かれたガイドブックの一つを手に取り、僕らの前にスススッと歩いてくる。
そして幾つかの単語を指さした。
それはnotte:夜、cena:夕食、domani:明日、という単語。
周りを見れば、確かに既に夜だった。
テントの外は光を無くし、ライトが強く輝いてる。
どこからか美味しそうな臭いも漂ってくる。
あまりにも会議に集中し過ぎて、時間が経つのを忘れてた。
そして僕も足が痛い。姉ちゃんも右足太ももをさすってる。
あまりにも足踏み式充電器を使いすぎたせいだ。
「今日の所は、この辺で……ということだね」
「そのようね。
明日も早くから頑張らないと、だわ。
今夜はグッスリ休みましょ」
そうだ、明日からはさらに忙しくなる。
僕らが何故にここへ来たのか、どうやったら帰れるのか、調べないと。
でも当面の問題としては、あのアンクってのは明日、誰がどうやって動かすか……だよなあ。
次回、第三章第四話
『理由』
2011年3月16日01:00投稿予定